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亜優の常識は通じない

今、リキトと偶然出会わなかったら、亜優はどうなっていたのだろう。


座り込みそうになる足を無理矢理動かして、亜優はリキトについていった。

店の外に出て、しばらく行くと、ベンチが置かれていた。そこで立ち止まり、彼は振り返って、亜優に座るように促す。

かくんと膝から力が抜けて、亜優はその場に座り込んだ。

「あ……ありがとうございます」


犯罪に巻き込まれるかもしれないことを、少しは考えていた。

でも、実際に、具体的に本当にそんなことが自分の身に降りかかってくるとは思っていなかった。

犯罪は、遭う可能性があることを知ってはいたけれど、本当に遭うとは思っていない。

自分の認識が、甘いことに気が付かされる。

――怖い。

住み込みでないと、生活できないのに。

女一人で放り出されて、何もできないことを、亜優以外の全員が知っていた。

だから、手を差し伸べてくれていたのに、亜優は自分でできる気でいた。


震える手足が言うことを聞いてくれない。

「亜優、お前……俺のところに来るか?」

リキトが、亜優から少し離れたところに座り込む。今は、その距離の取り方が有難い。

彼に視線を向けると、胸元から写真を取り出す。

「俺の娘だ。もうすぐ五歳になる」

「リキト、結婚してるんですか?」

驚いてその写真を覗き込む。写真には、小さな女の子が、満面の笑みで手を振っている。

「おう。可愛い妻もいる。お前に手を出すことは無いよ」

そんな心配はしてなかったのだけれど。

誤解させてしまったことに、申し訳なさを感じる。

亜優の表情を見て、リキトが深いため息を吐く。

「お前は美人なんだ。騙そうと思って近づいてくる奴がごろごろいると思って警戒しろ」

美人……!その設定、街中でも生きるのか。

女性がいないサバイバル生活ならではの錯覚とかではなく?

今度は、目を丸くする亜優に、渋い顔をしながら、もう一度深いため息を吐かれた。

心底呆れたという顔だ。

「それで、娘の家庭教師を探そうと思っていた。お前、言語は教えられるんだろ?住み込みで家庭教師をしろ」

願ってもないいい仕事だ。

しかし、亜優には文法も何も分からない。ただ、話すだけだ。

「隣国の言葉で、ずっと娘と会話をしていてくれればいい。そうすれば、小さな子は勝手に言葉を覚えてしまうさ」

それもできるかどうか怪しい。亜優は日本語以外を話そうと思って話しているわけではないから。

勝手に言葉が出てきてしまう。

今話している言葉が、何ていう言葉かも、亜優は理解できていないのに。


――だけど、そう言っても、きっとリキトはそれでもいいと言ってくれるのだろう。


亜優を保護するだけだと、彼女が遠慮するから、つける必要もない教育係を娘につけるのだ。

しかし、それは亜優にばかり都合がいい。

「断ろうとするなよ。お前に他はないと思え。いいか?家政婦みたいなことをさらにしてもらって、給料もそんなに出ないと思え」

リキトがわざと乱暴な口調で言う。

亜優は、にじんでくる涙を我慢しながら頷いた。

「はい。ありがとうございます」

「――よし。じゃあ、一週間後、迎えに来るから」

亜優がまだアッシュの家にいることは予想していたのだろう。

リキトは、何も言わずに亜優をアッシュの家へと送ってくれた。

『送るよ』と一言でも言われれば、亜優は一生懸命断っていた。そんな迷惑をかけられないと。

だけど、さっさと歩く彼がどこに向かっているのか気が付いたときには、もうアッシュの家はすぐそこだった。

リキトは、亜優が門の中に入るのを見届けて、仕事だからと城の方へ帰っていった。




空を見上げる。


空の景色は、元の世界と変わらない。

だけどここでは、亜優は誰かに迷惑をかけないと生きていけない。

大学を卒業して、幸運にもすぐに就職ができた。そこで働いて三年間。一人暮らしもしたし、節約のための自炊も苦手ながら頑張った。独り立ちした大人だったはずなのに。

今の亜優は、どこまでも無力だ。

――どうにかしたい。

少しずつでもいい。確実に、何かをくれた人たちに、何かを返していけるようになりたい。

アッシュの家にいるのは、もうすぐおしまい。

亜優は、最後にアッシュたち家族に何かしたいと思った。

何もできないけれど、今できることを精いっぱいやってお返しをしなければ。

リキトの自宅で家政婦兼家庭教師として雇ってくれることになったと、マリンとシェアに報告をした。

その間、最後まで一生懸命働くことを伝えた。

「……出て行く必要なんて、ないのよ」

マリンが声を震わせる。

とても有難い。

でも、この家に住む人が、亜優がいるせいで帰って来られなくなるかもしれない。――優しい人だから。自分が戻れば亜優が苦しい思いをすると、家から足が遠のくかもしれない。

そんなことはさせられない。

亜優は、独り立ちをするべきだ。

まだ、リキトに頼るけれど、今後、もっとたくさんのことを学んでいく。

「もしも……出張で翻訳する仕事があれば、させていただけたら嬉しいです」

この家に住むことはできないけれど、手紙のやり取りだけならば。

リキトに、生活の全てを委ねてしまう。

他に収入源があるのは嬉しい。

マリンは顔をクシャっとゆがめて、「そうね」と小さな声で頷いてくれた。

この家に住む人が幸せになれればいい。

もっともっと、幸せに。

亜優は祈りながら家中を掃除した。

聖女として、間違えて召喚された亜優だが、ここでは、聖女のように一生懸命祈った。


――どうか、どうか、幸せに。

ありがとう。

これ以上、亜優のことで苦しんでほしくはない。

この世界で、初めて優しくしてくれた人だから。



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