未知の世界
未来とか未知という言葉に、普通抱かれるのは、どんな世界だろうという思いでしょうね。しかし、視点を変えてみれば・・・
「えっ、」
目を覚ますと、そこには美男子がいた。身の丈が6尺もあろうかと思うほどの大男ではあるが、平安朝の貴族を思わせる高貴な装いに、気品と知性を感じさせる鼻の高い色男である。年の頃は、私より5つばかし上の25、6といったところか?
「具合は如何様じゃ?」温もりに満ちた声色だ。
私の顔の間近で、優しく微笑んでいる。
彼に問われて初めて自分の身体を感じてみた。特に不快なところはなく、よい眠りであった様で爽快感があったが、強いて云えば少しふわふわした感じがした。
「ええ、何とも御座いません。」
「何ごとも遠慮なく、おうせになればよい。」私の目を覗き込む様な眼差しは優しさに溢れている。
「ありがとうございます。」そう云い終わると、ふと目を逸らして辺りを見回して見ると、そこは神社の様な建物が合間から見える、うっそうと木々が生い茂る森の様だった。見上げると、木々の合間から、青い空が覗いていた。
「糺の森。」彼のその呟きに、私は幼い頃に数回家族と共に訪れたことのある場所を思い出した。
「下賀茂神社ですか?」そう云いながら、少し不思議なものが目に入った。それは下賀茂はおろか、未だに見たこともない石の鳥居?そう初めは普通の鳥居だと思ったのであるが、1本多いのである。どう見ても三本の縦柱を、三角形を成した横柱が結んでいる。
「正しくは、元糺の森と云います。」その名を聞いて、はっとした。
「聞いたことがあります。」双子の姉の言葉がふと頭に蘇った。
「嵯峨天皇が下賀茂に遷される以前より、ここが元々の糺の森なのです。」その言葉がやけに誇らしげに聞こえた。
「貴方様は、この社の宮司様ですか?」
「いいえ、違います。この社は、遠い古に我一族が建てたものと聞いております。」
「では、あの不思議な鳥居もですか?」その問いに彼は頷き、続けた。
「我一族は、大陸より渡来し、この地に大いなる匠と知恵と文化を花開かせ、国の礎を築いたのです。」
「貴方様は、そのお力を引き継がれておられるのですね?」きっと、その時私は、羨望の眼差しで彼を見ていたことでしょう。しかし、彼はそれを眩しがる様に少し照れ笑いすると、軽く首を横に振った。
「いえ、私は、その末裔の1人に過ぎません。あの鳥居も、目の当たりに見たのは初めてなのです。しかし、貴方をお守り・・」そこまで云いかけて、私の視線が相当に鳥居を気にしていることを、彼は気にかけている様で、言葉がそこで途切れた。その先を聞きたかったのに・・
「それにしても、不思議な形ですね?」
「ええ、あの形には大いなる意味があると聞いております。」
「どの様な意味があるのですか?」そんな私の好奇心をはぐらかす様に、彼は急に立ち上がり、
「この森の外の様子が少し変なのです。」と真剣な面持ちになった。
「森の外ですか?」
見回して見ると、森はそれほど深くなく、近くに民家らしき建物の様なものがちらりではあるが、木々の合間から見て取れた。
「実は姫がお目覚めになる少し前に、木の上まで飛び上がってみましたが、見渡す限り、見たこともない町の有り様だったのです。」その言葉に、私は大きな期待に心がときめくのを抑えられなくなった。
「一体それはどの様なですの?」
「百聞は一見に如かずという諺があります。姫もご自分の目でご覧になればよいかと。それに私も、木の上から見ただけですから、これより二人で見に参りましょう。」彼の言葉が終わらないうちに、私の身体は既に宙に浮き上がりかけていたのだ。
「飛べるのですの?」それはもうとても不思議な感覚である。それには彼も驚いた様で、目を丸くしながらも、見る見る浮き上がる私を慌てて追いかけて来て、ほぼ同じくらいの高さまで来てからは合わせる様に2人一緒に、森の1番高い木よりも更に十尺ほど上まで来たところで止まった。
そこで見た光景は、あまりにも心を揺さぶるものであった。それは、初めて高いところから町を見下ろしたということだけではなかった。彼の云う様に、町の有り様が、私の知る京の都の町並みとは甚だ違っていたのである。周りの家々の造りからしても、見たことのない風であるのに、胆を潰すほど高い建物や大きな建物がところどころに有り、見たこともない橋の様な道には、馬車や牛車とは全く違う乗り物らしきものが往来しているではないか。
「ここは、京の都とはあまりに違う様ですね。まるで異国の様。」
「いいえ、確かに日の本の中に違いありませんよ。それも京の都より少し外れにあります、我一族が開拓せし土地であるはずです。」
「私も幾度か京の町の外へ出たことはありますが、よもやお土居の外側にこんな町が広がっているなんて知る由もありませんでした。」
「いえ、私も永きに渡って都の様子を見て参りましたが、この様な変わり様は初めてですよ。」
「ここは京より見て、どの方位ですの?」
「西です。よければ、より高く舞上がり、鳥の目同様に見てみましょうか?」
「これより高く飛んでも、平気でしょうか?」ここまでは好奇心が勝り、平気で上がって来れたものの、流石により高くとなると、胆の太さが足りなかった。
「大丈夫ですよ。ゆるりと参りましょう。もしもの時は私がおりますゆえ。」私は、その不思議な力を問うこともせず、ただ彼を信じて、より高く舞う覚悟が出来た。
「どちらへ参りましょう?」
「姫の思うがままに行かればよいかと。真上でも、斜めでも、心の赴くままに。」
「はあ、それはよいのですが、その姫というのは少々照れ臭そうございます。私は、名前を野菊と申します。」すると彼は微笑んで、
「かしこまりました、野菊様。では先に飛んで頂ければ、私は間を置かずに付いて参ります。」
「その前に、貴方様のお名前もお教え頂けないでしょうか?」
「私の名前でございますか。」
「ええ、私だけ名乗って、お名前を伺えないのは、ずるうございます。」
彼は、それもそうだと云う様に優しく頷き、
「私の名は、・・里真と申します。」その間に、何故か彼の深い思い入れを感じた。もしや、仮の名?
「偽りの名前ではありませんよ。これこそ、真の私の名前なのです。」どうしてばれたのか?私が疑心を抱きかけたことをすかさず見透かされてしまった。私は意を決して、
「里真様、では参ります。」そこから更に高く、ほぼ真上に舞い上がって行った。それに刹那の遅れもなく里真様は付いて来られた。
天気はよかったので、視界は見る見る広がり、三方を山に囲まれた盆地に、広大な町がその全容を現した。四方を見渡すほどに自分のいる位置が分かると同時に、甚だしい京の変わり様を実感したのだ。
「野菊様、分かりますか?ここがどこなのか?」彼も同様に感じている様だ。
「ええ、送り火の文字や模様、それに東寺の五重の塔、紛れもない地図で見た京の盆地そのものですね。ですが、あのろうそくの様な白く高い塔はなんなのでしょうか?あそこから近いところに私の住まいがありましたが、あんなとんでもない高い塔はありませんでした。」
「光に宿る力が、私達をこんな時代へ運んだ様ですね。」
「光の力?」魔物に襲われて気を失っているうちに、一体何があったのか、今更に気にかかった。きっと魔物を振り切る為に、里真様がその光に飛び込んで、遥かに時代を超えて来たに違いない。
「こんな未知の時代まで連れて来てしまって、すみませぬ。」途方もないことで、彼も戸惑っている様であるが、私はもはや家にも過去にも未練はなかったので、むしろ大きな期待に胸を膨らませていたのだ。
「一体いかほどの時を超えたのでしょうか?」心のままに笑顔で問うてみた。それを、作り笑いか否かを探る様に、彼は私の目を暫く見て、やがて安堵した様に微笑むと、
「これからそれを確かめに参りましょう。」
「どの様にですか?」
「町に下りて、時代を表す物を探しましょう。」そう云って、私の手を少し引く仕草をする彼に、私は少し躊躇った。
「私達の姿を見て、人々が胆をつぶしたり、冷やしたりしないでしょうか?」
「何ゆえですか?」
「鳥の様に空から舞い降りた人など、私は見たことも聞いたこともありません。本当は我が身に起こっていることも、信じられないくらいですから。」その言葉に、彼は優しく微笑んで、
「大丈夫ですよ。」と私の肩にそっと手を添えた。
「あ、もしや、この時代の人達は飛べるんでしょうか?」と云った途端、彼は少し吹き出す様に笑い、
「それはありませんよ。ほら、私達の他に飛んでいる人などいないでしょう。飛んでいるのは、鳥か、あの不思議な翼のある乗り物の様なものくらいですよ。」と彼の指さす方を見上げると、翼のある白いものが、一筋の雲を引きずる様に飛んでいた。それを唖然と見ている私に、
「それに、これはまだ憶測でしかありませんが、私達の姿は人の目には映らないと思いますよ。」
「それは誠ですか?」ならば、私は一体どうなってしまったというのか?
「何はともあれ、今がいつ時なのか確かめに参りましょう。」それに私も納得して、再び差し出された彼の右手に私の左手を繋ぎ、彼が導くままにゆっくりと町に舞い降りて行った。そこは人や不思議な乗り物が往来する通り道で、石畳とは違う固いもので敷き詰め踏みしめられていた。人々の服装は、見たこともない異国の服の様である。通りの両側には木造とは違う様な異国の様な建物が立ち並んでいる。私たちは念の為、乗り物や人の通行の妨げにならない様に、❝右京簡易裁判所❞と書かれた建物の前に舞い降りたが、誰も気付く様子がないのを確認すると、一旦その不思議な通りに着地し、通りに沿って西へと進んだ。
「おそらくは、当たってもすり抜けると思いますが、もし怪我をしては大変なので、念の為乗り物などには当たらぬ様お気を付け下さい。」
聞きたいことが山ほどあったが、今は目の前に繰り広げられる不思議な世界とその往来に、とてもそれどころではなかった。かなり大きな乗り物もあり、それにはたくさんの人の姿が不思議な窓越しに見えて、彼の云う通りこんなものにひかれたのでは、元の私の身体では、いともやすく潰されてしまう。
「この通りは一体?」
「三条通の様ですね。」
「どうして分かったんですか?」
「先ほど、そう書かれていたものに気付いたのです。」そう云えば、看板とかの様々な文字がある。しかし、時をどれくらい飛び越えたのかを示すものは、そう簡単には見つからなかった。
「あの柱の上で光る色が変わるものは何でしょうか?」
「あれで往来の秩序を保っている様ですね。」彼の言葉は正しい様だ。赤く光っている時に向き合ってる乗り物や人が止まっている。更に、
「ここに並んでいる赤い乗り物は何でしょう?」
「おそらく、火消しの乗り物だと思います。」
「あの線に沿って進んでいる四角い乗り物は?」
「おそらく、乗り合いの為の乗り物でしょう。」目に次々に映る未知のものに目を奪われては、それが何であるのか、観察力の鋭い彼に教えて頂いた。
「お寺ですね。」道が複雑に交わるところに大きなお寺の門があった。
「蜂岡寺。」彼の顔つきが変わった。何かに憑かれた様に、その寺の方に、私を導きながら向かう。
「来られたことがあるんですか?」
「ええ、遠いいにしえに1度参ったことがあります。我一族の氏寺です。」そう云うと、彼は私の手を引き、まっすぐに寺の奥へと向かわれた。そして、一つの建物の中へと導かれた。
そこは、たくさんの仏像が並んでいて、奥の壁沿いの真ん中に一際後光のさしている、座した仏像が安置されていた。彼は、その少し手前で私を待たせて、
1人仏像の前に行き、膝間付き一礼され、しばしその仏様と向き合われていた。その様子は、まるで仏様と対話されている様に感じた。
しばらくして、その対話が終わったのか?彼は再度一礼し、立ち上がって、私のところへ戻って来ると、今度は再び寺の門の前の、通りが交わるところまで引き返し、今度は寺の向かい側にある白い建物に、私を連れて入った。
そこは金銭を取り扱う店の様で、帳場を境に奥に店側の人達、手前に数人のお客らしき人がいた。私は、そこで初めて人に触れることを試みてみた。すると彼の憶測通り、私の手は人をすり抜けた。それに少しばかり胆を冷やしていると、彼が私に、人が読んでいる紙の束を指差した。
「何ですの、これは?」
「この時代のかわら版の様ですね。ほら、年月日を表す表記がありますよ。」覗き込んでみると、❝1993年〔平成5年〕5月25日❞とあります。私は、訳された西洋の書物を読んだことがあったので、数字というものを理解していたが、西洋の暦までは分からなかった。
「これって、西洋暦ですよね?」
「ええ、間違いありませんね。おそらくグレゴリオ暦だと思います。」
「嘉永5年は、それで云うと何年になるのですの?」
「1852年ですね。」
「ということは、140年もの時を超えたということですか?」
「そういうことですね。」
140年も超えた驚きと、140年の間の変わり様に、私はただただ胆を潰すばかりであった。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。何か宗教的な色合いが表に出てしまいましたが、決して仏教に偏るつもりは毛頭ありません。宗教については、客観的な目で進めて行くつもりでおりますので、よろしくお願い申し上げます。