敗北者は、修羅場を体験する
それは、実際には数秒の事だっただろう。しかし、体感時間では一瞬のようにも思えたし、数分のような気もした。
やがてイブの唇が離れると、遥か彼方へと飛んでいた意識が戻ってきた。見ると、イブの目尻には薄っすらと涙が滲んでいる。慌てて訳を聞くと、子供の時に俺を見捨てた事をまだ後悔してくれていたらしい。俺は、そんな事は全然気にしていないから大丈夫だ、と言った。
ふと、自分達の距離が近すぎると気づき、2人同時に赤らめた顔をパッと離すのが、照れ臭いような楽しいようなで、軽く吹き出してしまった。
「カ、カルワ君…
…やっぱり………」
ビクッと体が跳ね上がり、恐る恐る後ろを振り返ると、両手に本が大量に入った紙袋をワシャワシャと震わせながらケシャナが立っていた。
…あれ?この状況って…二股掛けてるクズ野郎じゃね?えっ、俺が?いやいや、そんな筈は…しかし、客観的に見て…と、思考が同じところをグルグル回っていると、イブがスッと俺とケシャナの間に割って入った。
「…ケシャナ、私の旦…カルワとデートしてたって…本当なの?」
…何か不穏な言葉が2つ程聞こえたような気が…まぁ、聞かなかった事にしよう。
「…私の?一体いつからカルワ君はイブさんの物になったんですか?」
「はぐらかすつもりかしら。質問には答えないのね」
あゝ、今日はいい天気だなぁ…
…いや、現実逃避してる場合じゃないか。
事の発端は俺な訳だし…
「…ま、まぁ、一旦落ち着こう。街中でこう言うのは
「カルワ君はちょっと黙っててもらえますか」
「カルワはちょっと黙ってて」
「…あ、はい。すいません…」
…女って…怖い…
…ハァ、馬鹿な事言って無いで、とっとと人払いの結界でも張りますか。2人とも殺意満々なんだけど…街中で戦闘するほど理性を失っていない!と、信じたいけど……結界の強度最高にしとくか。
「…えぇ、私はカルワ君とデートしましたが、それが何か?」
「…フン、デート如きで図に乗らないでくれるかしら。そんな事を言ったら私だって旦那様…カルワとキ…キスしたわよ?」
「何吃ってるんですか?別に恥ずかしい事でも無いでしょう?本当に好きなんだったら。
…って言うかさっきから旦那様とか口走ってますけど、婚約もして無いのにもう妻気取りですか?
気持ちが先走っちゃってますよ?」
「なっ…さ、先走ってなんか無いわよ!旦那様…カルワは子供の時に大きくなったら私を嫁にしてくれるって言ってくれてたわ!」
…言ったっけ?
「ほら、カルワ君首傾げてますよ?イブさんの妄想じゃ無いんですか?
その点、私たちはさっきのお肉屋さんで相性最高でしたよ?ねぇ、カルワ君?」
…あ、ここで俺に振るの?
うっわ、イブめっちゃ睨むじゃん、やめてくれよ。
いやまぁ、俺が悪いんだけどさぁ…
「…あぁ、えっと、なんかそんな事を言われた様な記憶はあるような無いような…」
「カルワ君、ちゃんと思い出してもらえます?」ゴゴゴ
「はい!言われました!」
ヤバイ。今、ケシャナの後ろに般若が見えた。
これ一回でもミスったら死ぬやつだ…
「…そんなの私だって旦那様…カルワと相性抜群よ!行ったら分かるわ!旦那様、コレが終わったら一緒に行きましょう?」
「あれあれ?もう終わったつもりですか?
まだまだ言いたい事はいっぱいあるんですけど?」
「フッ、もう結果は見えているでしょう?私の方が旦那様に相応しいと言う事が。と言うわけで、大人しく尻尾を巻いて逃げたらどう?」
「はぁ?一体どう言う思考回路でそんな考えになるのやら…呆れて何も言えませんね」
「言う事がないのなら早くここから立ち去ってくれないかしら?私たちは、これからデートですので」
「…みすみす行かせるとでも?」
「…どうするつもりかしら?」
ケシャナは、体から殺気を吹き出し魔素を練り上げる。対するイブは、豊満な胸の前で腕を組んで相手の様子を観察する。
「こうするんですよ!」
と言って、ケシャナが魔法で火炎球を放つ。が、ソレはイブに当たる前に軌道が変わり、イブの後ろの結界に当たった。
「あら、幸運ね」
うーむ、ケシャナはイブの恩寵を知っている筈だが…
「そうなる事は分かっています。只の確認です」
「強がりかしら?ケシャナ、貴方私に模擬戦で勝った事無いでしょう。一体どうやって私達を止めるつもり?」
このままでは、間違いなくケシャナが負ける事になるが…ん?アレは…
ケシャナは、チョークで地面に魔法陣を書いていた。それは、俗に『禁術』とされるものだった。
※※※※※
魔術…術式や魔術媒体を使い、世界の理を歪め自らの望む現象を引き起こすもの。
魔法…言霊に対価として魔素を渡す事により、世界の理を歪めてもらい自らの望む現象を引き起こすもの。
呪術…自らの感情をエネルギーに変換して、対象を呪う術。魔素も同時に使う事により効力を上げる事ができる。呪いの内容は、デバフや即死。また、魔法や魔術では起こしにくい現象である。
魔法術…魔術で魔法の効力を高めてから魔法を使う事。
例 魔素から引き出せるエネルギーを向上させる魔術を使う→魔法を使う。
魔術法…魔法で魔術の効力を高めてから魔術を使うこと。
禁術…何らかの形で人間の世界に大きな影響を与える為、人が禁止した魔法、魔術。基本的に大規模な術式であったり、極端に長い詠唱が要ったりと、使いづらい。と言うかそもそも普通の人間には使えない。
※※※※※
「イブさんに、普通の攻撃が効かない事は分かっています。ならば、普通では無いものが攻撃すれば良いだけの話!
《我望むは煉獄の閂を引く事也
この世と異なる地獄の更にそのまた奥の煉獄よ
その瘴気を見に受ければ腐りて死にたまい
見れば正気を失う異形どもが住まう地よ
我が魔素を代償に開け煉獄の門》」
言い終えると同時に魔法陣を中心に黒とも赤ともとれない色のこれまた液体の様な地面の様なジュクジュクしたものが広がる。更に、その下から円状の門が現れ世界の終わりの様な音を立てて開いていく…
前提条件が整ったのを確認したケシャナは、すぐさま次の詠唱を始める。
「《我望むは恋敵の死也
地獄の底の更に深き暗きにある煉獄
其の地を統べる罪深き王よ
我が声に応じ其の姿を現世に晒せ》
来なさい、煉獄王 ガリウス」
バチバチバチ!!という耳をつんざく程の雷鳴が轟き、黒い極太の稲妻が魔法陣の中央から迸る。
…おかしい、あんな短い詠唱と小さい魔法陣で喚べる存在では無い筈なんだが…よっぽど相性が良いのか?それとも、ユニークスキルか?
そして、魔法陣が紫色に怪しく明暗を繰り返し、そこから現れたのは…
黒い翼の生えた赤ん坊だった。
…アレが、煉獄王か。俺のステータスとスキルでも殺すのは…ギリだな。
しかも、あの姿。まだ変身を残しているな…
〈俺様を喚んだのは、貴様か?〉
「はい、あの赤髪の女を殺すのを手伝ってもらいます」
〈…赤髪?あっちの男の方じゃ無くてか?〉
「いえ、女の方です。あの女は勝利と幸運の女神の恩寵を持っています」
〈…あぁ、確かに神力を孕んでるな。それで幸運を無効化できる俺様を喚んだのか〉
「はい。手伝ってもらえますよね?」
〈フン、白々しい。俺様達が召喚主に逆らえないと分かっててそれを言うか?
まぁ、良い。…だが!俺様を無料で使えるとは思って無いよな?〉
「勿論です。何がお望みですか?」
〈フゥム、なら貴様の裏切らない努力を頂こうか〉
「…分かりました」
〈ホウ?随分と物分かりが良いでは無いか。人族にとってユニークスキルは貴重なのでは無いのか?〉
「えぇ、ですがこのスキルなら…努力すれば手に入りますから」
〈…つまり、待てと言う事か?
もう一つそれを手に入れるまで?
クフ、クフハハハ!!良いだろう!あぁ、実に面白い。俺様にそんな大それた事を言ってみせたのは貴様が初めてだ〉
「では、よろしくお願いしますよ?」
「……終わったかしら?」
ケシャナと煉獄王が交渉していた時、イブはずっと魔素と神力を練り上げて一本の剣を作っていた。鑑定結果はこれ。
名称 必勝無敗の神運剣
rare ----
物理攻撃力 77777
切れ味 [ ]
会心発生率 ∞%
会心時攻撃力上昇率 1500%
〈スキル〉
幸運超強化
必勝無敗
神力使用可能
伸縮自在
消耗品
不殺
…えっぐ…タルト美味しい。…俺、頭大丈夫かな。にしても、本当エグい強さだな。使い捨てって所が残念だけど…まぁ、逆にコレが何回でも使えたら、バランス崩壊するか。
…まぁ、イブは何だかんだ言ってケシャナを殺す気は無いみたいだな。良かった良かった。
ただ、ケシャナはなぁ。完全に殺す気なんだよなー。詠唱とか聞いててもさぁ…
まぁ、いざとなったら俺が止めるが。
まず最初に仕掛けたのはケシャナと煉獄王のタッグだ。幸運値は本当に無効化されているらしく、ケシャナの斬撃も煉獄王の呪術も不可解な軌道を描く事は無く、イブはすんでの所で避けるばかりで反撃は出来そうにない。
今まで幸運に頼ってきたせいで回避に不慣れなのか?と思った矢先、イブが反撃に転じた。急造のタッグ、そこに生まれたごく僅かな隙をついて煉獄王に斬りかかった。
しかし、元々的が小さいのと翼による俊敏な動きであっさりと躱されてしまう。そして、剣を躱された事により上体が不安定になったイブをケシャナが追撃する。
万事休すかと思われたその時、イブの剣が伸びてケシャナの剣を防いだ。その刹那、伸びた切っ先がケシャナの方へと向かっていったので、ケシャナは半歩下がらざるを得なかった。
その間に体制を整えたイブの顔には笑みが溢れていた。
〈グッ…〉
声のした方を見ると煉獄王の額から真っ黒な血が流れていた。あの切っ先でケシャナを退かせ、更に煉獄王に攻撃までしていたのか…
〈グゥオオオ!!この俺様の美しい顔に傷がああぁぁ!!??おのれぇええ…!絶対にぶっ殺す!!もう手加減は無しだぁ!!!貴様の死は!ここに確定した!!!〉
そう言うと煉獄王を中心に大量の魔素が暴風の様に吹き荒れる。この行動にはケシャナも驚いた様で、目を白黒させている。イブは、ありったけのバフを積み、変身後の煉獄王に備えている。
そして、現れた変身後の煉獄王は…
豆粒サイズになっていた。
が、その身から発せらる重圧は、先程とは比にならない程に膨れ上がっている。その余波で結界が吹き飛ぶ程だ。…心許ないな。
俺は結界の内部を俺が創った空間に転移させる。ここなら、どれだけ戦おうが外界に影響はない。
…うーん、ボォーっと見てるだけで良いんだろうか。流石にアレはイブでも…
チラリと見たイブの顔には大丈夫だと書いてあった。…比喩だよ?
〈マタセタナ〉
よくある例に漏れず煉獄王も小さくなると声が高くなる様だ。体としては成人した…のか?小さ過ぎて分からん。
〈ユクゾ〉
煉獄王は両腕を前に振った。ただそれだけの動作で無数の黒い槍が煉獄から生え、イブへと迫る。
バフを積んだお陰でさっきの2倍ほど動きは良くなっているが…ブシュ…ザク…とイブの体のあちこちに傷ができる。
10秒、20秒と続く猛攻。イブの顔に疲労の色が見え始める。当然だ、人が全力疾走出来る時間は10秒が限界。それ以上は平常時よりも動きが悪くなるばかりだ。助けに行こうとするものの、イブに目で制される。
あぁ、もどかしい…!
ケシャナはずっと煉獄王にMPを送っている。身体中から粘りのある汗がダラダラと吹き出している。命を削ってMPを作っている証拠だ。…このままでは、2人とも命を落としてしまう。
が、ふと地面(煉獄)に目を落とすと、その面積が狭くなっている事に気付いた。また、煉獄の門もその口を徐々に閉じている。
…これは、イブは煉獄王の攻撃を耐え切れば勝ちなのか?…ケシャナも、門を開けるよりも、煉獄王にMPを注いでいる。と言うことは、2人ともがタイムリミットを計算に入れた上で戦っている…?それに恐らく、ケシャナは門をすぐに閉じる事も出来るだろう。
イブの勝利条件は、術者であるケシャナを戦闘不能にする。煉獄王を戦闘不能にする。門が閉まりきるまで耐える。
ケシャナの勝利条件は、イブを戦闘不能にするのみ。…殺しは流石にしないよな?…多分…きっと、恐らく!
イブのHPは、半分を切っているが、ケシャナのMPはあと数100程度。イブの勝ちか?と思ったその時、甘い考えは煉獄王によって打ち滅ぼされた。
グゥワシャャアアン!!!
煉獄王が腕を振るい、門を破壊した音だった…は!?いや、嘘だろ!?そんな事をしたら…アイツ、無限に現世にいれるじゃないか!
「ふむ、それはちょっと困るなぁ」
「いや、ちょっとどころじゃないでしょ!
って…えっ?」
声の主は……
全一様だった。
…何故ここに!?





