第1.5話 夕日でもアルコールでもない赤み
***
BARのカウンターの前で私はぼーっと自分の手元のグラスを見つめていた。
未だに実感が湧かないが、確かに余韻は続いている。
そう、今日初めて私は──、
「よ、ちょっと遅くなった。……その様子だと無事に売れたようだな」
「あっ……」
「マスターエール1杯」
「畏まりました」
彼女は私の横の席へと腰を落とす。
顔は若干の幼さを残しているものの、その身体は実に扇情的で同じ女性の私でも思わず赤くなってしまう程だ。
「どうぞ」
「どーも。それじゃ、お前の初仕事成功を祝って乾杯」
「乾杯……」
グラスのぶつかり合う音が心地よく耳を駆け抜ける。
そう、今日私は初めて1人でお酒を店に売ったのだ。
「まあ、前からオレのを後ろから見てたからそう難しいことではないとは思うが。よくやったよ」
「あ、ありがとうございます」
ほぼほぼ見様見真似であったが、何とか自分の力だけで売れた。
未だに高揚感は体から抜けてはいない。
「しっかしお前も変わってるな」
「?」
「自分で売ったものをわざわざ頼んで呑むなんてさ」
そう言われて私は手元のグラスに視線を落とす。
「おかしい……、ですか?」
「ああ。わざわざ払わなくたって、飲みたきゃ出してやるのに」
確かにそれは当然の指摘だ。
支障をきたさない程度であれば彼女も私が言えば出してくれる。
だが、
「だからこそ、です」
グラスを口元へと運び傾ける。
カラン、と氷が鳴ると共に琥珀色の液体が口内へと入り込み、喉を通り抜ける。
そして甘いくて心地のよい酸味が身体を満たしていく。
いつもの味。
私の大好きな、彼女の味。
でも、やっぱり少し違う。
そんな気がする。
「随分とまあ、粋な楽しみ方を知ってるのな」
いつの間にやら彼女の目の前には“退廃と汚染の世界”が広げられている。
「受け売りですが……。正しくそれを感じられているかは分かりませんけど」
以前父上は“同じ酒であっても時によってそれは変わるものだ”と言っていたことを思い出す。
当時はまず飲めなかったので、その言葉の意味が理解出来なかったが……。
今はなんとなく、上手く表現が出来ないがその言葉の意味が少し分かった気がする。
「間違ってないと思うよ。お前は汚れを知らない生娘だが、」
彼女は自分のジョッキを持ち上げるとまだほとんど減っていなかった中身を全て呷り、
「舌は熟れきっている」
そして、テーブルに二人分のお金を置きカウンターを後にした。
***
「恐らくこのお酒はすぐになくなってしまうでしょう。またこの町に訪れられる事があれば是非」
「はい。その時はよろしくお願いします」
BARを出た私を歓迎したのは鉄と油の匂いだった。
辺りを見渡すとそこら中の出店で鉄鋼品や何かの機械部品がまるで八百屋の様に売っている。
そして、今私たちが訪れているこの“クルテッド・イースト”という町ではこの光景が端から端まで続いている。
私は思わずその光景を前に足を止めてしまう。
やはり噂通り“クルテッド・イースト”は規模が違う。
この町はその実、町という形をした巨大なマーケットといった方が正しい。
この大陸は他にも後4つ“クルテッド”を冠とした商業特化の町が4つあり、その全てが“クルテッド商会”と呼ばれる商人ギルドによって管理されている。
そしてその中でも“クルテッド・イースト”は専門に扱う商品の関係上、規格外に大きいのだ。
最早街と言っても差し支えはない。
先程はお酒を売る事ばかりを考えていてこの光景の迫力に気づかなかったのだが、私は改めて見るこの光景から目を離せなかった。
「なんだ、さっきは気づいてなかったのか」
声のする方へ視線を下げるとそこにはいつもの姿に戻っていた彼女がいた。
「もう戻されたんですか」
「あっちの方が元の姿なんだがなぁ。やっぱあれは肩こるわ」
そう言って彼女はコキコキと肩を鳴らす。
先程BARにいた人からすれば私の隣に座っていたグラマラスな女性が、まさか今の彼女と同一人物であるとは夢にも思わないだろう。
「さて、この後どうする。何か見たいもんでもあるか?」
「私は特に」
「だよな。そう言うと思った」
確かにこの町の光景にこそ目は奪われたがその中身には興味はない、というのが私の素直な感想だ。
彼女は既にバギーやパイルバンカー用のパーツも調達済みだ。
強いて言えば前から時計が欲しかったのだが、さすがにここで買うとお高くつきそうなので今回はスルー。
なので私からすればこの町にいる理由は特にないのだ。
「ではどうしますか」
「うーん……」
「?」
珍しく彼女が迷う素振りを見せている。
私の予想ではこの町に宿泊施設がない以上、すぐにここを立つと思っていたのだが。
「いや、どーもそれが光ってるのが気になってな」
と、彼女は私の隣で浮いている本を指す。
確かにこれが青白く光っている時は誰かに観測されている、らしいのだが。
「何かがあると」
「気がするんだよな」
「では仮に何かあるとしても、ここの外という可能性もあるかと」
「……いや、多分あるならここだ」
予感。
それは彼女の経験からくるもの。
そして、それはある意味では裏付けでもある。
「周りを見ろ。騒がしくなってきてる」
はっと顔を上げ周辺を見渡すといつの間にか、周囲が慌ただしくなっていた。
それも緊張感を伴って。
彼女は動き出す。
「よお、何かあったのか」
「なんだお嬢ちゃん、こんな所で突っ立ってないで早く避難しな」
「そいつはどうしてだ?」
「ここの西の方で“汚染物”が出たんだよ。運悪くここに来たばっかの業者とその馬がやられたみたいでよ」
予感は当たったようだ。
だが、
「この町には確か3人“汚染者”がいなかったっけ」
そうだ。
この町にはちゃんと3人もの汚染者が、いることは確認済みだ。
私たちの出る幕はない。
「その内のベテラン2人が殺られたんだよ。残る1人は新人で当てにならないらしい」
なるほど。
こう来るのか。
「そんなにヤバいのが出たのか?」
「ああ。だからここを閉鎖して国直属の汚染者にやらせるという話になったらしい」
「そっか。ありがとな」
そう言って彼女は西の方へと歩み始める。
「おい!俺の話は聞いていたのか!?」
「ああ、バッチリ聞いてたよ。でだ、」
彼女の視線が私に向く。
前から思っていたのだが、彼女はつくづくこのような場面を作りたがる。
まあ、これも自ら望んだことでもあるのだが。
「行きましょう」
背後に人がいないことを確認し、私は翼を解き放つ。
「あ、あんたら」
「無理そうなら逃げるから安心してな」
私は彼女を抱え、飛翔した。
***
「おっ、あそこだな」
少し開けた場所にその汚染物はいた。
「馬……、ですかね」
周辺をグルグルと走るその馬は全体が肥大化しすっかり黒く変色している。
「それだけじゃねーな」
そう、よく見ればその背中には人間の胴体らしきものが飛び出し、胴体の側面からも正面から見て右には人間の手足が数本、左からはもう1つ人間の上半身が飛び出している。
「あれは殺された汚染者でしょうか?」
「それはあっちだな」
彼女の視線の先には首を可動範囲の限界を超えて方向に向けている人間が2人転がっている。
1人は初老の男性、そしてもう1人は、
「ありゃま。これは思わぬ再会」
「私の時の試験官ですね」
「やたらお前に“ガキがー!”て言ってたヤツだよな」
「そうでしたね」
2年前、彼女に連れられ汚染者として登録した際に私の担当をしてくれていた試験官。
この試験官の女性とは試験中にちょっとしたトラブルが発生し、その事が原因で後に地方へ左遷されていたと聞いてはいたが。
「ま、試験官のことは置いといて。どうみる?」
「……本来なら元試験官が相手に出来ないほど強いと見るべきでしょうが」
「近すぎたんだろうな」
どちらの遺体もまとな抗戦に入った痕跡はない。
恐らくは近くで突然汚染物が発生し、対応出来ぬまま殺されてしまったのだろう。
運の悪いことだ。
「あの首を見る限りは正面からでしょうか」
「ああ。位置的にも走ってきたあの汚染物から生えてる手足にラリアット食らった形だな」
「ラリアット、ですか」
いつも夜、私が遅くまで起きている時は強制的に寝かせるように彼女がかけてくる技。
元は彼女巡ってきた世界の1つにあった格闘技の技らしいのだが、彼女のそれは柔術の様なものだ。
彼女の様に力をセーブせずに全力でこれをやられてこうなってしまうのも頷ける。
「首の骨が折れて更には地面に叩き付けられた衝撃で脳が逝ってのダブルK.O.だな。オレみたいな再生型でもないなら即死コースだ」
「かと言ってあの速度で走られますと側面を取るのも厳しいですし、正面からは論外ですよね」
その時であった。
「お前の相手は俺だ!」
「おっ?」
いつの間にやら汚染物の進行ルートに1人の青年が立っている。
何も装備をしていないようだが、胸には汚染者の認可証がかかっている。
「あれが例の新人か」
「こちらには気づいていないようですね」
「こっからじゃどうしようもないな」
「先輩たちの仇!」
そう言って青年は腕から巨大な刃の様な形をしたモノを出す。
「おいおい、正面からやる気か?」
「だりゃあ!!」
そして、突進してくる汚染物から素早く身体を横へ移動させると、飛び出していた腕と足を腕の刃で切断する。
「へえ、やるじゃん」
だが、次の瞬間には切断された断面から腕と足が再生し、青年の身体を突き飛ばす。
切って安心していたせいか青年は回避行動を取れぬままそれを受け、店へと突っ込んでいく。
そして次の瞬間には店内の機械類が大量に落ちる音が響き渡った。
「あちゃー」
「大丈夫ですかね」
「あんな受け方したんだ。伸びてるか死んでるだろ」
「そうですよね……」
さて、今のでこの汚染物がそれなりの再生機能持ちである事がわかり、かなり面倒な案件になってきた。
「落下襲撃もでも速度的に厳しいなぁ」
「翼のあれをするにしても少しタイムラグがあります」
「……帰るっつー選択肢はアリかな」
「その選択肢が無難かと思います」
今回の件は依頼ではない。
やれたら倒して報酬を貰うが、無理そうなら別にそれこそ国家管轄の汚染者に任せた方がいい。
生憎距離をとって戦える訳ではない私たちにこの件は、現状では対処の仕様がないのだ。
「じゃあそうしよう」
「分かりました」
彼女も特にここで戦う事のメリットは見つけられなかったようだ。
「……それにしてもこれじゃあ“ケンタウロス”がラリアットかましてるみたいだな」
「ケンタウロス?」
彼女の口から出た聞きなれない言葉に私は思わず聞き返す。
何かの生物の名前だろうか。
「2番目の世界じゃ上位種、それ以降の世界じゃ伝説上の生き物みたいな感じの生物の名前だ。特徴は馬の首から上が人間の上半身に変わってるってところか。得意な武器は弓」
馬の体に人間の上半身。
伝説とはかなり遠いイメージが。
「それって本当に伝説の生き物なんですか?」
「ああ、伝説だ」
伝説……。
パカラッ、パカラッ、“やあお嬢さん、僕はケンタウロス。フーンッ!”
「……気持ち悪い生き物ですね」
「ああ、本物はマジでやばかった。性格含めて」
しかし、その伝説上の生き物が全力疾走しながらラリアット……。
想像するだけ中々気色の悪い光景だ。
眼前にいるのは元からグロッキーな見た目なので、最初からそんなものだと見れるのだが。
「……」
「なんか思い出してらムカついてきた」
「どうしますか」
「やっぱ殺るわ。少し距離が離れた……、ん、あそこに降りてくれ」
「了解しました」
汚染物が走り回っている場所からして死角に位置する路地へ着地する。
飛んでいる間は気づかなかったが、まるで複数の馬が走っているかのような地面が揺れている。
「作戦等はあるのでしょうか」
「もちろん。とりあえずお前はこの通りの奥へ行ってヤツを引きつけろ」
「その後は」
「オレが出たタイミングで飛んでそこから離れろ。これに関しては見れば分かると思う。で、オレが足を潰してるうちにあそこの店にある“赤油”をチャージして締めろ」
「……怪我に気をつけて」
「はいはい行ってら」
どうやらガッツリ怪我をする作戦のようだ
再び翼を広げて飛翔する。
そして通りの真ん中、馬の進行方向に位置する場所へと降り立つ。
「Gaaaaaaaa!」
「もう気づかれましたか」
馬は加速をつけてこちらに向かって突進をしてくる。
早い。
これは確かに突然現れでもされたら対処が難しい筈だ。
「飛びます」
距離15、想定以上の早さであったがここまでやれば十分か。
「よくやった!」
私の足が地面から離れると同時に角から彼女が躍り出る。
「勝負だオラァッ!!」
パイルバンカーを付けた方の腕を挙げ汚染物へと飛びかかる。
要はラリアットの形であるが。
「Gaaa!!」
一方の汚染物も目の前に突如現れた影にも怯むことなく突進していく。
そして2つのラリアットがぶつかり──、
「い゛ッ!!!!」
腕はちぎれ、彼女の小柄な身体は当然のように吹き飛ばされる。
汚染物はそのまま一気に走り抜ける。
どチャリと地面に落ちる彼女の身体。
だが、汚染物は気づかない。
彼女の千切れた腕とパイルバンカーが本に支えられて滞空していたという事に。
肥大化していたその腕は瞬時にその形を変えながら、汚染物の背へと落下する。
「あはっ♪」
腕程のサイズとなった彼女はそのまま汚染物の後ろ足付近にパイルバンカーを突き立て、それを放つ。
爆発音。
「Ga!?」
突然脚を1本消し飛ばされた汚染物にはバランスを保つ術はなく、そのまま転がり地面に体を勢いよくスライドをさせていく。
側面の腕と足はすり潰されてしまい、汚染物は起き上がる術を失ってしまう。
只バタバタと脚を動かすことしか出来ない。
「っふう」
そして空になった赤油缶から翼を抜き、私は汚染物へと一直線に跳ぶ。
「よし、一気にやっちゃえよ」
足元でちっこい彼女が指示を飛ばす。
「……怪我に気をつけてと、」
「文句なら本体に言ってくれ。ほれ、さっさとしないと再生しちまうぞ」
「分かりました」
私は翼を広げてそれを放つ。
汚染物は圧縮放水された赤油に押し潰される様にその体を溶かし消えていった。
***
「あー。全く二度手間だったな」
「お疲れ様でした」
夕方、私たちはクルテッドの町を歩いていた。
報酬の受け取りは当然の事ながら、折角調節したパイルバンカーが先程の戦闘でおかしくなってしまった為、その修理で想定よりも滞在時間が長くなってしまったのだ。
今からクルテッドを出ても、次の町へと着く前に日が完全に落ちるのは間違えないので本日は野宿確定だ。
「あっ、忘れた」
ふと、何かを思い出したようで彼女が足を止める。
「忘れ物ですか?」
「うん」
そう言って彼女はゴソゴソとポケットから何かを取り出し、
「渡し忘れもの」
私に箱を差し出した。
「これは……」
「実は最初こっちに来た時に備品とついでに買ってたんだよ。とりあえず開けて見ろ」
「はあ、」
彼女から促されるように私は鉄製の箱を受け取り、蓋を外す。
そこには、
「あの、これ……!」
中には鎖に繋がれて、針が時を刻む丸い金属の機械。
「懐中時計。今日初めて1人で売ったろ?それのお祝いだ」
「でもこれって高いんじゃ……」
「気にすんな。前から欲しそうにしていたのは知ってたが、お前がなかなか買わねーから代わりに買っただけだ」
思わず顔が熱くなり、彼女から目を背ける。
いろんな感情がごちゃ混ぜになってとてもじゃないが彼女の方を見ることが出来ない。
お礼を言おうにも上手く言葉が出てこない。
「その様子じゃ喜んで貰えてなによりだよ」
でも何とか絞り出し、
「……あ、ありがとう……ございます……」
「どういたしまして。じゃ、行こうか」
私はバギーに乗るまで彼女に目を合わせられるず、貰った懐中時計しか見ることが出来なかった。
『夕日でもアルコールでもない赤み』END
by.アレシア・M=ヒュールメニア