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人形店 ピノッキオドリーム  作者: 佐藤 敏夫
第一章 ピノッキオドリーム
2/22

そうして彼女は出会った。

「こんにちは」

「こ、こんにちは」

 金を煮溶かして絹を染め上げたような美しい髪を持つゴシックロリータに身を包んだ少女は入口から出ると男の子に声を掛けた。

人形を見つめることに夢中だった赤毛の男の子は驚いたように身体を震わせると、恥ずかしそうに消え入るような返事を返した。

「私の名前はメユ。この人形専門店、ピノッキオドリームの看板娘よ」

「僕は、ニト」

 メユは少し緊張をほぐしてあげようと自己紹介をしてみたものの、ニトと名乗った少年の反応はあまり芳しいものではなかった。

 それもそのはずで、彼の見ていた人形は職人が丹精込めて手作りした高級人形で、とても子供のお小遣いで買えるような代物ではなかった。そうでなくても、人形を見ていたところを見られたというのは、年頃の男の子にしては気恥ずかしいものだ。

「ねぇ、そんなに気になるなら中に入って近くで見てみたら?」

 入ったから買えなどという狭量なことをいうつもりはなかったし、別に入って眺める分には構わない。行儀よく見てくれるのであれば誰であろうと大歓迎だったし、むしろ、作った人間も作られた人形も喜ぶに違いない。

 店には椅子くらいあるし、なんなら紅茶とちょっとしたお菓子くらいなら出してあげよう。

 メユとしては親切心でそう勧めたつもりだったが、かえって逆効果だったらしい。

 ただでさえ、女の子と話している姿を周囲に見られたりしないか落ち着かない様子で辺りを見回していた男の子は、彼女に勧められると完全に気を動転させてしまったらしい。

「あの、えっと…… だ、大丈夫です!」

「あ、ちょっと……」

 彼は絞り出すような声でそう告げると、踵を返して止める間もなく走り去ってしまった。

 メユはポツンと一人店先に残される。

 あとは他に残っているのはガラスに付いた額と手の平の跡だけだ。ショウウインドウに指紋を付けっぱなしにしておくわけにもいかないし、あとで拭きとっておかねばならないだろう。小さくため息をついて帰ることにする。

 チリンっというドアベルの音に迎えられて店の中に戻ると、相変わらず店の中は閑散としていた。店の奥の工房で黙々と作業をしているどこか優しそうで線の細い青年が一人居るだけだった。

 メユは店内に居る唯一の人間に無言で歩み寄ると、そのまま彼の向う脛を固い靴の爪先で思い切り蹴飛ばした。

「ったぁ⁉ いきなり何をするのさ、メユ!」

「何をするのさ、じゃないでしょ? クリエ」

 椅子から転げ落ち、蹴られた脛を痛そうに押さえているクリエの抗議の声を無視して、メユは更に彼に詰め寄った。

 せっかくお客さんが来てくれたかもしれないというのに、相手をする素振りさえ見せないお陰で取り逃してしまったではないか。

「そ…… そう、だね?」

「そうだね、じゃないでしょ! 買わなくたって、こういうお客さんから口伝てで伝わっていくのだから、ちゃんと相手をしてあげないとダメなの!」

 閑古鳥の安寧の地と化している人形屋であったが、相変わらずこの店の店主兼唯一の人形職人の反応は鈍い。それどころか、なおも曖昧に言葉を濁そうとするクリエにメユはイライラとした声を上げた。

 クリエの人形を制作技術は、それこそ最高峰の技術だ。技術だけを見れば国のお抱えの人形師になってもおかしくないし、それを裏付けるように出品した大会では満場一致で最高の栄誉が与えられている。

それにも関わらず、なぜこんな場末の工房で小ぢんまりと商売をしているのか。

 答えは簡単。本人に全く持って商売っ気がないからである。

 人形技師として作った人形を、それを持つのに相応しい人にのみ譲りたいという気持ちはわかる。それ自体はとても素晴らしいものだと思うし、その矜持を貫いているクリエのことをメユも誇らしく思う。

 しかし、だからと言って全く持って宣伝せず、噂を聞いてお店を訪れた人間だけを相手にするというのは、慎ましいを通り越して最早怠惰というものであろう。

「今月になって、何人お客さんが来たか知っている?」

「……三人」

「そう、三人! たったの三人だよ!」

「そんなに怒らないでよ」

「じゃあ、なに…… 何か言いたいことあるわけ?」

 メユが指を三本立ててクリエに突きつけると、彼は緩やかにその手を退けて立ち上がる。それから、言い訳があるなら聞いてあげるとでも言いたげな不満そうな表情を浮かべるメユに対して、クリエは勝ち誇ったような表情を返した。

「最近はちゃんと定期的に人形を仕入れてくれる人が居るもの」

「へぇ…… 誰?」

「あ…… ほら、ちょうど来た」

 素直に感心したような表情を浮かべているメユの背後で丁度来客を告げるようにドアベルが鳴った。

 振り返って来客の姿を確認すると、メユはその愛らしい眉根を不愉快そうに顰めた。

「よぅ、クリエ。元気にしていたか?」

「久しぶりだね、ネメシア。そっちこそ元気にしていたかい」

「お陰様でな」

「それは良かった」

 来客は二人。身なりの良い若い男と彼に付き従うようにして入ってきた給仕服に身を包んだ女性だ。

クリエは手を洗ってくるので好きな場所で寛いで待っていて欲しいと伝えると、濡れ雑巾で手に付いた粘土を拭い、それから手を洗いに工房の奥へと消えていった。

「メユ、来客をそういう顔で出迎えるものではありませんよ?」

「ノーラ姉さんはお客さんじゃないでしょ」

 工房の奥からじっと二人の闖入者を睨みつけていたメユを女性が見咎めると、メユはここぞとばかりに不服そうに答えた。

「ほら、言っただろ、ノーラ。行ったところで歓迎はされないって」

「ネメシアは黙っていて」

「こら、メユ。来客を歓迎しないのは構いませんが、だからと言って態度で示しては看板娘の名が泣きますよ」

「おいおい、お前も何を言っているんだ、ノーラ」

 メユは本気でネメシアのことを嫌っているようだったが、ネメシアはというとそんな彼女の態度を嫌っているようには見えず、むしろ楽しんでいるようにさえ見えた。

 だから、だろうか。

 メユは何の手ごたえも感じられないことを余計に忌々しく思っているらしく、より一層嫌悪の態度を露わにしているようだった。

「ねぇ、ノーラ姉さんはいつになったら帰ってくるの?」

「帰りませんよ。私はネメシアに買われたのですから」

 メユは矛先を変えてノーラに甘えた声を出してみるものの、何度問うても答えは変わらないとでも言うようなノーラの頑なな態度にがっくりと肩を落とした。

「もういい、もうノーラ姉さんのことなんか知らない」

「メユ、ちょっと待ちなさい」

 けれど、メユが落ち込んでいたのは一瞬。ベッと舌を出して見せるとそのままノーラが止める間もなく店を出て行ってしまった。


………


「あれ、メユは?」

 工房の奥から戻ってきたクリエは店内を見渡し、居るべきはずの看板娘の姿が見当たらず、ネメシアとノーラに問うた。

「俺と一緒に居るのが落ち着かないって暫く席を外すってさ」

「私も止めようとしたのですが……」

「あー…… そっか、せっかく来てくれたのにごめんね……」

 二人の答えでクリエはすべてを察したらしい。気まずそうに曖昧な声を出して申し訳なさそうにクリエは謝ったが、ネメシアは苦笑いを浮かべてそれに応えると「お前が謝ることじゃない」と首を横に振った。

「大好きなお姉ちゃんを買った張本人だからな。俺に会いたくないメユの気持ちも分かるさ」

「それは誤解です。私が自ら貴方に買って欲しいと申し出たのですから」

「誤解も何も大好きなお姉ちゃんを攫った極悪人ということは変わりないさ。嫌われて当然」

「なんとか誤解を解ければ良いんだけどね……」

「年頃の女の子には分かりやすい敵役が必要なのさ」

 ネメシアは「こんな風にね」と悪役がするように大仰に両手を広げて見せると、クリエは少しだけ笑った。

 どうやら、ネメシアは気持ちの整理のつかないメユの心中を慮って敢えて露悪的な態度を演じているらしい。本人も悪役を演じることを楽しんでいるようなので、要らぬ心配だったようだ。

 メユは思春期特有の気難しさがあるけれど根は素直だし、ネメシアは露悪的な態度を演じてこそ居るが決して悪い奴ではない。誤解さえ解ければ二人は仲良くなれるはずなのだ。そのためには、もう少しばかり時間が必要なのだろう。

「それより、クリエ。そろそろ商売の話をしよう」

「そうだね。今日の御用向きは?」

「観賞用の人形を幾つか見繕って欲しい」

 切り替えるようにネメシアは本題を切り出した。

 時が解決してくれる問題であるとは頭ではわかっていても、気持ちで整理がつかない問題はどうしても堂々巡りになってしまう。だから、ネメシアの切り替えの早さは正直なところありがたかった。

 棚から観賞用の人形の見本を幾つか取り出して机の上に並べてみせる。

「観賞用の人形って言っても大きさが色々あるからね、どの大きさにする?」

「子供の贈り物用だから、そんなに大きくなくて良い…… ただ、子供が相手だからな、それなりに丈夫で手入れの要らないものが良い」

「それなら遊戯用の人形の方が良さそうだけど?」

 長いこと付き合っているし、観賞用の人形と遊戯用の人形の特徴を把握していないネメシアでもあるまい。ここで多少は遊戯用の人形を取り扱っていることも知っているだろう。

遊戯用の人形ではなく、敢えて人の手があまり触れないことを前提として作った観賞用の人形を選んだのか。

 不思議に思って尋ねると、ネメシアの代わりに背後に控えていたノーラが答えた。

「今回の客は身体が弱く、今も病床にいらっしゃいます。一日で遊ぶことのできる時間も長くないですし、傍らに居る友達は見麗しい方の方が寂しさも紛れると考えたのです」

「なるほど」

 丈夫さを求めれば少なからず繊細さは失われてしまうし、繊細さを求めれば、やはり丈夫さは二の次になってしまう。観賞用の人形が繊細でいられるのは、遊戯用の人形と違い、人の手で触れることを想定しないで済むからだ。

 逆に遊戯用の人形となると少々触れてしまって壊れてしまうくらいでは困るのだ。多少手荒に扱っても壊れず、また手入れも簡単な必要があるのだ。

 そういう意味では、病床に居ることの多い病弱な子には観賞用の人形というのは一つの選択肢としてあり得るのかもしれない。

 ただ、実はもう一つだけ選択肢がある。

 本来ならば両立しないはずの丈夫さと繊細さを両立させることのできる方法。

「それなら、一度その子に直接会っても良いかな?」

「直接か? それはもちろん構わないけど」

「ありがとう」

 それは手間を掛けるという方法だ。

 相手の話を聞き、必要な丈夫さと求められる繊細さを見極める。少数生産の手作りだからできる方法だ。

「一応言っておくと、そこまで裕福な家庭じゃないからな?」

「分かっているよ、ネメシア。今回は人形代じゃなくて紹介料ということで良いかな?」

「それでお前さんが良いなら良いよ」

「よかった、ありがとう二人とも」

「まったく…… クリエ、お前さんはお人よしだよな」

「それがクリエの長所ですので」

 二人に感謝を伝えると、ネメシアはポリポリと頭を掻きながら苦笑いを浮かべ、ノーラはどういう訳だか自慢げに胸を逸らした。

 さて、既存の物を売るのではなく一から作って納品するとなればそれなりに時間も掛かる。どれだけ繊細さと強度を兼ね備える逸品となればなおさらだ。どんなに早く見積もっても一月はかかるだろう。

 早めに、本人のところに行って話を聞いて見極めてきた方が良いだろう。

 そう思ってクリエが腰を浮かせると、ネメシアはそれを制止した。

「それから注文をもう一個」

「うん? もう一個?」

「ノーラの調整をお願いしたい」

「よろしくお願いいたします」

 ペコリと頭を下げるノーラの姿を見て、クリエはそろそろそんな時期だったかと得心した。


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