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ピーターパンのつくりかた、ころしかた。

作者: 蛹ヶ岡俊輔

「僕が思うに、何事においてもそうなのですが、例えばひとつ、叶えたい夢があるとします」「その夢を叶えるためには、『叶えた先のこと』まで考えることが重要なんです。先生」

「まあ、言わんとすることは分からないでもないよ」と、『強い関心があるわけではないが、少しばかりは興味がある』かのような返事をしてみる。

「あくまで例ですけど、僕が空を自由に飛べる夢をみたいと願っていたとします。今僕が言った夢っていうのは、眠った時に見る夢のことですよ」

「空を飛ぶ夢を見るっていう夢があるってことか」

「そうです。ピーターパンみたいに」

「ややこしいな」

「そうですか?」

「いや、そこまでややこしくはない」

「ですよね」

「しかし、なぜにピーターパン」

「例えですよ」

「わかりにくいな」

「それはわざとです。仮の話ですけどね。それで、その夢を見る、つまり空を自由に飛ぶという体験を夢の世界で行うという夢を叶えるには、『その先』今回では、夢から目覚めた後のことまで考えるんです」

「というと」

「この夢を見た後は、こんな気分で目覚めて、こんな感じで一日を過ごしたい。とかです」

「ほう」私はまた、なるべく興味があるかのような相槌を打つ。

「それは、意味はあるのだろうか」

「あるからこそ、こうしてお話しているんです」

「そうか、続けてくれ」

「もし何も先のことを考えずに進んでしまったら、たとえ夢がかなったとしても、そこ止まりになってしまします。別にそこで終わりでもいいならそれは個人の勝手でしょうけど、僕は嫌です。先生に今日、お話しさせていただくのは、僕の夢を叶えるための「計画」と、その先の永遠に続くであろう未来の話です」

彼の目は、真っすぐに私の左右どちらかの目をじっと見つめる。同時に両目を合わせることが出来ないほど、私と彼は、今近い距離で座り、話している。彼はもとから人の目を必要以上に見ながら話す性分なのか、それともついに長年の構想を得て完成した計画を、他人に話す時が来たため、ひどく緊張しているせいなのか、それは私が知る由もない。が、どちらにしても彼が今から私に教える『計画』が、いかに彼の人生を大きく変えるものなのか。彼の目と、緊張しつつも余裕そうに振舞おうとする表情を見れば、私にもそれと分かる。

「それじゃあ、今私が手に持っているこの薬、この薬と今から君が話すことと親密にかかわっているということでいいね」

「そうです」

『今私が手に持っているこの薬』とはすなわち、多発性硬化症治療薬を改良したもののことである。と言ってもわからないだろうから、簡潔にこの薬の効果を説明する。

この薬は、人間の記憶の一部を消す効果がある。しかも、特定の期間の記憶のみをだ。

当然、そんな都合の良い薬がこの世に存在するはずもなく、手に入れることは不可能である。が、私は薬学博士の資格もあり、それなりの知識と器量を持ち合わせている。彼はそんな私に、「一定期間の人間の記憶を消す薬を秘密裏に作ってくれ」と依頼をしてきた。当然のように私は拒否を初めはしていた。彼はその薬の使用用途を話したがらないのである。だが、彼の話し方を見ていると、どうも怪しい。秘密裏に依頼をしてくるのだから、安全な使い方をするとは思えない。しばらくの期間、私が頑なに拒み続けていると、彼の口から「計画」という言葉が零れ落ちた。それを聞き洩らさずにその「計画」とやらを詳しく探ってみることにした。探るといっても、特に調査などするつもりはないのだが、彼自身からその内容を聞き出すことにしたのである。が、彼もそう簡単に話す気はないらしく、そこで私はある提案をした。

「交換条件だ」

つまり、私は彼に薬を渡すからその代わりに君のその計画とやらを詳しく教えてくれということだ。当然金も貰う。

彼は初め、その要求を呑めない、どうしても話したくない、金は積むからと言ってきたが、あいにく金はボールペンの試し書きに使うほど有り余っていたため、一切、金というものに魅力を感じていなかった。それよりかは、君の練っている怪しげな計画とやらのほうが興味深い。彼にそう伝えると、ついに覚悟を決めたのか、私の言った条件で承諾をしてくれた。当然金も貰う。

「初めに行っておくが、この薬は本来神経の病気の治療のみに使われる薬で、健康な人間が服用することでどのような副作用が出るかは分からない」

「全くですか」

「薬学の世界において、「全く」って言葉は存在しないんだよ」

「可能性は限りなく低いんですか」

「低い。しかし人体実験は一度もしていないんだがね、君はそれでもいいのか」

「いいです」

彼のその自信はどこで手に入れてくるのか。私にも誰か装着してくれないだろうか。

もし仮に出るのだとしたら、おそらく精神的興奮状態か何かか、何かしらの心理的副作用だとは思われるよ」

「体に何か変化などは」

「その可能性は極めて低いと思われるけどね、たぶん」

あえて自信なさげに言ってみるが、彼は全く不安がる様子は見せない。少なくとも、見せない。

「それでは、効果については。記憶は確実に消えるのですね」

「不安なのか。一応マウスで実験を繰り返してはみた。だがお察しの通り、マウスではどの程度、どれほどの期間の記憶が消えたかはわからないから、実験によるデータはないが、理論上、消えるはずだよ」

実際、私も本当に記憶が消えるのか、この目で確かめてみたいとは思った。

「わかりました。先生を信じることにします」

「いいのか」

「いいのか、とは?」

「そんな簡単に信用して大丈夫なのか、ってことだよ」

「大丈夫です。」

「何故」

「僕には確信がありますから」

「あのね、君には前も言ったと思うが」

「いいじゃないですか、先生は僕の話を全て聞き、そして謝礼をもらう。それで何も問題ないじゃないですか。後はこっちの問題なんですから」

「そうか、わかったよ」

私はいまひとつ釈然としなかったが、事実、私とは関係のないことなのだと飲み込んだ。

「ところで、さっきの話に出てきた『空を飛ぶ夢』ってのは、君の夢なのか」

私は、あえて本題の計画の話とは違う話を彼に振る。彼の人間性をより深く知りたいからだ。このような話題は、全てを話し終わった後だと振りにくい。空気的に。

「違いますよ、さっきのは仮の話だと言ったじゃないですか。確かに、ピーターパンさながらに自由に空を飛べたら気持ちいんでしょうけど、それに伴うリスクが大きすぎるんでやめておきます」

「例えばどんなリスクが考えられるんだね?」

「いや、特に具体的には考えたことはないですけれど」

「今思いつくものでいい」

「なんでもいいんですか」

「なんでもいいんだよ」

「そうですねぇ」

彼は目線を上に向けるが、今我々二人だけがいるこの狭い部屋の天井は低いうえに汚く、思考を妨げることこの上ない。

「乾燥。ですかね」

彼は椅子に座ったままポケットに手を入れる。

「かんそう?」

私は浅く椅子に座り、体を倒して椅子にもたれかかる。置き場所をなくした腕を胸の前で組む。

「そうです。乾燥です」

「かんそう、というと、マラソンとかレビューとかではなく?」

「乾燥です。広辞苑で引いたら、対義語の欄に「ニベア」とでてくるあれです」

「出てこないだろうに」

「知ってますよ」

「なぜ乾燥がリスクなんだ」

「空なんか飛んでたら、風が顔に当たるでしょう、だからですよ」

「だから、なんだというのだ」

「僕、ドライアイなんですよ」

「聞いたことがないな」

「言ったことないですからね」




「それじゃあ、そろそろ君のその計画とやらをお聞かせ願おうか」

「そろそろですか」

「そろそろだ」

彼の性格、というか性根、心に飼い続けている日々成長し続ける獣。それは風船のように膨らみ続けている。彼はおそらく、私の想像するはるか前からある強い信念を抱いているのだろう。今回の計画では、その長年抱え込んだ何かしらの思いを起爆させるのかもしれない。この薬は、その起爆スイッチだ。そして彼の長年の夢とは、きっと小学校の卒業文集に書けるような内容ではない。おそらく。

「わかりました」

彼はカバンの中から大きめのサイズのノートを引っ張り出し、ポケットからごつごつした小さめの黒いボールペンを取り出した。

「紙に書いて説明するのか」

「はい。ここからは少しややこしい話になってきますので、図に描いて説明した方がわかりやすいんですよ」

彼は無地のノートを横向きで開き、ペンを持った右手で紙を上下半分に区切るように横向きの線を引っ張り、横に長い右向きの矢印を描いた。その矢印の中心あたりの上に『男』その右隣に『女』と書く。どうも彼は緊張をしているせいか、字がやけに乱れている。「もともと字が汚い」のとは少し違う気がする。彼の指、というより右腕全体が震えていた。まるで、生まれて初めて字を書いたかのようだ。普段から、スマートフォンやパソコンでやり取りをしているために、文字を書く機会が極端に減っているのか。それにしても、あまりにも不慣れに見える。

「いいですか、僕の計画のターゲットとなるのは、ある男女二人です。」

そう言って男と女、それぞれを丸で囲む。

「この計画は遠回しに言うと」

「遠回しに言うのか」

「遠回しに言うんですよ」

「何故」

「いいですか、先生、先生はこれまで合理性とか効率重視で生きてきた方だと思うんです」

「間違いではないな」間違いではない。が、正解でもない。

「でも、今回僕がやることもそうなんですけど、あえて遠回りすることも大切なんです」

「ほう」

「もちろん、効率的に物事を進めることは大切ですし、それを否定することはないですけど、でも、なかなか目的地にたどり着かない旅も面白いですよ」

「そういうものなのか」そういうものなのだろうか。

「人に何かしら伝えたりとか、教えたりするときは、簡単な言葉を並べて説明するよりも少しばかり遠回りさせたほうが、最終的には納得しやすいんですよ。」「初め、相手にあえて疑問を持たせておくことで、後々理解させる。パズルのようにバラバラに与えられた情報が、ひとつに繋がるんです。面白いでしょう?」

「それじゃあ今日は私を目的地まで、最後まで安全に案内してくれよ、迷子はごめんだ」

「了解しました」彼は少し、少しだけ笑顔を見せる「了解しました。先生」

私も、彼のことを探ろうとして少しばかり話を脇道にそらせてしまった。これも、一種の遠回りなのか。そう考えると、遠回り、とは意味があるもののように思えてくる。

「そういえば、さっき僕が夢の話をしたときに『ピーターパンみたいに』って言ってましたよね」

「言ってたな」

「僕の計画も、ある意味ピーターパンに似たものかもしれません」

「そうか、それは少し楽しみだな」私は、なるべく興味があるかのような相槌を打つ。そう言いつつ

「本当に、少し楽しみかもしれん」私は、本当に興味を持ち始めている。

「それじゃあ、始めます」

「よろしく」

「ターゲットは、ある若い男女二人です」彼は説明を始める。

「この計画を遠回しに、かつ分かりにくく言うと、疑似的にピーターパンを無限に創り出します。その後、ピーターパンを無限に殺すんです。どうです?分かりにくいでしょう?」





由紀子

「僕は結構、忘れ物とか、落とし物とか。そういうのが昔からかなり多いんだけれどね」

「知ってるわよ」

「でもこれは、僕のじゃない」

「もちろん、私のでもない」

私は、普段から血だらけの死体を持ち歩くことなんてないし、多分、日高もそうだろう

「じゃあ、誰なんだよ、ここは僕と由紀子、二人しか入れないはずだぜ」

床にうつ伏せになって倒れている死体に目をやる。顔はよく見えないが、中年かそれよりも少し年上の男性だということくらいはわかる。左の脇腹あたりに包丁か何かでえぐられた痕があり、黒々とした血液が床に付着している。真っ黒な卵で作られた目玉焼きの黄身に包丁を入れたように、ドロドロとした血が溢れていた。血はもうすでに流れつくしたのか、ほとんど固まっており、ベンタブラックさながらに床を漆黒に染めていた。

「でもさ、ここは大したセキュリティもないじゃない、むしろあのトイレの方が厳重にロックされてるくらいだし」

そう言って由紀子はトイレへと続くドアを指さす。今二人が死体を挟んで立っている場所は、プレハブ小屋に無理やりトイレをくっつけた、物置同然のもので、二人の家から100メートルほど離れたところにある。二人の家、とは文字通り二人の家で、二人は現在同棲中である。

「死体って、思ったよりもグロテスクじゃないな、綺麗に刺されているのと、それに顔が見えないからかもな」

うつ伏せに倒れている死体は刺された脇腹以外に目立った外傷は見受けられない。

「由紀子はどうとも思わないのか」

「思わないわけがないじゃない」

「だよな」

「本当に迷惑」

「迷惑とかそういう問題じゃあないんだけどな」

「どうする、警察呼ぶ?」

「いや、少し待て、由紀子。ここに来たら当然、警察はこの部屋を何かしら証拠が無いか隅々までこの二号館を捜索するだろ」

「するでしょうね。迷惑だけど」

「だから、迷惑とかじゃなくてさ」

日高が言う、「本館」とは、二人が同居している家のことで、二号館とは、現在二人がいるプレハブ小屋のことである。

そしてこの二号館は基本的に物置として使われるのだが、机や椅子、簡易的な布団も用意されているため、ここで生活することは一応可能となっており、現在二人はそうしている。

ではなぜ、わざわざ明らかに不便であろう二号館に、現在二人は住んでいるのか。当然、明確な理由が存在している。

それは。

本館は今、無い。

「そう、無いのよ。本館は」

「誰に言ってるんだよ」

由紀子と日高の一戸建ての家は、4日前に何者かの手によって燃やされていた。実際に家がBBQの如く業火に照らされて灰と化する現場をこの目で確かめたわけではない。二人が外出する時間を狙った放火なのか、由紀子が帰宅したころには既に黒焦げになっていた。



「その場合、これはどうする」

日高は立っているところの後ろにある天井まで続く大きいタンスの右上端の引き出しを開け、黒い物体を取り出す。

けんじゅう、なるものを由紀子は使ったことはなかったが、もし警察のお方に発見されたら面倒なことになり、ついでに警察に面倒になることはくらいは知っている。

「そんなもの隠してたの」

「用心に越したことはないだろ」

「使ったことはあるの?」

「無いだろうね、ここは日本です」

「知ってます」

「だから、もっと使いやすい型に改造しようかと思っているのだが」

「使う気満々じゃないの」

「使うために買ったからな」

「でもさ、前にも同じことを言ってなかったっけ」

「そうだったっけか」

「うん、なんかもっと日常品に紛れ込ませるために改良するとかなんとか」

詳しくは由紀子も覚えてはいないが、そのようなものを日高が作っていた気がする。

トリガーの代わりにスイッチを採用するとかしないとかほざいていたのを適当に聞き流していた記憶がうっすらある。

「まあいいや、とにかくさ、それ、もっといい感じの隠し場所無いの」

「無いんだな。本館に隠そうにも、あそこは今、ああなってるだろ」」

日高は拳銃をまじまじと眺める。重量感のある銃は、片手で持てるほどのサイズで、血液とはまた違う、少しばかり光沢をもった黒色をしている。人間が認識できない速度で命を奪うそれにはそれなりに相応しい色だ。逆にそれが、桃色やラメの入った淡い水色だったとしたら、人はそれに恐怖心を覚えるのだろうか、由紀子は疑問を抱く。

「それと由紀子、これと同じやつもう一つ持ってたんだが、知らないか」

「なくしたの?知らないわよ、結構高かったんでしょう」

「わりとした」

「どのくらい」

「由紀子が、『うひゃー』って言うくらい高い」

「いくら」

「55万」

「うひゃー」由起子は悪ノリしてみた。

「それに、うちのトイレには、あれがついてるだろ」

日高はそう言って、顎でトイレの方をさす。

「そんなにあれを人に見せたくないの」

「見せたくないわけじゃない、むしろ、誰かに自慢したくてしょうがないくらいだ。でも一度世間に知れ渡ってみろ、とんでもなく面倒なことになるぞ」

「でもさ、そんなにすごいものを、あんたはほとんど使ったことがないじゃない、それならいっそ、捨てちゃえば」

「だめだ、あれは人類を滅ぼすきっかけになりうる装置だが、同時に人類が体験したことのない、素晴らしい何か、実験や検証が出来る装置なんだよ」

「じゃあ、すればいいじゃない、実験」

「やりかたがわからんもん」

「そうか」「なら、仕方ない」

正直、由紀子はあの機械を本気で捨ててもいいと思っていた。

そもそも、日高の発明品を完全に信用していない節もあった。もし日高が実験的に使用し、そのまま帰らぬ人となってしまったらたまったものではない。

由起子自身も、その機械がどれだけ革新的なのかはわかっていた。が、何せ使い勝手が悪すぎる。

それでは何故そんな使い勝手の悪い装置なんか作ったのかと問えば、

「ロマンだよ、ロマン。男ならば誰しも一度は夢に見たことがあるであろう装置を、作りたくなるのは何らおかしくないだろ、この世に必要なのは、イメージと、勢いと、一握りのロマンだ、それだけでいい」

とかなんとかほざいていた。なんだよ、ロマンて。男にロマンがあるなら、女は何なのよ。不満か。男のロマン、女のフマンか。笑えないな。由紀子はため息をつく。ロマンはいいが、他人に、ましてや同棲中の彼女に迷惑をかけるのはやめてほしい。世の中の男どもに訴えかけてやろう。

由紀子はため息交じりに心のなかで呟く。

頼むから、ロマンを理由にトイレにタイムマシンを設置しないでくれ。男よ。




「それじゃあさ、この死体はどう処理するわけ」

このままこの仏さんをプレハブ小屋に放っておけば、どんどん腐敗が進行し、強烈なにおいを放つ肉片となり、とてもじゃないがここで生活することは不可能となるだろう。

「このままじゃあ、腐る」

「それは嫌だな」

「近所からも気づかれるわよ。くせぇって」

「ファブっても」

「消えないでしょうね」

「それ本当に言ってる?」

「と、言うわけで、捨てましょう、不法投棄しましょう」「このゴミみたいなゴミと一緒に」

「僕の発明品も一緒にか」

「そうよ、そろそろここも片付けないといけないなあとか思ってたからさ、ちょうどいいじゃない、掃除よ」「お掃除の時間ですよ」

「それはダメだ。第一、いつどこにその仏さんを捨てるつもりだよ、資源ごみの日か?人間を燃やしたら資源になるのかは知らないが、それこそ悪臭がひどいんじゃないか」

「そんな怒んないでよ、じゃあ逆にあなたはこれをどう処理するんですかね」

「そりゃあとりあえず、この死体の持ち主を捜し出し、返却する」

「返却も何も、もう亡くなっているのだから、というかそもそも持ち主なんていないでしょうに、人間なのだから」

「そりゃあそうだ」わかってた、というふうに右の口角を上げる。

「だが、今言ったように、警察を呼ぶわけにもいかない。この二号館には、トイレのあれと、この拳銃と、それ以外にも見つかると面倒なものがたんまりとある。というわけで必然的に、やることは決まっている」

「犯人探しとか言い出すわけないから、身元を調べるとか?」

由紀子が半分希望を込めて言った言葉だったが、悲しいことに

「犯人探しだ」らしい。

「あのさあ日高、あんたが名探偵を演じたい気持ちは分かるし、それがあんたの大好きな男のロマンだろうとは思うけどさ、犯人探しをするって言ってもこれは殺人事件なんだよ、犯人側の人間は相当、人として何かが欠落しているに違いないでしょう、あんたそんな人と対峙しようとしているのよ、それがどれだけ危険なことかわかってんの」

「違うな、由紀子。僕は別に犯人を捕らえようとしているわけじゃないんだ、ただ、この我々が暮らす二号館に突然表れた死体が最後に見た景色はどんなものだったのか。知りたいだけだ」

日高が探偵ぶる。

「かっこつけんなよ」

「いいじゃないの」

「そうやって、『僕はただ真実を知りたいだけだ』とか言って、探偵ぶるのは、赤の他人の事件だから許されることで、この一件は私たちの居住空間を脅かすものなのよ」「4日前、あんたも相当驚いていたじゃない、あの放火犯が未だにこの辺をうろついてる可能性もあるじゃない、もしかしたらこの死体を生み出したのも、同じ犯人かもしれないじゃない」

「2週間前?家が燃えたのはたしか3日前とかじゃあなかったっけか」

「2週間前よ、あんた記憶飛んでんの?」

「憶えてるさ」日高は眉間に皺を寄せる。

「それじゃあ、ますます真相を調べる必要がありそうだな」

「なんでそうなる」

日高に日本語が通じなくなったらもう手遅れだと由紀子は経験上、悟る。もう彼を止める手段は皆無と言っていいだろう。由紀子は再び大きなため息をつく。あの時もそうだった。「トイレにそんなもの設置したら、これからどうやってトイレすんのよ」

由紀子の訴えも聞かず日高は4ヵ月余りの時間この、二号館に住み込みで作り続け、ようやく完成させたタイムマシンがあんなに使い勝手が悪いとは。あんたの4ヵ月は、こんなもののために消えたのに、悲しくないのか。

「いいじゃないか、たとえ最大15分しか時間移動が出来なかったとしても、何かしら使い道は見つかるさ」

ないだろ、そんなものの使い道なんぞ。

いや、ないこともない。

朝遅刻防止とかにも使えるかもしれない。

だが、それを日高に言ったところで、きっとこう言うに違いない。

「いや由紀子、あれをそう気軽に使ってはいけない、あれを作ったのは人類における科学の進歩が、、、」

とかなんとか言ってくることが容易に想像できる。

由紀子自身、日高が数か月の間でタイムマシンを製造したことについて、大して驚くべきことではないと正直思っていた。

日高は現在、現役の大学院生でありながら、過去数回に渡り、しょうもない発明やらをくりかえしていた。おそらく、これは彼の趣味なのだろう。例えば、一見するとただの懐中電灯だが、持ち手の柄を左方向に回転させるとあら不思議、懐中電灯を持っている側の方向に小型のナイフが発射されるというものだったり、見た目だけなら文房具にしか見えない拳銃だったり、とにかく日高は何か危ないものと日常生活で使われるものを合体させるのが好きらしく、おかげでこの二号館には使い道は分からないが、物々しい黄色と黒で塗装された空気清浄機ほどの大きさの、英語で注意書きのようなものが書かれた箱であったり、その他ハードオフなんかじゃあ買い取ってもらえなさそうなものばかり、この二号館新ため日高のおもちゃ箱にはある。

もし日高と付き合い始めの頃にだったら、驚きと混乱と恐怖でそのまま別れてしまうかもしれなかったが、今の由紀子には驚き半減である。

むしろ昔の方の自分の方が正常な人間だったのかもしれない。もう日高の奇行には完全に麻痺してしまった。

ところで、日高が完成させたタイムマシン、トイレ型タイムマシンには二つほど欠点がある。一つ目。時間移動できるのは過去のみであり。最大15分である。

しかし、この問題は何度も十数分前に戻る行為を繰り返せば、いくらでも過去に戻ることは可能である、が、これは二つ目の問題点で実現が難しくなる。

二つ目。時間移動できる時間の長さだけ、過去に遡ることができる。

つまり、5分前に戻りたいなら5分間、14分前に戻りたいなら14分間、タイムマシンの中にいなくてはならない。もし仮に、20年前に戻りたいのならば20年間、約十七万時間もの間、あの狭いトイレに閉じこもっていなければならない。使えねー。

「仕方ないだろ、由紀子。第一、数分間だけでも時間を遡れるだけでもどれだけ革新的なのかわかってるか」

「そりゃあそうなんだろうけどさ」

この時間を逆行する装置の仕組みを以前、それとなく聞いてみた

「まあお前に難しい話をしてもしょうがないからな、簡単なたとえ話にして説明すると」

日高が言うにはこういうことである。少々ややこしい話になるため、面倒な方は飛ばしてしまって差し支えない。

時間とは、そもそも空間的なものと、物質的なものの二種類に分けられるのだという。空間的な時間とは、例えるならどこまでも続く新幹線のようなもので、物質的な時間とは、その新幹線の中を歩く人間のようなものだという。新幹線の後ろの車両であるほど、物質的には過去であるが、空間的に言えば過去ではない。

「いやごめん、やっぱり新幹線で例えるのはやめようかな、余計にややこしくしちゃう気が」

「途中まで言ったなら最後まで言い切りなさいよ」

「じゃあ、僕が一番言いたいことだけ言うことにするよ」

ここでもし、人間が新幹線から降りたとしたら、どうなる?

新幹線は進み続け、空間的時間だけがどんどん先に進んでしまう。ある程度、新幹線が進んだところで再び新幹線に乗り込む。するとそこはどこだ?過去だ。新幹線を下り、ある程度待てば、いつか後ろの方の車両が目の前にやってくる。そこに乗り込めば、そこはもう過去。というわけである。

「それじゃああのトイレは、その空間的時間から一度出るためのものってこと?」

「どういうこと?」

「なんであんたがわかんないのよ」

「すまん、もう一回言って」

「だから、あのトイレは出た時に時にそこが過去であるという状況を作り出すために、その空間的時間とやらから一度脱出するためにあるってことでいい?」

「そう、そういうことだ、さすがは僕の彼女だ。理解力がいい」

「知ってる」

「ということはさ、私これまで何回もトイレを使ってきたけど、知らないうちに過去に戻ってたってこと?」

「いや違う、戻るにはそれなりの手順を踏まねばならない」

「面倒なの?」

「まず、トイレに入って鍵を閉める際に、通常なら右に回すのを、左に回すんだ」

「それだけ?」

「それだけだ」

「簡単じゃない」

「簡単だ」

ということらしい。

由紀子は説明に疲れた。と同時に尿意を感じる。

「じゃあ私ちょっとトイレに行ってくる」

「何分前に戻るつもりだ」

「戻らないわよ」

由紀子がそう言ったとき、このまま本当に時間を遡ってしまえば、部屋にあるあの死体を置いた犯人が分かるかもしれない。という考えが一瞬頭をよぎるがしかし、下手な時間帯に戻って犯人と出くわしたらたまったものではない。命は大切にしましょう。

おそらく、自分がトイレから戻るころには、日高は探偵ごっこで死体を既に解剖してしまっている可能性も大いにある。そうなったら、今自分が思い付いたようなことを本気でやりだしてしまうかもしれない。「戻る」が「トイレ」と「過去」でややこしいな

「時空を超えて悪党を追いかける、タイムパトロール。いいじゃない。かっこいいだろ」

彼はそう言って、タイムマシンを起動させてしまうかもしれない。そうなる前に、私が彼を止めねば。彼女として、彼を守る義務が自分にはある。

でももし、私の全力の阻止も空しく、彼が時間移動をして万が一、彼が殺されるようなことがあったとしたら。由紀子はその先一人で生きてゆく自信がなかった。もし彼が殺されるなんてことがあったとしたら。その時は。

その時は、私も一緒に、死ぬかな。





日高


少々、というか大分、口うるさい由紀子が一時的ではあるがトイレに行ったため、日高はさっそく目の前の死体を調べてみることにした。後ろの軍手の入っているタンスを開ける。

あれ?

確かに軍手は入っていたが、それと一緒に入っていたグレーのツナギがなくなっていた。

日高は不思議に思ったが、自分の管理力の低さと、記憶力の低さを十分理解していたため、大してそのことについて考えはしなかった。

膝を折り曲げて、うつ伏せになった死体の頭を上に向かせようとしたが、いわゆる死後硬直というやつか、首が固まって回すことができない。仕方なく腹の下に手を入れ、体ごと回転させる。

死体の表側を見た日高は、思わずつぶやく。

「これは、ちょっと由紀子には見せられないかもしれん」

仰向けになった死体は、思いのほかグロテスクであり、死体のひきつった顔は、全体的に青みがかかっており、生きた人間とはまるで違う、『物体』としての人間の形をした細胞の塊が、転がっているように見える。顔から察するに、やはり年齢は40代後半から50代くらいといった感じか。

近くに凶器が落ちていないか見渡す。部屋の汚さに少々うんざりする。実際、部屋を汚しているのは日高自身なのだが、少し前までは由紀子が定期的に掃除をしてくれた。だがあまりにも日高の物の管理が悪すぎるため、最近はあきらめてしまったのか、ほとんど掃除をしてくれなくなった。本館の方はつい最近まで掃除をしてくれていたのだが、先日、丸焼けになってしまった

由紀子とはもう5年もの付き合いになる。その内4年も同棲を続けているため、実質結婚しているようなものだ。日高は付き合い始めのころの会話を思い出す。


「ねぇ日高、もし仮に、私たち一緒になれたら、あなたなら何したい」

「急に言われても困るなあ」

「絶対に実現しなさそうなことでもいいのよ」

「それは言う意味があるのか疑わしいね」

「絶対に実現しなさそうなことだからこそ、言うべきなのよ。そうしたら」

「実現する?」

「何となく実現しそうな気がするじゃない」

「では、あなたからどうぞ」

「私はね、これは絶対に実現しないってわかってるし、本気で実現させようとは思ってないんだけど」

「言ってみ」

彼女の顔は、真剣そのものというわけではなく、どこか日高を見透かしたような、遠くの未来を見ているような、少し優しい顔をしていた。

「この世界から、私とあなた以外をすべて消すの」

彼女は、やはり、優しい顔をしていた。

「どういうこと」

「そのまんまの意味よ」

「世界をふたり占めするのか」

「ふたり占めっていうよりも、最初から二人の物だったって、お互いに確かめるの」

「どうやって」

「別に、やり方は考えていないけれどね」

「なんだそれは」

「いいじゃない、いまここに、私とあなたがいて、そうしたら世界は要らないなって、そう思わない?」

彼女は目を細めて微笑む。

確かに、世界は要らないな。日高は思う。

子供のころ、「自分以外の人間は、本当に意識があるのか」と、一人悩んだ時期があった。

その頃は、まだ「哲学的ゾンビ」なんて言葉は知らなかったし、こんなこととを悩んでいるのは自分だけだと思い続けていた。

しかし、この考え方はかなり多くの、自分と同じくらいの年齢の男女が一度くらいは考えたことがある。と知った時、相当なショックを受けたものである。

しかし今となれば、そんなことはどちらでもよくなった。そして、「どちらでもいい」という考えが「正解」だと思えることが大人になる事でもあると知った。

だが今、由紀子の言葉を聞き、私は未だ小学生の頃の自分に舞い戻った。

この世界には80億人もの人間が蠢いていると聞くが、実際に私は一度にそれらを見たことはないし、そもそも、僕は海外に言ったことなどないから、本当に日本の外には別の国があるのかすら、疑わしい。

もしそれらが本当に合っていたとしても、僕にとって、本物の人間は僕一人しかいない。そこにもう一人、由紀子がいれば、それだけで世界は成り立つ。それでいいんだ。

世界は、要らない。

ここだけでいい。

「それで、あなたは何か、したいことはないの?」

「由紀子の今言った、『ここ』に住めたら、それだけでいいよ。僕はするより、される方が好きかな」

「何それ、猥談?」

「違うよ、誰かに夢を押し付けるよりも、押し付けられて、いやいや言いながらもそれに付き合ってあげて、最終的には全部正解だったな。とか思えたらいいな。とかそういうこと」

そうは言いつつも、日高にも由紀子と実現させたいことが、ひとつだけ、あった。だがそれを実行するリスクは大きかった。日高は今でも、何とかその夢を実現させることはできないかと、模索している。由紀子には内緒で。

あの会話を交わしたころから随分と時が経った。日高に対する呼び方も変わり、日高自身の性格も大分変った。だが由紀子といるときの、日高の思いは変わらない。今でも日高の夢は変わらず、いつか叶う日を待ち望んでいる。

「ちょっと!死体を勝手に転がさないでよ」

いつの間にか由紀子がトイレから戻ってきていた。

まだ死体の顔しか確認していないのに。日高は、由紀子がいると、探偵からどこにでもいる平凡な大学院生へと逆戻りする。

「死体がもう死後硬直し始めちゃってるから仕方ないだろ」「顔を確認するためには体ごと動かすしかなかったんだ」

由起子が死体に目を移す。

「う、、、これは、、、」

流石の由紀子も改めて表向きの死体を見て、少し顔を歪ませる。

「これは、、、なかなかだね」

「由紀子には見せたくはなかったのだが」

「なんか、殺されたにしてはやけに吹っ切れた顔してない?」

「確かに、言われればそう見えるな」

「もしかしたら、自殺かもよ」

「それはないだろ、なんでわざわざ脇腹を刺す必要があるんだ、死ぬなら心臓でいいだろうに」

「そう思わせるためかも」

「わざわざ他殺に見せかけるってことか?」

「そう」

「逆にありえなくもなくも」

「でしょ」

「ないな」

「ないか」

「でも確かに、やけにすっきりした顔はしてるな」

「だよね、まるで宇宙の法則が解けたみたいな」

それは流石に言いすぎやもしれないが、何かの問題や謎が解けた、という表現は当たっているのかもしれない。

そう思いつつ日高は唐突に死体を発見した時のことを思い出す。

日高は寝ていた。ここ、二号館にある机に突っ伏して寝ていた。そこに由紀子から電話がかかってくる。着信音で目覚めた日高は、寝起きの朦朧とした頭で電話に出る。電話の内容は特に取り上げるほどのものでもなかったが、日高の目は机を挟んでもう一つの椅子の近くに倒れているものにくぎ付けになる。

人だった。

「人だ」

「え?」

「人が倒れている」

「嘘でしょ」

「嘘じゃない、男が一人、倒れている」

「寝ぼけてる?」

「寝ぼけてはいない、確かに今目の前に、人が」

「ここがまだ夢の中だって可能性は考えなかったの」

「確かに、それはありえる」

「まあ、違うんだけれどね」

「いやしかし、ここが本当にまだ夢の世界なのだとしたら、君の言った今の言葉は信頼性を失う」

「めんど」

「冗談だ、とにかく来てくれ」

「わかった、すぐ帰る」

由起子が帰ってくる間に、自分は何故机に突っ伏して寝ていたのか思い出すことにした。

物事を自主的に思い出すという行為は、日高が最も苦手とする行為のひとつである。

まず、頭の中に蠢いている雑念やらなんやらを一度脇に寄せ、記憶のタンスの前に立つ。そのあとに記憶を手探りで捜す。引き出しを探し当てるんだ。

いつも通り、タンスに手を伸ばすが、いつもとは違うことがあった。

取っ手が、無い。

引き出しを開けようにも、取っ手が見当たらないのである。

記憶に穴が開いている。

思い出すとか出せないとか、そういったいつもの感覚とは少し違うものを感じた。

初めての感覚だった。脳みその一部をプリンのようにスプーンでごっそりとくりぬかれるような感覚で気持ちが悪い。

憶えている最後の記憶といえば、いつも通り夜に布団を被ったところまでだ。

寝ている間に、あまりにも寝相が悪いせいか、いつの間にか椅子に座っていた、なんて馬鹿な話があるとは思えない。

だとしたら、寝ぼけていたのか。

しかしながら、寝ぼけていた時の行動とは、何かしらの意味を持っている。

例えば、日高が学生の頃、休日の夕方5時に昼寝から目覚めた私は、寝ぼけた頭で唐突に制服に着替え始めてしまった。

その行動は、寝起き=学校というイメージが強く脳に焼き付いている。ということと、時計の針が「5」を刺していることにより、朝だと勘違いしてしまっていたことによる。

つまり、きちんとした理由により、「休日の夕方に制服に着替える」という事象が発生しているのである。

今回の場合、なぜ椅子に座っていたのか。

日高は考えてみようとする。

んなもん、分かるか。

結局、その時は思い出すことが出来なかった。

「なあ由紀子」

「何よ」

「僕は今日、朝から何してた?」

「何って、今日は学校ないから、一日中にいるっていってたじゃない、それから、今日はお客さんがここに来るから、何時に帰ってくるか教えてくれって朝、私が学校行くときに聞いてきたよ」

「全く覚えてない」

「憶えてないの?本当に?これまた何で」

「わからない。夜、普通にここで寝たとこまで憶えてるんだけど」

「その寝た日ってのは、昨日?」

「、、、わからない」

「じゃあ、その日、最後に憶えてる日、あんたは何やった?」

「確か、まだ家が焼けてから間もないから」

「え、ちょっとまって、あんたの中で、本館が焼けたのって、何日前」

「3日前だけど」

「それだ」

「それだ?」

「あんたさっきもそれ言ってたけどさ、家が燃えたのってもう二週間も前だよ。記憶力の悪いあんたと言えど、さすがにそこまでの記憶違いはありえない」

「と、いうことは」

「つまりは、日高の記憶が11日間完全に抜け落ちている」

もしこれがテレビドラマならば、ここで日高の困惑した顔のアップからのCMが飛んでくるに違いない。





「記憶が飛んでしまう原因としては、頭部への強い衝撃、または大きなトラウマになるほどの精神的ダメージを受けた時。ほとんどがこの二つのうちどちらか。または、遊園地に行ったら全身黒い服を着た男に無理やり変な薬飲まされたりするとかじゃなければ」

「最後のは冗談か」

「もちろんそうよ」

「でも僕、体のどこにも痛みはないし、だとしたら後者の方か」

「黒ずくめ?」

「違うよ」

「そうね、今のところ考えられる筋書きとしては、まずあんたが言ってたお客さんてのは、この死体もしくは犯人で、あなたはなぜかは分らないが、殺人現場を目の前で目の当たりにした。そのあまりの残虐性と、当事者が知り合いだったことも相まって、あんたは相当な精神的ショックを受けた。それであんたは気絶し、過去7日間の記憶が飛んでしまった。どう?」

ありえる。日高は思った。筋も通っている。自分はさっきから探偵ぶっていたが、これまで一度も殺人現場を見たことがなかったのだから、もし仮に人が目の前で刺されるなんてことがあったら、記憶が飛ぶのもありえない話ではない。

もしかして、

日高の頭にある可能性がよぎる

由起子が犯人、なんてことはないよな。

あり得ない、と否定する右脳と、可能性としては一理ある、と肯定する左脳で意見が対立する。

一度、左脳に耳を貸してみる。

もし仮に、由紀子が犯人だとすると、どのような可能性が考えられるか。

由起子という人間は、めったに人に怒りをあらわにする者ではない。

もし何かしらに怒りの感情をぶつけているとすれば、それにはほとんどの場合日高が絡んでいる。

そう考えると、自分がらみでなおかつ由紀子が殺人をするほどの怒りを感じている。となれば答えは一つである。

浮気だ。

「浮気」とは、行きつけの美容室ではなく今日はちょっと違う場所にある美容室に行ってみようかな。とかいうそういうものではなくて、そうではなくて本当の、本物の男女の浮気のことである。

そもそも、一夫一妻制が絶対的な人間のルールかといえば、それは間違っている。

チンパンジーは一匹のオスに付き複数のメスで行動をすると聞いたことがある。

人類でも、一夫多妻制を認めている民族は、そうでない民族よりも多いらしい。

そう考えると、必ずしも「浮気」という行為自体が悪だと断定してしまうのは明らかに脳がないのではないか。

と、仮に由紀子に言ったとしても、だからどうしたと返されるだけだろう。

第一に、僕は浮気をした記憶なんかない。

だが今の日高にとって、記憶とは最も信用できないもののひとつとなってしまっている。

もしここ約二週間の間に、知らない女性と私が間違いを犯してしまうなんてことがあった可能性はある。

そうだ、そうすると記憶を消した理由も納得ができる。

僕が自分を裏切って間違いを犯してしまうほどに、日高を魅了してしまう女性なんぞ、記憶から抹消してしまえ、なんならその女性も抹消してしまえ!

となると、家を燃やしたのも由紀子の可能性が出てきた。

隣人のあの妖艶な雰囲気を漂わせたあの女性は、もしかすると日高を魅了させてしまうかもしれない。それならば家を燃やしてあのプレハブ小屋に住まわせよう、そうすればあの女性と会う機会も少なくなるだろう。

そうしてプレハブ小屋に住み始めてから日がたったある日、日高がその女性とひっそりと会っていることが発覚!これは許せない。

と、いうことで記憶を消してその女もついでに、、、

いや、今ここに死んでいるのは他でもない、中年の男性ではないか。

まさか、僕が同性愛に目覚めていたということか。

隣人のあの妖艶な雰囲気を漂わせたあ中年の男性は、きっと日高を魅了させてしまうだろう。それならば家を燃やしてあのプレハブ小屋に住まわせよう、そうすればあの男性と会う機会も少なくなるだろう。

そうしてプレハブ小屋に住み始めてから日がたったある日、日高がその中年の男性とひっそりと会っていることが発覚!これは許せない。

と、いうことで記憶を消してその中年の男性もついでに、、、

ないな。

右脳と左脳の意見が一致した瞬間であった。

蒙古の可能性について考えるのは一度、やめよう。

「聞いてる?」

「ああ、由紀子、もしお前の仮説が正しいとして、いったいどうして犯人は殺人現場を目撃した僕を殺さなかったんだ?こんな狭い部屋なんだから、まさか俺がいることに気づかないわけがないし」

「そうね、、、」

由紀子は顎を触り、考えを巡らせるような動きをする。

「例えば、あなたが確実に気絶するという確信があったとか」

「例えばどんな」

「例えば、事前に何かしら精神的に作用する薬とか、海馬に必要以上に強い刺激を与えやすくする薬を投与しておくとか」

「いやしかし、『しやすくなる』だけじゃあ確信は持てないだろ。だったら、もっと簡単に、『記憶を消してしまう薬』とか」

「そんな都合のいい薬がこの世に存在するとお思いで?」

「いや、ないわね」

「だろ、あったとしても何でその殺人犯なんかが私たちも知らない薬を入手できるのよ」

「そりゃあ裏ルートとかあるんじゃない」

「無いだろ。マリオじゃないんだから」

「だよね」

ここまで話して、日高はどうも、変な違和感を感じた。変な違和感というのは、日本語的におかしいのかもしれないが、とにかく、変で、どことなく違和感があった。

何かまだ、可能性があるのでは。

よし、ここは主人公が記憶をなくしちゃった系ミステリーの王道を責めてみようか。

「なあ由紀子、犯人は本当にいたのか」

「何が言いたいの」

「もしかして」

「うん」

「僕が犯人なんてことないよな」






由紀子

「もしかして、僕が犯人なんてことないよな」

まさか。

「だってさ、そもそも僕に見せつけるようなこんな狭い場所で殺して、なおかつそれを忘れさせるためにわざわざ下準備までして」

確かに、人を殺したいのならわざわざ面倒なことはせずに、他の場所で殺せばいい。

「まるで面倒だ」

「そう考えると、僕が犯人ならつじつまが合う。僕がそこに倒れているその人を殺したと考えるのが自然だ」

有り得ない。由紀子は到底信じられない。日高は人に手をかけることなんてできない。そんな勇気を彼は持ち合わせていない。絶対に違う。

「なら、どうしてあんたは気絶して、記憶まで失っていたのよ」

「わからん」

彼はそう言ってから「僕もトイレ行ってくる」と部屋を出た。

由紀子は日高がトイレに出ている間、日高が真犯人である可能性を考える。

日高の話、辻妻は一応あっている。だが何故日高の記憶がなくなったのか。それは判明していない。無理やりストーリーを作るのであれば、例えばこんなものである。由紀子は想像を膨らませる。

殺人とは関係のない第三者が、この二号館にある日高の何かしらの発明品が、世界を揺るがすほど危険な兵器であると何かしらの方法で気づき、その発明品を狙っていた。そして何度か二人が二号館を開けている間、有って無いようなセキュリティをかいくぐり、この二号館のどこにそれがあるのか探っていた。が、まさかトイレ本体がそれと気づかなかったのか、どれだけ探しても見つからなかった。腹に据えかねた犯人は、日高を脅してその発明品、タイムマシンの置き場所を直接聞きだそうとした。脅しのタネはもちろん、由紀子である。計画通り、二号館と二人が呼んでいるプレハブ小屋に、日高だけがいる時間帯を狙って侵入したはいいが、ここで思わぬ事態が発生した。人が死んでいた。しかも殺人犯は今、自分が脅そうとしていたこの日高らしい。予想だにしていなかった事態に、犯人は焦った。ここで日高を脅そうもんなら自分が返り討ちにあってしまうかもしれない。しかしもう日高に姿は見られてしまった。凶器を持った日高がこちらに歩いてくる。

いや、まて。

由紀子はここでおかしな点に気づく。

ここに凶器はない。

死体の腹に刃物は刺さっていなかった。

と、いうことは日高が殺人を犯したという線は薄くなる。そもそも、この二号館に包丁などない。もし日高が計画的に人を殺そうとするのであれば、日高も持っている、拳銃を使えばいいだけである。その方が確実だ。

つまり、日高は無実だ。

由紀子はこう自分で結論づけた。それは半分由紀子の願いでもあった。

日高がトイレから帰ってきた。

「ずいぶん早いわね」

「男は本気急ごうと思ったらトイレなんて20秒で出られるんだよ」

「その情報要らないな」

しばらくの間、日高は何か、考え事をしているようだった。沈黙が続く。眉間にしわをよせ、厳しい顔つきになり、死体を見ながら何か重大なことを考えているように見えた

そこまで急に真剣になる事でもあったのだろうか。

由紀子は話しかけてみる。

「何でトイレを急いだの」

日高が顔を上げる。

「僕がいない間に、死体が全部片付いていたらいやだしな」

「そんなことしないわよ、第一、触れない」

「本当か、由紀子はゴキブリも楽々素手で捕まえるじゃないの」

「虫と死体は違うでしょうに、それを触れるからと言って、なんでも触れると思ったら大間違いよ」

「本当に?」

「本当ですね、蜘蛛とか絶対に無理ですわ」

「それは分からんでもない、大体八本も足要らないだろうに」

「あれじゃない、最悪足食えるためとか」

「発想が大分気持ち悪いの気付いてるかお前」

「でもさ、タコってストレスで自分の足を食うらしいよ」

「いやさ、それはタコじゃん、蜘蛛は脚細いから腹にたまらなさすぎるだろ」

「だから、タコは腹減ってるから食べるんじゃなくて、ストレスが」

「何の話これ」

「何の話してたんだっけさっきから」

「そうだ、ゴキブリだ、?ゴキブリを」

「そんなに思い出したように急にその名を口にしないでよ。私だって触りたくはないんだから」

由紀子は耳を塞ぐ。触りたくて触る人は、この世の中でも数少ない人種だろう。

「急に思い出したんだからしょうがない」

「なら許す」

「今思ったんだが、ゴキブリって名前も悪いよな。ゴキブリって名前の中に」

「だから」

「すまん、やっぱり『ゴキ』と『ブリ』の組み合わせが最悪なんだろうな」「今すぐにでももっとクリーンな名前に変更すべきだ。世の中大事なのは、イメージだからな」

「例えばどんな」

日高は左手で左頬を触り、その指で、髪で隠れた耳あたりを触り、首をかしげて「考えてます」アピールをしてくる。顔が腹立つなあ。

「『走馬燈』とか」

どこから出てきたんだその名前は

「あのさ、じゃあGの名前を『走馬燈』に変更したとしたら、そしたら『走馬燈』って響きがまた気持ち悪く聞こえるわよ」

「違うな」

「どこが違うの」

「いいか、虫でもなんでも、名前のイメージというのは非常に大きい役割を果たすんだ。例えば昔、モイスチャーティシュというものがあった。」

「そうなのね」

「モイスチャーってのは「潤い」とかそんな意味だな。つまりは潤っていてしっとりとした感触の肌に優しいティシュを名前で伝えたかった。だが単語を知らない人にとってはどんなティシュかわからないし、知っていたとしても、ウエットティッシュと間違えられてしまうケースも多く、売れ行きは芳しくなかった。だがその商品の名前をあるものにすると途端に売り上げが数倍になったとさ。その商品てのが」

由紀子は答えに気が付いた。

「鼻セレブね」

「正解だ、由紀子」

日高は今日一番の笑顔を見せる。

「そう、鼻セレブだ。この名前の方が、高級感があって、なおかつ名前のインパクトも強い。ゴロもよかったんだろうな。覚えやすい。そんなわけで、鼻セレブは人気商品となった」

「つまり、同じものでも、名前を変えるだけでイメージは大きく変わるってことでしょ」

「そういうことだ。だから、その例の虫も、もっと清らかな名前にすればいい」

「だからさ、Gに関しては名前以前にどうあがいても気持ち悪いものは気持ち悪いんだから仕方ないでしょ」

日高が撃たれた。

私をかばって撃たれた。

なに、これ。

日高が痙攣ひとつ起こさず膝から崩れ落ち、元からある死体の上に重なり、床の血を塗り替える。流れ出るものは、床の上にこびり付く赤の他人の血よりも赤く、反転色世界における天使の羽のように黒く、どこまでも澄んだ血だ。

一瞬にして虚無の理へと消えていった日高の命を、由紀子はただ茫然とみているだけだった。

なに、これ。

なに、これ。

なに、これ。

あれ?

人が倒れた。日高とは違う、別の誰か。

見ると、ツナギを着た人間が倒れている。心臓に穴が開いている。どうやら自分で心臓を撃ったらしい。日高を撃った後で。

そいつはヘルメットをかぶり、顔は見えない。

この顔もわからない人間に、日高は殺された?

そんなわけがない。

まさか、日高が死ぬ?

有り得ない。

殺人事件に巻き込まれるわけがない。

私たちは普通の、どこにでもいる大学院生で、普通にこれまで暮らしてきたんだ。

ニュースに乗る事件の被害者になるはずがない。

有り得ない。

こうして日高と二人きりで、永遠に時が過ぎるに決まっている。

永遠に。

こんなことがあるはずがない。

あれ?

なに、これ。





日高

早々にトイレを切り上げ、トイレから戻ってくる。

由紀子が話しかけてきた。

「何でトイレを急いだの」

「そりゃあ僕がいない間に、死体が全部片付いていたらいやなんだよ」

「そんなことしないわよ、第一、触れない」

「本当か、由紀子はゴキブリも楽々素手で捕まえるじゃないの」

「虫と死体は違うでしょうに、それを触れるからと言って、なんでも触れると思ったら大間違いよ」

「本当に?」

「本当ですね、蜘蛛とか絶対に無理ですわ」

「それは分からんでもない、大体八本も足要らないだろうに」

「あれじゃない、最悪足食えるためとか」

「発想が大分気持ち悪いの気付いてるかお前」

「でもさ、タコってストレスで自分の足を食うらしいよ」

「いやさ、それはタコじゃん、蜘蛛は脚細いから腹にたまらなさすぎるだろ」

「だから、タコは腹減ってるから食べるんじゃなくて、ストレスが」

「何の話これ」

「何の話してたんだっけさっきから」

「そうだ、ゴキブリだ、?ゴキブリを」

「そんなに思い出したように急にその名を口にしないでよ。私だって触りたくはないんだから」

由紀子は耳を塞ぐ。

「急に思い出したんだからしょうがない」

「なら許す」

「今思ったんだが、ゴキブリって名前も悪いよな。ゴキブリって名前の中に」

「だから」

「すまん、やっぱり『ゴキ』と『ブリ』の組み合わせが最悪なんだろうな」「今すぐにでももっとクリーンな名前に変更すべきだ。世の中大事なのは、イメージだからな」

「例えばどんな」

日高は考える。平凡な名前ではいけない。自分が言った手前、なにかこう、インパクトがありつつ、なおかつ優しい発音で、由紀子の予想もできない言葉のほうがいい。

「『走馬燈』とか」

今由紀子に、「どこから出てきたんだその名前は」とか思われてるんだろうな。日高は由紀子の顔を見て察する。

「あのさ、じゃあGの名前を『走馬燈』に変更したとしたら、そしたら『走馬燈』って響きがまた気持ち悪く聞こえるわよ」

「違うな」

「どこが違うの」

「いいか、虫でもなんでも、名前のイメージというのは非常に大きい役割を果たすんだ。例えば昔、モイスチャーティシュというものがあった。」

「そうなのね」

「モイスチャーってのは「潤い」とかそんな意味だな。つまりは潤っていてしっとりとした感触の肌に優しいティシュを名前で伝えたかった。だが単語を知らない人にとってはどんなティシュかわからないし、知っていたとしても、ウエットティッシュと間違えられてしまうケースも多く、売れ行きは芳しくなかった。だがその商品の名前をあるものにすると途端に売り上げが数倍になったとさ。その商品てのが」

由紀子は答えに気が付いたようで。顔がぱっと明るくなる。

「鼻セレブね」

「正解だ、由紀子」

由紀子は今日一番の笑顔を見せる。それはなんというか、とてもかわいい。

「そう、鼻セレブだ。この名前の方が、高級感があって、なおかつ名前のインパクトも強い。ゴロもよかったんだろうな。覚えやすい。そんなわけで、鼻セレブは人気商品となった」

「つまり、同じものでも、名前を変えるだけでイメージは大きく変わるってことでしょ」

「そういうことだ。だから、その例の虫も、もっと清らかな名前にすればいい」

「だからさ、Gに関しては名前以前にどうあがいても気持ち悪いものは気持ち悪いんだから仕方ないでしょ」

由紀子が撃たれた。

え?

銃弾が貫通した由紀子の頭部からは、これ以上にないというほど血液のような、赤黒いドロドロとした液体状の物が、鼻につく鉄の匂いを二号館に充満させながら湧き出てくる。むろんそれが血液だろうとの予測はつく。由紀子も日高と同じ人間であることは間違いなく、さらには生命を維持せるために人間の中を循環しているものはと聞かれれば、それは血液ですと答えることはできるが、今由紀子からあふれているものが果たして本当にそれなのかは確かめようもない。が、可能性は低いように見える。なぜならもし今流れている浴槽いっぱいになるほどの『血』が本当に由紀子の生命維持活動に必要不可欠のものであるならば、由紀子はもう死ぬ。もしくはもう既に死んでいるはずだ。そんなはずがない。

『由紀子が死ぬはずがない。』

人が殺されることなんてのは小説やテレビドラマのなかだけのものであるはずだ。だがニュースで流れているように、この日本のどこかでその事件が行われていることは知っている。だが『僕』と『由紀子』がその状態になるはずがない。こんな確率はありえない。

誰しも、宝くじを買う時にも、本当に自分が当たるとは思っていない。それで実質。当たる事なんてありえない。宝くじの一等なんて、絶対に当たらない。

だから由紀子が死ぬなんて、有り得ない。この間も、家が燃やされたというのに。

由紀子が倒れた。その動作には一寸ばかりの人間らしさがなく、並べられた積み木をいびで押すのと何も変わらない動きで由紀子は倒れた。

人がいた。ツナギを着た人。着ているツナギはおそらく、いつの間にか部屋から失くなっていた、あの灰色ツナギだ。

人間は黒い棒状のなにかを持って、そこに立ち尽くしている。そいつ自身も茫然としているようである。

日高は瞬時に身をひるがえし、後ろの棚を開け、拳銃を取り出す。

殺したくない。日高は歯を食いしばる。耳鳴りをすりつぶすように、強く、噛む。耳鳴りが強くなる。

日高は今、目の前にいる人間を、撃ち殺したかった。だが、そのあとのことを考え、日高は絶望する。

もう、殺せない。

由紀子を殺した人間を、自分が一度、撃ち殺したところで気が済むはずがない。だが、そいつはもう殺せない。

どうあがこうが、殺したら殺せない。こんな不条理なことがあっていいものか

そいつが動いた。自らの心臓に、銃らしきものをあてる。自殺するのか。

「撃つな!」

銃を向けなおす。銃を使って自殺する人間に銃で脅すという行為に意味があるのかどうか定かではないが、そいつの動きは止まる。

こいつは一体全体誰だ?

僕と由紀子が何をした?

殺すまでのことをやったか?もしくは、なにか奪いに来たのか、だがここには何もない、僕の作ったどうしようもないガラクタと、それに伴うゴミばかりだ。まさか。

まさか、あれを奪いに来たのか。

日高はトイレにあるものを思い出す。

タイムマシンだ。

しかし、これを作ったことは誰にも話した記憶はないし、ましてや由紀子はこのことをだれにも話したりはしないだろう。

となると、可能性は絞られる。

俺が「記憶している」中で、誰にも話していないということは、僕の消えた11日間のうちに、誰かにタイムマシンのことを話し、そいつもしくはそいつから得た情報をもとにここに来て、今この状態になっているということだ。ということは、僕の記憶を奪ったのは、「タイムマシンのことを誰かに話してしまった」という事実を忘れさせ、警戒させないようにするためか。ならば。

なぜ由紀子を撃った。

お前は、誰だ。名前でも聞いてみるしかない。

「お前、名前は」

何も答えない。偽名でも考えているのか。

「お前、名前は」

「由紀子」

撃った。

人間が認識できない速度で突如額に穴が開くということは、痛みを感じる暇もなく死ぬ、ということだろう。

できれば包丁で肺をくりぬいて口の中に押し込んであげたい。

こいつは幸せ者だ。

人間は例え心臓をえぐり取られたとしても、十数秒は生きていられるという。

そしてその間、地獄のような苦しみを味わい、死ぬ直前に人生で一番大量の快楽物質が脳内で分泌されるという。

心臓を撃たれた由紀子は、どのような気分だったのだろうか。

しばらくは脳みそをトラクターで踏みつぶされるような、痛みとも幻覚とも見分けのつかない感覚が駆け巡り、その後急激な快感が全身を襲う。それは死と引き換えに感じる最高潮の快楽である。

突然に襲ってくるそれらを感じながら、自分はもう死ぬという恐怖を消化する暇もなく永遠の眠りに堕ちて行く。

しかし奴はそれらを一切感じることもなく、無の一部となる。

気が付くと奴は倒れていた。

頭からは由紀子と同じ色の液体が流れ出る。実に忌々しい。何故由紀子と同じものが流れているのだろうか。せめてこいつの血が緑色なら、まだ心の整理が出来たのかもしれない。あぁ、僕とこいつでは、生命学的に全く違うのだと。だがこいつは由紀子と同じ人間で、さらに自分を由紀子と名乗る。何故だ。とっさの偽名が思い付かなかったのか。それとも偶然同じ名前なのか。まさか僕を混乱させようとしてか。なんにせよ、その名を汚す行為は断じて許されるものではない。

日高は倒れたそいつに警戒しつつ近づく。

その顔を拝んでやる。由紀子を。由紀子の夢を。そして由紀子としか叶えられない俺の夢を殺したそいつ顔を拝んでやろう。

日高はしゃがみ、かぶっていたヘルメットに手をかける。そして、引き抜いた。





由紀子

目が覚める。

ここで由紀子が、きっと言えると信じていた、言いたいと願っていた言葉は次のものである。

「なんだ、夢オチか」

だが現状、その言葉は単なる虚言でしかない。

起き上がるとそこには、3つの死体が転がっている。由紀子はまた気絶しそうになる。

私は、、、

そうか、私は気絶していたのか。

そして再び死体を目にする。日高が殺されたことを思い出し、えずいた。

落ち着いた後、由紀子はまた、倒れた死体を見る。強烈なにおいを放つ肉片3つの中から、ツナギを着た死体に近づく。ヘルメットを外し、犯人の顔をよく見てやろうと思い立ったからである。

由紀子は鼻を手で覆い、死体の近くにしゃがむ。そして鼻から手を放し、両手でその大きめのヘルメットを外した。

私がいた。



「いた」という表現が、死人にも当てはまるのかは定かではないが、とにかく、ヘルメットをとったら、私がいた。

瞳孔が開く。自分でも開いたと分かるほど、由紀子はその顔をみつめる。

まさか、変装でしょ。

由紀子はその顔の頬をつねる。乾いた液体のりをはがすように、薄い皮が剥がれて本当の顔が露になる。ことを期待したが、由紀子の指は、ただ、まだ生暖かい死体の顔をつねっている。自分の顔をつねっているのかと錯覚するほど似ている顔の人間を。

これは、単なる偶然なのだろうか。恋人を人間が、偶然にも私と全く同じ顔をしている確率は、いったいいくらくらいなのだろうか。世界には、自分と同じ顔の人間が少なからず3人はいると聞いたことがあるが、それは昔の話なのだろうか。よく考えれば、同じ顔

というのであれば、少なくとも同じ、もしくは近隣の国の人間でなければならないだろう。ということは、世界で三人、というが、実質アジアで3人ということである。その貴重な3、昔その話を聞いたとき、じゃあ一度、自分を含めた4人全員で集まって、遊んでみたいなあとか考えたことがある。その頃の自分に教えてあげたい。その3人のうちの誰かが、あなたの未来の恋人を殺しに来ますよ。そういえば、彼女はもう鏡を見るのも怖くなってきてしまうかもしれない。

いや、

違う、こいつはもしかして「私とよく似た人間」などではないのかもしれない。

「私」だ。

しかも「未来の私」だ。

おそらく、あのタイムマシンを使って未来からやってきたのだろう。だが、今目の前にある、私のような顔をした私。近い将来、自分が過去の自分を殺す決意をするということか。

何らかの問題が発生し、過去の自分を殺さねばならない事態がやってきてしまうということなのだろうか。

過去へ行って自分を殺すとどうなるの?由紀子は以前日高に質問したことがある。



「それを教えるにあたって、ある前提条件を由紀子に教えなければいけない」

「いいよ、教えて」

「まず、この世界、この宇宙は自然の法則によって成り立っている。物体は3次元空間の中を自由に動き、乱れることのない時間軸が、それを支えていると言える。自然の法則とは、例えば解の公式のようなもので、そこに様々な数字や記号を入れることで、無限の解が導き出される。僕や由紀子、草木や水、酸素もすべてだ。全ては人類がまだ解明できていない大自然の法則によって、この宇宙は成り立っているんだ。」

「なるほど」

「それでは由紀子、過去へ言って自分を殺したとしたら、パラドックスが生まれることになるっていうのは、わかるよな」

「うん、過去の自分を殺したら、殺した側の自分は存在しいるはずがなくて、パラドックスが生まれるんでしょ」

「そうだ。パラドックス、言い換えれば矛盾が発生する。もし仮に神がいたとして、自然の法則に従ってス進んできた事象に、有り得ない解が突然生まれたしまったら。その時、神はどうする」

「消しゴムで消す」

「その通りだ。矛盾が生まれてしまったら、その式はもう使えない。何かが間違っているんだ。オールデリートするしかない。」

「つまり、もし過去の自分を殺してしまったら」

由紀子は既に分かっていることを質問する。日高は、世界をひっくり返せる機械を作ってしまった。いや、ひっくり返すならいくらでもやってくれ。しかし、使いようによっては。

「この宇宙は一瞬にして、消える」



未来の自分は、この宇宙を消してしまおうと思ったのだろうか、正確には、消してしまおうと思うのだろうか。私は。

どちらにせよ、今ここで私が撃たれておけばよかった。

日高がいなくなった世界で、私はどうして生きられようか。いや、無い。

死ぬか。

今ここで日高を撃ったもので私を撃てば、それだけで私は死ぬ。

昔から思っていた。日高が死んだら、すぐに私も後を追おう。だが現実にそれが起こると、人は簡単に死を選べないものだと実感する。生命体として、生き続けることができるなら、人は、自分から命を絶ったりはしない。ましてや、生きる希望にあふれている人間は、絶対に死ぬわけにはいかないと強く思う。日高もそうだった。これから、私と一緒に永遠に暮らすはずだった。日高にも、叶えたい夢があったという。最後の最後まで、それは教えてくれなかった。

「人に言うのは、ちょっと恥ずかしいからな。僕の夢は」

「えーなんでよ、私は日高の中では他人ていう認識なの?いいじゃない」

「いや、由紀子だと余計恥ずかしい」「普通の人には、理解されにくいものだからな」

「何それ、アブノーマルな?」

「その言い方やめろ。まあノーマルなものではないが」

「いいじゃない、教えてよ」

「だめだ」

「教えてよ」

「だめだ」

「教えよ」

「だめだ」

教えてよ。日高。

由紀子は、泣いた。これが本当に泣くことなんだと、思いながら泣く。

いくら泣いても、日高はもう戻ってこないのに。心ではそう冷静につぶやくが、体は容赦なく雨を降らせてやまない。

こうなるのであれば、初めから日高に出会わなければよかった。もし過去を変えられるなら、

いや、そうだ。この女と同じことをすればいい。

うちには、タイムマシンがあるじゃないか。

由紀子は顔を上げる。

私も、戻ろう。過去に、日高がまだ死ぬ前の時間に戻って、未来の自分の、宇宙全体を泣きこんだ自殺を止める。

やろう。どうせこのままいてもいずれ私は死ぬ。それなら、多少危険でも、挑戦するしかないだろう。

こんな世界は、何の意味もないのだから。

由紀子は、日高近づき、顔を触る。すでに冷たくなり始めている。

左耳のあたりを触ったところで、何か固いものに触れる。

イヤホンだ。

ワイヤレスイヤホンが、日高の耳に装着されていた。

右耳を確認したが、そちら側にはついていなかった。

しかしなぜ、イヤホンが。

何を聞いていたのだろうか。わからない。後で全てが解決したら、その時に聞こう。

由紀子はもう一度、倒れた自分に近づき、ツナギを脱がせ、ヘルメットも取り、それから手に持っていた黒い棒をとり上げる。

手のひらサイズの黒い棒は、表面に複数の凹凸があり、一見するとボールペンにも見えなくもない。

日高の発明品だった。

文房具型拳銃。

由紀子は日高との会話を思い出す。

「いいか由紀子、これは一見ただのボールペンだが」

「あんまりボールペンには見えないなあ」「先端はボールペンに見えなくもないけど」

「この横にあるでっぱり、これを押すと、一般的な拳銃とほぼ同じくらいのスピードで、先端から小型の弾丸が飛び出す」

「危ないな」

「ちなみに、ロック機能はない」

「さらに危ないな」

「一応、尻の部分を押すと、ボールペンとしても使える。が」

「が?」

「書き心地は最悪だ」

「そいつは最悪だ」


ツナギを着て、ヘルメットをかぶり、立ち上がる。こうすれば未来の自分も全く同じ服を着ているのだから、混乱し、その隙に腕や足を撃ち抜き、動けなくする。これしかない。

由紀子はトイレへ足を踏み出す。

タイムパラドックスは、宇宙を消す。

日高の言葉を再び思い出す。そうはさせない。宇宙を。私と日高だけの宇宙を、守る。

トイレのドアを開け、中に入り、閉める。

鍵に手をかける。もう戻れない。私は、タイムパトロールだ。

左に回す。心なしか、いつもの右に回すのよりも少し固い気がした。

ヴーン

トイレの壁の中から、パソコンを起動するような機械音が聞こえる。

もう、始まっているのだろうか。

トイレにはもちろん窓なんてものはついておらず、由紀子は不安に駆られつつ、腕時計を見る。

大体、15分前くらいだろうか。日高が撃たれたのは。同じ時間だけここで過ごし、外に出る。そうすれば、日高の殺される前に戻れる。だが、撃たれる瞬間に戻ったところで意味がない。もっと前に戻り、事前に阻止しなければならない。ということで、25分ほど前に戻ろう。

焦る必要はないんだ。焦るという行為は、時間に縛られた人間のみが感じるもので、今自分は、時間というものを超越している。

焦る必要はないんだ。

由紀子の足は、震えている。



ロックを外し、音をたてないように外に出る。

耳を澄ませるが,自分と日高の会話は聞こえない。おそらく、日高がトイレから帰ってきた後、しばらく考え込んでいるところだろう。危ないところだった。もしもう少し早い時間に戻っていたら、トイレの近くで日高と鉢合わせをしてしまっていた。

この二号館は、トイレから出たらすぐにあの部屋。というわけではなく、無駄に長いL字に曲がった廊下を抜けた先にあり、トイレを出てすぐ右に、外へと続くドアがある。プレハブ小屋だから、当然玄関などない。

そういえば、何故未来の私は、自ら命を絶とうと思ったのだろうか。

過去の自分を間違えて殺し、身代わりになった日高が死んでしまった。作戦失敗だ。それなら、もう一度過去に戻り、今度こそ間違えないように自分を撃つ。それではだめなのだろうか。

考えられる可能性としては、実際もう、何度もこの作戦を繰り返し、何度も同じ結果となってしまったのかもしれない。どれほど繰り返そうが、日高を撃ってしまう。そうなれば、いつか由紀子の精神は狂い。過去の自分ではなく、本当に自分自身を撃ってしまうというのは、ありえない話ではない。

そもそも、なぜ未来の私は、過去の自分を殺そうと思い立ったのだろうか。

過去の自分を殺すということになれば、つまりは世界を、宇宙を殺すことになる。何故だ。

考えられるもののなかで、最も現実的なのは、日高に関することだろう。

例えば、浮気などがそれに値するだろう。もし交通事故などで日高が死んでしまったとしても、それはタイムマシンをつかって阻止することができる。わざわざ長い時間タイムマシンに乗ってまで宇宙規模の自殺する必要はない。が、浮気なら、過去をどうこう変えたところでそれは日高の心の問題だ。自分にできることは何もない。だから未来の私は、どうせなら全生命体を巻き込んだ自殺をしてしまおうという考えに至ったのかもしれない。こう考えれば、一応辻褄は合う。

もうすぐ日高が殺される時間だ。しかし犯人の姿らしき人は見えない。

これでは、この私が犯人のようではないか。

「その時」が来るまでじっと部屋の外でツナギをきてヘルメットをかぶり、銃を持って待っている。

由紀子は全身に鳥肌が立つのを感じる。

まさか、本当にそうなのか。

もともと犯人はプレハブ小屋内にいたとしたら。

私の姿格好は、完全にあの犯人と同じである。

このまま日高を殺しに行けば、さっきと状況は全く同じである。

ということは、そもそも近い未来、自分を殺しに行かねばならない事故やら不倫やらになるなんて話はもともと無く、さっき日高を殺した私のような私は、それよりたった数分前の私で、全く同じように日高を撃たれ、それを阻止するために過去に戻ってきた私なのかもしれない。

「ループしている?」

何処かの時間の私が、少し過去に戻って自分を撃とうとして日高を撃ってしまう。

↓それを見た私が、日高を助けるために過去に戻る。

↓日高を助けるつもりの私が、いくら待っても犯人が現れない。

今ここだ。

↓なぜか、自分を殺そうと思い立つ。そしてまた、間違えて日高を撃ってしまう

以下繰り返し。

この状態になっているのではないか。

もしそうだとしたら、疑問点がひとつある。

何故私は、今この状態から、過去の自分を殺そうと思い立つのか。

分からない。相変わらず犯人は、来ない。

もう来るこことは無いようである。もしこの無限ループに気づいたのが、この私で初めてなのだとしたら、そこから抜け出すことが、おそらく出来るに違いない。

とりあえず、ここにいるとこの時間の自分と鉢合わせしてしまう可能性がある。もとの時間に、一旦、戻ろう。

トイレの方に足を踏み出す。

全身が凍り付くような恐怖を感じる。

戻れない。

タイムマシンは、過去に戻れても、未来には行けないのだ。

日高を助けることに必死で、そのことについては完全に頭から飛んでいた。

では私は、どうなる?

このまま、永遠にこの時代に、二人の由紀子は存在し、しかも私は二人に会うことを許されない。

いやだ。

日高は死なない。だが日高はもう一人の自分と永遠に、幸せに暮らす自分はそれを陰から永遠に見つめることしかできないのか。私は、日高を助けようとしたのに、それなのになぜ、私ではない私に奪われてしまうのか。

許せない。

これでは、浮気と大差ないではないか。それよりももっとひどい。日高は悪くない。その時代の自分も悪くない。では一体、誰を責めればいいのか。実際、誰のことも責めることはできないのか。なぜこんな事態になった。何故自分はループを繰り返している?

始まりはどこだ。それとも、はじまりなんてものは初めから存在せず、メビウスの輪のように、存在しないゴールを求めて回り続けるのか。卵が先か、鶏が先か。

由紀子はぼんやりと、ぼんやりと部屋に向かう。由紀子と日高の、喧嘩しているような、でも最高に楽しそうな会話がただ耳に入り、鼓膜を振動させ、聴神経が科学信号に変換し、脳に伝わる。それをただぼんやり、ぼんやりと感じる。

もう考えることに疲れてしまった。今日はもう、頭を使いすぎた。

もう、いいや、どうせ自分に未来はない。そこにいるもう一人の自分にはあるが、自分にはない。

なら、殺す。

好きな人が、ただ幸せになってくれれば、それだけでいいのだ。なんて言えるほど、由紀子はお人好しではない。好きな人には、ただ、テレビや小説によく出てくる、「愛」だとか「恋」だとか、そんな架空上の非科学的なものを求めているわけではない。

ただ、私のそばで微笑んでよ。日高。

二人の部屋のドアを開ける。会話に夢中なのか、開いたことに気づかない。

銃をゆっくりと、ゆっくりと、日高と会話する由紀子の頭に向ける。

こいつを殺し、宇宙を殺す。消す。

日高のいない世界なんて、耐えられない。由紀子はそう思っていた。

だがそれは違った。

日高が、私の物じゃないなんて、耐えられない。

それなら、宇宙ごと、全部全部、消しちゃいましょう。

そうしたら、そのあとすぐに、自分で本当に自分を撃つ。

過去の自分を殺した後、宇宙が消えるまで、どのくらいくらいの猶予があるかはわからない。もし一秒でも時間が余っていたら、その時は、自分で自らの命を絶とう。

存在する意味が皆無のこの世界から、私は一足お先に、逃げる。

本当の未来を知る者は存在しない

これは以前、日高が私に言った言葉だ。

この言葉が、日高自身の言葉なのか、それともどこかの物理学者のうけおりなのかどうかは、分からない。

そうだ、未来なんて知らない。だから、変えられない。なら、全てを消す。

「そう、鼻セレブだ。この名前の方が、高級感があって、なおかつ名前のインパクトも強い。ゴロもよかったんだろうな。覚えやすい。そんなわけで、鼻セレブは人気商品となった」

「つまり、同じものでも、名前を変えるだけでイメージは大きく変わるってことでしょ」

「そういうことだ。だから、その例の虫も、もっと清らかな名前にすればいい」

「だからさ、Gに関しては名前以前にどうあがいても気持ち悪いものは気持ち悪いんだから仕方ないでしょ」

撃った。

日高は動かなかった。由紀子に当たった。

頭からから血を流し、体が傾く。

由紀子を、自分を、宇宙を、撃った。

重力に従って、頭が、地球が、落ちる。それは床にたたきつけられ、真っ黒なマグマが流れ出る。目が覚めるような、黒い黒だ。

由紀子は死んだ。

由紀子は、自分の持っている銃を、自分の心臓に向ける。

世界は、まだ私に、本当の自殺をさせる時間を残しておいてくれているようだ。

こんなセリフをある小説で読んだことがある。ある男が飛び降り自殺をするシーンだ。

「俺はな、飛ぶんだよ。死ぬのはそのついでだ」

今の自分も、この状態に近いのかも、しれない。

この変な形の銃の、凹凸のある場所に手をかける。ここを押せば、弾丸が自分の心臓を貫通し、死ぬ。ためらいはない。

もし私が小説家で、このシーンを描くとしたら、きっとこういうセリフをつけるだろう。

俺はな、逃げるんだよ、この世界から。死ぬのはそのついでだ

「撃つな!」

日高の声が聞こえた。撃つのを一旦やめる。

日高は、何と言うのか。

全てを悟し、「ありがとう、由紀子」と言ってくれるの?

そうあってほしい。

「お前、名前は」

名前?なまえ?

今日、何度も私のことを名前で呼んでくれたじゃないか。何度も、何度も。時間が変わってしまったら、私の名前なんて、簡単に忘れてしまうの?私よ、あなたの大好きな。

名前を言ったら、また、「なあ、由紀子」って、呼んでよ。それでまた、面倒で、小難しくて、最高に楽しい話を聞かせてよ。日高。

「お前、名前は」

「由紀子」

撃った。





日高

 何故、由紀子がもう一人いる。

ヘルメットを外したら、由紀子がいた。この顔は間違いなく、由紀子、彼女のものだ。

今ここで、由紀子を撃った人間が、由紀子と全く同じ顔をしている。

こんな偶然があるのか。恋人を殺され、その犯人がその恋人と全く同じ顔である確率は。天文学的数値だろう。有り得ない。絶対に。

他の可能性は。

変装か。目の前の顔をつねるが、何も剥がれない。第一、これから殺す人間と同じ変装をする必要性がない。

他は。日高は部屋を見渡す、何か、ヒントは。この謎を解くカギはないか。どこかに。

ドアがあった。

もう一度目の前の顔を見る。

日高は悟った。と同時に、泣き出した。

僕は、由紀子を撃ってしまった。

おそらく、この由紀子は未来、もしくは過去からやってきた由紀子で、目的は分からないが、まぎれもなくそれは、自分が愛した由紀子だった。

由紀子を殺してしまった。

自分がタイムマシンを作ったばかりに、今の由紀子と違う時間の由紀子。この両方を僕は、結果的に殺してしまった。

日高は髪をかきむしる。

まだやり直せる。

日高は歯を食いしばり、拳を強く握る。

例え歴史を変えたとしても、自分が由紀子を一度、殺してしまったという事実は変わらない。だがそれでも、由紀子には生きていてほしい。

過去には戻れない。もうこの時代に戻ることはできないだろう。

それでもいい。由紀子さえ生きていてくれさえすれば、僕はそれでいいのだ。

そうしたらまた彼女は、他の誰かと幸せになりやがるに違いな。

それでいい。

このタイミングしかない。これまで、ずっと怖かった。

タイムマシンを使うのが。もしかしたら、どこか、時空の彼方へ飛ばされてしまうのではないかと。強い不安を抱いていた。だから、今しかない。戻って、由紀子の身代わりになり、僕はタイムマシンを作った意味を作る。死ぬのは恐れない。恐れるのは、由紀子だけが死に、自分だけが取り残されることだ。それだけは、何があっても絶対に嫌だ。せめて、由紀子だけでも救う。

そして何より、僕の夢が叶う。

由紀子と出会う前から、ずっと夢見てきたこと。

由紀子にも、まだ一度も言ったことがない、僕の夢、それが、叶うんだ。

日高は、自分が身代わりになれる方法を考える。

こうなると、作戦は一つしかない。

日高が、さっきトイレに行ったタイミングで、過去の自分と入れ替わるんだ。その方法は、いくらでもある。事情を話してもいい。とにかく、由紀子に気づかれないように入れかわり、そのあとは、さっきと全く同じ会話をする。こうしないと、結果が変わってしまう恐れがあるからだ。少しの動きのずれが、大きく未来を変える。

バタフライエフェクトだ。

会話のタイミング、話の切り出し方、表情、その全ての要素が少しでも違うなら、由紀子の返答や動きも変わり、結果的に由紀子が撃たれるタイミング、角度、場所が変わってしまうかもしれない。そうならないように、まったく同じ動きをしなければならない。

しかし、日高は自分の記憶力に自信のないことを思い出す。何かないか。

この二号館には、監視カメラは無い。したがって、先ほどの会話を確認することもできない。どうしたものか。

ふと、ポケットを触ると、スマートフォンが入っていた。日高の物だ。

画面をつけると、『録音中』と表示されていた。

なぜ、録音がされていたのか。考えれば予想くらいは立てられる。

僕がここに招いたとされている、一番最初に由紀子と見た、あの中年男性の死体の人との会話を記録するために、録音されたものだろう。しかも、こっそりと。

今の今まで録音しっぱなしだったわけだから、日高と由紀子の会話も、しっかり記録されているはずだ。だがもちろん、由紀子の前で堂々と、会話の内容を確認するわけにもいかない。

そこで、あれを使う。

日高は、棚をあさりはじめる。そして、見つけた。

これだ、ワイヤレスイヤホン。

日高の髪は、比較的長く、耳も完全に隠れるほどだ。ワイヤレスをスマートフォンに繋ぎ、髪でそれを隠す。由紀子の実際の声も聞かなくてはならないため、耳に付けるのは、片方だけだ。この方法なら録音データを聞きながら、そのとおりに由紀子と会話ができる。

これで完璧だ。

こうすれば撃たれる瞬間の由紀子の動き、そして角度を把握している僕は由紀子を守ることができる。

あとは、自分の演技力、そして何より大切なのは、自然体でいることだ。あくまで自然に、緊張していたら由紀子にすべてがバレる。あいつは僕の想像を遥かに上回るほど、勘がいい。

失敗したら、また由紀子は死ぬ。それだけは絶対に回避しなければならない。

絶対に。そして、僕は長年の夢を叶える。

長い間、由紀子には言えなかった。嫌われるんじゃないかって怖かった。こんな夢、叶えられるわけがなかった。下手したら、由紀子を傷つけかねない。

でも、いいんだ、もうすぐ叶う。こんな形で叶うとは思っていなかった。僕は今、最高に興奮している。

今日まで僕を、ずっと苦しめ、そして、ずっと我慢してきた、僕の夢、由紀子にもずっとずっと言えずに、一人悩んだ夢。もうすぐ叶うその夢。

僕は、タイムマシンに足を進める。待ってろ、由紀子。

僕の夢は。

「大好きな人に、殺されること」













 いや、ちょっと待ってくれ。

私は彼の話を遮る。

「先生、どうしました?置いて行かれましたか?といっても、もうほとんど終わりですけど」

「違う、今君が話した、この「日高」と「由紀子」の話って、これが君の夢なのかい」

「そうです」

「今君が話した内容を、そのまんま実現させることが、君の夢なのか」

「そうですよ」

「いくつか、質問をさせてくれ」

「まず、その由紀子さんが、自力で抜け出そうとしていたループ、あれは結局間違いだったのか」

「そうです彼女は

日高が殺される

↓それを阻止するために由紀子が過去に戻る

↓結局由紀子が日高を撃ってしまう

というループから抜け出すために、過去の自分を撃ったのですがこれは間違いでして、実は

由紀子が撃たれる

↓日高がそれを阻止するために過去に戻る

↓由起子をかばって自分が撃たれる

↓それを見た由起子が日高が撃たれるのを阻止するために過去に戻る

↓勘違いした由紀子が過去の自分を殺す

というループなんですね。つまり彼女が勘違いしてしまうこともループの過程のひとつだったんです」

「そうか、それは納得した。では聞くが」

「はい」

「君のこんな中学生が真夜中のテンションで描いたような、ご都合主義のシナリオが、そのまんま実現すると思っているのか?」

私は、少し強めの口調で言ってみる。

「彼らの行動は、完全に感情によって縛られている。君は彼らの感情を、どれほど完璧に理解している気になっているんだ?」「感情やその場の思い付きなんて、人間には予想できるはずもない。ましてや、君に」

「なるほど、それは、一理ありますね」

彼は、『想定内の疑問だ』とでも言いたげな顔をしている。

「そしてもう一つ、何故由紀子は過去の自分を撃ったのに、宇宙は崩壊しなかったんだ」

「あぁ、あれは、嘘ですよ」

「嘘?何が」

「過去の自分を殺したら、宇宙が消えるという論理ですよ、あれは、もっぱらの嘘です。正確には、彼はそう勘違いしているだけです。」

「それもすべて、彼がそう勘違いしていることも、計画の内か」

「正解です。先生」

「まだある。こんなことを言って申し訳ないのだが、今の話のどこが君の夢なんだ?どこからどこまでが君の夢で、どこからどこまでが、そうでないんだ」

「全てですよ」

「全てって、まさか無限ループを人間で創り出すことが、君の目的か」

彼はまさに『正解です。先生』という顔をした。その顔で彼は子馬鹿にしたように手を軽くたたく。いや違う。彼はまだ何か隠している。

「その日高っていう男の夢は、結局、自分の愛する人間に殺されたい。という夢だったのか」

「そうです。これは一種の性癖でして、いわゆる、異常性癖というものでしょうか。彼はそれでして、好きな人に殺される、命を奪われるという行為に、異常なまでに興奮を覚えるものでして、彼は幼少のころからその性癖を隠し続けていたんですよ」

「だから、きっと彼は性欲に釣られ、自分の思い通りに動くと。」

「そう考えています」

なるほど。大体話の全貌が見えてきた。

そこで私は、彼の話している間にずっと考えていた、ある一つの仮説をぶつけてみることにした。

「ちょっと突拍子もないことを聞くがね」

「どうぞ」

「それじゃあ、これはある意味一番重要なことなのだが」

「はい」

「その日高って男は、君のことかね?」

彼の左腕が動く。私はそれを見逃さない。

彼の手に持った短刀が横から私に迫ってくる。

考えるより先に、襲ってくる腕を右手で掴む。

左手で瞬時に、短刀を叩き落した。

「うっ」

彼の小さなうめき声が聞こえる。

「こうして私を殺そうとするということは、君は本当に日高か」

「、、、」

「ということは、話の冒頭に出てきた、中年の死体というのは、私のことか」「私を殺し、彼らを、いや、君と由紀子が自分の計画に入るためのきっかけ、いわばマクガフィンにさせようとしていたわけだ。そしてここは、君の言っていた二号館というわけか。想像通りの広さだな」「となると、二人の本当の家を燃やしたという放火魔も、君か。確かに、ここは狭いし、物も多いし、何かと都合がいいのかもしれないな」

「、、、」

「由紀子に、永遠に殺されるために」「自分のことだから、記憶を失った後でも、自分ならどうするかが予想できるから、この計画は成功しやすくなる。というわけか」

日高の先ほどまでの好青年の顔から、殺人鬼の、暗く、穴の開いたような目へと変わる。

「その顔の君の方が、私は割と好きだよ。実に人間らしい」

「、、、お前に、、、」

日高が下を向き、しきりに何かつぶやいている。

「お前に何がわかるかって?何もわからないし、わかりたくもないね。君のような自分の性欲を持て余した挙句、他人をも巻き込んだ「計画」とかいう実現不可能なものを実行に移すために、こんなくだらない薬をつくらせやがって。記憶が消えれば、本当に由紀子に殺されてしまうと思うから、君にとっては大興奮だろうな。だが、薬は渡さない。お前は私を殺そうとした。だから君を、警察に突き出す」

日高が二ヤリ、と笑った。気がした。

次の瞬間、私の左わき腹が、燃えた。

これは?

日高を見る。右手に黒い棒を持っていた。

文房具型拳銃だ。

日高が開発したという、あれだ。

熱い、

熱い、

私は、撃たれたのか。

ドラマのシーンで、撃たれた後に傷口を触るシーンがあるが、あれは、本当に自分が燃えているのではないかと錯覚するためではないか。

話の中では、あまりボールペンには見えないと言っていたが、私には、少し形のいびつなボールペンに見える。悟られないように、あえて話の中ではニュアンスを変えているのが。

「先生は、僕が右手でペンを使い、あえて右利きだと思わせ、左手の注意を三万させる作戦が、バレていたというのも、わかっていました。というより、わざと分かりやすいようにしていました。だから大げさに、右手では下手くそな字を書いていたんですから。でも残念ながら、このペンのことは気づかなかったようですね。話の中でも、何度も出てきたというのに、まあ僕の発明ですから、完成度はそこそこいいですよ。ただ、由紀子の評価が厳しいだけです」

「お前は、これから本当に、その計画を実行するつもりか」

「もう、していますよ」

「僕は、由紀子に殺されたい。でも一度、殺されてしまったら、もう殺されない。そんなのはいやだ。僕は、永遠に由紀子に殺されたい。殺されるという夢がかなったその先、その先まで、僕は考えて、動くんです」

私は、もう声を出す気力が残っていなかった。椅子から崩れ落ち、うつ伏せに体が動かなくなる。

「あ、、、あ、、、」

「だめですよ先生、声を出したら。これからの僕のために、そろそろ録音を開始しなくてはならないんですから」

彼はポケットからスマートフォンを取り出し、何やら操作をする。録音アプリを開いているのだろう。

「おっと、このままじゃいけない」

そう言って彼は落ちている短刀を拾い。そのまま私の撃たれた脇腹の弾丸の痕を隠すように、上から刺し、すぐに抜く。これでもう、舞台は整った。

もう痛みを感じない。このまま死ぬのか。

脇腹が、熱い。

熱い。

熱い。

「それでは先生、あの世があったら、その時はまたそこでお会いしましょう。もっとも、僕は一瞬顔を覗かせてから、すぐまたこの世に戻ってくるというだけの動作を、無限に繰り返すだけですけどね」

これから日高は、短刀を捨て、拳銃はどうするのだろうか。どうしたらループは始まるのか。分からない。

卵が先か、鶏が先か。

「そういえば、最初に話した、ピーターパンの話、あれは特に意味もないです。永遠に死ぬ、だけれども永遠に老いない。ピーターパンのようでしょう。僕がピーターパンになって、永遠に、由紀子に殺されるんです」

「なんだ、それだけかって思いました?」「ピーターパンという言葉に、もっと深い意味があるのかとばかり思ってましたか」「ないですよ、そんなもの。小説や映画のタイトルの意味だって、特に意味もないけど、インパクトや、ゴロの良さだけで決めているものもたくさんあるでしょう、同じです」

日高は、笑っているのだろうか。それともまた、怒った顔つきで、私を睨んでいるのだろうか。私の世界は完全に傾き、もう日高の足元しか見えない。

彼は本当にあの作戦を実行させるつもりなのだろうか。常人なら考えられないほど複雑で、現実味のない作戦を、彼はまるで未来が見えているのかのように、私に詳しく話して聞かさた。

いやまて、彼にはタイムマシンがあるではないか。

もし彼の「未来には行けない」という言葉が嘘だったとしたら、彼は一度未来へ行き、この作戦が成功するのを何らかの形で確認したのかもしれない。

そう考えると、唯一、わからなかった謎も解けるようになる。

彼がなぜあの薬を必要としたのか。

「本当の未来を知る者は存在しない」

これは以前、私が彼に言った言葉である。彼がもし、未来を知っていたとしたら、そうでない未来を選択することもできてしまう。そう意識しなかったとしても、一度知ってしまった景色を自分で完全に再現することは不可能に近い。だから彼はあの薬を必要とした。

自分の計画が成功すると知った後、あの薬を飲むことにより、全てを忘れ、彼の思惑通りに事が運ぶというわけだ。

「最初から、全て計画の内ですよ」

瞼が重い。そろそろ寝るとするか。

私は、寝るんだよ。死ぬのはそのついでだ。

そうして日高は私の耳元で、ささく」

「この世に必要なのは、イメージと、勢いと、一握りのロマン。それだけでいいんです、先生」

                                       終


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この物語は、ある海外の映画からヒントを得たものです。(ヒント プレ○○○⚪︎○○○ョン)

もし知ってる方がいらっしゃいましたら、あぁ、あのセリフか、と心当たりがあるかと思います。

少しばかり複雑な話しとなっておりますが、もしこの物語が「面白い」と数ミリでも思っていただけたら、これ以上嬉しいことはありません。コメントなどをよろしくお願い致します。

アドバイスなどもありましたら、優しく(重要)優しく、お願い致します。

その他この小説の、タイムトラベルの概念などは、全て私の空想ですので、ご了承お願い致します。

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