コンラート
私たちの対峙は静かだった。旅塵にまみれた彼の表情は暗く、疲れていて、それでもなお精悍な美しさを放っていた。
今すぐにでも駆け寄りたい気持ちを抑え、今だけは冷酷な騎士の顔を作る。仕事に私情は挟まない……貴方が相手だからこそ、誰かに責められるような隙は作れない。
貴方の事情も聞いてあげたい。バキシム・グランとその背後にいる者たちの思い通りにはしたくない。でも、貴方を捕らえないことにはそれも叶わない。ねぇ、わかるでしょう、コンラート。
琥珀色の瞳が、私を射る。
「聞いてくれ、オーディリア」
「……もちろん。ただし、それは貴方の身柄を拘束した後のことよ。コンラート・ザラストラス。アルマ男爵令嬢を解放なさい」
「解放? 今度はどういう筋書きなんだ? ゾフィーを連れ戻してどうする」
「第二王子のクラウス殿下からは、アルマ男爵令嬢を決して傷つけるなと命令されているわ。きちんと双方の証言を残すために、どうしても令嬢の身柄が必要なのだ、と」
「証言……証言か! どうせ有りもしない罪で裁いてゾフィーの命ならず尊厳までも踏みにじろうというのにか!」
「ザラストラス、大人しく拘束されるというのなら、私が必ず貴方たちを守ってみせるわ」
私の言葉にふたりは黙って顔を見合わせた。その親密な様子に心臓が歪んだ音を立てる……。
ああ、ダメ……怒りが、燃え上がった怒りが隠せなくなりそう。警告もなくいきなり一撃を食らわせてやれたら、どんなに良かっただろう。
ふたりを引き裂くように割って入って、コンラートの顔に一発かましてやれたら、さぞや心が晴れることでしょう。けれど、私は騎士だから、そんなことはできない。
こちらに聞こえない声で囁きあっていたふたりは、結論が出たのか馬を曳きつつ私の方へ歩いてきた。ゲートまであと何歩かという所まで来たとき、風切り音を立てて一条の矢がコンラートを襲った。
「!?」
それは偶然にも、アルマ男爵令嬢を振り返ったコンラートの耳の脇を通り抜けて行ったが、そうでなければ彼の頭を貫いていた。男爵令嬢の悲鳴が明け方の空に響く。
「謀ったか、オーディリア!」
違う、と口にする前に、私の背後から聞き覚えのある馬鹿笑いが上がった。バキシム・グラン……! なぜ彼がここに?
部下を引き連れたバキシムは、馬上で弓を構え、さらに矢をつがえながら高らかに言う。
「そのままザラストラスの馬を奪え、オーディリア!」
「弓を降ろしなさい、バキシム・グラン! アルマ男爵令嬢に危害を加えることだけは許さないわ! 後ろの貴方たちもよ!」
「チッ、生意気な!」
そう言いながらもバキシムは弓を降ろした。私はコンラートに向き直る。
「投降しなさい、ザラストラス。引き返せないことくらい、わかっているでしょう? 武器を捨てて、令嬢を解放しなさい!」
「……オーディリア。残念だよ!」
「!」
すでにあぶみに足をかけていたコンラートは、馬を操りゲート内にいる私に向かって突進してきた。その手には彼の愛剣のロングソードがある。私も瞬間、レイピアを抜き放ち応戦の構えを取った。
「コンラート!」
「オーディリア!」
元より向こうの方が腕力が上であることに加えて、馬の勢いと高所からの一撃とくれば、私にとって不利どころか致命打にすら成り得た。技量は私の方が辛うじて上だが受け流すだけで精いっぱいだ。
ガキンッと剣と剣のぶつかる音が耳に痛い。久しくこんな実戦をしていないな、と場違いな考えが頭をよぎる。私はインパクトの瞬間だけ足を踏ん張り、細かく動いて有利な位置取りをする。
長くは保たない。
馬上のコンラートを相手にするには、私の愛剣も私の身体も細すぎる。
いつもは冷静な彼の、苛立ちを隠せない振り下ろしをバックステップで避ける。私に足留めを食らわされている間に、彼女が捕らえられるのではないかと焦っているのだろう。
「コンラート、もうやめましょう」
「うるさいっ、邪魔を、するなっ!」
段々と強く、荒くなっていくコンラートの剣。それは私に対する彼の憎しみを表しているようで、私の胸はひどく痛んだ。
私はこのまま、彼を罠に嵌めた卑怯な女として、コンラートの中に残るの? 彼にまで「情のない氷のような女だ」と蔑まれてこの関係を終わるの?
……彼らを逃してやれば、私の気持ちをわかってもらえるのかしら。コンラートも、それを期待していたの?
そんなことをすればもう、私の心は騎士ではいられない。
貴方の命を優先して、私には死ねというの?
……私よりも彼女が大事なのね。私のことなんか考えられないくらい、彼女を守るために必死になっている。
私から愛を奪い、職を奪って、私を捨てて行くつもりなら、いっそ命まで奪って行けばいいのに……。
馬鹿げた感傷に浸っていたせいか、コンラートが構えを変えたことに気づくのが一瞬、遅れた。剣を振るうのではなく刺し貫く構え。剣先は私の半鎧の隙間を狙っていた。
首から胸部をすべて覆う鎧も、肩までは覆っていない。肩の方から斜めに差し込むように強引に、ほぼ真上と言っていい馬上から刃を差し入れれば、鎧と肋骨を壊しながら私に深い傷を負わせることができる。
「…………!」
胸に刃が届くまでの瞬きの間に、私とコンラートは確かに視線を交わした。
音も時もプライドも、すべてを置き去りにして、ただ私と彼だけがそこにいた。
おかしいわね? 普通、こんな場面なら、言葉なんてなくても貴方と心通じ合えるような気がするじゃない。でも、私には無理だわ。私の愛した琥珀色の瞳からは、なんの感情も読み取れない。
貴方の裏切りを知って、私は私の人生から貴方を追い出そうと思った。元の独りきりの私に戻ろうとした。貴方を傷つけることも、殺すことにも抵抗なんてなかった。
それなのに今、貴方の中の私が醜い女として残るのだと悟ったとき、私の心が悲鳴を上げたの。
だから、ね。
もういいの。
すべて貴方にあげるわ、コンラート。
かつて私は、貴方が望むなら、騎士であることを捨ててただのオーディリアになってもよかった。
だから今、その誇りを捨てても構わない。
愛していたわ、コンラート。
貴方になら、この愛がわかるでしょう?
さようなら。