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仕事開始

次の日から仕事開始だ。


亜優は気合を入れてシェアについて、仕事をする部屋だという場所に案内してもらう。

「こちらです」

シェアが案内してくれた部屋には、すでに年配の上品な女性が待機していた。

「亜優様ですね。私、マリー・スクワランと申します」

彼女は微笑みながら、亜優から見ても美しい所作で挨拶をする。

仕事仲間だろうかと思いながら、亜優も笑顔を返す。

「亜優です。よろしくお願いします」

ペコっと頭を下げたあとに、視線を上げた亜優が見たのは、気に入らなそうなマリー。


――いきなり嫌われてしまった。

「なるほど。貴族のマナーは何もご存じないご令嬢ですのね」

小さくため息を吐いて、彼女は亜優の後ろにいたシェアに声をかける。

なんのことだと彼を振り返ると、訳知り顔で頷いていた。

「ええ。ですから、スクワラン様にお願い申し上げたのです」

……何を?

亜優一人がはてなマークを飛ばしていると、シェアがにっこりと笑う。

「亜優様。彼女はマナーを教えてくださる家庭教師です」

「……は?」

相手が上司だとか、初対面だとかいろいろ気にすべきことはあるのに、思い切り失礼だと分かる態度を取ってしまった。

「え、いや。私は、通訳で……家庭教師?」

使用人に家庭教師つけるか?これはさすがに世界が違うとかそんな問題じゃないはずだ。

「亜優様」

シェアの声が急に低くなり、にこやかだった顔に、怒りの表情が浮かぶ。

亜優は思わず、きゅっと背筋を伸ばしてシェアに対峙する。

「ダグワーズ家は、歴史ある名家でございます」

はい。アッシュから何となく聞いていました。

亜優が頷くのを見届けて、シェアも頷く。

「そのダグワーズ家の様々な交流の場に、亜優様は通訳として同行していただくことになるでしょう」

なんと。

考えてみれば、身分ある人の通訳と言えばそう言う場所に出向くこともあるのか。

人気映画スターが来日した時の映像が浮かぶ。

「その際、亜優様にもマナーを求められるのです」

――ちょっと嫌だ。

しかし、ここを離れて別の働き口が見つからなければ、野宿民だ。常識知らない場所でそんなの、めっちゃ怖い。

「ですから、立ち方歩き方はもちろん、テーブルマナーも、また話し方もマスターしていただきます」

――すごく嫌だ。

翻訳の仕事って、他にもあるんじゃないかな~。

「謎だけど不審じゃない女性を雇ってくれる場所など、まず、ございませんよ?」

亜優の表情を読み取ったのだろう。アッシュが言った言葉を使って、シェアは笑う。

つくづく、彼がいなかったら、亜優はどうなっていたか分からない。

思いがけずいい仕事が簡単に見つかったから調子に乗った。

ここを出れば、仕事はない。

亜優は『これも仕事だ』と心の中で唱えて、マリーに向き直った。

「どうぞ、よろしくお願いいたします」

マリーは微笑みを深くして「こちらこそ」と言った。

マナー教室は、アッシュが昼過ぎに「亜優はどうしているかな?」と様子を見に来るまで続けられたのだった……。


「腰痛い……」

慣れない姿勢でいるせいだろう。体がすでに痛い。

一日目から……というか、まだ半日しかたっていないが、亜優は音を上げていた。

「マナーか。覚えておいて悪いものじゃないけど、通訳って大変なんだな」

アッシュが感心して言う。

覚えておいて悪いものじゃない程度の認識のアッシュ。しかし、彼の所作は美しい。

こうして屋敷の中で見れば、彼の一つ一つの動きが、主人としての威厳を醸し出しているようにさえ見えてくる。

さすが、幼いころからたたき込まれているだけある。

「まあ、頑張れ」

マナーなんぞ忘れたと言いたげに机に突っ伏す亜優にアッシュは微笑む。


今日はアッシュの仕事が休みなので、こうして救出してもらっている。

亜優の仕事部屋に顔を出して、『休憩を入れないか?』と、救い出してくれたのだ。

もう少し遅かったら、倒れているところだった。

次の休みの日も、助け出してくれると約束してくれている。

「というか、今日しか休みないんですか?三カ月働き通しだったのに?」

亜優の言葉に、アッシュは苦笑する。

「一日出れば、もう少し休みがもらえるはずだよ。戻ってきた報告を先延ばしにするわけにはいかないだろ?」

なるほど。壁の外の森がどんな状態だったかなど、彼の口から直接伝えなければならないんだ。

「そっか。よかったですね」

微笑む亜優を目を細めて見ながら、アッシュは照れくさそうに笑う。

「亜優のことも毎日救出できるしな?」

彼のからかいの言葉に、亜優はわざと苦い顔をしてみせる。


仕事として身につけて欲しいと言われている動作だ。

それを救出に来てもらってはいけないのだろうが、あの中途半端な姿勢はマジできつい。

生粋の現代人である亜優には、体力はない。

「三日後には、救出しなくてもいいくらいに自然な所作が身についてるかもですよ?」

ぶすくれて言う亜優に、アッシュは目を細める。

「だったらいいな」

くすくすくすと二人で笑いあう。



この世界で、こんな穏やかな時間が訪れるなんて、思っても見なかった。



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