悪夢
「隊長、今、宿を取ってきます。ここで待っててください」
「必要、ないわ。すぐに出発する……」
いつになく硬い表情でケントがそう言うのを、私はどうにか声を出して制止する。馬を休ませるためと軽食のために立ち寄ったランブスの街の大衆食堂で、私は立ちくらみを起こしてしまったのだ。
「もうこれ以上はムリっスよ、今日は大人しく休んでください!」
「ダメよ、サーフェスに、行かないと……。私が、コンラートを……相討ちになってでも、仕留める……!」
「何言ってんスか!」
立ち上がってよろけた私を、ケントの腕が抱き止めてくれた。咄嗟に言葉が出ず、床に視線をさまよわせていた私を覗き込むように跪いて、同席していたウィロー班長が言う。
「隊長。今回ばかりは私からも言わせていただきますぞ。貴女は今すぐ休むべきです」
「…………」
「サーフェスの街へは早馬を飛ばします。封鎖し検問をさせる旨を書いた指示書があれば充分でしょう」
「私が領事に直接お願いしないと、確実とは言えないわ」
「わかっております。しかし今期のサーフェスの領事は我々騎士団に協力的です。しかも国王からの勅令書もあります」
国外へ抜ける道へのゲート二つを封鎖、か。元々検問のあるゲートだから混乱は少ないはず。本当は万全を期して王都側のゲートも見張りたいところだわ。でも、検問を避けられ街の外を行かれては困るから……何か対策を考えなくちゃと思っていて、確か昨日……ああ、頭の中がまとまらない!
「いかがでしょうか、隊長」
「そう、ですね。班長の言うとおりです。でも、やっぱり私が……」
「ええ。領事にお会いするためにもまずは休んでください。私が先触れで参ります。その方が隊長の心の負担が軽いでしょうから」
「感謝します……ウィロー班長……」
経験豊かなウィロー班長に任せておけば、安心だ。ホッとしたら力が抜けてしまった。
とにかく一度椅子に座って、指示書の内容とサインの漏れがないかを確認しなくては。携行鞄の中のペンケース、取ってくるようケントに頼んでわかってくれるかしら? インクの濃さを調節しないといけないけれど、私、アレ苦手なのよね。
「オーディリア」
「! コンラート……!」
ふとかけられた声に振り返る。
そこには、いつものように笑みも浮かべない真面目くさった表情のコンラートが立っていた。
私は思わず彼の胸に飛び込んでいた。色んな感情が渦巻いて涙がこぼれる。
それなのに、彼は抱きしめ返してもくれない。私は泣きながら彼の胸を叩いた。
「どうしてなの? 何があったのよ! どんな事情があったにせよ、私に相談もなく、地位も名誉も何もかも捨てて犯罪者になるだなんて!」
どうして、私を捨てたの……?
独り残された私がどんな目で周囲に見られるか、考えていなかったというの?
貴方を喪った私の気持ちは?
「コンラート! 何も言わないなんて卑怯よ、コンラート!」
叫んで掴みかかろうとした手が空振りした。いつの間にか彼は、美しく着飾った少女の隣にいて、ふたりは慈しみ合うような眼差しを交わしている。そしてその顔がだんだんと近づいて……。
「やめて!」
ハッと目を開けるとそこは薄暗い部屋の中で、私はベッドに寝かされていた。
夢、だったんだわ……。
「あああああっ!」
伸ばしていた手を、思い切り叩きつけるように振り下ろす。
どこからが夢だった?
私は結局倒れてしまったんだろうか。どこまで指示できていた? 今、何時?
夜には着いているはずだったのに、それができないばかりか、こんな所で倒れるなんて無様を晒してしまった……。
おまけに、あんな未練がましい夢まで見て。
「べつに、気にしてないわ。ただの一人に、戻るだけよ……」
呟いてみて、涙がこぼれる。
気にしてないなんて嘘。
親を知らない、友達もいない孤独な私の人生に、いきなり割り込んできた彼。コンラートと出会って、剣を合わせて、初めて誰かと一緒に行動する喜びを知った。
友として仲間として、背中を預けて戦った。コンラートのおかげで私は、誰かを信じることを学んだんだったわ。
それなのに……どうして?
どうして私を裏切ったのよ、コンラート!
殺し切れない嗚咽が静まり返った部屋に大きく響く。私は腕で口を塞いで、これ以上音が漏れないよう必死で泣くのをこらえた。……誰にも、聞かれたくなくて。
夜になると嫌でも考えてしまう。今もどこかの宿で、コンラートと例のご令嬢が愛し合っているのじゃないかって。
他の誰にも見せないあの甘い笑顔と声で、私じゃない名を呼んで、口づけて……。
ずっとずっと、私だけのものだと思っていたのに!
悔しい……許せない! よりにもよってあんな小娘……歳だって十以上離れているじゃないの!!
私の何がいけなかったの? 何が不満だった? 貴方、何も言わなかったクセに!!
私たちが付き合ってから七年? 八年?
……もしかしたら、この月日こそが答えなのかもしれなかった。私たちの間には一度として、結婚の話が出たことはない。そう、一度として。
ズタズタの心を抱いて、眠れないまま朝を待った。今までの分の涙もすべて流したから、きっともう、大丈夫。
今度こそ、一人で生きていく覚悟を固めましょう。コンラート、貴方のことなんて、まったく心に残さないわ。