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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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水面に映る隻眼の月

掲載日:2026/04/08


 水面に満月が浮かんでいた。

 くっきりと様相を映し出していた川は、波紋によって容易に揺らぐ。

 波紋を起こしたのは少年だった。

 服はススだらけ、顔もだ。ボサボサの黒い髪は手入れ一つされていない。

 両手で川の水を掬い、顔に叩きつけた。前髪から滴る水が目に入って鬱陶しい。

 腕で強く顔を擦り、顔の水分を強引に拭い取る。

 草の上に置いた刀を手に取った。


 時は戦国。天下泰平の世は未だ訪れず、日本各地は戦火の爪痕が深く刻まれていた。

 力なき村人は戦に巻き込まれ、更には盗賊に蹂躙されていくばかり。

 少年が生まれた村もそうだった。


 当時の光景を思い出すだけで胸が早鐘を打つ。

 怒りと、悲しみと、悔しさが胸の中で混ざり合って嘔吐感として吐き出させる。

 月明かりが照らす街道、このような夜更けに歩く者は誰一人としていない。

 そう思われていた。


 だが違った。男と思しき人物が一人街道を歩く。

 小袖に袴に袖を通し、草履を履いて足音を立てて歩く陣笠の男。

 男の前に躍り出る少年。震える体を無理やり押さえつけながら刀の切先を男に向けた。


「……童、何用だ」


 目深に被った陣笠、表情は窺えない。

 威圧するかの如く低く問いかけた言葉は、夜が色濃い街道に深く浸透していく。

 しかし少年は答えない。

 涙が勝手に溢れないように留めておくのに必死だ。

 震えて歯がガチガチと音を立てるのを噛みしめるのに全力だ。

 荒い息が漏れるのを止めるべく唇を結びつけることに心血を注いでいた。


 刀の切先が震える。胴体に向けていたはずの切先は、手や足や顔などと勝手に標的を変える。

 殺意の塊である武器を向けられて尚、男は刀を抜こうともしない。

 感情のない瞳を陣笠の隙間から向け、震える少年へと冷たく見下ろした。

 相手にされていない。外敵と見られていない。視線から痛いほど伝わってきた少年は、地に深く足をつけて震えるのを力付くで押し留めた。


「ほう」


 感心したように声を漏らす。

 左手の親指で陣笠を持ち上げて顔を見せた。

 男の顔を見た瞬間、ドクンと少年の胸を打つ。

 

 隻眼。


 どれだけ探し続けてきたことか。

 何度夢に見たことか。まぶたを閉じれば今もあの惨劇を思い浮かべることが出来る。

 業火に包まれた生まれ故郷の村、何処もかしこも悲鳴が沸き起こり、下卑た笑い声が上塗りしていく。


 ある日、村が襲われた。誰かわからない、何のために襲ったのかもわからない。

 ただ襲われた、村が焼かれた、家族が殺された。

 少年は両親によって隠された。軒下は狭く汚かったが、気にしていられる状況ではなかった。


 耳に届くのは悲鳴と笑い声。そして母と姉が嬲られる悲鳴、父の泣き声。

 少年は耳も塞がず、泣き声もあげず、歯を食いしばってその光景を目に焼き付けた。

 最後に刃を振り下ろした隻眼の男、仇を討つために。


「おっ父とおっ母……姉ちゃんの、仇……!」


 少年はようやく口を開いた。幼い声だ、まだ変声期も訪れていない。


「仇?」


 男は肩を竦める。


「見に覚えのない話だ」

「ふざけるな! 村を焼いて……村の人を殺しておいて!!」

「知らんな。今は主なき放浪の身なれど、無辜の民を焼き払うなどという非道は生まれてこの方したことがない」


 事実である。少年に対峙する浪人は、仇ではなかった。

 しかし少年は仇と決めつけ刃を向ける、何故か?

 隻眼である。


 仇の特徴として隻眼が深く焼き付き、隻眼の男はすべて仇に思えてくるほどだ。


 少年が持つ刀も、寝込みを襲った隻眼の男から奪った物である。

 故に少年が持つには刀身が長く、姿勢を綺麗に保つことが出来ない。少年にはまだ過ぎた代物であった。

 こうして浪人は否定するが、少年は聞く耳を持たない。


「うるさい! 決して極楽浄土へ逝けると思うな!」


 少年は踏み込む。というよりもバタバタと駆けながら走り寄る。

 構えはなっていない、踏み込む足捌きもだ。

 木の棒を持ち走り回りながらチャンバラをするかのような、お遊びの延長線だ。


 浪人は体を横に逸らし、少年の足を引っ掛けた。

 目を瞑りながら走り寄っていた少年は、足を引っ掛けられたことにも気付かず地面に倒れ伏す。

 受け身も取れず顔から倒れていった。


「童、その手に持つそれは遊びの道具にあらず。過ぎた物を手に持てば自らを傷付けることになるぞ」


 子供を手にかけるつもりはなかった。所詮は誤解なのだから。

 少年はまたも立ち上がり、刀を浪人へと向けた。月明かりが刀身に反射し煌めいて見せる。


「痛い目を見んとわからんか」


 浪人は刀に手をかける。しかし鞘からは抜かない。

 持っている刀を叩き落として戦意を奪うつもりだった。

 猪の如く突進する少年。刀はまたも振り上げ、目を瞑っている。


「未だ恐怖の方が勝る幼子、かような童が刀を持って仇討ちとは、乱世の混迷ここにあり」


 少年が振り上げたままの刀を、居合で弾き飛ばす。

 そのはず、だった。


「……まさか、こうなるとはな」


 浪人の目論見通り刀に命中。

 だが思っていた以上に少年の持つ刀は劣悪な物であった。

 まさか刀が折れるとは。そしてその折れた刀の切先が。


「星は空に数多くあれど、某の上には降り注がなかったか」


 浪人の腹に、深く突き刺さっていた。

 すでに血で塗れた刀の切先は滑って抜き取ることが出来ない。


「童、運が……あったようだな」


 刀を鞘に収め、少年に向かって突き出す。


「受け取れ、地獄の仇討ちの旅は、未だ始まったばかりだろう」


 目を丸くして驚く少年。仇と思っていた浪人から、刀を渡されるとは思っていなかったからだ。


「足運びを学べ、刀を振るんじゃない、刀を振るために自らが動くのだ。あとはなんだ…………ああ、そうだ」


 立っていられない、膝から崩れ落ちる浪人。


「目は、閉じるな。何も……見えない、だろう」


 倒れ伏した。仇と思っていたはずの浪人からの手ほどきが耳の奥に反響する。

 もはや何も語らず、街道の真ん中には勝者と敗者。

 運が偶然傾いただけの偶然の勝利。勝利の気分に酔うことも出来ない少年は、刀と浪人を交互に見つめる。

 何故? この言葉が少年の頭の中を何度もぐるぐると回り続ける。仇だったはず、なのに刀を与え、教えるようなことを?

 自分は今何をした? 仇でもない人間を殺めたのか?


「もし……もしそうなら……」


 少年は目を閉じる。情景として映り込むのは焼かれた村。少年の村だ。

 悲鳴、笑い声、悲鳴、笑い声、悲鳴、笑い声。


「もしそうなら……仇が他にいるって、ことだよな」


 そうだ、仇討ちはまだ終わっていない。眼下に倒れ伏す浪人が仇ではないのなら、仇が別にいるのだから。

 少年は浪人を引きずり、草むらの中に引きずっていく。

 衣服を剥ぎ取り、少額ながらの路銀も拝借。

 ススだらけのボロボロの服を脱ぎ、浪人の小袖に袖を通した。


 とても大きい。袴にも足を通すが引きずってしまう。

 無理やり折り込んで着ることにした。服に着られている感じは拭えないが、ススだらけの服よりはマシだ。

 地に染まり、穴の空いた腹の場所は折り込むことで目立たなくなった。

 陣笠を被り腰に刀を差す。後十年も経てば立派な侍に見えるだろう。


 少年は初めての白星の街道から遠ざかって行く。向かう場所は決まっていない、次の白星を上げられるまで、ひたすらに歩き回るのみだ。


 それから何度も何度も戦った。

 戦う度に満身創痍、体のあちこちには刀傷を負い、それでもなんとか勝利する。

 それを何度も繰り返した。


 無数に出来た傷は、死合いを経る毎に減っていく。

 少年は戦いを経て、どんどんと力を身につけていった。

 その頃には少年という呼び名は相応しくなくなっており。


 大きかった小袖と袴は、いつの間にかちょうどよくなっていた。



「……おい、聞いたか? “隻眼狩り”のこと」


 とある街道の茶屋。

 団子を頬張りながら村人が噂をする。


「ああ、浪人だろうが盗賊だろうが武士だろうが関係なく斬り捨てるってえ話だろ?」

「だな、しかも隻眼しか狙わねえってもんだから、ついたあだ名が隻眼狩り」

「その隻眼狩りだがよ、ついこないだ大工の六兵衛をも斬ったらしいぜ?」

「はあ? あいつのことは知ってるがよ、あいつの隻眼って“のこ”で目をやっちまったんだろ?」

「確かそうだ、それなのに狙われるってんだから、こうなりゃおちおち事故って目をやるわけにもいかねえ」

「そりゃお前、何もなくても目をやりてえヤツはいねえだろうよ」

「違えねえ、まあなんだ、隻眼狩りには気をつけろってこった」


 村人からすればただの雑談。だがしかし隻眼狩りの名前は広く深く轟いていた。

 狙うのは隻眼のみ、ならば今ここで団子を口に運ぶ村人たちには関係のないことだ。

 そのおかげで現実味はなく、ただの噂話のタネとして雑談に興じるのみ。


「…………」


 その村人たちから少し離れた長椅子で団子を頬張る侍がいた。

 古びた小袖と袴に袖を通し、深く陣笠を被る青年。

 腹部に空いた小さな穴が微かに目立つ。

 団子の串が残された皿のすぐそばに勘定を置き、無言で歩き始める。


 行く当てはない。

 求めるのは隻眼の男であり、仇。

 あれから十余年。仇の顔はますます朧気になり、深く刻み込まれたのは隻眼という単語のみ。

 戦続きの乱世だ、隻眼の武士は途絶えることはなかった。


 今まで斬ってきた中で、仇がいるのかいないのか。

 それを判断する術はもうない。

 ならば今までと変わらない、隻眼を斬り続けるのみ。

 隻眼限定の辻斬りと化した少年は、今日も得物を求めてひた歩く。


 復讐心に囚われ続けた少年は、既に狂っていたのだ。



「……はあ、はあ…………っ」


 とある夜のこと、満身創痍となった青年はふらふらと街道を歩く。

 刀傷だらけで、着ていた小袖も袴も朱に染まっている。もう着れないだろう。

 今回の隻眼は強敵だった。だが勝った。強い隻眼を倒せば倒すほど、仇を討つことに近付くのだ。

 死に体だが非常に満足そうに歩いている。しかし目に血が流れ落ちて前がよく見えない。


 近くの川まで行くことにした、幸い街道沿いに小さな川がある。

 顔を突っ込むようにして乱暴に洗う。刀傷がある箇所に水が染み入り刺すような痛みをもたらす。

 水滴を強引に拭い去るように腕で乱暴に拭う。


 川の水面が視界に入った。満月が川に映り込んでいる。

 しかし、それだけではない。


「…………は、ははは……っ」


 道理で見えづらい。

 水面に映るのは間違いなく自分の顔。


「はははははは……っ!」


 右目には縦に刀傷。

 隻眼狩りが、死闘の果てに隻眼となったのだ。


「はははははははははっ!! ここにも、ここにもいたかっ!!」


 すらりと鞘から刀を抜き。

 自分の喉に、突き立てた。

 そのまま川の中へと突っ伏すように倒れ込む。

 彼はもう、狂っていた。


 水面に映る満月は、簡単にその姿を変える。

 くっきりと様相を映し出していた川は、彼が起こした波紋によって容易に揺らいでいたのだった。

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