女王 サキ
「あれは、『トビヤンマ』。襲っているのは見たこともない黒いヤンマだわ、何事かしら?」
女王『サキ』は、宣誓のため出かける『スタッグ』を送り、しばらくエビネ池のほとりにいた。その頭上を何度も通り過ぎ、滞空し続ける『トビヤンマ』が見えた。
「『ドルク』に何か大切な用事でもあったのかしら?」
『ドルク』の葬儀も『フック』と同じく病死扱いとして国葬にされていた。
彼女は、ヤンマに向かって声を上げようとして止めた。二頭のヤンマがすれ違い、その後『トビヤンマ』が墜落するのを見てしまったからだ。彼女は無意識にその着地した場所に潜行したまま泳いでいった。彼女がそこへ着いた時には、すでに上空には誰もいない。彼女の目には、水面に叩き付けられて絶命したあわれな『トビヤンマ』が浮かんでいた。
「ああ、なんてこと……」
いや、それだけではない。水面いっぱいに広がった『トビヤンマ』の羽をちょうどクッションのようにして、黄緑色の『まゆ』がひとつ浮かんでいた。それこそ紛れもない『王子のまゆ』だった。彼女は慌ててそれを開いた。王子が元気に泣き声を上げたのを確認すると、まゆの上から『トビヤンマ』のちぎれた羽を使って手早く包み、辺りを見回すともう一度潜った。そのまま『サキ』が向かったのは対岸の森にある、『ドルク』の屋敷だった。
彼女は激しく玄関の扉を叩いた。扉を体の立派な黒いクワガタが押し開いた。
「なんと、女王様ではありませんか。叔父上のこと、多くの反対を押し切ってまで、国葬にしていただき、ありがとうございます。私は……」
「とにかく早く入れて、中で話しましょう」
彼女は後ろを見回し、誰もいないのを確かめるとすぐに内に入った。
「私は、今でも信じられない。『ドルク』が謀反など考える訳がない。ましてや国王を殺すなんて」
「女王様に信じていただいて、きっと叔父上も喜んでいるでしょう。ところでその包みはなんでございますか?」
「私は気がおかしくなってしまうかも知れない。息子を無くすかも知れない」
「お見せください、女王様」
彼はその包みを開いた。
「おお、これはまさか!」
「カブト国の王子です」
二人同時につぶやいた。はらりと、ヒラタ大臣が書いた『ドルク』宛の手紙が落ちた。それを「バイス」は殺された「ドルク」の代わりに開いた。そして女王にも聞こえるようゆっくりと読み上げた。
「なんということ、『ヴアッカス』は『ラクレス』と言う者に、操られている。だから『イト』には決して近づこうとしないのだわ」
『サキ』にはおおよその筋書きが読めた。
「しかし、新国王の宣誓には『イト』の力を示すのが決まりですが」
弟の『スタッグ』に宣誓させて、『イト』の力を国民に見せた後、密かに殺してしまうつもりに違いないと彼女は彼に言った。『ヴアッカス』は巧妙に弟とすり替わるつもりだ。そして、その後は……。
「次に狙われるのは、きっと女王、あなたです」
「ええ、私に『イト』の封印を解かさせようとする。それがきっと最終の目標」
「『ラクレス』はどこまで、『イト』のことを知っているんだ。この国の伝説を」
「少なくとも、その全てが事実であると言うことを知っているのね」
彼女は立ち上がり、玄関に向かおうとした。『バイス』は引き止めようとした。
「女王、ヤツらに狙われているのですよ」
「でも、城に戻らなければ、ここが真っ先に怪しまれる。いいですか、王子を守れるのはあなたしかいない。大臣がエビネ国を選んだのは、この国に溢れる『イト』の力で一刻も早く王子が成長するようによ。羽化まで何としても王子を守りなさい。これはエビネ国の女王の命令です」
彼はもう何も言えなかった。エビネ池に潜る前に、彼女は彼に言った。
「『イト』の封印は私にしか解けない。それに私には黒葡萄酒は効かないでしょう。だからといって私を殺すことはできない、女王の私にしかコマンドは書き込めないのだから」
(親父、済まない。俺があのまカブト国に残っていれば、こんな事にはならなかった……)
そう思いかけた『バイス』はすぐに思い直した。
「いや俺がこの国に来ているからこそ、今、役に立っているのかも知れない」
こうして王子は、彼に羽化まで無事に護衛されたのだった。




