水溶性、恋心
「ああいうのって、どうなんだろうね~? ナシじゃね?」
私がそう言うのは、さっきすれ違ったカップルの事だ。
恋人つなぎで、肩を寄せ合って、額がぶつかるほどに顔を近づけて、囁きあう。
その表情は、どう見ても恋する乙女というヤツだった。
――二人とも。
そんな女同士のカップルの姿に、イラついた。
だから、その言葉は八つ当たりみたいなものだったのだろう。
だけど。
「ゆっち、人それぞれだし、そんな風に言っちゃ、悪いよ」
そう言ったミカの困ったような笑顔を見て、ミカは優しいな、なんて素直に思えるほど私は愚鈍ではなくて。
分かりたくもなかったその事実に、強烈なショックを受けた私は。
「……そうだね、最近はLG、BT、だっけ? 結構言われてるし、そういうの貶す方がダサいかもね」
無理矢理笑顔を貼り付け、そんな言葉を絞り出すのが、やっとだった。
中学生の頃の私は、恋に憧れていた。
母の本棚にある、少女漫画のような恋。
だけど、身の回りの男子には全く魅力を感じる事はなく、でも、だからこそ、憧れを募らせたのかも知れない。
そんな私は、ある日、笑ってしまうような体験をした。
テレビで見たCM、そこに映る、可愛くて、綺麗な女優さん。
自分もああなりたい、とは思わなかった。
ただ、この人と私の人生は、てんでバラバラの方向を向いていて、平行でもないくせに、何処まで行っても交わる事はないんだろうな、なんて思った、その時。
――ぎゅうぅぅ。
心臓を締め付けられる、本当にそんな感触を覚えた。
胸が苦しいって、こういうこと? これが、恋なの?
そんな自分に、その時はただ本当に、笑うことしか出来なかった。
ミカと出会ったのは、高校に入ってからだ。
特別可愛いとか、美人だとか、そうは思わなかった。
だけど、控えめに笑う感じが、いつかの女優さんにちょっと似ているな、そんな風に思ったときには、きっともう、恋に落ちていた。
だけど、私は女で、彼女も女の子。
そんな想いを伝えるわけにはいかず、でも側にいたい、だから、友達になれるように、努力した。
結果から言えば、ミカとは仲良くなれた。
ミカ、ゆっち、と、お互いあだ名で呼び合い、一緒にいる時間も長く、取り留めない馬鹿話をしているだけで、幸せだった。
恋バナだってした。そして、そんな話をしてるときは、チクチクと痛みを感じながらも、安心できた。
ミカは、普通の恋をする、普通の女の子。
そう思えば、自分の想いが成就する可能性は、最初からゼロだ。
自分の気持ちにそんな言い訳を出来ることに、安心していられた。
高二の秋。
ミカに、恋人が出来た、と聞かされた。
その時の自分の気持ちは、自分でも分からない。
ただ、
「そっか、一緒に遊べる時間が減るのはちょっと寂しいけど、うん、応援するよ」
そう言葉にする事は出来た。笑えていた自信は無いけれど。
「ありがとう、ゆっち」
そのミカの言葉が、ひどく遠くに聞こえた気がした。
そんな辛さも、ミカが普通の女の子で、普通の恋をしている、だから仕方ないと考えていれば、少しは慰められた。
美香が恋をしていても、友達として側にいられる、そのことを幸せとさえ、思えた。
だけど、今日のミカの表情を見て、全部吹き飛んでしまった。
ミカの恋人は、きっと女性だ。
根拠なんて、ミカのあの表情しかない、そのはずなのに、確信してしまう。
それでも私は確かめずにはいられなくて、メールを送った。
>もしかしてミカの恋人って、女の人?
震える指先で綴れた文章は、たったそれだけ。
送った瞬間に、後悔が津波のように押し寄せてくる。悪い考えばかり浮かんで、飲み込まれそうになる。
だけど一分も経たない内に、返信を知らせる着信音が、私を現実に引き戻した。
>うん、実はそうなんだ。
>ゆっちにはちゃんと言いたかったんだけど、恐くて言えなかった。
>こんな形で教える事になって、ごめんね。
別に、隠されていた事はショックじゃない。
もし、私がミカと付き合う事になったとして、他の友達に言えるか? そう考えれば、もちろん言えるはずがない。
だから、それはいい。
私が考えてしまうのは、もしかしたら、ということ。
ミカの恋愛対象が女の子なら、もしかして。
でもそれは過ぎた事。ただの後悔。
だから、せめて、友達として。
>そっか、びっくりした。大変かもだけど、頑張って
返信は、またすぐに来た。
>ありがとう。
>
>
>
>
>ごめんね。
それは何に対する、ごめん、なのか。
考えるまでもなかった。
ミカは、知っていたんだ。私の、気持ちを。
知っていて、でも、他の人を選んだ。
最初から、ゼロだったんだ。
だから、何も今までと変わらないはずなのに。
――どうして涙が止まらないんだろう?
滲む視界に映る『削除』の文字を、だけど結局タップする事は出来ず。
――ああ、こんな未練、私の想いごと全部、涙に溶けて流れ出てしまえば良いのに。
たとえようのない痛みの中で、そんな事を、思った。