朝食
プリシラを肩に乗せて、大階段を降りてゆく。プリシラは、あたしの肩にローブの上からきゅっと爪を立て、上手にバランスを取っている。あたしは、教科書の重みでずり落ちる学生鞄を、プリシラを乗せていないほうの肩で何度も担ぎ直した。
向かっているのは大食堂。ウィザースプーン魔法魔術学校では、生徒も先生も職員も来客も、学校中のみんなが大食堂で食事をする。なので大食堂はとても広い。抜けるように高い天井からは豪華なシャンデリアがぶら下がり、壁に沿う柱も窓も大きい。
食事は、夜間の寮外外出禁止の時間帯以外ではいつでも食べられて、ビュッフェスタイルだ。大食堂の入り口を入ってすぐに、料理のずらりと並んだ長い台があり、好きなものを選べる。
大食堂を奥にいくと、大きな長テーブルが四つ並んでいて、生徒は所属する学生寮ごとに分かれて座る。
学生寮は四つある。名前はそれぞれ、麦の穂寮、鷲の翼寮、星の影寮、鯨の尾寮という。あたしたちは鷲の翼寮の所属だ。
寮分けは入学式で行われる。
全校生徒が楽しみにしているイベントで、上級生がみんな注目するから、ただでさえ緊張している新入生は余計にドキドキする。
まず新入生は何列かに並ばされる。そして寮監の先生方が四人やってきて、新入生の額に一人ずつ手をかざし、自分の監督する寮へ入る生徒を選んでいく。
どの寮へ行くかは一度で決まるわけじゃない。寮監の先生四人は新入生の列を何順もして、生徒全員の所属が決まるまで何度も手を当ててくれる。
このとき先生方は手にパームカフをはめていて、パームカフにはそれぞれ大粒の鉱石がついている。
麦の穂寮の寮監のファブリス・フランソワ先生の手には、重なった色の層が美しいレインボーフローライト。
鷲の翼寮の寮監のメルセデス・マルグリット先生の手には、針が何本も交差したルチルクォーツ。
星の影寮の寮監のセルゲイ・ソゾーノヴィチ先生の手には、透き通ったクンツァイト。
鯨の尾寮の寮監のペネロピー・パッヘルベル先生の手には、波模様のラリマー。
あたしは鷲の翼寮に寮分けされたんだけど、寮が決まるとき、ルチルクォーツがあたしの額の上で金色の光を放って、体が暖かくなった。見上げるとマルグリット先生が微笑んでくれて、心も高揚してとても嬉しかった。
上級生たちの拍手、特に鷲の翼寮の先輩たちの一際大きな拍手に迎えられて、テーブルに着く。寮分けが無事終わった安心感を噛みしめながら、この幸せと祝福の光景は一生忘れないって思ったんだ。
大食堂の一番奥、一段高い上座には立派なテーブルがあって、先生方はそこから寮分けを見守ったり、連絡事項を伝えたり、食事をしたりする。
ちなみに先生方の料理は、厨房へ繋がる小さな扉からお城に仕える妖精族のスチュワードフェアリーが出てきて、テーブルまで直接運んでくるのだ。
我がウィザースプーン魔法魔術学校は、一学年は四十人前後、十三歳から十九歳までの若者が七年間かけて通う、全寮制の共学校である。
あたしたちはビュッフェ台から料理を取り、お皿をたくさん乗せたプレートを持って、鷲の翼寮のテーブルへ座った。朝食だ。
まず、肩からテーブルの上に降り立ったプリシラのふわふわした頭に鼻をうずめる。
「はーっ、フクロウくさい……! やっぱこれを嗅がないと一日が始まらないや」
「は? なに年寄りくさいこと言ってんのよ」
そんなことをするあたしの隣で、悪口が聞こえた。目玉のばっちりはまったルジェナが日刊満腹山羊新聞社の朝刊を広げている。彼女は朝食の席で新聞を読むことを日課としている。
「また事件よ。『何も取られた物はなかった。我々は宣戦布告として受け取る』ですって。──受け取ってる暇があるなら捕まえなさいって話よね」
「年寄りくさい!」
新聞紙相手に、もともと細い瞳孔をさらに細くしたしかめっ面でぶつぶつ独り言を言う姿こそ、ほかになんと言えばいいのかあたしは知らない。
ルジェナは七面鳥とサニーレタスのサンドイッチを頬張り、ろくに噛みもせずブラックのコーヒーで流し込んでいる。……これを年寄りくさいと言わずしてなんと言おうか。
マスタードを垂らしても新聞紙を手放さないルジェナは、三年生の中で一番に賢い。たまに目玉を忘れるくらいには抜けたところがあるけど、試験になると凄いんだ。
賢い生徒は麦の穂寮に寮分けされるって噂なのに、ルジェナはあたしと同じ鷲の翼寮にいるから不思議だ。でもおかげであたしたちの授業での獲得点は高い。
ウィザースプーン魔法魔術学校では、日々のなんでもないような行動から、試験の点数、体育祭での得点までこと細かに数値化されて、成績に影響する。そしてその点数は学年末に授与される四寮杯にも反映されるから、一人一人が頑張れば頑張るだけ寮のためになる。
「プリシラ、お前またベーコンがいいの? もっと塩分を気にしなさい、塩分を」
「…………」
プリシラがあたしのお皿からよく焼けたベーコンを奪う。視線を感じて横を見ると、ルジェナが眉を段違いに上げた呆れ顔でこっちを見ていた。
人が食べて美味しいベーコンはフクロウには塩辛い。あたしは愛鳥の健康を守っているだけなのだ。
大食堂に続々と人がやってくる。ビュッフェ台が混み始めた。早めに来ておいてよかった。
さっきまでスカスカだった鷲の翼寮のテーブルも半分くらいが埋まっていく。そろそろ、女の子より寝坊の傾向がある男子たちも来る頃かな。
「もう一声」
ルジェナの向かいでは、リカルダが杖でアップルパイの上に小さな雲を浮かべ、粉砂糖を降らせている。黄色の瞳は真剣そのもの。彼女は甘いものが大好きだ。昨日の朝ご飯は、冷たいバニラアイスクリームを乗せた熱々のガトーショコラだったし、飲み物なんてホイップクリームを高々と盛ったウィンナーココアだった。
ウィザースプーンの食事はデザートも充実しているから、デザートコーナーでは毎回迷う。
あたしなんか、毎日ウエストと相談しながら、我慢と食欲の戦いを頭の中で繰り広げているっていうのに、いくら食べても太らないリカルダは、パンを食べるようにデザートを食べる。人狼族の体、恐るべし。
リカルダの隣では、シンシアが温かいスープを啜っている。
彼女は薔薇のスープとカシスの実しか食べない。飲み物も、ヴァンパイア族のために用意されている「赤いジュース」しか飲まない。あんまり細くて心配になるけど、シンシアはこう見えて、寮対抗ペガサス杯の代表選手なのだ。
ペガサス杯とは、二ヶ月に一度開催される我が校伝統のペガサスレースで、年間の成績を通算し、優勝寮と個人チャンピオンが決まるスポーツ選手権だ。
シンシアはペガサスの扱いがすごく上手くて、一年生の頃から表彰台に上っている。空を駆けるその勇姿は、普段の吹けばかき消えてしまいそうに細くて白い彼女からは、想像がつかないくらい颯爽として格好いい。
「──よう。食うか?」
「……ううん……」
大食堂が本格的に騒がしくなってきたと思ったら、男子生徒たちが押し寄せていた。
シンシアのお向かい──あたしの隣のルジェナの隣に、アレクセイがやって来て座った。
青白い肌に、灰色の短髪。赤い目、鋭い牙。広い額と高い鼻が、スポーツマンらしく逞しい。彼はあたしたちと同じ三年生で、ヴァンパイア族の男子だ。
アレクセイのプレートには、レアのビーフステーキと、豚の血と脂で作られた黒いソーセージと、レバーペーストを塗ってこんがり焼いたフランスパンと、ミネストローネスープが乗っている。ヴァンパイアらしい、ついでに食べ盛りの男子らしい素敵な朝食だ。
アレクセイも、寮対抗二十四時間耐久箒レースの代表選手だ。こちらは年に一度、丸一日かけて開催される箒のレースで、チーム戦である。
このレースは、出場する選手にとっても、応援する観客にとっても、審判の先生にとっても、過酷だ。観客の生徒たちは、自分の贔屓する選手の出場時間に備えて、仮眠を取りながら応援する。
アレクセイは体力がすごくあって、たまに一人で二人分の時間を飛んでものすごい距離を稼いだりする。それに、彼のドリフト飛行はほかの選手が真似できないくらいに速くて大胆なのだ。ヴァンパイア族は本当に身体能力が高い。
アレクセイの挨拶に、シンシアは金と白のしましまのマフラーのなかで首を縮めるようにして返事をした。金色と白は、我が鷲の翼寮のシンボルカラーである。
食の細いシンシアに声をかけてくれるあたりが、外見に反して紳士的なアレクセイだけど、それは内なる野獣ゆえの紳士だとみんな知っている。
当のシンシアは、人見知りかつ引っ込み思案な性格なので、彼の好意にまるで気づいていない。
二人はお似合いのカップルになりそうなのに、恋ってもどかしい。でも見物するには片想いのほうが断然楽しい。
エリザベスは、シンシアとは反対のリカルダの隣、あたしのお向かいにいる。今は半分に割ったスコーンに、クロテッドクリームと苺のジャムを塗っている。
「ごきげんよう、アンフィ。今朝も髪が綺麗ね」
エリザベスがテーブルの上を回ってきたスチュワードフェアリーに挨拶した。
スチュワードフェアリーは、長年ウィザースプーン城に住んでいるハウスキーパー妖精で、あたしたちの世話をしてくれている。三十センチほどの小さな背丈で、いつも青い制服を着て、白いエプロンをつけている。
スチュワードフェアリーのアンフィは、エリザベスの前まで来て、ぺこんとお辞儀をする。うぐいす色の長い髪がふわふわと空中に漂った。
「おはようございます、ミス・デネット。今朝もお二つですか?」
「ええ。ありがとう」
エリザベスがティーカップを差し出す。アンフィは抱えていた小さな砂糖壺のふたを開け、背中にしょっていた銀のシュガートングを中へ突っ込んだ。白い角砂糖を二つつまみ出し、紅茶の中へポチャン、ポチャンと落とす。
エリザベスがティースプーンで紅茶をかきまぜる。アンフィは角砂糖が無事に溶けていくのを、スモモのような瞳で見守った。それからシュガートングを背負い直し、もう一度ぺこんとお辞儀をすると、次のティーカップを探してテーブルを歩いていった。
紅茶をたしなむエリザベスは、青みがかった長い黒髪の中、耳許に雨上がりの蜘蛛の巣をイメージしたレースのイヤリングが揺れて、優雅だ。
彼女は手芸も得意だけど、美容にも詳しい。そして気前もいい。あたしたちが夜に使うフェイスパックは、彼女がなんと夢見糸で作ってくれた特製品だ。どこにも売っていない。エリザベスはウィザースプーンを卒業後、これでセレブ向けの事業を起こしたいんだそう。夢見糸のフェイスパックがタダで使えるなら、あたしたちは喜んで実験台にでもなんでもなるってものだ。これがまた夜更かしによく効くんだよね……。
それからシンシアの日焼け止めも彼女が調合している。アレクセイもたまに市販のお高い日焼け止めをシンシアにプレゼントしているけど、日の光に弱い彼女の肌を一番わかっているのはエリザベスだった。
この日焼け止めのクリームやグロスは、学内の生徒に格安で販売している。夢見糸でメインに稼ぐ彼女のささやかな趣味だ。あたしたちも、ペガサス杯や箒レースの応援のときに使う。地上から数十メートルも高く設けられた観客席って、見晴らしのため日影を作ってくれる屋根も障害物もないから、かなり焼けるんだよね。
隣のルジェナはいつも柔らかいホワイトブレッドのサンドイッチを選ぶけど、あたしは朝のパンは断然トースト派だった。
厚切りのトーストに薄くバターを塗って、じゅわっと溶けたところをかぶりつく──幸せだ。美味しい朝食は一日を素敵にする。
プレートの上にはあたしのいつも通りのメニューが並んでいる。
太いチポラータソーセージ、カリッと焼けたベーコン、皮つきポテトと山盛りにしぼり出したケチャップ、半月型の温かいオムレツ、バター煮の豆、トマト、マグカップなみなみのコーンスープ、オレンジジュースのゴブレット。それから、おやつに持ち歩く用のリングドーナツ一つ。
十五歳の食欲は旺盛だ。女の子にも朝から食べないとやってらんないタイプだっているのよ。
「──アイリーン。あなたのフクロウ、なんかしてるわ」
新聞を読み終わったルジェナが気づいた。アイリーンというのはあたしの名前。
本当だ。プリシラが、あたしがオレンジジュースを飲み干したガラスのゴブレットの上に乗って、首をぐるんぐるん回している。
フクロウは眼球が眼窩に固定されていて、目玉だけを動かすことはできない。だからこうして首を伸ばして、回して、頭全体を動かして物を見るのだ。あたしたちやほとんどの動物は首の骨は七個と決まっているが、実はフクロウだけは倍の十四個、骨がある。それがフクロウ特有のこの驚くべき動きを可能にしているのだ。
「……どした? なんかある?」これはあたし。
「プリシラ、あんた何との距離を測ってるわけ? なんでもいいけど突進するのはやめなさいよ。あんたの着地は圧が強いんだから」こっちはルジェナ。
プリシラがあんまり興味津々なものだから、あたしたちもつられてそちらを見た。
上座のテーブルの前に、女の子が一人立っていた。見たことのない顔だ。全校生徒数は三百人ほどと少ないウィザースプーン魔法魔術学校だから、名前と一致はしなくても、顔を見ればだいたい誰かわかる。
その女の子はあたしたちと同じ制服を着ている。ということはウィザースプーンの生徒だ。
上座の中央から、阿勒玛斯・レッドグレイヴ校長先生が大食堂を見渡した。校長先生は迦陵頻伽だ。迦陵頻伽とは、上半身が人間で下半身は鳥、そして背中に翼の生えた種族である。
赤、青、黄色、黒と白、紫に緑、そして金、銀──。この世の色のすべてがその翼にある。それぞれの色は混ざることなく、それでいて綺麗なグラデーションを作り、馴染み合っている。羽は長く、つややかだ。枝垂れて床に広がる尾羽は、その一本一本が飾り羽である。
そんなゴージャスな容姿の迦陵頻伽族は、さらに、万物を見通す千里眼と、万事を聞き取る順風耳、そして治癒の力を生まれ持つ……らしい。とっても希少種で、校長先生以外には見かけたこともない。
レッドグレイヴ校長先生はエヘンと咳払いをし、気づいた何人かの生徒が先生に注目する。それでもまだ大部分の生徒が朝食とお喋りに夢中だ。
校長先生は金のスプーンを取り、ガラスのゴブレットを軽く叩く。ランランラン──と涼しげな音が鳴って、生徒たちがみんな振り向いた。校長先生は満足そうにニコリと笑い、またエヘン、ともったいぶって咳をした。そして、立ち上がった。
「──諸君。よく食べ、よく笑い、爽やかな朝である」
校長先生はとても偉大な魔法使いなんだけど、挨拶の導入はいつも少し変だ。それに、レンズが三日月の形をした眼鏡をかけている。眼鏡としてはすごく変わった形だと思うのだけど、見えにくくないんだろうか。
「今日また、我が校に嬉しい知らせがある。新しい生徒の編入だ。彼女は九尾狐族のミス・ワン。鷲の翼寮へ入寮する。同室となった生徒は、特に仲良くし、助け合うように。──ではミス・ワン。汝に大ウィザースプーンの祝福あれ」
九尾狐とは、九本のキツネの尻尾を持つ、変身が得意な種族だ。このあたりじゃなくて、確か東のほうの地域に暮らしていたと思う……。そういえば、今まで本物に会ったことはなかったな。
レッドグレイヴ校長先生は最後にウィンクをして、話を締めた。生徒たちが拍手をする。あたしたちも拍手をしながら首を伸ばして、みんなのように編入生を見ようとした。
「編入生だ。珍しいね、この時期って。先週来れたらハロウィンに間に合ったのに」
「わぁ……可愛い……」
「九尾狐? 初めて見る。何年生かしら」
「もし三年生なら、今日来るなんて気の毒よ。クワイン先生の古代魔術、小テストだもの」
「ねぇ、ちょっと……!」
我が鷲の翼寮の寮監のマルグリット先生に連れられて、編入生がこちらへやって来た。
彼女が近づいてくるのに合わせて、あたしたちは静かになる。心の中はわくわくしている。何年生なんだろう?
スミレ色のローブを着たマルグリット先生は、メデューサだ。髪の毛は暗く青光りする何匹もの蛇で、お顔はとても美しい。厳しくて、宿題が多いことで有名な、中級防衛魔法学の先生である。今出ている宿題、あたしはまだ終わっていない。
マルグリット先生は鷲の翼寮のテーブルを見回し、誰かを探している。そして呼びかけた。
「三号室室長、ミス・フォースターはどこですか」
「ここです、マルグリット先生」
探されていたのは、あたしだった。
あたしは挙手し、起立する。マルグリット先生の前では規律正しい振る舞いが求められる。
あたしを見つけた先生が、こちらへツカツカ歩いてくる。
「今日からあなたたちの同室生です。助け合い、ともに困難を乗り越えてください」
そして先生はいなくなった。
九尾狐の女の子は、色白で、ふさふさしたクリーム色のキツネの尻尾が九本、スカートから出ていた。黒髪に、紫色の瞳がきらきらしている。唇は朱色で、鼻がツンと細い。ローブの襟元を、縁に綺麗な装飾が施された平らな木のブローチで留めている。
彼女はぺこりとお辞儀をした。
「は、初めまして、微雨王といいます。東の国から来ました。どうぞよろ──」
「きゃーっ! 待ってた!」
あたしは立ち上がり、彼女の腕を掴んでぶんぶん振る。
「あたしアイリーン。アイリーン・フォースター。仲良くしようね!?」
「あ、う、うん──」
「ねえ、みんな聞いて! あたしにも一緒に大鍋を使う人ができちゃった! 素敵!」
「うるさいよ」
鷲の翼寮の一年生の数は奇数なのだ。薬学の授業で大鍋を囲むとき二人一組になるんだけど、ルジェナはリカルダと、シンシアはエリザベスと組むから、あたしはいつも一人で寂しく頑張っていた。だから編入生が来てくれて、すごく嬉しい。
「この子、フクロウ小屋に連れて行くの。一緒に行かない? ついでに校内を案内したげる」
この喜びを伝えたくて、あたしは校内の案内を買って出た。一限目の授業までまだ時間がある。
「ありがとう。親切ね」
あたしの奇怪な様子にびっくりしていた九尾狐の彼女だったけど、笑ってくれた。涙袋が膨らんで、目が少しつり上がって、可愛い。
あたしは学生鞄を背負い、椅子をまたいだ。
「じゃ、行ってくるね。後でね」
「遅れないようにね」
リカルダ、シンシア、エリザベス、ルジェナに手を振る。それから、
「おいでプリシラ。新鮮なハツカネズミとウズラが待ってるよ」
テーブルに腕を差し出し、ゴブレットからプリシラが飛び移るのを待った。
「あなたの愛称は? なんて呼べばいい?」
「微々って呼んで」
あたしと九尾狐族の彼女は、フクロウ小屋へ行く途中だ。プリシラには申し訳ないけど、いつもよりちょっと遠回りをして、ウィザースプーン城を一望できる、高い渡り廊下に彼女を連れてきた。
城の屋根の端には、壁と同じ白い石のガーゴイルたちが座っている。今は太陽が出ているから、背中を丸めて眠っているんだ。
あたしたちは欄干から身を乗り出して、一緒に敷地内を見下ろした。
「見て。南側が温室と畑と果樹園で、東側が森、北はグラウンドとスタジアムで、西が校庭と湖なの」
「思ってたより広いんだねぇ」
ウェイウェイはにこぉっと笑った。
「狭いところに押し込められてると思った?」
「うん。覚悟してたの」
ウェイウェイがちょっと下を向く。どこの魔法学校にいたのかわからないけど、どこもここほど寛容じゃないから、人族の魔法使いと魔女たちから少なからず不親切に当たられてきたのだろう。明るい話題にしよう。
「部活、どこに入るか決めた?」
「ううん、まだ決めてない」
「一緒にしようよ。あたしたち仲良くならなくちゃ。これから二人で組むこと増えるんだもの」
「アイリーンは何部なの?」
あたしはよくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張る。
「フクロウ新聞部よ!」
あたしはウィザースプーン魔法魔術学校のフクロウ新聞部、三年生紙面担当だ。
あたしの肩で、プリシラも誇らしげに嘴をクイッと上げる。配達用の部活のフクロウはもちろんいるけれど、人(フクロウ)手が足りないときにはプリシラにも配達を手伝ってもらっているのだ。
例えば、シンシアがペガサス杯で激しい競い合いを見せたり、アレクセイがドリフト飛行のスピードを更新したりといったニュースが飛び出すと、号外が刷られる。そうすると目が回るほど忙しくなる。
ウェイウェイは目を丸くした。
「学校の新聞があるの?」
「学生新聞だけどね。購読者はそこそこよ」
特に号外は飛ぶようになくなる。──これは記事の力じゃなくて、印刷された写真の人物の威力だとはわかっている。あたしももうちょっと頑張りたい。
「ウェイウェイもおいでよ。何かあれば助け合えるし、記事を書くのに向いてなかったら、隅にコミックを書いてもいいよ。あたし記事は書けるんだけど、広告の才能がないから困ってるんだ」
「そうなの? 私、絵は得意よ」
「本当!? すごい、運命じゃない!?」
あたしたちはそれからもっと話した。
「好きな教科とか、ある? あたしは霜占いがけっこう好き」
「私は……変身学かなあ」
ウェイウェイは九尾狐族だから、変身が得意なのも納得だ。
あたしたちは話しながら、少しずつフクロウ小屋へ向かっていった。
校内を下っていたら、廊下の向こうから女の子が歩いてきた。赤と黒の二色に織られたネクタイを締めている──ケンタウルスのジャスミン・メーベルトだ。彼女は星の影寮に所属している。
星の影寮の塔は、あたしの住んでいる鷲の翼寮の塔から一番遠い。でもあたしたちは仲良しだ。
彼女との出会いは、二年前の秋。初めて学園に来る汽車の中だった。乗り込んだ場所が悪く、覗いたコンパートメントにどこも空きがなくて困っていたあたしを、ジャスミンが招き入れてくれたのだ。
最初に目を奪われたのは真っ白な羊毛。ケンタウルスとは、人間の上半身に馬などの四つ脚の草食獣の下半身を持つ種族で、彼女は羊のケンタウルスだった。初対面で失礼かもと思ったけど、その白さに見とれてしまった。
顎のラインで切りそろえた黒髪は、笑うとさらりと揺れて可愛い。前髪の奥はくりっとした丸い垂れ目。ローブの袖は少し長いみたいで、指先だけがちょこんと出ているのが深窓のご令嬢っぽくて奥ゆかしい。
シートに座る背筋も伸びていて、落ち着いてるし、上級生かと思っていたのに、挨拶したら同い年でびっくりした。
寮分けはあたしより長くかかって、彼女は星の影寮になった。あたしは一足先に鷲の翼寮に決まっていたから、一緒じゃないんだ、と残念だった。
ジャスミンは今日も背筋をしゃんと伸ばして、教科書の入った革鞄を両手で持ち、歩いている。
あたしはいつも通り小さく手を振り、でもウェイウェイの手前、「おはよう」と声には出さずに言った。
ジャスミンは私に気づいて、そのあと隣のウェイウェイにも気づいたみたいで、同じように「おはよう」と口の動きだけで言ってくれた。
レッドグレイヴ校長の名前は、青山晃太様よりお借りしております。ありがとうございます。