第四話 別れ
ネット事件から数週間後。
お母さんの一言から、また、心臓がぎゅっと締めつけられるようなことが起こった。
「ヒロくん、今月末で辞めることになった」
あまりの突然の話で、体が一瞬、固まった。
何も言葉が出ない。
「韓国に行って、本場のメイクを勉強するんだって。
知り合いに誘われたらしいの。
うちも、辞められると痛いけど、ヒロくんの夢も応援してあげなきゃね」
静かにそう話すお母さんは、自分自身に言い聞かせているようだった。
「真白もね、お店のことの心配ばかりしてないで、自分のやりたいことをやりなさい」
……わたしのやりたいことは、一緒にRavieをやること。それだけ。
そう言いたかった。
でも、お店のために何もできなかった自分には、それを言う資格がないような気がした。
その話を聞いて以来、気持ちの整理がつかず、ヒロくんとは、まともにしゃべっていない。
言いたいことがあるのに言えない、聞きたいことがあるのに聞けない。
もどかしい日々が続いた。
***
ヒロくんが辞める日。
家族だけで、ささやかなお別れ会が開かれた。
お母さんとヒロくんは、なぜか楽しそうに話している。
でも、話の内容が頭に入ってこない。
私は、ただ、黙って、目の前のお菓子を食べていた。
お別れ会の後、ヒロくんは荷物の整理と言いながら、ひとりで店内を丁寧に掃除していた。
クロスを何度も折り返し、シザーケースまで磨いている。
すべての道具を、慈しむように。
このまま、何も言わないで別れてしまうなんて……絶対いや。
ついに決心して声をかけた。
声がわずかに震えた。
「……ヒロくん、本当は、わたしのせいで辞めることにしたの?」
掃除の手を止めて、まっすぐこちらを見てくる。
「違うよ……これは、自分自身の夢のため」
その言葉が静かに響いた。
でも、納得なんてできなかった。
頭ではわかっていても、心がついていかない。
「お店を辞めないで。お母さんを助けてあげて。お願い」
言葉は返ってこなかった。その沈黙が、余計につらかった。
「……ヒロくん、ううんっ、大貴さん……好きです。だから……」
「……辞めないで、ずっと一緒にいて」
言えなかった本当の気持ちがあふれ出す。
「今日は“大貴さん”って呼んでくれたね」
今までで、一番やさしくほほ笑んでくれていた。
そして、私の精一杯の告白には触れずに、
「真白ちゃんは、みんな、どうしてメイクしてると思う?」
と聞いてきた。
突然の問いかけに、私は戸惑いながらも答えた。
「……きれいになるため……かな」
「それもあるけど……それだけじゃない」
「……?」
「メイクって、その人の内側にある輝きを引き出すためのものなんだ。
外見を彩るためだけじゃなくて……その人だけの本当の輝きを引き出すために」
言葉にしてしまえば静かなものだったけど、その声の奥に、迷いのない確かな想いを感じた。
「そんなメイクができるように、もっともっと勉強したいんだ」
この人は、もうずっと遠くを見つめているんだ。
そして、わかった――私は、今、大貴さんに失恋したんだと。




