なってやるしかない
亜優が微笑んでいると、アッシュが、亜優に拒絶されないと判断したようだ。段々と積極的になり、座ったまま、立っている亜優の腰に腕を回してきた。
そのままいくと、アッシュの顔が、亜優のお腹に埋められてしまう。
可もなく不可もなく、それなりにお肉がついたお腹に!
たしっ!
考える前にアッシュのおでこに手を置いて、惨劇は免れた。
「抱きしめるのは……なし?」
腰に手を回された状態から、首を傾げながら見上げられてしまった。
顔が一気に熱を持ったのが分かる。
さっきまでの憔悴した様子が消えている!回復が早すぎやしないだろうか。
「アッシュ様、先にお食事を召し上がってください」
シェアが声をかけてきて、アッシュの意識がそちらに向く。
「先に……そうだな」
何をするより、先にかな……!?
「体力をつけられませんと」
「それもそうだな」
他意はないよね!?その痩せてしまった体のことを言っているんだよね!?
シェアは、一礼して部屋を去って行く。
マリンもベッドを整えてくると言って出て行ってしまった。
何故、女主人自ら、ベッドメイクに行くのか……。息子のためだからだよね?
泣きそうだった表情から一転、嬉しそうだったのは気のせいだと思いたい。
亜優は、泣いた後に声が出なかったのとは別の理由で、何も口がはさめなかった。
この、推し推し感、久しぶり……!
「アッシュ」
「リキト、わざわざありがとう。亜優は出て行かないから帰ってくれ」
リキトが口を開いた途端、アッシュは平坦な口調で一気に言い放った。
「わざわざ知らせてやった俺になんて態度だ……」
リキトはあんぐりと口を開けて、アッシュを見るが、彼は視線さえ合わさない。
どうにも、おもちゃを取られそうになっている子供だ。
「そうじゃなくて。お前、血がどろどろしているのか?」
リキトに言われて、そういえば……と呟きながら、アッシュは亜優と繋いでいない方の腕を上げる。
「ちょっと切ってみてくれないか」
「手首でいいか」
なんでそんな軽いノリなの!
亜優が目を白黒させていると、リキトが噴き出す。
「冗談だよ。でも、確認はしたいから、腕のこの辺り切るぞ」
リキトは、足のポケットから出したナイフで、アッシュの手の甲を示す。
アッシュが頷くのを確認して、少しだけナイフが横に滑る。
すぐにぷくっと血が出てきて、手の甲を伝っていく。
「多い!もっと小さい傷じゃないの!?」
伝っていくほどの血が必要なのか。
出てきた血の量に、亜優だけが慌てて、他の二人は、のんびりと傷を眺めている。
「大丈夫だったな」
「ああ。さすが、亜優だ」
「治療!治療!!」
慌てる亜優を見て、二人して笑う。
血を流して笑うなんて、和やかな雰囲気を醸し出しているくせに、とても怖い。
「亜優」
リキトが、笑みを浮かべた表情のまま、亜優を呼ぶ。
「――ここが嫌になったら、来てもいい。ここに残ることに決めたからって、ずっとその気持ちが変わらないわけじゃないだろ。気が変わったら、いつでも来てもらっていいんだ」
「駄目だ」
間髪入れずにアッシュが勝手に返答する。
「うん。ありがとう」
「駄目だぞ!」
ちょっと大きな声になったアッシュに、今度はリキトと亜優が顔を見合わせて笑う。
リキトの気遣いが嬉しい。
また、今度のようなことがあっても、アッシュと喧嘩しただけでも、リキトは亜優を受け入れてくれるのだろう。
亜優にとっての逃げ場所になってくれると言っているのだ。
マリンもシェアも、亜優がここに居てもいいと言ってくれる。
そして――
亜優の腰を引き寄せるようにして座る男性を見下ろす。
アッシュは視線にすぐに気が付き、微笑んでくれる。
――私は、この場所が、欲しい。
だったら、聖女にだって、なってやるしかないじゃないか。