第二話 かわいいの扉が開く
逃げるのも、止まるのも、しゃべるのもムズかしい。
胸がドキドキする。手も汗ばんでくる。
次の瞬間。
「このリップ、いいよね」
「色はつかないけど、ツヤ感だけでけっこう変わる」
――真白が隣に立って、リップを指さした。
思わずうなずきそうになったけど、なんとかこらえた。
そして、そっとリップを棚に戻した。
「買わないの?」
「……べつに、買うとかじゃないし。見てただけ、だから」
顔をそむけながら、そう言った。
真白は、くすっと笑った。
「そっか。じゃあ、“見てただけ仲間”ってことで」
「……メイクするの?」
恐る恐る聞いてみる。
「するよ」
その言い方が、あまりにも当然のようで――私は言葉を失った。
「クラスの半分くらいは、やってると思う」
「学校ではさすがにやってる子は少ないけど……休みの日とかは普通にやるよ、みんな」
「ななみは、しないの?」
かーっと顔が熱くなる。
「親が厳しい子は、隠れてやってる子もいるみたいだし」
「朝早く起きてコソッとやったり、帰る前にお直ししたりね」
「まっ、うちは派手じゃなければ、あまりうるさくない」
「むしろ、肌荒れとか、ベースメイクのこととか――色々教えてくれる」
うんともすんとも言えずに聞いていた。
……真白って、こんなにしゃべる人だっけ。思ってたのとキャラ違う。
いつも一人でいるし、きれいだけど近寄りがたい――そういう印象だった。
「要は、ナチュラルメークが基本」
「目立たないのにかわいいってやつね」
なんか本に書いてあったなあ。そんなこと。
そう思いながら真白の顔をじーっと見た。
まつ毛がくるんってしてて、なんかきれい。
肌も透き通っている。
くちびるもちょっとだけピカって光ってて、ぬれてるみたい。
目もキラキラしてるし、眉毛もきちんとそろってる。
前から学校でもきれいだなって思ってたけど、今日は、その何倍もきれい。
軽いウエイブがかかったくるくるヘアが、動くたびにふわっと揺れる。
……ほんとに、同じ女子? いやいや。
私の休みの日といえば、キャッチボールに泥だらけのユニホーム。
練習の無いときはゲーム、動画見て大笑い、美羽とのLINE、昼寝、たまに宿題。
やっぱり、別世界の住人だ。
***
あまり、じーっと見すぎたせいか、真白が目をそらした。
「なに……? そんなに見ないでよ……」
ちょっとだけ声のトーンが高くなって、いつもよりふわっとしてた。
照れてる……ように見えた。いや、たぶん、照れてた。
そして、今度はフフッと笑って、逆に見つめなおしてくる。
「ななみ、メイクしたいの?」
心の奥を見られた気がした。
「えっ、そ、そんなんじゃ……!」
言いながら、また、顔が熱くなる。
嘘じゃないけど、本当じゃないみたいな。
でも、図星を言い当てられて、なんか悔しい。
返事に困っていると真白は、私の手をとって店の外に出た。
「うち来て。すぐそこだから」
***
道の向かいにある美容室――“Ravie”――真白のお母さんのお店。
言われるままについてきてしまった。
背中を押されて美容室の横にある外階段をのぼった。
その奥にある通用口。
ドアの前でいったん躊躇したけど、真白は構わず中に招き入れた。
真白の部屋に入ると真っ先に机の上の化粧ポーチが目に入る。
あれって、ニコ☆プチに載ってたやつ。
おしゃれなポーチの蓋が開いたままで、コスメたちがそこにいた。
真白は、いたずらっぽく笑った。
「そこ、座って」
軽い口調で言いながら、机のポーチを指先でとんとんと叩く。
足がふわふわしてる気がする。
どうしようって思うのに、身体はもう座ってる。
机のメイク道具をささっと並べ直しながら、
「誰かのメイクしてみたかったんだよね。私」
弾んだ声で言った。
……もしかしたら、私って実験台にされちゃう?