第一章 メタモルフォーゼ 眼
第一章 メタモルフォーゼ 眼
わたし、小夏。でもみんなは私の事を「なっぴ」って呼ぶ。小学三年生、好きな食べ物はカレーライスとフライドポテト。それとお母さんの作ってくれるお味噌汁は決まっておかわりする。まあ普通の女の子かな。
「なっぴ、ごはんよ」
「まって、いまいいとこ」
アシナガバチがくちなしの葉の上で芋虫を捕まえ、肉団子にしていた。
「ねえ母さん、芋虫って美味しいのかなぁ」
「そうねえ一度きいてみたらぁ」
「きけないよ、そんなこと」
「じゃあ調べたらいいじゃない」
(何見て調べたらいいんだろう?)
カレーライスの最後のひとすくいを押し込むと、なっぴはまた外へ出ていった。アシナガバチに捕らえていた芋虫はほとんど形が丸く変わっていた。
「ちょっとかわいそうだな」
アシナガ蜂の眼に、覗き込んでいるなっぴの丸い顔が映っている。
「次の獲物はお前だ」とでもいっているようで、なっぴは少しどきりとした。
そのとき眼の奥がかすかにチクリとしたような気がした。
「よし、明日学校の先生に聞いてみよう」
それきりいつも練習している一輪車を倉庫から引っぱりだすと、赤いヘルメットをつけたなっぴは、今日は2メートル乗ることに挑戦することにした。
翌日の教室で彼女は窓の外が気になってしょうが無かった。というのも窓ガラスに見える小さな点が「動く」のだから。ちらちら横目で見ているうちに国語の音読があたってしまった。あわてたおかげで宿題は「かさこじぞう」の音読になった。休み時間に一目散に机を放れ、その小さな点の正体を確かめようと窓辺に近付いた。
「バリーン」とその時、天井の蛍光灯が、彼女の机の上に落ちてきた。窓辺にいて助かったが、となりの席のたいすけは割れた電球が眼に入り、クラス中は大騒ぎになった。
「何これ、シールかなぁ」
彼女が見つけたのは、窓に張り付いていたハート形の浮き草だった。でもここは校舎の三階、近くに池など無いのに不思議だった。やっと救急車がきて、たいすけは病院に運ばれていった。
「なっぴ、おまえほんとに運がいいんだなぁ」
まぶたの上にばんそうこうを貼った、たいすけが、ベッドの上で笑った。一緒にお見舞いに行った先生が、明日転校生が来ることを二人に教えてくれた。
「どんな子かな、楽しみだなぁ」
たいすけの様子を両親に話し、部屋に戻ると、ベッドに入りつぶやいた。
「あの時、窓の水草に気づいて本当によかった」
うとうとし始めた彼女は、水草が三階の窓ガラスに貼付いていたことや自分の視力が両目とも「0・5」だということを思い出す前に、眠り始めていた。少し開いたカーテンから差し込む月明かりが、その枕元を照らしていた。
深夜、彼女のまぶたがほんの少し持ち上がり、瑠璃色の小さな甲虫がはい出してきた、そして瞬く間に右の耳の奥に滑り込んだ。
「うぅん」
寝言を一つ言うと、彼女は夢の続きに入って行った。
「あっ、まただ」
なっぴは朝から耳鳴りがしていた、でも今日は転校生が来る。学校は休みたくなかった。学校までは集団登校だ、下級生に囲まれて歩いているうちにもう、耳鳴りは気にならなくなっていた。通学途中の、踏切には遮断機が降りていた。みんなで並んで遮断機が上がるのを待っていた。彼女の後ろには一年生、ま新しい赤いランドセルだ。電車が近づいたのだろう、警報が鳴りはじめた。その時、ランドセルに小さな「なにか」が止まった。
「なっぴ、なっぴ」
小さいがはっきりと、誰かの呼ぶ声がした。
(誰だろう?)
後ろに大きく振り返ったなっぴの肩越しを一年生が、うつぶせに倒れていった。ひと呼吸後、目の前を走り去る電車におびえ、その子は大声で泣いた。黒い人影が、その場を離れると小さな「なにか」も青空に吸い込まれていった。
(もし、さっきとっさに後ろを振り返らなければ)
「なっぴ、おまえほんとに運がいいんだなぁ」
彼女はたいすけの言った言葉を思い出した。
「私を追ってとうとうここまで来たのね、急がなければ」
耳の中の甲虫が少し顔をのぞかせて、辺りを見回すとすぐにまた引っ込んだ。小さな羽には七色の星があった。その甲虫は、昆虫王国一の美しさを誇る「虹色テントウ」だった。