闇に吸い込まれる
亜優は目の前の荷物を呆然と見上げた。
本来ならば、これはすでにトラックの中にあるべきもので、運び終えていないといけないものだ。
「相良さん~!どうしましょう。配送業者が運び込みまではこちらの仕事じゃないって!」
そんなもの、こっちの仕事でもない。
――と、はねつけるわけにはいかず、亜優は事務所に残るメンバーを振り返る。
皆、一様に言われることを分かっているのか、悲壮感漂う表情をしていた。
「ごめん、やるしかない」
亜優が言うと、事務所に残った女性三人は諦めたように頷いた。
これらの箱にはパソコンが詰まっている。
これを今から新しい事務所に運んで、そこで設置してもらう。男性陣はそちらに向かっている。
だから、ここには亜優を含めた女性四人しか残っていなかった。
亜優は作業着に着替えて段ボールの一つを抱えあげた。
そのとき、くいっと右腕を引っ張られる。
パソコンを持ちあげているときに何の冗談だと背後を睨み付けると、そこには何もなかった。
誰もいなかった――ではない。
何も、なかったのだ。
ぽっかりと開いた空間が、そこだけ闇夜が広がっている。
「……は?何、これ」
思わずバランスを崩して座り込んでしまう。
その拍子に、腕に抱えていた段ボールが転がってしまう。
「ああっ!段ボールの山が壊れました!」
近くにいた子の悲鳴が聞こえる。
あ、違う。自分が落してしまったのだと伝えようにも、声が出ない。
「こんなにたくさんの量、女性三人だけでやるの~~?」
嘆く声がする。
三人じゃない。亜優を入れて四人だ。
そう言いたいのに、亜優は見えない手に引きずられて、下半身を穴に引きずり込まれているところだった。
――助けて。
手を伸ばすその先には、さっきまでの景色とは少し違う。
亜優が数刻前まで使っていたマグカップがない。亜優の机が、霞んで消えている。
「……あれ、三人だっけ?もう一人……」
「何言ってんの。現実逃避しない。さっさと運ぶよ~」
同僚の頭の中から、亜優の存在が消えていっている。亜優は、最初からいない人のようになっていた。
どうして?何、これ……!?
「さあ、がんばりますか!」
その声を聞いた瞬間、すとんと床が抜けて亜優は暗闇に放り出された。
すごく高いところから落ちているような感覚がしたのに、気が付いたときには、白い床に座り込んでいた。
ずり落ちてきた眼鏡をなおしながら周りを見回すと、目を丸くしてこちらを見てくる無数の人間に出会う。
全員、ゲームの中に出てくるようなヨーロッパの騎士団のような衣装をまとって、亜優をじっと見つめてくる。
いや、その視線は少しずれていた。
亜優のすぐそばに、亜優と同じように座り込む女の子一人。
白いノースリーブのワンピースを着て、そこから細い華奢な手足が伸びていた。
輝くような金髪に、長い睫に縁どられた大きな瞳。小さなピンク色の唇。
どれもこれも完璧なパーツで、自分がわけがわからない状態にあるというのに、呆けて見とれてしまうほどの美少女だった。
「ここ、どこですか……?」
その女の子が紡いだ言葉は、小さいけれど鈴のように可憐な声だった。
「ここは――」
女の子に返事をしようと、中心付近にいた、ひときわ目立つ衣装を身につけた男性が一歩進み出る。
その途端、
「きゃあっ!私ったらなんて格好!」
女の子が白い肌をピンクに染めながら、自分の体を抱きしめた。
……なんて格好って……ワンピースじゃないか。
亜優から見れば、別に驚くような格好には見えない。どちらかと言えば、作業服で伸ばしっぱなしの髪をひとくくりにしただけの亜優の方がここでは場違いだ。
思わず、脳内でした突っ込みで、少しだけ冷静な自分が戻って来る。
進み出ていた男性が、羽織っていたマントをふわりと舞い上がらせ、彼女の肩にかける。
「すまない。先に渡すべきだった」
彼女を自分のマントにくるんで、彼は微笑む。
少女と同じような綺麗な金髪がさらりと揺れ、切れ長の目が優しく細められた。
少女も綺麗だが、こちらの男性も随分と綺麗だ。
彼女は、マントをくれた彼を見上げ、微笑んだ。
「ありがとうございます」
その笑顔に、彼は釘付けになり、二人でお互いを熱く見つめあう。
――だが、しかし。
今はそんな場合ではないのではないだろうか。
「あの……私、なんでここにいるんですか?」
その場の雰囲気をまるっきり無視して、亜優は声をあげた。
その後、雰囲気を勝手に作っていた男女二人から睨み付けられてしまったけれど、気にしてられない。
なんなんだ、ここは。
さっきまで自分は事務所で作業をしていたはず。
それが、真っ黒な穴に落ちたかと思えば、見たことのない人たちに囲まれている。
床はつるっつるで、スカートはいていたら中身が見えそうなほどに磨き上げられている。
そんな綺麗な床に、亜優たちを中心とした円が描かれている。まるで魔法陣のようだ。
その円を囲むように十人ほどの頭からすぽりとローブを被った人と、騎士のような恰好をした人たちが四人。
一様に、みんな偉そうだ。
腕組みをしたり、斜めに構えて見たり、髪をかき上げて見たり、好みの女の子の傍にしゃがんでこちらを睨み付けてみたり。
物理的な目線の上下よりも、もっと高みから見下されているような気分だ。
きっと、自分のことをイケメン最強だとか、頭の中で考えているに違いない。