仏の顔も三度
諺? 多少意味は違うのかもしれませんが、要は神仏を頼ってばかりではなく、自ら立ち向かう強さが大事なのでしょう。
ついに見付けた姫は、一人蔵の中に居られた。折しも、皆既日食が間近に迫っていた。我妖力が最も力を発揮出来る時だ。おそらく、その時故に導かれたのだろうと思った。容姿は藤袴姫とは違っていたが、魂はまさに姫と同じ匂いがしていた。妖魔に転身してから、魂を嗅ぎ分ける力が身に付いていたが、人である時にのみ逢っていたにもかかわらず、姫の魂の匂いだけは、不思議と憶えていたのだ。喜び勇んで、迷わずさらった。陰陽師の精霊達に見つかり追われたが、弥勒様に救われた。そして、導かれる様にかの光に吸い込まれ、姫と共に、この平成の世に辿り着いた。元糺の森。まさに、元に正す大いなる力に、私は妖魔に転生する以前の人の姿に戻った。
姫は前世の記憶を失ってる様であった。見たこともない時の彼方、果たして連れて来てしまってよかったのか不安になり、弥勒様を頼った。
「お導き頂き、ありがとうございます。」
「憶えてますよ。この時代に来て、姿も元に戻った様ですね。」
「重ね重ね、かたじけない限りであります。」
「お薬師様のお力添えもあってのこと、如来様のご恩を忘れないことを祈ってますよ。」
「御意に。」 胆に銘じて答えた。
「この時代については、私が教えるべきことではないと思います。貴方にお力添え出来るのは、此度と後一度のみ。多くを求めてはなりませぬ。」 弥勒様は、生あるもの全てをお救いになられる菩薩様なので、私達だけにその慈悲がある訳ではないので、それは当たり前のことだと心得た。まして、私の様なものにお慈悲を頂けるだけでも、その御恩を大事にせねばならぬ。
「ならば、此度は姫のことをお教え頂きたく存じます。」
「いいでしょう。この様に、現世とあの世の狭間に来てしまったからには、腹が空くのを感じません。それでも、食物を口にさせなさい。又、渇きもよくありません。さもなくば、あの世の者となり、現世に返ることもままならなくなります。1日怠れば、取り返しつきませんよ。重ねて、元糺の森を共に暮らす住まいとなさい。久しく離れれば、貴方方は人の姿を失います。」
「再び有りがたきお教え、胆に銘じます。」
「時は前にのみ進みます。お二人が救われんこと、お祈りしていますよ。」 それだけ仰せになられると、弥勒様は静かに口を閉ざされた。
それから、姫の食物のお世話と同時に、姫のことと時代のことを知ることに努めた。姫は、大きな蔵を持つ裕福な家の娘にもかかわらず、芝居というものすら知らなかった。不遇であった様で、この時代に来て、私と逢えたことを喜んでくれた。私だけを頼りにしてくれていることで、愛しさは更に増した。例え前世の逢瀬を思い出さずとも、姫とはやり直せると信じた。そして、此度こそ大きな幸を堪能させてやると、胆に銘じた。それからは、如何にこの時代で姫を幸せにするか、その為に歴史や時代を日々調べ尽くした。時に共に。時に姫の負担を案じ、単身で。
一人森に残して行く時は、念の為必ず、森の周辺に結界を張って出かけた。結界には、外からの脅威を寄せ付けない力があった。私には、それを張る力があるのだ。本来3本鳥居や元糺の森自体に結界の様な力もあるが、私にはそれでも安心し切れない訳があった。それは、時を超えて来る前の時代にいた妖魔は、私1体ではなかったからだ。その不安は、すぐに現実のものとなった。それは、時を超えてから、6つ月を経た頃、木々が色付き始めたある日の夕暮れ時のことだった。いつも通り家路を急いでいた私に突然良からぬ気配がしたかと思うと、
「青鬼じゃねえか?」 後ろから呼び止められて振り返ると、
「邪偶。」 それは人の形をした人食い妖魔だ。
「140年も会わねえから、滅されたかと思ってたぜ。」 こやつは私が妖魔に転生した時には既に妖魔として人を食っていた、根っからの人食い鬼だ。千年の間、よく出くわしていて、1年以上会わないことは1度もなかった。互いの縄張りもあったが、誰が暗躍しても構わない解放領域みたいなものも、暗黙の了解の様に存在していたのだ。太秦は、その中でも特別な領域であった。人である時から秦氏の異端児であった為、その地に滅多に踏み入らなかったが、妖魔に転身後は姫をさらうまで1度も立ち入っていない。それほど、神聖な領域でもあった。邪偶に呼び止められたのは、その地に戻る手前の鷹峯という地だった。北山で野草を採って戻ろうと飛行していた私を、地上から気を捉えて飛び上がって来た様だ。
「冥狸や黒蜘蛛もいるのか?」 他にも十数体の妖魔がいたのを知っている。その中でも、邪偶、冥狸、黒蜘蛛は、強い妖力を持っていた。
「いや、奴らはもういねえよ。」 邪偶はいつの時代でもそうであったが、この時代の人の話言葉で話して来た。
「陰陽師の手にかかったのか?」 弱い妖魔は、しばしば陰陽師達に滅されていた。
「ま、そんな奴らもいるにはいたけど、明治の文明開化以降は、陰陽師の力も落ちてよお。」
「ならば、何ゆえ?」
「西洋の奴らにやられたんだ。」
「西洋の妖魔が来たのか?」
「貴様、140年の間、どこに封印されてやがった?何も知らねえのか?」
「時を超えたのだ。」
「140年の時を飛び越したというのか?」
「左様じゃ。奇跡の力でな。」
「ほう、そのふざけた俺の真似ごとも、その奇跡の所業か?」
「私は、お前と違い、元々人なのでな。」
「寝言をほざくな。元が何であろうと妖魔になったなら、人の真似をしたところで、人に戻れる訳がねえ。貴様は、青鬼だ。妖気は変わっちゃいねえんだ。でなきゃ、貴様と気付く訳なかろう?」 こやつは、妖気や妖力を読む力が特に強い。視抜かれても、不思議ではない。だから、こやつと出くわすのを最も恐れていたのだ。
「ち、仕方ないな。お前の云う通りだ。」 ここは折れて話のつづきを聞くことにした。他の妖魔のことを聞き出すことが、何より大事だったのだ。
「なら、教えてやるよ。その西洋の奴らは、向こうの文化と足並み揃えて次々入って来やがって、冥狸も、黒蜘蛛も奴らにやられたのよ。こやつらがかなわねえのに、他の奴らがかなう訳ねえ。みんな次々に消されたっちゅう訳だ。しゃあねえし、俺は、人に化けて妖気を消して潜んだっちゅう訳だ。」
「西洋の奴らは、それほど手強いのか?」 冥狸や黒蜘蛛よりも邪偶の妖力は上だった。そして、私の力は更にそれより強かったのだが、
「奴らは、俺達とは基本的に違う。空間を操る力は俺達より遥かに上だ。妖力もおかしな技を使って翻弄して来るからな。貴様でも独りじゃ、奴らの敵じゃねえぜ。」
「ならば、お前は何故生き延びているのだ?」
「だからよお、妖気消して潜んでるんだ。」
「人を喰らうのに、妖気消したままでは食えまい?」
「その通り。実際、冥狸は人を喰らった直後に奴らに見つかってやられたらしい。黒蜘蛛はそれ見てて俺に教えてくれた。なのによお、その黒蜘蛛まで結局は飢えには勝てず、人取りの糸張り巡らせて、奴らに見つかってやがるんだ。笑うぜ。」 私の知ってる限りの妖魔は、人を喰らわずして3月も生き永らえることは出来ない。この時代に来て私が人を喰らわず生き延びられているのは、おそらく全て元糺の森にある不思議な力によるものだ。弥勒様の教えに背き、森を離れればたちまち私も、飢えに襲われるのだろう。
「何ゆえ、それを私に告げるのじゃ?」
「腹減ってたまらんからさ。貴様と組んでなら、奴らの目盗んで人を喰えると見たんだ。」 明らかにおかしな話だ。西洋の妖魔が日本に次々入って来たのは文明開化の頃として、もう百年は経つ。人を喰らうのに妖力使えば奴らに襲われる。喰らわず3月と持たないのに、何ゆえ、こやつは腹減ったと云いながらも今尚生き延びているのだ?そもそも、こやつとこれほど話したのは初めてであった。私は、他の妖魔とは一線を画していて、ばったり出くわすことがあっても、口を利くことはほとんどなかったのだ。邪偶という名の通り、人の姿で惑わすこやつの印象は、幻惑魔。その物云いを鵜呑みに出来るはずはない。
「奴らが私達を襲うのは、獲物を奪う為か?縄張り争いなのか?」 探りを入れた。
「さあな。人喰らう訳でもねえのにな。おかしな奴らだぜ。」 いや、おかしいのはお前ではないか?
「奴らは、喰らわずして如何に生き延びておるのじゃ?」
「人に憑依して、何かを吸い取ってやがるんだ。中には、人間の闇の心に乗じて契約を持ちかける奴もいるらしいぜ。」 そう云えば、私を妖魔に変えた黒い悪魔は、後から思えば日本古来の魔物ではなかった様だ。もしや、こやつも西洋魔と契り交わしているやも知れない。そう思った私は、これ以上こやつの口車に乗ることを恐れ、
「すまぬが、お前と契ることは出来ぬ。」と云い残し、我が身を気配ごと覆う結界を張って、一気にその場を去った。すると、流石の邪偶も私を見失った様で、後を追われることはなかった。
姫の幸を願う気持ちがより一層強まった。2度と邪偶と出くわさない様用心し、以前より強い結界を張りながらも、姫がこの時代に溶け込んで、再び人として生きる道を見付ける様努めた。姫も、そんな私をひたすら信じてくれて、絆は日を追って深まった。実は、邪偶に出くわしたことがきっかけなのか、強い結界を張ることに無理を重ねてるせいか、私の身体に少しづつ変化が起こりかけていた。姫の前では努めて平静を装ったが、かつて妖魔として人魂をあまり喰らえなかった頃の様な衰えを感じ始めたのだ。このまま喰らわずに過ごせば、もはや生き永らえることは難しいと悟った。そんな中で、姫の胎内に我が子が宿った。心の奥底で、それを願った結果だと思う。いつまでも姫の傍にいてやれない。私に代わって、姫を守ってくれることを強く願ったのだ。遠いいにしえに藤袴姫と出逢った時と同じ様に、満開の桜が祝ってくれていた。しかし、それとは裏腹に私の苦悩は日に日に深まった。飢えと衰弱。姫とお腹の子の未来を守らねばという思いだけが、私を突き動かした。そんな最中、この時代に来て丁度1年が経とうとしていたある日、ついにその時が来た。身重の姫を連れて新緑の山を訪れた後、いつも通り社の森に帰ろうとした時だ。
バリバリバリ! 空中に出来た見えない壁に当たった時の異様な音。はじき返される二人の身体。やられたのだ。私達が元糺の森に戻れない様に、森をすっぽり覆って結界が張られていた。森へ戻れないということは、即ち姫とお腹の子の身を危うくすることになる。
「一体、どうしたん?」 姫には何が起こったのか分からないのだ。
「結界を張られている。」
「どういうことなん?」
「こういうことだ。」 結界の主であろう邪偶が姿を現した。
「人やのに、私らのこと見えるの。それに浮いてる。」
「こやつは、人ではない。」
「美味そうなの飼ってるんだな。しかも、子持ちか。」 にやりと笑う邪偶に、私はそのありったけの力で守りの結界を2人の周りに張り、迷わず弥勒様の元へ飛んだ。
ちょっと長くなってしまいましたが、お付き合い頂きまして、ありがとうございました。<m(__)m>
さて、今回は仏様の階級について少しだけ触れておきます。1番格の高い仏様の階級は、如来様と云われ、悟りを開かれた方々で、次に菩薩様と云われる方々がいらっしゃいます。菩薩様は、まだ悟りを開かれていない修行中の方々ということになっています。如来様には、大日如来、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来などがいらっしゃいます。菩薩様には、弥勒菩薩、地蔵菩薩、観音菩薩などがおられます。
次回は、最終話❝継承〔6月24日夕掲載〕❞です。よろしくお願い申し上げます。<m(__)m>