嵐の予感
朝になってケントが部屋まで起こしに来てくれた。ついでに洗顔用のお湯と新しいタオルも持って。
王都のホテルには水道が通っているのだけれど、国境間際の僻地、しかも小さな町とあっては最新設備なんて望むべくもない。サービスでお湯をくれるだけありがたく思わなくては。
「おはよう、ケント。ありがとう」
「……うぃっす」
「どうしたの? なんだか浮かない顔ね」
昨日大泣きした私もきっとひどい顔をしているでしょうけれど、ケントも目の下に隈を作っているし、ぶすくれた不機嫌そうな顔をしている。強行軍でここまで来たものだから、やっぱり疲れているのかしら。
「顔を洗ったらすぐに降りるから、先に行っていて。……今朝はふたりだけね。なんだか変な感じだわ」
「どういう意味スか」
「えっ? いえ、べつに。大した意味はないわよ」
本当に機嫌が悪いみたいね。
今まで演習や任務ではいつも隊の仲間と食事を摂っていたのだけれど、今回は隊をいくつもに分割してしまったし、ウィロー班長とも別れてしまったから、今朝はケントとふたりきりのはずだ。
……つい先日、不安から彼の胸の中で泣きじゃくってしまったことが思い出される。気まずいわ。
それに、彼と個人的に食事したことはないし、この任務や仕事以外だと共通の話題もないから、何を話していいかわからない。まぁ、そもそも会話をすべきなのかもわからないのだけれど。そういう前フリのつもりだったのだけれど……これはどうしたものかしら。
そう考えていると、私が洗顔を終えるのを待ってケントの方から話しかけてきた。
「ふたりきりじゃないんスよ。グレイのヤツが来てるんス」
「カクタス? なぜ?」
「隊長に、王子殿下から勅書が」
「!」
呆けていた頭が一気に冴えた。
「早く言いなさい、そういうことは!」
王子殿下からの直接の命令書ということは、コンラートが離反を起こしたあの茶会の事件に関して何か新しい情報が書いてあるかもしれない。私は急いで部屋を飛び出した。
「隊長、鍵!」
「テーブルの上!」
幸い、ケントが来る前に支度はほとんど整っていた。隊服の上着を羽織り、前を留めながら階段を駆け下りる。食堂らしきスペースに、見慣れた隊服の青年が一人立っていた。
「カクタス!」
「隊長、おはようございます!」
「見せて。早く」
「あっ、はい」
カクタスは準備はしてあったとばかりに隊服の上着の内ポケットから上品な封筒をサッと取り出した。
「必ず、隊長にお渡しするよう、殿下から直々にお預かりして参りました」
「そう」
「やっぱり、驚かないんですね」
「驚いているわよ」
嘘じゃない。
勅書とはいえ、第二王子殿下ご本人が直接渡す必要はないはず。それなのにわざわざ王宮を出て宿舎まで足を運んだなんて、そこまでする理由がここに書かれているの?
王家の中で、立太子されていない未婚の王子が使える紋章がいくつかある。その内、燕が描かれたものは当代の第二王子殿下のもの。この手紙の差出人が確かに殿下ご本人であることを示している。
封蝋を壊さず開ける方法もあるけれど、私は腰に差していたダガーナイフの刃先を隙間から差し込んでさっさと開けた。ワックスが不格好に割れる。
「あっ」
カクタスが焦ったような声を上げ、その口を慌てて抑えていた。構わず取り出した便箋に目を走らせるが、望んでいたようなことは書いていなかった。
ただ、気になったのが『未だ証拠揃わず』『双方の証言を奏上』という文言だ。アルマ男爵令嬢は茶会の席で刃物を振り回したのではなかったかしら? それなのに「自白」ではなく「証言」が必要だと?
「隊長、殿下は何と……?」
「アルマ男爵令嬢に傷一つ付けることなく、王都へ連れ戻せ、と」
「えっ? そ、それだけですか?」
「ええ」
そう、勅書には実際、『令嬢に傷一つ付けることまかり通らぬ』とあった。いくら貴族の令嬢とはいえ、末端に近い男爵位、それも養子であるという。王宮での刃傷沙汰なんて、その犯人が王族の出自だとしても実刑は免れないものを、その犯人をそこまで厚く扱うとは。
……それだけ王子の寵愛が深いということなのだろうか。それとも、すでに盲愛してらっしゃるのか。
「隊長、その、他には何か……例えば命令ではなくとも、追加の特記事項とか、変更とか……」
「どうしたの? その特記事項とやらがさっきも言った通りのことなのだけれど?」
「しかし! 自分は、その、何と言えばいいのか……」
「カクタス・グレイ副隊長」
「はい!」
「楽な口調で構わないわ、言うべきと思うことがあるのなら、遠慮せずに言ってしまいなさい」
それは正確には規律違反ではあったけれど、今は緊急事態なのだし、構わないでしょう。仮に指摘されたら、情報の正確さを期すということで許してもらうとするわ。
「隊長! ボク見ちゃったんです、ザラストラス隊の人間を!」
「……なんですって?」
「ウチみたいに全員じゃないですけど、制服着てましたし、馬で爆速で飛ばしてたんです! あれは絶対、少数精鋭で追いかけてきてるんですよ!」
「いつ? いつ見たというの」
コンラートがいないのに、なぜザラストラス隊が動いているの? 直接任務を与えられた私たちツェラー隊がいるというのに、こんなことありえない。
胸騒ぎが、する……。