フクロウ新聞部
湖から戻り、正面の大扉から城へ入った。
午後の授業の教室へ行くために校内を走る。ロレンシオとヘンゼルは違う授業へ出席するから、あたしたちは別々の方向へ向かった。
二階の廊下には生徒がごった返している。この階は座学の教室がたくさんあるのだ。あたしたちは人ごみをかき分けながら進む。
魔法界史の教室の前まで来て、教室に入る生徒の列に並んだ。廊下はざわざわしている。隣の教室から伸びる上級生の列から、ほど近いところにいるらしい誰かの会話が断片的に聞こえた。どうやら揉めている。
「──あなたいい加減にしなさいよね」
女の先輩の声だ。そちらに首をねじると、生徒の頭越しに高く上げた手だけが見えた。白い包帯を巻いた手が、何かを握っている。別の声が何かを言っているけれど、聞き取り損ねた。声は男の先輩のようだった。ウィザースプーンは生徒数が少ないといっても、さすがに声だけでは誰かわからない。女の先輩は誰かから何かを取り上げたみたいだ。
「──こんなんだから、あなたは不健康だっていうのよ。だいたい、摘発されたら逮捕なんだからね」
物騒な単語が飛び出した。あたしはなんとなく首を竦める。今度は話し相手の声も聞き取れた。
「──だから言わないでいてくれてるんだろう? 頼むよ。事情を知ってるのは君だけじゃないか──」
「あの子に免じて見逃してるのよ。あなた、私の夢知ってるでしょ、警官なのよ?」
「ごめんって……。でも僕にはそれが必要なんだ──」
何をどうしたら校内で警官に逮捕される羽目になるのだろう? ──あたしたちみたいに、よからぬことを企む者が結構いるってことかな?
「──あなたのそういうところは、本当星の影寮向きだと思うわ……。なんで鯨の尾寮にいるのよ。こっちへ来なさいよ」
「僕は骨の髄まで鯨の尾寮だよ──」
二人の声が遠ざかった。鯨の尾寮の男の先輩は、星の影寮の女の先輩から取られた何かを返して貰えたのかな……。
動き始めた隣の列を眺めていると、こちらの列も進んだ。あたしたちは教室へ入っていく。あたしは今夜の冒険と、今から始まる魔法界史の授業への気合いを入れるため、小さく「よしっ」と呟いた。
二階の第四教室で、七年生の最上級攻撃魔法学の授業が終わった。最上級攻撃魔法学の授業は理論と実戦に分かれていて、担当教授はどちらもハーピーのベルナルディータ先生だ。ハーピー族は強く、高い戦闘能力を持つ種族である。難しい授業だが、彼女のおかげで人気科目だった。銀色に輝くハーピーは猛禽類のように強く、そして何より美しい。
彼女が大きな銀色の翼を翻した。
「ミスター・ナゼール。来なさい」
「すぐ行きます」
ばらばらに立ち上がる生徒の中から、長い茶髪を三つ編みにした男子生徒が返事をした。彼は赤い杖をベルトに差し、教科書を鞄に突っ込む。
「──ん」
黒髪を高い位置で結い上げ、簪を挿した女子生徒が、彼に貝殻を差し出す。小さなシャコ貝だ。白く輝く貝殻は、波状の口を固く閉ざし、さらに蝋で栓がしてある。男子生徒は自分の持ち物であるはずのシャコ貝を見つめ、そして女子生徒を見た。
「……いいの?」
「なきゃどうするのよ。あたしが取り上げたってどうせまた買うんでしょう? あなた一人のために世の中から余計に減らせるわけないじゃない。これはそもそも貴重なのよ。罰当たりもいいところだわ」
どうにも不機嫌そうに言い、女子生徒は貝殻を机の上に置く。彼女は、男子生徒がシャコ貝を大事そうに摘まみ上げポケットにしまうのを、腕組みをして見守った。
「ありがとう」
「あなたのためじゃないわよ。……頑張ってよね。今夜は私も顔を出すわ」
教室には生徒が多い。このクラスは二寮の合同授業であった。なかなかはけない級友たちがもどかしいのか、大雑把な性格なのか、男子生徒は椅子に足をかけ机を乗り越えようとしている──彼女の言葉に、その途中で振り返った。彼はくまの酷い顔で微笑む。笑顔にそぐわないことに、その頬には汗か涙か、一筋の水が流れている。
「本当? キャサリンも喜ぶよ」
「まあ、あなたよりはね……」
やれやれとため息交じりに首を振る女子生徒。紫陽花の葉先に似た耳の横で、長い前髪が揺れる。その言葉に、男子生徒の顔が一転、暗くなった。
「……心が折れるから、それ言わないでくれる……」
頬から水を滴らせ、悲しげに机を乗り越えて、彼はとぼとぼとハーピーの待つ準備室へ歩いて行った。
「ごめんなさいね。遺跡ばかりで……。せめて手掛かりでもあれば……」
最上級攻撃魔法学の準備室では、窓辺でハーピーと男子生徒が城の塔の群れを見上げながら話していた。青空を背景に、白い石の塔が何本も立ち並んでいる。
「いえ。先日、特別許可を頂いた書庫でしたが、やはり何も」
「そう……。書物になければ誰に聞けばいいのかしら……」
ハーピーがため息をつく。銀色の翼は大きく、風切羽の先を床に擦っていた。
「いつもお気遣いくださりありがとうございます」
男子生徒が深く頭を下げる。彼の三つ編みが肩から宙に滑り落ち、毛先に波紋のように輪が広がった。ハーピーは彼を見下ろす。
「我が校の生徒です。レッドグレイヴ校長先生も、ご友人を当たってご尽力くださっています。我々は諦めませんよ。……そうはいっても、もともと数の少なかった『インニース』ですからねぇ……」
「やはり、水の中に落ちていたりしませんでしょうか」
頭を起こし、男子生徒は期待のこもった目つきになる。ハーピーは首を振った。銀色の髪が日の光にきらきらと光り、しゃらしゃらと波打つ。
「あなたはいいわ。役目に集中してください。あなたにしか出来ないのですから」
「……はい」
その表情は穏やかなのに、男子生徒の頬にはやはり透明な液体が流れている。
ハーピーは彼を見下ろした。男子生徒の背は高いが、ハーピーは更に大きかった。
「あなた自身が倒れないよう気をつけるのですよ」
「はい。今夜はミス・アイゼンシュタットも来るそうです」
「そうですか。では、明朝の出迎えは不要です。私も戻り次第、直接向かいましょう。ミス・ホワイトは元気ですか?」
「はい、良好です」
「そうですか。何よりです」
二人は一通り話し終わったようだった。ハーピーは準備室の奥へ歩いていく。書類の整理が待っているのだ。彼女が歩くと、大きなかぎ爪がジャッ……ジャッ……と音を立てた。
「行っていいですよ。眠れるなら少し眠りなさい」
「ありがとうございます。失礼します」
男子生徒は会釈をし、最上級攻撃魔法学準備室から出た。教室では、黒髪に簪を挿した女子生徒が、緩んできていた包帯を手に巻き直しながら、彼を待っていた。男子生徒は彼女の元へ行き、二人は連れだって教室から出ていった。
放課後。あたしは新聞部の部室へウェイウェイを連れていった。わがフクロウ新聞部は、東の塔の最上階に部室を構えている。部室にはもう部員のみんなが来ていて、忙しそうに動いていた。
狭いけれど天井の高い部屋は、紙たちが立てるカサカサという音で溢れている。インク壺、原稿用紙、取材手帳がビュンビュン宙を行き交っていた。
部屋の真ん中には、テーブルが何台も並んでいる。タイプライターがカタカタ鳴りながらひとりでに文字を打っていて、羽ペンはカリカリと原稿用紙を掻いている。
黒のインク壺の前に列を作り、順番待ちをしている羽ペンたちは、ちょっと苛つき気味に互いをせっついている。
完成した原稿の隣には、白い紙が行儀よく順番待ちをしていて、部員のソレーヌ・トゥリアンナ先輩がかけた印刷魔法に従っている。刷られた新聞はパタパタと飛んで、空中で数枚ずつ重なっていく。スーッと入った折り目の通りに畳まれ、先輩のもとへ積み上がっていった。先輩はテーブルの向こうで待っていて、新聞たちの仕上がりをチェックしている。
トゥリアンナ先輩はスクーグスロー族の女子生徒、麦の穂寮の五年生だ。
スクーグスローとは、人間の体に木の背中を持つ種族だ。背中の状態は、樹皮であったり、ぽっかり空いたうろであったり、枝が何本も伸びていたりと、個人によって様々だ。
部室の左の壁を床から天井まで占める大きな棚には、備品が雑多に詰め込まれている。予備の羽ペン、特別な色のインク壺、真新しい原稿用紙、過去に発行した新聞たちをまとめたバックナンバー、カメラ、お蔵入りの取材写真などだ。
真ん中の壁は一面が掲示板になっていて、部内報やら発行部数をグラフにした表やらが、画鋲で打ち付けられている。今も、長い脚立に乗ったエルドレド・ビヨー先輩によって新しい数値が書き足されていた。
ビヨー先輩は鷲の翼寮の四年生、人熊族の男子だ。人熊族とは、普段は人間で、皮を被れば熊になる種族である。
右の壁には大きな黒板があり、たくさんの線と絵が描かれている。チョークとマグネットを持ち、箒に跨がった部員が、天井近くの空白に新しい図形を書き足していた。
今月末に行われる「ホーンビーストゲーム」のコートだ。わがフクロウ新聞部は、試合の前に結果予想の記事を書く。
担当はカンパネラとレナ先輩だ。高く上がりすぎて天井にときどき頭をぶつけているほうが、カンパネラ・サント。鯨の尾寮所属の二年生で、玉響族の女の子だ。ホーンビーストゲームの熱烈なファンである。
玉響は、別名オーブとも呼ばれる。天気雨の日に、雨粒に変身する種族だ。彼らが変身しているあいだは、空中に雫のような光の玉が現れる。その光景はとても綺麗だ。
彼女の真下。机に広げた模型に杖を突っ込み、コートの中でミニチュアの選手たちを動かしているのが、レナ先輩だ。星の影寮、五年生の女子生徒。
レナ先輩は、東の国出身の花魄族だ。レナというのは愛称で、本名は萨巴热娜如・伊纳耶提という難しいお名前である。
花魄とは、大木の中に暮らす種族だ。レナ先輩はつるりとした白い肌と墨の色をした瞳の持ち主で、いつも花の香りを漂わせている。花魄族は、全員が挙体芳香だ。挙体芳香とは、生まれながらに体からよい匂いを発するという希有な体質のことをいう。
二人は、天井と床からメガホンを片手に難しい顔でああだこうだ議論している。
高い天井には横断幕が張られていて、色の変わるインクで書かれた「正しいニュースを迅速に!」のスローガンが、きらきら光っている。
小さな天窓はいつも閉められている。紙を扱う部室に、雨と風は厳禁だ。
自分たちが空模様に敏感だからという理由だけではなく、全校生徒のためにあたしたちは天気予報を出している。西の塔にある気象部と連携して、朝、昼、放課後、夜、と日に四回の発行だ。だからこれといったニュースがなくても毎日忙しい。
部屋の高い位置を十字に横切る梁では、フクロウたちが眠っている。配達要員の子たちだ。主に中型の種で構成されている。中型、大型のフクロウの寿命は二十年以上。あたしが入学したずいぶん前から部にいると、当時の七年生が教えてくれたので、今では部員の誰よりも先輩だ。
種類と名前は梁の左から順に、ススガオメンフクロウのアシュレイ、オオメンフクロウのパルミエ、オナガフクロウのシルバーブレット、アフリカワシミミズクのレモンビーク、ベンガルワシミミズクのクリームカラメル、ウスイロモリフクロウのグリルドパイナップル、アフリカヒナフクロウのバームクーヘン、北マダラフクロウのミルキーウェイ、シロフクロウのコットンキャンディ。わが部の精鋭たちだ。
ドア横のホワイトボードの行先表示板には、カシュニー先輩が天馬術部の取材に出ていて、戻り時間はペガサスたちの機嫌次第、との走り書きが残されていた。
マレク・カシュニー先輩は、麦の穂寮四年生、ドライアド族の男子だ。ドライアドとは、木に似た人の姿をした種族である。褐色の肌に緑色の髪で、本人がその気になって佇めば一本の木に見える。
ペンやイレーザーの置かれているホワイトボードのトレーには、先輩のペットのミツバチが眠っていた。可愛いけど寂しいだろうから、先輩には早く戻ってきてあげてほしい。
どれもいつもの光景である。
あたしとウェイウェイは部室に入って、ロッカーに荷物を置いた。部室はバタバタしていて、誰もこちらへは目をくれない。それもそうだろう、なんだかいつにも増してピンチみたいだから。
「副部長! 部印が見つかりません!」
「ヤカンの中は?」
「さっき紅茶を淹れたので入ってません!」
「本棚の後ろは確認したか?」
「三十年前に発行の号外が見つかりました!」
「……それはめでたいな。ファイリングしておけ。それから箒をこっちに向けるな」
どうやら、新聞のすみっこに押す必要のある印鑑が見つからないようだ。融通の利く部長が作った「困ったときのダミー印鑑」でもいいんだけど、厳しい副部長に見つかると怒られる。探さないと。
「──シトライン部長」
副部長のユージェーン・クリスマス先輩が、扉のほうを振り返った。黒髪の上級生が入ってきたところだった。彼女こそ、我らがフルール・シトライン新聞部部長。鷲の翼寮所属の六年生だ。
「部印が見当たりませんが、また失くされたのですか? 何度目です?」
クリスマス副部長の声が冷たい。でもシトライン部長はどこ吹く風だ。
「え、部印? そうねぇ……。ああ、そういえばこのあいだの部長会議以来、見てないわ。どこなの?」
「俺が聞いてるんですよ。失くされたら困るのは全員なんです。あれがないと発行できないじゃありませんか」
丁寧な口調だけど、これはだんだん怒ってきている。
「物探しの呪文は試したの?」
「ですから、学校からの配給物にはその手の魔法が効かないと、ご存じでは?」
「あ、そうだったわ」
シトライン部長はルサールカ族の女子生徒だ。
ルサールカとは、川の中に住む美しい種族である。水を含んでしゃらしゃら輝く髪と、潤んだ瞳が特徴で、スタイルもいい。ルサールカ族は地方によって呼び名が違い、有名な別称はヴィーラだ。
海の中に住む「水中人族」とよく似ていて、どちらの種族も手から水を生み出し自在に操れる。違うところは、水中人は陸にいるとき体から水が流れ出るのに対し、ルサールカ族の人たちは比較的乾いているという点だ。
シトライン部長はかなりの美人で一見近寄りがたく思えるけど、さっぱりした性格なので下級生がよく懐く。
クリスマス副部長は、星の影寮の五年生。スノーホワイト族の男子だ。
スノーホワイトは雪山や雪原などの深い雪の中に暮らしている。その名の通り、全身が白雪のように真っ白だ。さらにダイヤモンドダストをまとっているのできらきらしている。
長い白髪も本来はサラサラしていて綺麗なはずなんだけど、締め切りが迫ったり、今日みたいに部印が紛失したりすると一変、刺々しく結晶化する。今は、毛先が尖り始めたくらいだ。
神経質そうな顔の副部長の肩の上を、白いものが行ったり来たり跳ねている。ブルーベリーの青い目とトキワツユクサの花の耳をつけた、雪玉のネコだ。副部長のペットで、先輩とは対照的にかなり愛嬌がある。
散らばった没原稿の合間合間に見えている木の床を、ひょいひょいと歩いてきたシトライン部長。一歩を踏むたびに髪も跳ね、雫が弾ける。
雫がテーブルの新聞に落ちる前に、副部長が片っ端から雪へと変えていく。雪になれば水滴より降るのが遅くなり、着地する前に吹き飛ばしてしまえるのだ。スノーベリー製の杖を片手に、副部長は部長の後ろでその黒髪に目を光らせている。
部室には一年生から六年生までしかいない。勉強と卒業試験と就職活動で忙しい七年生は、所属はしているけれど、あまり顔を出さないからだ。
「シナバー。あなた、印鑑がどこに行ったか知ってる……わけないわよね」
まわりをぷかぷか泳ぐ、小さな水魔を指でツンとつつく。部長のペットだ。
高学年になると、こうして水棲のペットでも自分のまわりに持ち歩いて世話することができるようになる。水の玉の中に閉じ込められていると、広い水をかきわけて進む喜びはないけれど、構ってちゃんのペットにとっては、飼い主といられる時間は長いほうが嬉しいものだ。
生徒たちが持ち込んだペットの魔法生物たちは、飼い主のそばか飼育舎で過ごす。一緒にいたほうがいいか、預けたほうがいいかは、ペットの性格による。甘えんぼうな子もいれば、構われるのが嫌いな子もいるので、飼い主はそれぞれのペットに合わせている。
棚から、担当する「最近の魔法界の種族における個体数の推移について」のファイルを取り出していたシトライン部長が、急にあたしに気づいた。
「──アイリーン。ちょうどいいところにいるわね。部印見なかった? あら……?」
それからウェイウェイにも気づく。
「九尾狐!」
さすが六年生だ。一目で種族がわかるなんて。
「九尾狐!?」
部長の声に、副部長も、ほかの部員たちも振り返った。東の地域出身の生徒は、多様性には自信のあるウィザースプーン校内でもあまり見かけることがないので珍しいのだ。
みんなに注目されて、ウェイウェイがあたしの後ろに半分だけ隠れる。残り半分は遠慮してるのかな。あたしは背が高いから、こういうとき役に立つ。
あたしは部のみんなにウェイウェイを紹介した。
「九尾狐族の美雨王、鷲の翼寮所属の三年生です。今朝編入してきました。仮入部というか、見学です」
「新入部員!」
部長も、副部長も、目が輝いた。生徒数の少ないウィザースプーンだから、新入部員の取り合いは毎年激しい。
部長の周りに雫がわっと飛び出す。副部長が即座に杖を振り、白い雪が部長の周りをふわふわと落ちていった。二人はいいコンビだ。
「好きに見ていきなさいね」
シトライン部長がウェイウェイに向かってにこやかに言う。ウェイウェイは今朝あたしたちにしたように、ぺこりとお辞儀をした。
「あっ、天禄」
「──え?」
「これ、天禄でしょう? ここにいるの?」
「……え、なに?」
コルクボードに鱗のようにびっしり貼られた取材写真の中から、一枚を指さすウェイウェイ。
それは、東の国に棲息する魔法生物だった。角と、たてがみと、尾と、ひづめと、ひげがある。写真のすぐ隣には、部員の誰かの殴り書きのメモもあった。
──ひじょうにおとなしい。龍の頭を持った鹿。体は鱗に被われる。殺生を嫌う。ゲームには向かない──。
龍。
龍なら私にもわかる。東の地域に棲息するドラゴンのことだ。あたしたちに馴染みのある西の地域のドラゴンとは、見た目がずいぶん違う。体は頭から尾まで同じ太さで、とても長い。翼もないのに空を飛び、枝のような角と、長いひげがある。ドラゴンと同じで、飼育の禁止されている生き物の一つだ。
「……よく見つけたね。……で、テンロクって?」
「角が二本の桃抜よ」
「……トウバツ……?」
ウェイウェイの故郷の言葉なんだろう。初めて聞いた。
きょとんとしてしまったあたしに、ウェイウェイが首を傾げた。
「アイリーンは、これなんて呼んでるの?」
「うーん……バイコーンかな」
「あ、そっかぁ。二角獣だ」
バイコーンとは、頭に角を二本持つ、馬やライオンのことだ。二角獣ともいう。
「ねぇ、この顔の一角獣もいる?」
「いたと思うよ。ユニコーンでしょ、ちょっと待って──あ、ほら、これ」
「わぁ……」
「これはウェイウェイたちはなんて呼ぶの?」
「麒麟。角が一本の桃抜よ」
角が二本の、角が一本の──とくれば思い出す教科書のフレーズがある。
「……ウェイウェイ。トウバツって、もしかしてホーンビーストのことかな……?」
「あっ、そうかも」
ホーンビーストとは、額に角のある魔法生物の総称だ。西と東でずいぶん見た目が変わるんだなぁ。
「アイリーン。もしかして無角獣もいる?」
「ホーンレス? ……馬?」
ユニコーンから角を取ったら、馬かライオンだ。でもウェイウェイは首を横に振って、写真を指差す。
「この顔の」
「うーん……」
こんな顔の魔法生物、いたかなぁ? しかも角がないなんて……。
首をかしげるあたしをよそに、ウェイウェイは写真の群れを見回し探し始める。
「──これか?」
あたしが腕組みをして考え込んでいたら、ビヨー先輩が後ろからあたしたちの間にぬっと腕を通してきて、ボードに貼られた一枚を指差した。いつの間に脚立から降りてきたんだろう。
ウェイウェイの顔がほころぶ。
「あっ、そうです、ありがとうございます」
「これはなんていうの?」
「百解よ」
テンロク、トウバツ、キリン、ヒャッカイ。今日だけでずいぶんと賢くなった気がする。東の国での呼び方をテストで聞かれることってそうそうない気がするけれど。
さらにビヨー先輩がアルバムを渡してくれる。ウェイウェイと一緒に覗いた。
ウィザースプーン城の南側、牧場の横に建ち並ぶ魔法生物飼育舎の、取材記録の百五巻だった。種族柄、体の半分が動物と同じ生徒が多いので、動物ネタは一定の受容がある。わが部の稼ぎ頭だ。
アルバムの大きな表紙を開くと、城の敷地で飼われている生き物たちの写真が並んでいた。その中から、ウェイウェイお目当ての東の地域の魔法生物を探す。
めくっていくと、中ほどに「ホーンビースト(東洋)」と題をふられたページにたどり着いた。写真がいっぱいだ。あたしとウェイウェイは覗き込んだ。
ウェイウェイのいう「桃抜」がたくさん写っていた。
写真は、桃抜たちの鱗の色で分かれ、下にはそれぞれ名前が書いてある。
真紅の鱗を持つ子の名前は、アンク。
ブルーの鱗の子は、ショーコ。
全身真っ白なのは、サグメイ。
漆黒の桃抜は、ロックターンとコックターン。双子だ。
黄色い子は、ファン。
ウェイウェイが嬉しそうだ。部室に連れてきてよかった。新聞部に誘ってよかった。
「もっと見てもいいかな」
「うん。大丈夫だよ。これは部の共有物だから」
「ありがとう」
「貔貅だ。懐かしいな」
少しして、ウェイウェイが言った。開いているページには、ウィングビーストが写っていた。
ウィングビーストとは、空を自在に駆ける魔法生物の総称だ。ペガサス、グリフォンなどがいる。
ヒキュウはなんとなくグリフォンに似ていた。でもたてがみはなかった。
顔は、豹みたいだ。頭のてっぺんには角が一本、後ろ向きに生えている。体は灰色。
この「ヒキュウ」にも翼があるけれど、グリフォンのものと違って、半円形というか扇形だった。不思議で面白いなぁ。
「どんな子?」
「猛獣よ。強いの」
ウェイウェイは大事そうにページをめくっていく。
しばらくあと。満足そうな吐息をついて、ウェイウェイが顔を上げた。あたしはもっぱら、アルバムよりウェイウェイを見ていた。
「こんなことができるんだ……。すごく楽しいね、新聞部」
「本当!?」
「私も……桃抜たちの取材がしてみたいって、思っちゃった」
「大丈夫だと思うよ。みんな一人でいくつも紙面を抱えてるから、分担が減るのは喜ぶと思う。なんたって万年人手不足だから!」
胸を張って言うことじゃないけれど、わが部は何しろ人手もフクロウの翼も不足しているのだ。
部室の一角には、唯一、物の散乱していないところがある。巨大なゴブレットのような大理石の台座だ。上には平たい水盆が置かれていて、常にお湯が張ってある。これは、気象部との連絡で使う大事な道具だ。
もうすぐ五時。放課後の天気予報を出す時間だ。天気予報は数分あれば刷り上がるから、まだ余裕がある。
そろそろ気象部から連絡が入るはずだ。あたしはウェイウェイの腕を引いて、水盆を見に行った。
水盆からは、ゆらりゆらりと湯気が立ち上っている。ウェイウェイがきらきらした目であたしを見る。何がしたいかはわかる。あたしも初めて見たときやったから。あたしは頷いた。ウェイウェイが、おそるおそる手を伸ばし、水盆の上にかざした。
「わぁ……あったかい」
「でしょ? 冬場なんかけっこう役に立つんだ」
「あっ──」
「天気予報! 気象部から連絡です!」
そうしているうちに水面が震え始めた。気象部からの連絡だ。あたしは部室を振り返って、大声で知らせる。そういう決まりだ。
ゆらゆらくねっていた湯気がだんだん中央に集まって、縦長になり、そして人の形になった。気象部の副部長、暁胡劉先輩だ。
「気象部より連絡。新聞部は応答せよ」
「はい、よろしくお願いします。三年生のアイリーン・フォースターです」
あたしはポケットからメモ帳と鉛筆を取り出した。天気予報のやり取りは慌ただしいので、羽ペンは向かない。
劉先輩は六年生、ロレンシオと同じ麦の穂寮の男子生徒だ。湯気の姿の先輩も、手元のメモを読み上げる。
「あと数時間は晴れ、気温は昨日と変わらず少し低い。水分補給をまめにし、日向を歩くように。夜になるにつれ風が強まり、夜中から未明は少し荒れる。風は東から吹く。気をつけろ」
「了解。以上ですか?」
「以上だ。聞き取れたか?」
水盆の上で、先輩は最低限の言葉しか話さない。連絡中は長々と話されても困るのでこれはありがたい。
あたしはメモを読み返し、聞き取れなかったところがないか頭の中で反芻した。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「では失礼す──」
水盆の上で後ろへ去ろうとしていた先輩が、振り向いた。
「──九尾狐?」
ウェイウェイを見上げている。ウェイウェイも湯気の劉先輩をじーっと見つめていた。
「……天狗さん?」
「ああ。……久しぶりに見たな」
「私もです」
二人がまじまじと見つめ合っている。ほんの少し経ったあと、先輩はあたしに改めて「失礼する」とだけ言って、シュワ……と消えた。水盆は元に戻り、ただ湯気がふわふわ揺れるだけになった。
先輩は天狗族だ。流星群の夜、白い犬に変身する種族である。ウェイウェイと同じく東の国出身だ。湯気の姿だったので真っ白だったが、先輩もウェイウェイと同じ黒髪だ。顔見知りではなさそうだったけど、ふるさとが一緒の二人だから懐かしかったのかな。
先輩を、というか水盆を、ずっと興味津々に見つめていたウェイウェイ。紫色の瞳がきらきらしている。あたしはそっと声をかけてみた。
「……どう? ウェイウェイ」
「うん。楽しそう」
「本当? …………入部届、書く……?」
「うん」
嫌がられないよう恐る恐る勧誘したのに、ウェイウェイの答えはあっさりだった。あたしは部長たちのほうを振り向いて、天気予報そっちのけで報告する。
「新入部員一名、入部しました!」
「おおー」
部のみんなが作業の手を止め、拍手をする。
パチパチという音の中、シトライン部長が両手を広げた。手首を一度回して、指を反らせる。歓迎のセレモニーだ。あたしも三年前にしてもらった。……あ、でも──。
「ようこそ、わがフクロウ新聞部へ」
シトライン部長がにっこりと笑った。
部長の手から水が噴水のように吹き出した。くるくると何本も飛び出して、長いリボンのように螺旋を描く。水のリボンはあっという間に太くなっていく。そして勢いよく弾け、本物の噴水になって、部室中に水をまき散らした──。
拍手をして、珍しく微笑んでいて、クリスマス副部長が間に合わなかった。副部長の髪の結晶が猛スピードで成長し、刺をビキビキ伸ばしていく。全員の目に、水の飛び散った原稿用紙が見えている。ああ、みるみる滲んでいくインク……。
初仕事がこれでウェイウェイにはちょっと申し訳ない。大変だろうけど、これから全員総出で後片付けをしなくてはならない。新聞部に入部した生徒が、一番上手くなる呪文だ。
さあ、乾燥魔法をかけまくろう。
ユージェーン・クリスマスさんは、ゆったん様よりお借りいたしました。ありがとうございます。