攻略されるはずだった男
どうやら私は転生してしまったようだ。十二歳になってから前世の記憶が蘇り、気がついた。けれども、私は記憶を引き継ぎたくなかった。人生は一度きりだから楽しいと思っているからだ。前の人生を精一杯生きた。愛する人もいた。だからだろうか、二度目にそんなに意義が感じられない。
あぁ、でも前世の妹にまた会えたのはよかったわ。妹曰く、ここは前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だそうだ。彼女から話を聞いてみると、そういえばそんなゲームあったわねと納得する。それぞれ相手が決まった主人公なのだと説明された。それは面倒臭いわね。妹からすれば、駿河とのハッピーエンドよりも、現実に結婚するなら直忠がいいらしい。生前は野獣系の駿河がかっこいいと言ってたのに、変わるものね。そこで、今のままでは駿河のルートに入ってしまうから、直忠ヒロインである私“伊勢 和子”に協力してほしいと頼まれた。私は妹のおねだりに弱い。
結局高校に入ってから、駿河が妹に近づかないようにルート妨害をしていた。そして今現在、私は駿河を誘って茶道部でお茶を用意している。この部室からは隣の棟の家庭科部がよく見える。直忠と妹は上手くやってるみたいね。
「攻略されてるぞ。いいのか?」
チラリと駿河の視線を感じる。けれど、私はその視線を無視して、和菓子を彼の前に出す。この男は誰と誰がくっつくのが本当か、知っているのだ。妹に伝えなきゃいけないわね。彼がこう聞いてくるということは、つまり――。
「興味ありません。あなたはいいのですか? 本当は彼女のことが好きなのでしょう?」
「っ」
私の密やかな声に、彼は顔をしかめた。今菓子を食べているから、けして菓子が顔をしかめた原因ではないだろう。やっぱりそうなのね。彼は攻略されるのを待っていたのだ。けれど、妹は他の男の元へ通っている。気がつくのが今頃になるなんて、鈍い男ね。それなのに憤っているのだから、ため息をつくしかない。……違うわね、怒っているのは自分にかしら?
「そんなに嫉妬を露わにするくらいなら、素直に言ってしまえばいいではありませんか」
「今更だろう。あいつは俺を観賞用としか思ってない。俺はその視線に気付かずに、のうのうと今まできたんだ」
私は無心でお茶をたてた。細かい泡が沢山できる。うん、上出来。そうねぇ。あの子、鑑賞するなら駿河だけど、結婚するなら直忠! と言ってたもの。けれど、ここは現実なのだから、ゲームで定められたように早々恋が実るものでもないと思うのよ。
「悲しみも人生のスパイスですよ。粗茶ですが、どうぞ」
駿河は茶碗を作法に従い回していく。飲み干して、顔をしかめた。
「……苦い」
「それが恋でしょうね」
彼女は日本人形のような美しさをもっている。そんな彼女が笑いながら、悲しみをにじませた。駿河には、そんな彼女が儚くも美しく映った。
「お前は、あの男の専門主人公じゃなかったのか?」
専門主人公との言葉が出たことで、彼は他の攻略対象とは違うと彼女は確信した。ゲーム上、専門主人公の名前にはデフォルトネームがあるが、プレイヤーが自由に名前を変更できる。しかし、真のトゥルーエンドにいくためには意味のある名前であることが大切だった。私であると、“和”という文字が入っていることが意味をもつ。つまり、駿河は元プレイヤーで、尚且つ転生者である可能性が高い。私は、より彼から話を引き出すために否定した。
「主人公とは? 生まれてこの方主人公となったことはありません。ですが、生きることを主人公ととらえるのなら、皆そうでしょうね」
「はは、そうか。でもお前は落ち着きすぎている。転生者だろ?」
あら、しつこいですわね。なかなか腹を割りませんわ。私の事情を話すわけにもいきませんし、肯定にも否定にもならない言葉を返しましょうか。
「輪廻転生を信じてらっしゃるの?」
「信じるしかないだろ。自分がシナリオ書いたゲームに転生したんだからよ」
本当におもしろい冗談ですこと。ですが、その場合もありえますわね。そう仮定すると、彼がなぜ知っているかの説明がつきますもの。本当かは別として。
「あらまあ、面白い冗談ですわね」
「本当だっての。で、愛着あるキャラだし、演じてたわけ。それで何人か転生者を見つけた。青葉の専門主人公はルートを外した。これは転生者じゃないとルートに逆らえないから、彼女は転生者だ。まぁ、その後若葉ルートに入ったようだが。次に、青葉ルートに巻き込まれた女は、当初観察する動きをしていた。よってこちらも転生者だ。また、文の専門主人公はあんなにメガネ馬鹿なはずがない。あいつも転生者だ。で、俺の専門主人公だった彼女も転生者だったんだろう? お前に協力をあおいだんじゃないか?」
「あらあら、気がつかれましたのね」
この男、シナリオに従うふりをしておきながら、周囲を観察していたのか。抜け目ない男だわ。
「やっぱりな。途中からイベントが起こせなくなったから、おかしいと思ってた」
「あなたはそう言って役を演じることに必死だけれど、そこにあなたの心はあるのかしら? 例えイベントを起こしたとしても、どうして彼女の心が動かなかったか考えてみたかしら?」
彼は気まずそうに視線を逸らす。図星だったようですわね。まったく、その程度で妹を口説こうとしていたなんて。駿河は足がしびれたのか、あぐらに変えた。
「私は本来のシナリオに従っていませんし、あなたも自由に生きてはどうかしら。一度目の人生でやり残したことを、やり直すチャンスと思えばいいのよ」
「お前はやり残したことはあるのか?」
「いいえ。妹もいたし、満足した人生だったわ」
「……あぁ、あいつか」
「あらあら。こんなことばかり鋭くても、何にもなりませんわよ」
****
日本人形のようで男の後ろを歩くような女と設定していた和子は、ゲームとは異なり達観した人物だった。そんな彼女と生身で話した気がして、ゲームの世界で生きてから初めておもしろい女だと思った。
駿河は和子ともっと近くなりたいと思った。そのためにはあいつと話さなければいけない。俺と目が会えば、彼女は逃げようとする。逃がすものか。壁を蹴りつけて足で道を塞いだ。
「よう、久しぶりだなぁ? 俺の専門主人公」
「げっ! オヒサシブリデス……」
「へぇ。その反応は、姉貴から俺が何者か聞いたんだな?」
「そりゃあね。で、何の用? シナリオを壊した報復? 悪いけど、直忠を手放すつもりはないわよ」
「それでいい。ちゃんと捕まえてろよ」
「まさかあんた……、お姉ちゃんのこと」
「俺はお前に口出ししない。だからお前も俺に口出しするな」
「分かったわ」
さて、今からどう和子の他の表情を引き出していこうか。いつも日本人形のように整った顔をしている彼女が、俺の前で見せた人間味ある表情が忘れられない。考えを巡らす駿河は、まるで肉食獣が舌なめずりをしているかのようだった。
それから駿河は和子と親しくなればいいと考えた。何度も会って、デートを重ねる。
「よう、今週の日曜日。遊びに行かねえか?」
「そうね、いいわ」
妹のために駿河を引きつける役割があるため、デートには協力的なのだ。だがしかし、待ち合わせ場所を『駅前広場』にしたことを、彼は酷く反省していた。なぜなら、和子がチンピラに絡まれていたからだ。あぁ、そうだ。同じ待ち合わせ場所を三回選ぶとこういうのが出るようにしてたな、俺! 忘れてんなよ、俺……。
「おい、俺の女に何してんだよ」
ゲーム内では野獣系男子というキャラで人気があった駿河だが、今の中身は所詮俺だ。普段は駿河のイメージを壊さないように野獣系の皮をかぶっているが、こんなチンピラに絡んだことなんてない。ゲームなら『駿河は主人公を助けた』この文章を読むだけでだけで簡単だ。けれどこれは現実で、俺自身が怪我をする可能性も出てくる。けれど、和子がどうなるかも分からねぇのに引き下がれるか。記憶にある駿河のシナリオを再現させてもらった。一応身長もあるので、見下して威圧感があるように凄む。すると効果があったのか、チンピラは逃げていった。よかった。喧嘩なんてしたことなかったから、無事に守れて。
「駿河さん、ありがとう」
「いや、別に。待ち合わせ場所ここにして悪かったな。三回同じ待ち合わせ場所だとこうなるの、忘れてたんだ」
「ゲームでは助けるのは当たり前と設定されているでしょう? でも、現実に助けてくれたのはあなただから」
「ゲームの駿河ほどスマートに助けられなかったけどな」
ゲームの駿河との差に、悔しくて。それでもシナリオのように振る舞わなければチンピラを追い払えなかった。情けない。
「ふふ。手、少し震えてましたわ」
手を強く握っていたら、彼女が解くように手を繋いできた。彼女を今一度見ると、優しく微笑んでいた。
「“あなた”に、もう一度。駿河さん、ありがとう」
手も暖かいけど、何だか胸の奥も暖かい。俺に向けられた言葉は、胸の奥深くに染み込んだ。
とうとう、自宅イベントに突入できた。しかし、彼女はやはり彼女だった。
「あらあら、これは駿河さんの自宅イベント? でも、今のあなたと私はお付き合いしてるから、画面の向こうの皆さんを喜ばせるためのイベントより、あなたが私を喜ばせるために考えたことの方が嬉しいわ」
そう、コロコロと笑う彼女に敵いやしないと思うから、もう俺は心底彼女に惚れてると思う。
「おま……! お前が喜ぶと思った俺がバカだった。というより、実はお前俺もクリアしたことあるだろ」
「ふふふ、妹との話題にね。あら? これは何かしら」
ノートは日記のようだった。切々と、彼女への思いがつづられている。
『◯月☓日 和子をデートに誘う。服装が上品にまとめられていて、まるで深窓の令嬢のようだった。俺はろくに褒めることも出来なかった。俺のヘタレ! 俺が言えたことと言えば、ゲームで言った駿河のように「似合ってる」と言うだけで限界だった。シナリオだとあんなに言葉が出てくるのに、このざまだ。だが、俺の言葉で照れくさそうに笑う和子はとても可憐で愛らしく――』
「これは、言った方が喜ぶと思うわ。すごく情熱的ね。シナリオ書いてたのも頷けるわ」
「やめろ。読むな。次のページめくるな。返せ! ……返してください」
取り返そうとするが、彼女のガードが堅くて奪い返せない。彼女に日記を見られてしまった脱力感で穴に入りたいような、灰になってしまいたいような気分に顔を覆い隠す。
「でも、こんな言葉よりある言葉一つさえあれば、解決しそうなのに」
ようやく、彼に日記が返された。駿河は素早くそれを隠すように、和子の身長では届かない場所に放り投げた。
「言えたら苦労しない」
「あらあら。じゃあ、一学年の終わりに屋上で待ってたら、誰も来ないかもしれないわね」
「行く! ……覚えてたのか」
「もちろん。ゲームクリアは屋上で、よね。それまでに、何かあるのかしら」
クスリと彼をからかうように笑う和子に、負けっぱなしのような気分になる。けれど、それまでには何とかしてみせるから。
「うっ、努力します」
「ふふふ、まずは名前を呼んでくださいな。駿河さん」
顔を寄せて呟かれた言葉に、赤面していっぱいいっぱいになってしまう。俺は本当に彼女に弱いみたいだ。
「……和子」
「はい、何ですか?」
「終業式が終わったら、屋上で待っててほしい。必ず、必ず行くから」
「はい」
ヘタレな俺は、結局手紙を書いて終業式の日に告白した。彼女にはあなたらしいと笑われてしまったけれど、これが俺らの現実ってことでいいんじゃないかな。
▼ 伊藤 駿河を攻略しました!