第86話 乱高下する気持ちは複雑で
期末試験が終われば日常が帰って来る、なんて事は無い。
期末試験が終われば一学期の学校行事が終わり、一学期が終われば待ちに待った夏休みが始まるからな。
部活に励む者、勉強に励む者、恋愛に励む者。
長期休暇の間に何かに打ち込んだ者は、休み明けに別人の様に成長している事があるわけで、夏と言う──。
そんな話はどうでも良かった。
「吉永、ちょっと時間ある?」
「うん? うん、全然あるよ。なになに?」
期末試験が終わった日。
教室では夏休みに遊びに行く話で色々と盛り上がったりもしたが、正直に言うと内心それどころではなかった自分が居る。
と言う事で、吉永と姫野の同中トリオで帰宅した俺は、最寄り駅に到着して姫野が居なくなったタイミングで口を開いた。
「たいした話じゃないんだけど、日曜の事について少し話したくてさ」
「あ、そだね。そう言えば明後日行くんだっけ? 塾の挨拶?」
「そうそう。そんで、その事で少し話しを合わせとこうかと思ってさ。リリンクでもいいんだけど、やり取りが長くなるかもだろ」
「うん、わかった。じゃあどうする? 何処かお店入る?」
「うーん、そこの公園でと思ったけど外は暑いか……。どっか入ろう」
俺は楽しみ過ぎて、カレンダーにチェックマークまで入れてたんだけど、吉永の反応の薄さと来たら、もしかして忘れてました?
……いやいやいや、だとしても落ち込む事はない。
大事なのは、日曜日に二人で出かけると言う所にある。
実際には塾行ってチューターの真似事をするだけとは言え、日曜日に二人で出かけるとなれば、それはもう実質デートみたいなものだろう。
と勝手に考えているので、これをどうにか次に繋げたいと思っている。
駅前なので飲食店はそれなりにある。
なので、金曜日の15時過ぎと言う絶妙な時間のお陰で、すんなりと入店が出来た。
「ケーキ食べよっかなー」
「まだ晩飯まで時間あるしな。軽く食べるのはいいんじゃないか?」
「ん-。と思ったけどやめとこ、一個は多いかも。鹿島は紅茶?」
「よくご存知で」
有名チェーンの飲食店に入れば中はそれなりに混雑していて、店内には主婦層や学生が入り乱れて程よくざわついていた。
五月蠅すぎるのは勘弁だけど、逆にあんまり静かな店だと緊張しそうなので、今のように少し人が居るくらいの方が有難い。
「じゃあ、私も鹿島と同じの頼もうかな」
「あれ、吉永はブドウジュースじゃないの?」
「あれは……。ボロ塾の自販機の中では、アレが好きだったってだけだから。……て言うか、よく覚えてるね」
「まあな。記憶力はそんなに悪くないんだよ。吉永いつもブドウジュースだったしな」
「ふーん?」
俺の言葉に興味無さそうに反応した吉永は、徐にメニュー表を持ち上げて顔を隠してしまった。
もちろん、記憶力が良いとか悪いって話ではない。
吉永の事ならなんでも忘れたくないから大体覚えてるだけなんだけど……。
確かに、今のはキモかったかもしれない。次からは気を付けよう。
「──じゃあ、とりあえず同じの二つって事で。頼んどくな」
「うんー」
と言う事で、吉永が下を向いてスマホを眺めている間に、テーブルに置いてあったタブレットでさっさと注文。
「それで日曜日なんだけどさ」
「うんうん、なになに?」
「オガ先が言うには、難関校に行ったらどんな感じなのかーって、そんな感じのイメージを抱かせるような会話をして欲しいとか」
「何それ? 適当過ぎない?」
「それは思う。でも、それ言い始めたらあの塾自体が適当な雰囲気あったろ。授業分かり易いんだけど、設備とか見た目何とかしろ、みたいな?」
「確かに。ふふふ」
笑ってる吉永はやっぱり可愛いけど、流石に一学期も終わりになれば耐性がついてきたかもしれない。照れないで話を進められそうだ。
「まあ、それでさ。俺も吉永も深山だけど、中学までと深山はどう違うのか、とか。進学校の実態はどうか、とか。受験勉強のモチベに繋がる話をして欲しいらしいよ」
「え、それホントに私達がやっていいの? 深山での思い出なんて今の所、勉強と料理しかないんだけど」
「それも同感。ただ、なんだろう。少なくとも俺は、中学と比べたら今のクラスの方が何倍も楽しいと思ってるから、その辺の話をしたいなって考えてるよ」
「あ、うん。それは、うん、私もそう。深山が進学校の中ではちょっと変人が多いと言うか。宮祭に憧れて入るような、青春を謳歌したい子が多いからなのかもしれないけど、基本みんな元気だよね」
「だな。基本的に全員モチベ高いよな」
まあ、俺が中学より楽しいと感じる理由の大部分は、吉永と同じクラスだからなんだけど。
そんな感じで中学までと一番変わったのは何処かを話しながら、話を煮詰めて行こうとした所で、注文の品が運ばれて来た。
「お待たせ致しました」
注文したのはアイスのレモンティーが二つ、と。
「桜のモンブランだってさ、吉永」
桜色のモンブランが一つ。
「え、鹿島ケーキ頼んだの? だったら私も頼めば良かった」
「でも一個は多いかもって言ってただろ? だから、半分ずつ食べようと思って。てか、頼もうとしてたのコレで合ってた?」
「……合ってるけど」
視線を手に持ったスマホに移した吉永が、興味無さそうに答えた。
良かれと思って頼んだんだけど、やっぱり一言声を掛けるべきだったか。
「えーっと……まあ、無理に食べる必要は無いから、その──」
「食べる!」
「うぃー」
そんなに食べたく無いなら無理に食べなくてもいいんだけど、断り辛い雰囲気を出してしまったかな。
「あ。ね、写真撮っていい?」
「もち。てか、俺も撮ろ」
「知ってたー? これ春だけの限定品なんだよー」
「へー? って、もう夏だけどな」
「うんうん。だから六月入る前に終わるって聞いてたんだけど、人気なのかずっと続投してるみたい。前にユッキーがリリンクに上げてて、可愛い色してるなーって思ってたんだよね」
「あー、そう言や橋本さんいつも食べ物上げてるよな」
ユッキーこと橋本雪は、姫野の前の席に座っている服部の、前の席に座る女子。
姫野とも席が近いと言う事で、チーム姫野に引きずり込まれた女子でもある。
服部が俺と青島の席に移動するので、代わりに橋本が服部の席に座って、よく吉永や姫野と話をしている現場を見かける。羨ましい。
正直、俺も吉永との会話に混ざりたい。
「あ」
なんて事を考えていると、何かに気付いた様子の吉永の口から、短い言葉が飛びだした。
「うん? どうした?」
なんだろう。
「これリリンクに上げたらさ」
「うん」
「冬……たぶん、怒るよね」
「あー……。それは、うーん」
えー! 何で二人だけでご飯食べたのー! ずるいよー!
みたいな事を言う姫野の姿が容易に想像出来る。
「……まあ、今回はあげない方が無難だろうな。写真だけ撮って後は内緒にしとこう」
「うん、その方が良さそう。内緒にしとこっか」
そう言うと、吉永が軽く目を細めた。
姫野を誘わないでケーキを食べただけの話、内緒にする必要も無いどうでも良い秘密。
だけど、吉永と共有出来るどうでも良い秘密は、俺にとって全部大切な思い出だ。
これからも二人だけの秘密が増えればいいな、とか。
「な、なに? 私の顔何か付いてる?」
「いや、何でもない何でもない」
などと考えていたら、嬉しそうにモンブランにスマホを向けている吉永の顔を、無意識に凝視していたらしい。
「って事で、写真撮ったら食べながら話すかー」
「はーい」
その後、ボロ塾で何の話をするかを決める時間は、桜色のモンブランを頬張る吉永の笑顔に見惚れている間に、あっと言う間に過ぎていった。
全然話に集中出来なかった気がする。何の話をしてたんだっけ、俺。
◇
塾で話す内容を小一時間煮詰め、スマホに原稿を纏めた俺達は店を後にした。
「暑いから気を付けてなー」
「わかったー、それじゃあ日曜日に」
駅に直結している冬のタワマン程ではないけど、俺の家も吉永の家も駅からそう遠くはない。
もちろん、だからと言って俺達の家が近いと言うわけでもない。
駅を出て少し歩けば別々の道へ別れてしまうので、二人で歩ける時間は残念ながら非常に少なかったりする。
そうして、離れていく吉永の背中を見送ると、心の中で溜息を溢してしまう。
いやいやいや、そりゃ塾の挨拶考えようと誘ったのは俺だけどさ、マジでその話しかしなかったな。いや、マジで。
吉永が真面目なのはわかる。それは知っている。
そう言う所も凄く好きなんだけど、もうちょい、何て言うか……。なんかこう、青い色の付いた春な話とか、そう言う感じの話題があっても良かったんじゃないだろうか。
このまま行けば、日曜も塾行って挨拶したら直帰する予感しかない。
挨拶が終わった後に二人で昼飯を食べたり、買い物したり、散歩したりとか、そう言うの絶対無いだろ、これ。
「はぁ……」
男子なんて女子と二人きりと言う状況だけで、相手が誰であっても多少はドキドキするのに、吉永のあの落ち着きようときたら……。
まさか異性として見られてない? いや、それは見られてないんだろうけど。
でも、だったらその辺どうアピールすればいいんだろう。
楽しい時間の反動か、色々考えていると今度は心の中ではなく、本当に溜息を溢してしまった。
考え過ぎるとまたネガりそうだから、今はただ前向きな事を考えよう。