出勤
次の日、アッシュが城に出勤するのを、亜優はマリンとシェアとともに玄関に並んで見送っていた。
――なんだか、すごくえらい立場にいる気がするけれど。
だけど、その場にいる誰もが不自然に感じていないようなので、亜優は「いってらっしゃい」と声をかける。
アッシュはそれを聞いて、頬を赤くした。
「まあ。夫婦のようだわ」
「さようでございますね」
いやいやいや。
お見送りするのって、そんな感じに見えるものなの?
だったら、この場に亜優がいるのはおかしいだろう。
やっぱり、後ろのメイドさんたちと並ぶべきだったと亜優が慌てていると、アッシュはふっと笑って返事をする。
「ああ。行ってくる。夕食時には帰れるはずだから」
頭をポンポンと叩かれて、亜優は固まる。
アッシュが玄関から出て行く姿を最後まで見送り――
「亜優、顔が真っ赤よ」
マリンから指摘されずとも分かっている。
夫婦みたいだと、自分でも思ってしまったのだから。
――しかし、その日、アッシュは城に上がったまま、帰って来なかった。
「報告が手間取っているのかしら」
不満げなマリンに、亜優とシェアが二人でなだめた。
「三か月も外にいらっしゃったのですから、報告書が山のようになっているのでしょう」
「そうですね。明日、アッシュが帰ってきたら、私たちは愚痴だらけで一日過ごすことになるかもしれませんね」
「……あら。それは嫌だわ。我慢して30分ね。あとは亜優、頼むわよ」
そう言いながら、屋敷に住むみんなで笑った。
しかし、全員の期待を裏切って、二日たっても、アッシュは帰宅しない。
そんなに忙しいのだろうか。何か、不測の事態が起こっている?
マリンも心配している。
今夜もまた、『城に泊まる』という旨の連絡が届いたらしいが、理由が書いていない。
「やっと帰ってきて、一日しか家にいないで、その後、登城しっぱなし?冗談じゃないわ」
……心配というよりも、怒りかもしれない。
「今夜は仕方がないけれど、明日は必ず帰ってくるように連絡して」
シェアがマリンの言葉を受けて城に連絡を出すらしい。
――本当に、何があったのだろう。
亜優は、この三日間で、少しだけダンスが踊れるようになった。
食事の作法も、まだ迷いながらだけど、なんとなく分かるようになった。
『別に救出してくれなくても大丈夫よ?でも、一緒にお茶をしたいなら付き合って差し上げるわ』
そんな言葉を、冗談ぽくアッシュに言おうと思っていた。
たったそれだけを言いたくて頑張ったのに。
彼は、どうしたのだろう。
マリンが連絡をした翌日。
三日ぶりにアッシュが帰宅した。
「ただいま」
戻ってきた彼はひどく不機嫌そうで、帰って来たことが不本意だと、ありありと顔に書いてある。
そんな不機嫌な彼を見るのが初めてで、亜優は彼に近づくことができなかった。
いつ魔物が襲ってくるか分からない極限状態でも、仲間を思いやっていた彼が、どうしてたった三日だけでこんな態度をマリンに見せるのか。
「アッシュ?こんなに帰ってこないなんて。お休みをいただけるんでしょう?」
マリンは、アッシュの態度に眉をひそめながらも聞く。
「休みは、城で過ごしている。もうもらっているから、構わないでくれないか」
吐き捨てるような言葉。
亜優だけでなく、シェアも驚きに表情を固まらせていた。
「どういうこと?お休みをいただいて、亜優とも出かけようとしていたじゃない」
「――亜優?」
アッシュはマリンを見返して――その視界に亜優を捉えて、動揺したように視線が揺れる。
今の今まで、亜優のことを忘れていたようだ。
「アッシュ?」
亜優が呼び掛けると、彼はすぐに視線をそらした。
気まずそうな彼の表情に、亜優は首を傾げる。
気まずそうというより、おびえられているような気がしたのだ。
そして、なんとなくだけど、彼は痩せたように感じる。城ではあまり食べられていないのだろうか。
三か月保存食で耐えたのだから、しばらくは好きなものばかりを腹いっぱいに食べると言っていたような気がするが。
亜優がアッシュを観察している間も、彼は決して亜優に視線を向けないし、亜優がここに居る限りしゃべらないような気がした。
マリンは、困ったように亜優を見た。
亜優は不安にがなりたてる心臓を押さえつけて微笑む。
「私、まだ仕事があるので失礼させていただきますね」
亜優の声にも、アッシュは顔を上げない。
マリンは、申し訳なさそうな顔をして、小さく頷いた。
亜優は、そっと小さく頭を下げて部屋を後にした。
仕事があるのは本当だ。
昨日から、ようやく本務の仕事が入ってきた。
外国から届く手紙を翻訳してマリンに渡す。そして、マリンが書いた手紙をそちらの言葉になおすのだ。
ふと、マリンからまだ返事の手紙を受け取っていないと思いだす。
書き終わっているから取りに来てと頼まれていたのに。
気が進まなかったが、亜優は今出てきたばかりの部屋に戻る。