真夜中のお茶会
長い坂道の一番上には、大きな扉が待っていた。見上げるほど高く、見事な装飾。おそらく翡翠製で、知らない文字が彫られている。苔の光では足りなくて、あたしたちは杖を掲げて扉を見上げた。
「なんて書いてあるんだろう」
「読まないほうがいいわ。幽冥文字の結界よ」
ヘンゼルが首を傾げると、ルジェナが言った。あたしは怖がるより先に感心する。
「ほんっと、よくわかるね」
「図書館で見たの。幽冥学大全よ。第一巻巻末に発音記号、第三巻注釈に順序、第七巻に効果が載っていたわ」
「注釈まで読む人初めて見た」
読めない文字のほかに何かないか、あたしたちは青緑色の扉をよく見てみた。何もない。やっぱり文字を読むしかないんじゃないかな。
「あら……ヒントなのかしら」
ルジェナが扉を見つめる。文字を読んでいるようだ。
「読んで大丈夫か」
ロレンシオが心配そうにルジェナと扉を交互に見る。さすがのロレンシオも幽冥文字はまだ読めないようだ。当然だ。六年生で履修する科目なのだから。
「ちょっと待って。目が焼けそうだわ」
ルジェナが目を押さえる。あたしたちの心配をよそに、彼女はすぽっと目玉を取り出した。彼女はラミアー族だから、目玉の取り外しが自由なのだった。
「……ふう。これでどうかしら」
ルジェナが、彼女曰く「心の目」というやつで扉の文字を読んでいく。
「……何が書いてあるの?」
「この扉の仕掛けを破るための詩よ」
「……詩?」
ルジェナが扉を見上げたまま頷く。
「ええ。幽冥学では、詩の才能が一番問われるの。……これ、誰が書いたのかしら。ものすごい感性と表現力だわ」
ルジェナの邪魔をしないよう、あたしたちはしばらく固唾を呑んで見守った。
「──あ、なるほどね……。ここに血を塗れば開くみたいよ、この扉。ただしその血が澄んでいれば、ですって」
ルジェナは鍵穴のない蝶番を指差した。そして振り向いて、すぽすぽと目玉をはめた。
「大丈夫……?」
「ええ大丈夫よ。いい勉強になったわ」
ウェイウェイはハラハラしていた。ロレンシオはふうと息をついた。ヘンゼルは眉を寄せて考えている。あたしは「血」という言葉に頬が引き攣っていた。
「……どうすればいいのかな」
ヘンゼルが困ったように言った。あたしもこの中の誰かが血を流すのはごめんだ。
「あたしでいいんじゃない? 今日あんまり役に立ってないし」と、あたし。
「僕にしよう、好きでついてきたんだから」と、ヘンゼル。
「私がするよ……言い出しっぺだもの」と、ウェイウェイ。
「俺でいいだろう。一番治りが早そうだ」と、ロレンシオ。
「あら。みんな何言ってるのよ」
ルジェナが目を指差した。
「血じゃないわ、涙よ。澄んでいる血って、透明な涙のことよ。幽冥詩って言い方がいちいち仰々しいんだわ──。闇の生き物は涙を流さないから、ここを破れないのよ。さすがね……」
ルジェナが賢くて本当に助かる。それにしても涙と血って同じなんだ……。
あたしたちは一番早く泣けた人が涙をこすりつけようと決め、各自泣くために頑張った。何か悲しいことを考えよう──。でも、さっきブルーフラッフィーボムを抱きしめて、ピンク色に光る苔を楽しんで、逆さに流れる水に驚いたあたしたちは、なかなか泣くような心境になれなかった。
何分もかかって、ただ一人ヘンゼルが涙を絞り出すことに成功した。手のひらに涙を集め、扉にこすりつける────スチャッ……という音がして、ぴったり閉じていた大きな翡翠の扉が開いた。
扉は開いたというよりは、すき間ができたといったほうが適切だった。細いすき間から、向こう側の光が漏れてくる。
「じゃあ……行くぞ」
あたしたちは頷いた。ロレンシオが先頭になって翡翠の扉を押す──音もなく扉は開いた──扉のすき間が大きくなり、明かりの筋も幅が広くなる──みんなで体重をかける──そして、視界が大きく開けた──。
あたしたちの頭からはもう、悪魔の植物がそびえているような恐ろしい部屋の想像は捨て去られていた。せっかくあれだけ推理した、恐ろしい怪物のことも忘れ去っていた。大きなパイプのうねる地下宮殿、逆さの水、ピンクの苔、ブルーフラッフィーボム……。次はどんな素敵なものが待っているのだろうか、期待していた。
翡翠の扉の向こうには、あたしたちの想像よりずっと素晴らしい景色が待っていた。
そこは確かに屋上だった。まず月が見えたのだ。黄色く照るまん丸の月が、群青色の夜空高くに浮かんでいた。続いて星々のまたたきが視界に広がっていく。天空を、大きなガラスの半球で覆われた、丸い空間だった。中に柱は一本もなく、ただガラスがキラキラきらめいている。私たちは呆気にとられ、しゃべるのも忘れ、ばらばらに踏み入れた。
翡翠の扉の中は、静かで、いい香りに満ちていて、暖かい。数歩歩いただけで、天井ばかりみていた私たちの足が自然と止まったのは、それより先に進めなかったからだ。
床は、一面の花畑だった。それも普通の花ではない。一輪一輪がカボチャくらいある、大きな花がたくさん咲いていた。クリーム色や、薄いピンク、水色、白──優しい色の花々が、風もないのに揺れている。楽園のような眺めに、私たちは口をぽかんと開けて見とれた。
「──誰?」
一番に気がついたのはヘンゼルだった。花畑の真ん中に人が一人立っていた。満月を背にしているから灰色の影になっていて、こちらからはよく見えない。誰だろう。
我に返ったあたしたちが慌てて杖を構えたとき、その人は振り返った。
「──いらっしゃい。よく来たね」
それはあたしたちの知っている人だった。
それはアーサー・ナゼール先輩だった。鯨の尾寮の七年生。
先輩は水中人である。長い茶髪を三つ編みにしていて、いつも体のどこかから水が滴り落ちているという迷惑さで有名だった。というのも、水中人族は本来水の中に住んでいるから、乾燥が大敵なのだ。
「先輩……?」
「ここで何してるんですか?」
私たちは驚いて、見つかった! と思うより先に質問していた。先輩は私たちを見て微笑んでいる。けど眉は八の字だった。頬には水が流れている。
「君たちが来るのを見ていたよ」
困ったような笑顔のまま先輩は真っ赤な杖を振った。先輩の杖は初めて見る材質だった。木じゃない……赤くてなんだかごつごつして見える……もしかして、珊瑚?
花畑の中に、テーブルと椅子が現れた。
「どうぞ」
わけがわからないまま、先輩に促されるまま、私たちはぞろぞろ歩いてテーブルにつく。
「真夜中の茶会なんて久しぶりだな。最近じゃみんな行儀がいいから」
「行儀……いいですか?」
普段から真夜中にバタークリームビールを飲み干して、枕投げをして、今夜なんて地下の壁を破壊してここまでやって来たあたしたちなのに、先輩はそんなことを言う。思わず聞き返したあたしたちに、先輩はくすりと笑った。前髪に波紋が広がった。
「君たちは、流れ星スライダーで凍ったまま地面に落下して、こっぱみじんに砕けて校医をカンカンに怒らせたり、発情期のサラマンダーを夜空に打ち上げて全校生徒を叩き起こしたりしたこと、ないだろう?」
あたしたちの頬が引き攣った。校内の抜け道で追いかけっこをするくらいにはやんちゃなのが自慢だったけど、修行不足だったみたいだ。
先輩は涼しい笑顔。こんな人が、そんなことを本当にやっていたのだろうか?
テーブルの上には、いつの間にかアフタヌーンティーの一式が並んでいた。ポットからティーカップ六つへ、先輩は紅茶を注ぐ。
「甘くしたい人は花から蜜を酌んでくれる? 申し訳ないんだけど、砂糖を切らしていて」
一番近くで揺れている黄色の花を覗き込むと、中にとろりとした黄金色の液体が溜まっていた。ティースプーンを突っ込んで、ひとすくい貰う。熱い紅茶に溶かして一口飲むと、茶葉と花の香りがふわあっと広がった。
「美味しい……」
「それはよかった。──大きく一切れ、小さく一切れ、どっちがいいかな?」
先輩が、銀のケーキサーバーを片手に、ケーキスタンドを見せてくれる。答えなんて決まっている。
「大きくお願いします」
紅茶があんまり美味しくて、あたしたちは遠慮なんてものは忘れた。先輩は、元気がいいね、と笑った。茶色の三つ編みに、水のような輪が広がった。
白いお皿で出されたのは、無花果のケーキ。コンポート、クリーム、スポンジが層になっていて、一番上に飾られた無花果はつやつやしている。大きい一切れだから、あたしはフォークで贅沢に切り分けた。ぱくっと一口──スポンジとクリームと無花果をいっぺんに頬張る。
とろっととろけて甘い果肉。見つめる時間も待ちきれなくてすぐに食べちゃったけど、綺麗なピンク色だった。仄かな酸味が嬉しくて、あたしは思わず目尻を下げる。噛むと、実の中に隠れて咲いた小さな花がぷちぷち弾けた。ふわふわなスポンジにはシロップが染みている。白いクリームもなめらかで、超美味しい。
「……ブルーフラッフィーボムを……ご存じですよね」
ヘンゼルが先輩に聞いた。先輩が花畑のほうを向く。横顔に水が一筋流れる。
「中にいるよ」
あたしたちは花畑を覗いた。花にまぎれてわからなかったけど、大きな花の下、茎の林の中でブルーフラッフィーボムたちがすやすや眠っていた。空色のまんまるな体が呼吸に合わせてふるふる震えている。
「か、可愛い……」
「彼らは闇の力に強い耐性を持つから、保護も兼ねてこの塔にいてもらっているんだ。純真な魔法生物で、特に悪さもしないから安心でね」
「ピンクに光る苔のほうは……」
ルジェナも聞いた。先輩が紅茶を傾ける途中で止まる。
「──ああ、ピンク色だった? あれは『七色発光苔』、毎晩色が変わるんだ。あの坂道はこの子たちの遊び場になってるよ。苔周りの水が重力に対して逆走するから、楽しいみたいで」
「そうなんですか……」
「彼らの散歩の途中で会ったのかな? 騒がしかっただろう」
「かなり可愛かったです」
あたしたちは幸せだった。
テーブルの向こうで、ティーカップを置いた先輩が微笑んだ。
「……さて。ご褒美はそのくらいでいいかな? 体は温まったね?」
言われている意味がわからなくて、あたしたちはぽかんとする。先輩に手で示されるまま、後ろを向いた。
振り向くと、あたしたちの後ろにはマルグリット先生と星の影寮七年生のクラリッサ・アイゼンシュタット先輩が立っていた。
アイゼンシュタット先輩は、あたしと同じエルフだ。背が高く、肌が白い。長そうな黒髪を結い上げて、いつも簪を挿している。顔の横へ流した前髪からは、紫陽花の葉に似た耳の先がちょんと見えている。七年生のなかでも特に優秀と名高い先輩だ。ローブとネクタイじゃなくて、戦闘用の革の服とブーツを着用している。そして、ベルトには長い剣を携えていた。
「……!」
あたしたちはみんな真っ青になった。先輩はよくても、先生は恐ろしい。しかも運の悪いことに、よりによって寮監のマルグリット先生に見つかるなんて。先生はメデューサだ。怒らせると世界中が石になるくらいに怖い。
マルグリット先生が怒りで震えている。
「あなたたちは……!」
激怒のあまり言葉が続かない先生。どうしよう。あたしたちは椅子から起立して体を縮こまらせた。
「夜間の寮外行動! 授業時間外の塔への無断侵入! 男子生徒と女子生徒の夜間の面会! いくつ規則を破れば気が済むんです!」
先生の雷が落ちた。先生の髪の暗く青光りする蛇たちが鎌首をもたげて総立ちになり、大きく開いた口から牙を剥き、こちらへ向かって一斉に「シューッ!」と叫んでいる。怖い……。そして先生の瞳はカッと見開かれ、顔は血が通っていないように冷たく蒼白だった。
三年目のあたしたちだって恐ろしいのだ──可哀想に、慣れてないウェイウェイはぶるぶる震えている。
「それに、なぜここまで来ているのですか! この塔は極めて重大な役割を担っているのです。悪戯半分で来ていいところではないのですよ!」
あたしたちは息さえ忘れて、先生とのあいだでそよぐ大きな花を見つめるしかなかった。
「説明なさい……一体どういうことですか」
あたしたちはちらっと顔を見合わせた。なんて言おう? 誰が言おう?
ルジェナが挙手した──勇敢すぎてもはや恐ろしい。
「校内にはなく学外では有名といわれるこの城の噂話について、真実を追究したいという気持ちに抗えませんでした」
またそんな正直に……! あたしは、ルジェナの発言の影響を知りたくなくて右目をぎゅっとつぶり、同時にマルグリット先生の反応が気になって左目を薄く開けて先生を見上げた。
先生は烈火のごとく怒っているけれど、噂話が気になったみたいだった。
「噂……? どんな噂です」
ここで、ずっと震えていたウェイウェイが意を決して口を開いた。
「私がいた学校で、こちらの学校には恐ろしい怪物に守られた眠り姫がいると、とても有名な噂がありました……! 気になって、お友達に確かめたいとお願いしました! 申し訳ありません……!」
ウェイウェイは目をぎゅっとつぶっているが、目尻に涙が溜まっている。一番マルグリット先生に怯えてるのに、言わせちゃって申し訳ない……。
しかし、ウェイウェイのこの発言でなんとお説教が途切れた。先生が沈黙している。あたしたちは恐ろしさより好奇心が勝って、顔を上げた。
マルグリット先生はウェイウェイを凝視していた。もともと大きな先生の目がさらに見開かれている。
「ミス・ワン、それは……!」
あたしたちの後ろで立っていたナゼール先輩も、マルグリット先生の後ろで見守っていたアイゼンシュタット先輩も、こちらへやって来た。
「ミス・ワン、その石は──!」
「……こ、このブローチが、な、何か……?」
ウェイウェイが息も絶え絶えに言った。
マルグリット先生もナゼール先輩もアイゼンシュタット先輩も、ウェイウェイを取り囲んで言葉を失っている。その様子はただ事じゃなくて、あたしもウェイウェイを見た。
……あれ? そういえば、ウェイウェイのローブの襟を留めているブローチが空っぽじゃなくなっている。木の台座に、素敵な色の大きな石がはまっていた。
あたしは先生の恐怖を忘れて、ウェイウェイに話しかけた。
「ウェイウェイ。そのブローチ、いつからそうなったの?」
ウェイウェイがあたしの言葉を聞いてローブの襟元を引っ張る。ブローチを見て、あっという顔をした。
「あ、これはね……夜になるとこうなるの。ブローチの中、昼間は何もないんだけど、夜のあいだだけこんなふうに石が現れるの。朝になるとまた消えちゃうんだ。不思議でしょ……」
最後のほうは尻すぼみになりながら説明してくれた。
ウェイウェイの木のブローチは、深い海に波が立ったような、緑がかった濃い青の綺麗な石のブローチになっていた。透明な天井から差し込む月の光を受けて、ゆらゆらと仄かに輝いている。
先輩二人はブローチに釘付けだった。マルグリット先生はやっと話せるように戻ったみたいだ。
「──ミス・ワン。なぜあなたはその石を持っているのですか? それが何か、知っていますか?」
マルグリット先生がとても真剣そうな顔で聞く。ウェイウェイはまた怯え始めた。
「えっと……か、家宝というか……ワン家で代々受け継いでいる、ブローチです……」
「あなたの物ですか?」
「は、はい……」
ウェイウェイの声がどんどんか細くなっていく。先生の質問はまだ終わらない。
「もともとはどなたの物でした」
マルグリット先生は少しずつ冷静になってきたみたいだけど、ウェイウェイはすっかり萎縮してしまっていた。
「えっと……その……」
「その石の名を知っていますか?」
ウェイウェイはとうとう口を半分開けたまま、俯き、黙ってしまった。あたしは思わずウェイウェイの手を握る。
先生は背筋をピンと伸ばし、顎を引いて、あたしたちのほうを向き直り、毅然とした表情で話し始めた。
「みなさん。よく聞いてください。ミス・ワンが持っているこちらの石は、純鬼火石──別名、純アパタイトです。かつて東の端の国で栄えた、鬼火の一族が所有する秘宝でした。鬼火族は、この鉱石を結晶化する技術に長け、それまで存在しえないといわれた純度百のアパタイトを作り上げました。そして一族の秘宝として継承しました。しかしみなさんも学んだ通り──」
ここで先生は、まさか忘れてはいませんね? というように、あたしたち一人一人の目をじっと見た。
──鬼火族とは、体内に発光器官を持っていて、暗闇でも自らの中に明かりを灯せる種族であり、その光は、非魔法族がよく火の玉だとか死体から現れた人魂だとかに間違える──と、教科書に載っていた。たぶん。
あたしは脳みそをフル回転させ、なるべく先生の期待に応えているような顔を装った。
「──鬼火族は千年以上前に滅びました。原因は純血主義者による集団殺戮、ジェノサイドです。殺人は、許されることではありません」
先生が一層厳かな口調になった。
「私たちは互いに助け合い、理解を深めるよう努めなくてはなりません。悪に立ち向かい、正しいものを守らなければなりません。魔力を有し、魔法を学ぶ私たちには、虐げられる命の保護は、義務であり、使命です。私たちは異なる種族と友情を育み、敬意を払い、同胞愛を広げ、ともにこの世界を存続させ、平和と秩序を守っていく必要があります」
マルグリット先生は厳しい表情を和らげ、一人一人を見つめる。
「わたくしは、正しい知識、大いなる勇気、曇りなき信念、偏りのない心をみなさんに求めます」
先生の素晴らしい演説が終わって、ぽかんと口を開けて聞き入っていたあたしたちは我に返り、頭をぶんぶん振って頷いた。
先生はウェイウェイを見た。
「──ミス・ワン。話してくれますか?」
先生の話に感動したらしいウェイウェイは、緊張も解けたようだ。あたしの手を握り返す指先に、力が籠もる。ウェイウェイは頷き、微笑んで、唇を舐めてから話しだした。
「──私、曾祖母までは生粋の九尾狐なんですけど、曾祖父が鬼火族なんです。……二人は若い頃恋人同士だったそうです。曾祖父は、鬼火族の中心的な一家の跡取りで……、いずれ別れなければならない二人は、隠れて想い合っていたそうです。……その鬼火族はご存じの通り、千三百年ほど前に……絶滅しました。……そのとき、九尾狐族の曾祖母のお腹には、曾祖父との子が宿っていました……それが私の祖母です。祖母は九尾狐族の血のほうが濃くて、純血主義者に気づかれませんでした……。また、祖母から生まれた母も、鬼火族の特徴は薄く、狙われませんでした。この石は……曾祖父が曾祖母へ、恋人の証として贈ったものだそうです……。そして、私まで受け継がれました……」
ウェイウェイは何度も息を吸い、ゆっくり話した。あたしとウェイウェイはずっと手を繋いでいた。
「……そうでしたか」
驚くことに、マルグリット先生が微笑んだ。
「この花園には、六年間眠り続けている生徒がいます。名前はミス・キャサリン・ホワイト。彼女は六年前、リリン・デーモンに襲われました。リリンとは、人間の生気、エネルギーを餌にする邪悪な魔法生物です。──学んでいますね? ミス・ホワイトは、その体は助かりましたが、エネルギーを食い尽くされてしまいました。我々教員とこちらの二人は──」
先生がナゼール先輩とアイゼンシュタット先輩を指した。
「以来、彼女の蘇生を試みてきました。試みは成功とも失敗とも言えません。彼女は生きていますが、目覚めないからです。目覚めるためのエネルギーが彼女には不足しています。ミスター・ナゼールは、毎晩夜通し彼女に自身のエネルギーを注ぎ、彼女の命を繋いでいます。我々はこの塔にバリケードを築き、花園を作り、彼女を隠し、守ることにしました。彼女は今もリリンを含む闇の生き物に狙われています。闇の生き物の恐ろしさは学んでいますね? ですからあなたたちのような生徒には、ここは危険なのです」
しかし、とマルグリット先生は続ける。
「鬼火族の秘宝は、癒やしと同化の力を持ちます。ミスター・ナゼールのエネルギーは、ミス・ホワイトに注がれると、そのまま流れ出ていき、体内に留まりません。体にエネルギーが貯まらなければ、目を覚ますことは出来ません。その秘宝の力を借り、彼のエネルギーが彼女の魂と親和するのを助け、彼女が自らエネルギーを生み出せるよう、助けたいと考えています。私たちは彼女を救うため、絶滅した鬼火族の秘宝がひとつでも見つかればと思い、ゆかりある地を巡ってきました。まさか、このような形で巡り会うとは……」
マルグリット先生は目頭を押さえた。あたしたちは顔を見合わせた。この花園に女子生徒が眠ってるって? それって、眠りひ──。
「ミス・ワン。その石を貸していただけますか?」
目で忙しく会話するあたしたちを遮って、マルグリット先生がウェイウェイに言った。すると、それまで黙って聞いていたナゼール先輩とアイゼンシュタット先輩が口を開く。
「僕からもお願いします」
「私からも頼むわ……! それ、貸してください……!」
先輩たちが切実な顔で頭を下げた。先生に頼まれて、先輩に頭を下げられて、ウェイウェイはすっかり恐れをなしていた。
「ど、どうぞ……力になれるなんて、誇らしいです……」
「ああ、ありがとう……」
ナゼール先輩が嬉しそうに微笑んだ。頬には二筋水が流れている。
ウェイウェイはブローチを差し出した。マルグリット先生がウェイウェイからブローチを受け取ろうとしたとき────ガラスの天井が破られた。