この世の中に、心を許して話せる人間がいません。
この世の中に、私が心を許して話すことの出来る人間が、ついには誰もいなくなってしまった。
元々は私、人間が大好きでした。
何故かと言うと、自分が大嫌いだったからです。
自分が大嫌いで大嫌いで、心の底から嫌悪していたので、私なんかと関わりを持ってくれる人間は、全員、心優しい善良な人間だと思っていました。
それは私が小学5年生から、心の病にかかり、学校にも通えず、児童精神科に入院して、社会にも適合出来ず、親には金と面倒ばかりかけていたからです。
こんな情けない人間は、さっさと死んでしまえばいいと、本気で思っていました。
でも家族や、私に関わる人間は皆んな優しく。
私の才能や性格を褒め、出来ないことを認め、根気強く病気の治療にも付き合ってくれました。
人間という生き物は、なんて優しく、愛に溢れているのだろうと心から思っていました。
最低最悪の自分から見れば、例え、少し嫌なことをされても、その人はいい人のまま。
私の気が利かなかったのか、と自分を責めました。
遅刻を3時間も4時間も、平気でその場で待ちました。
もしその人が来た時、私がいなかったらどう思うかを考えると、その人が来るまで、もしくは今日はやめようと連絡が来るまで、てこでもその場所から動けなかった。
そんな私も高校を卒業する頃には病気が回復し、それと共に、仕事も始めて、少しずつ自尊心を取り戻していきました。
そうすると、分かったことが沢山ありました。
『貴方のため』と言ってくれるアドバイスも、実はその人自身の感情や欲望から出た言葉だったり。
『身の守り』として授けてもらった教えが、実は教科書にかかれた言葉を盲信をしているだけだったり。
人間は自分が可愛くて当然。という、当然といえば当然の事も、私は気付いていなかったのです。
『自分は最低最悪、一番嫌いな人間』から抜け出した私が見た光景は、他人は優しいと盲信していた時よりも辛い物でした。
人間は私が思っていたよりも、利己的な生き物だった。
それに年月をかけて気付いていきました。
そして他人に対する感情や熱意は次第に冷め、私も自分を大事にしようと思い至りました。
人を第一に考えるから、自分が病むのだと。
自分をまず第一に考えよう。他人は他人だと。
そうすると、驚く程に自分を責める以前のような感情は無くなっていきました。
かわりに訪れたのは、他人のアラや嫌なところ、こんなことをされたのが辛かったという記憶でした。
私の家は、親がとある宗教の熱心な信者で、私や兄弟も物心つく前から、その教えを当然な物として教育されました。
幼い頃の擦り込みとは凄いもので、組み込まれた常識を抜け出す事は、今になっても難しいものです。
普通の家では出来る事でも、うちではダメな事も多かった。理由はよく分からなかったけど、親がダメと言えばダメでした。
私は、成長と共にそれに違和感を覚え、そして決定的な違いを感じたのは『同性間の恋愛禁止』という所でした。
私はレズビアンです。今でも熱心な宗教家の、両親や兄弟にはとてもではないが、話せません。
家族との決定的な違いに気付いた私は、まず、その教えを意識的に遠ざける事から始めなければいけませんでした。
なぜか、私の周りには若くして宗教に目覚める人間が多く、信頼していた友達も何人かが、いろんな宗教に染まり、私に話をしてくれました。
私はそれがとても辛かった。
皆んな、いいことを話してくれました。
いい教えを、善意で、私に良いことだと教えてくれました。
皆、いいことを言うんです。堪らなかった。
私は友達も全員大好きで、誰の教えが良いだの悪いだのと言いたくはありませんでした。
誰かの信じているものを肯定すれば、他の人が信じたものを否定することになる。
それは一つの宗教に加担することで、宗教自体を意識的に遠ざけていた私には我慢ならないことでした。
だから私は宗教の話がとことん嫌いになりました。
家族にいたっても例外ではありません。
同居している中で、週に二回は宗教の集いに出かける家族には申し訳なかったけれど、食事ごと毎日のお祈りも、右から左に、なるべく聞き流すようにしていました。
ただ、いくら宗教の話を遠ざけて、私自身も家族の宗教から離れてみても、幼い頃の教えが私をくるしめました。
レズビアンである事は悪い事だと、自分で自分を責めて泣いた事も多かった。
マイノリティな世界に、不安も勿論あります。
私は必死で、自分の考えを守りました。
『自分は悪くない』と肯定しました。
自分でしたい事を、自分で得たお金で、自分でこなすんだ。他人がいなくてはどうしようもない人間にはならない。と必死で肯定しました。
そんな私から、離れていった友人も多く。
家族に対して、心を許せなくなった私の、唯一の気の許せる相手は友達でした。
でも、友達にも利己的な人は沢山いました。
そりゃあそうでしょうね。自己犠牲を払って生きてきた、今までの私から変わろうとしているのだから、こんな筈じゃなかった。と思う人は多くいて当然です。
それに、自分を可愛いと思って生きるもの同士では、自然と距離が空くのかもしれません。
私は私から離れていきたいと言う人たちを見送りました。
でもね、その人たちも必ず最後に言葉を投げかける時にいうんです。
『あの時ああされたのが嫌だった』
『ひどい、なんで冷たくするの』
『私は傷ついたんだ』
「ああ、私が傷つけたんだな、この人を」と思いました。シンプルに、そう思いました。
そう言った心当たりもありますから、そうなんだなと。
でも私も、その人たちと付き合う観点で、我慢してきたことは、たっっくさんありました。
自分が最低だと思ってきたのですから、されて嫌だった事なんていえなかった。そして言えないままそれが当然の事のようになってしまっていた。
私も今までの嫌だったことを、あえて言おうなんて思いませんでした。言わないできたツケが、こうして返ってくるのかと思いましたが。
それでも良いと思いました。
やっぱり、誰だって自分を否定はしたくない。
自分が可愛いに決まってる。
ならもう、距離を置いたほうがいいよ。
私なんかにかまわないほうがいい。
以前と同じようにはもう出来ないから。
私も私が可愛くなってしまったのだから。
そんな事をし続けている内に、私は他人にどんどん本音で会話が出来なくなっていきました。
人間が大好きで、人間は凄いと尊敬していた私が、人間が嫌いで、人間が怖いと感じる様になった。
一人でいる時間は心地よく安心できる。
でも退屈で、寂しいとおもう事もあります。
今でも家族と同居中ですが、もう家族に期待するのは諦めようとしているのに、未だに勝手に期待して
裏切られるのを繰り返しています。
やっぱり根本は、人間が好きなのかもしれません。
でもその度に、利己的な人間に想いを踏みにじられて勝手に傷ついて距離をおく。
いよいよ、家族との同居に限界を感じているので、家を出るための資金を貯めている処です。
こんな事になるなら、自分を大事にしようなんて考えるんじゃなかったなあと、おもう事もあります。
何も考えず、人間が好きだと笑っていた時の自分を、妬ましくも感じるのです。
でもあの時の自分は、本当に葛藤していて、優しくしてくれる人達の思いに、報いる為に自分を大事にしようと考えて、必死に自分と向き合ってきたのです。
今では、他人が敵になってしまったけれど。
生きていくには、私は私という存在を、やはり私自身がしっかりと守らなくてはいけない。
もしこの世界に誰も、心を開ける人がいなくなってしまったとしても、私を守れるのは私だけ。
でも
何のためなんでしょう?
誰のことも愛せない世界で、必死に自分を守る。
何のために、そこまで自分を守るのでしょう。
そもそも、そこまでして生きる必要があるのでしょうか。
きっと今でも根本的に、人間が好きなまま。
他人に心から受け入れてほしいと思っていますし、受け入れたいとも思ってもいる。
でも傷つくことや、嫌な事はなくなりません。
なんで好きな人と結婚したのに、毎日嫌だ嫌だと言いながらも、まだその人と一緒にいるんでしょうか?
世間体?まだ好きだから?別れるのが面倒だから?
傷つけられたと嘆くなら、離れればいい。
それとも、例え傷つけられたとしても、孤独のほうが怖いのでしょうか。
もしかしたらそうなのかもしれない。
だって本当に一人になってしまったなら、生きている理由など見出せない気がするからです。
私はただ、私に構ってくれる素敵な人間達に並びたい、報いたいと思ってきただけなのですが。
そもそも、その考えから間違えていたのかも。
それなら間違えたまま、今度はどこに行こうか。
宗教家族、セクシャルマイノリティ、精神病経験
生きづらさや問題は、まだまだ山積みです。
今の私には、心を許して話せる人間がいません。
それでもまだ、もう少しだけ、頑張れるなら。
あともう少しだけ、生きてみようと思います。
こんばんは。
このご時世で家にいる時間が増え、気持ちの整理の為、投稿してみたエッセイでしたが、想像以上の評価や心暖かいコメントを沢山頂き、驚いております。
評価やコメント、本当にありがとうございます。
コメントの一つ一つ拝読し、励まされたり暖かい気持ちになりました。
あえて今回は個別での返信は控えさせて頂きますが
お気持ちは一つずつ、しっかりと受け止めさせて頂きました。
ままならない事が多く、葛藤はつきませんが、これからも長く付き合っていく問題が多いので、あまり前のめりになりすぎないように、息抜きをしつつ、程々にやっていこうと思います。
思った様にはいきませんが、以前の様に戻りたいとは思いませんから、今は今の問題に前向きに。
願わくば、この文章を読んでくださった皆さんの心にも、平穏が訪れます様に。
それでは乱文となりましたが、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。