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第35話 嘘

「うん。経過はかなり順調ですね。回復とリハビリに専念してくれたおかげです。この分だと、あと数日で問題なく日常生活は送れるようになりそうですね。――あ、くれぐれも無理は禁物ですよ!」

「分かってます。じゃあ、ちょっと顔を出すところがあるんで」

 ヒダカは主治医に向かって頭を下げると、まだ少し怠さを感じる体で立ち上がった。

 診察室を出てすぐ左手の、エレベーターへと乗り込む。目当ての階のボタンを押すと、数字がどんどん下がっていく様子を睨むような眼差しで見つめた。


 レイジャーから聞いたタイムリミットまで、残り一週間。くれぐれも焦りは禁物だ。

 エレベーターを降りてすぐ目の前の自動ドアを入ると、作業台を目の前に何かをしていたレイジャーがこちらを振り返った。


「おお、ヒダカ。なんだ、もう動き回っても大丈夫なのか? 大人しくしてたかいがあったな」

「まあな」

 ヒダカはさりげなく視線を巡らせ、他のスタッフがいないことを確認する。ここはレイジャーの工房《さぎょうべや》だが、手伝いのスタッフがいることも珍しくない。


「今は俺だけしかいないぞ。お前が来たのはアレのことだろ? 安心しろ、ちゃんと制作は進んでる。もう少しで試作品も完成だ」

 頷き、ヒダカはレイジャーに近づいていく。作業台の上にあったのは、どうやらヒダカが彼に頼んでいたものの試作品のようだ。

「全く、こんな奇天烈なものを作れるかって聞かれたのは初めてだ。どっから出したんだ? このアイディアは」

「なんかのゲームかアニメ」

「なるほど! そりゃ奇天烈なワケだ!」

 レイジャーは豪快に膝を叩き、笑い声を上げる。


「茶化してんじゃねぇ。その奇天烈なアイテムを作れるっつったのはアンタだぞ」

「確かにそうだな。いや、なかなかクールなアイテムじゃねぇか。ただ、これを使ったって、タイクウのところに行けるわけじゃねぇだろ? いざ仕事になった時にアイツの負担は多少減らせるだろうが」

「あとはアレだ。逃げるアイツを捕まえられる」

「ハハッ! あー、確かにな。で、その肝心の会う方法はどうすんだ?」

 低い声でレイジャーが問いかけた。先程とはがらりと変わった厳しい眼差しは、まるでヒダカを見定めるようでもある。


「なんとか、タイクウが降りてくる日時と場所を調べる。それで駄目なら――時雨に教えてくれるように頼む。あの野郎、絶対教えてくれそうにねぇけどな」

 ヒダカの答えに、レイジャーは一瞬口を大きく開けて固まった。やがて信じられないとばかり、口を開けっ放しにして首を振る。


「おいおい、どうしちまったんだ? お前さん、自分の兄貴を頼るようなやつじゃなかっただろ? どういう風の吹き回しだ」

「どんだけ『惨め』だろうが、『無様』だろうが、んなこたどーでもいいんだよ。……どうでも、良かったんだよ」

 ヒダカは眉を顰め、何かに耐えるように歯を食いしばった。


 自分はま(・)た(・)間違えたのだ。タイクウと一緒にいると惨めになるのは、彼が自分より優れていると思い知らされるから。自分の人としての弱さが浮き彫りになってしまうからだ。

 だからと言って、それはタイクウと別れる理由にはならないのだと、ちゃんと伝えるべきだったのだ。

 怪我をした時だって、タイクウに自分の覚悟を伝えられないまま、傷の痛みであっさりと気を失ってしまった。

 プライドだけは人一倍高いくせに、自分はいつも肝心な時に過ちを繰り返してばっかりだ。


「土下座でもなんでもしてやるよ。一生後悔するくらいならな」

 どんなに情けなくたっていい。目的を達成できるなら。

 ヒダカは口の端を吊り上げ、犬歯を見せつけるようにして笑った。





 ラストオーダーが終わった店内は、酷く静まり返っている。淡い橙色の照明が、どことなく夕焼けを思わせた。店の外はとっくに消灯時間を迎えているだろう。

 タイクウはいつものカウンター席で、水の入ったグラスを前にして座っていた。左隣が妙に寒々しく感じるは、今まで座っていた彼がいないだろうか。

 カウンター越しに立っている桜は、困った表情でタイクウから差し出された箱の中を覗き込んでいた。


「タイクウ。これ、本当に良いの?」

「うん」

 タイクウはにこやかに頷き、小首を傾げた。

「こんなにいっぱい、向こうには持っていけないしね。お邪魔じゃなければ桜さんに貰ってほしくって」

「邪魔ではないけど、でも、一生懸命集めたんでしょう? それに突然運び屋を辞めて地上で暮らすだなんて……一体何があったのよ?」

 桜の手の中にある長方形の箱には、タイクウが今まで集めた食玩の人形《フィギュア》が詰め込まれていた。事務所を片付けほとんどの物を廃棄して、使えるものは譲って、最後に残ってしまったのがこの人形である。どうしても捨てるのは忍びなくて、彼女を頼ることにしたのだ。


 桜の疑問に、タイクウは曖昧に笑ってグラスに口をつける。指先の動きはぎこちなく、喉がやけに乾いていた。

「ほらその、言ったでしょ? 地上で協力してほしいことができたって、時雨さんに言われたんだ。ヒダカは先にその手伝いをしてるよ。桜さんに『よろしく』ってさ」

 タイクウは何でもない風を装って、顔の前で両手を合わせた。


「だからその、これから『おつかい』はできなくなるんだ。本当にごめんなさい」

「別におつかいができなくったって、そこは何とかするわ。私もあの頃よりタフになったしね。でも、タイクウ」

 桜は箱をカウンターの上に置き、両肘をついた。タイクウの顔を覗き込むようにして、前に身を乗り出す。彼女の栗色の瞳は頼りなく揺れていた。


「ちゃんとその用事が終わったら――また会いに来てくれるのよね?」

 動揺を悟らせないように、タイクウは飛び跳ねた心臓を笑顔で誤魔化した。

「もちろん! ヒダカも絶対、桜さんに会いたいと思ってるだろうし」

 自分と違ってヒダカは、いつか桜と再会する日が来るかもしれない。その為に自分が、できる限りのことをしなければ。

 桜はまだ不安げな表情をしていたが、戸惑いながらも頷いた。


「出発はいつなの?」

「そうだなぁ。やっと荷物の整理が終わったから、明日か明後日くらいかな。時雨さんに一ヶ月以内に戻るって言っちゃったしね。ひと月ってすごく長いと思ってたけど、いろいろな片付けとか手続きとかしてたらあっという間だね」

 その間、何度かヒダカの荷物を海上の元空港へと運んだが、恐れていたヒダカからの接触はなかった。まぁいくら彼が頑丈でも、大勢の人の目をぬって病室を抜け出し、海上までは来られないだろう。

 良かった、タイクウは心の中で呟いて、眉を下げて笑った。


「そう。それなら、出発する前の日に、もう一度お店に来て。お別れ会くらいさせてちょうだい」

「わぁ、ありがとう! 楽しみだなぁ」

 そうだ。最後だから、無理をしてでも桜さんの料理が食べたいな。食べられるかな。

 タイクウはニコニコと笑顔を浮かべながら、コップの水を一気に飲み干した。

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