第75話 この恋は、もうずっと前から──
「──ま、まあ、アレだ。家もそんなに遠いわけでもないしさ、何か気になる物でもあればまた今度来ればいいから。今日の所はとりあえず帰った方がいいんじゃないか?」
とりあえず俺が無害である事をアピールしておこう。
「え、また来てもいいの?」
「うん? ああ、うん、いや、それは別にそれはいいけど。ただ、面白い物なんて何も無いから、やる事なんて昔買ったゲームくらいしかないからな?」
「あ、全然いいよ! 私ゲームあんまりした事ないから、じゃあ、次来たら色々教えてね」
「おお、おーっけ。教える程俺もやってないけどな。まあでも、そう言う事なら今度は姫野さんとでも遊びに来たらいいから、今日の所は勉強会に戻った方が良いって」
一人だと緊張すると言うのなら姫野とでも来てくれたらいい。
間に誰か挟まないと家にも呼べない事は情けないが、姫野が一緒なら吉永もそんなに緊張しないだろう。
ついでに、俺も緊張しなさそうだし。
「あー……。うん、わかった。そうする。冬連れてきたらいいんだね」
また来てもいいと言っただけなのに、そんな露骨にテンション下げなくても。
スッと笑顔を消してしまった吉永を見ると、居た堪れない気持ちになるな。
「いや、その、もちろん無理に来る必要はないから、吉永が嫌なら無理にうちなんか──」
「だから! ……嫌じゃないって、さっきから言ってるでしょ」
「そ、そうだよな。言ってたな」
「今日はお邪魔しました。プリンとお茶ありがとうございました」
「……うっす」
椅子から勢い良く立ち上がった吉永は、そう言うとそそくさと玄関に向かってしまった。
気の所為じゃなければ、少しピリピリしているように見えるような……見えないような。
「吉永」
「なんですか」
靴を履こうとしゃがんでいる吉永の背中に声を掛けるも、全く振り向いてくれる気配がない。
「えっと、何か怒ってるよな? 何か気に障る事でもあった?」
「別に怒ってないし。嫌とか迷惑とかも思ってないって言ってるでしょ」
「そうだけど……。何か気に触る事言ったなら謝るから、何かあるなら言って欲しいって言うか。……あ、ほら、前にも言ったけど、吉永に嫌われるような事はしたくないんだって」
「……なんで?」
「なんでって──」
そんなの、吉永が好きだからに決まってんだろ。
そう言えればいいんだけど、そんな事を言えば彼女は俺から離れていくだろう。
……いや、それもいいのかもな。良い機会か。
キッパリ振られた方が諦めもつくだろう。
距離を取られて話さなくなってしまえば、踏ん切りも付くと言うものか。
「……じゃあ、帰るから。また学校で」
お互い何も話さず。
しばしの沈黙が流れた後、しゃがんでいた吉永が立ち上がると、俺の方に一瞥もくれる事なく玄関から出ていこうとしたからだろう。
「なんでも何も、吉永の事が大切だからに決まってんだろうが。ふざけんなよ、マジで」
あまりにも勝手な態度を取る彼女に、流石の俺もちょっと思う所があったと言うか。
だから、吉永が家から出ていく前に、言いたい事を言おうと決めた俺は、彼女の腕を掴んで引き止めた。
「突然家に来てプリン食って、何かいきなり機嫌悪くなって、流石に自由過ぎだろ。何か気に触る事があったなら謝るって言ってるんだから、教えてくれてもいいだろ。言ってくれなきゃなんもわかんねえよ。仲の良い人が元気なかったり不機嫌だったら、誰だって気にするだろ。そんなにおかしいのか? 俺が吉永の事を気にするって、そんなにおかしいの? 俺って、吉永からしたらそんなに駄目な奴に見えてる?」
異性として見てくれなくてもいいし、三好の事が好きならそれでも構わない。
それでも、友達として心配している気持ちまで否定されるのは、それは嫌過ぎる。
「……お……おお、おかしく、ないよ」
ちょっと語気を強めてしまったせいか。
少し怖がらせてしまったようで、返事をしようと絞り出した吉永の声は震えていて、相変わらずこちらを向いてくれないけど、それでもいい。
「男の俺に言われても嬉しくないのかもしれないけど──」
「……そ、や、あ……わた、し、も──」
「──俺は吉永の事を本当に大切な友達だと思ってるから、吉永が怒ってたり元気ないのは嫌なんだって。しかも、その原因が自分にあるとか尚更嫌なんだよ。前にも言っただろ? 折角同じ高校に入ったんだから、仲良くしたいって。お互いに嫌な事はしない為にも、何かあるなら言って欲しい」
「あ──。あ、うん! ……うんうんうん! うんうん!」
「だから、吉永の事教えて欲しい。嫌がる事は絶対しないから、気をつけるようにするから」
俺の手を振り払うのを諦めたのか。
吉永の腕から力が抜けているような気がするけど、相変わらずこっちは向いてくれない。
「うん! いや、ホント、全然! もう全然怒ってないから!」
「嘘つけよ。前もそんな感じで誤魔化されたけど、あ──」
もしかして、姫野か? 姫野の事が駄目だったの、か?
前に吉永が怒っていたのも、俺が姫野を狙っていると勘違いしていた時だったからな。
姫野関係で何かしら地雷を踏み抜いた、のか?
「いや、さっきのは違うって言うか。今度うちに遊びに来るなら、姫野さんじゃなくても誰と来てもいいから。さっき姫野さんって言ったのは、吉永と一番仲良いからで、俺の家に居るのが緊張するなら二人で来たらいいんじゃないかって提案で。姫野さんを狙ってるとかそう言うんじゃなくて──聞いてる?」
「うんうん、聞いてる聞いてる! でもホントもう全然怒ってないから! 私も鹿島の事……た、大切に想ってるから、オッケー理解した的な! オッケオッケー!」
「あ、おう。そ、そうか? それなら、いいんたけど……。いや、うーん」
「よーし! それじゃあ私は勉強頑張って来るかな! 鹿島はしっかり休んでるようにね!」
「うっす」
「それじゃあ、またね!」
「ああ、うん。またな」
逃げるように飛び出して行ってしまった吉永は、結局俺の方を向いてくれなかった。
だけど──。
「だよな! そうだよな? そうだよな! 吉永も俺の事大切に思ってくれてるよな、やっぱり? よしよしよし! だよな?! 後はここからどう頑張っていくかだけど、そこは俺次第だよな? 吉永家と三好家の関係は強力っぽいけど、それだって俺次第だもんな。だよな。そっかそっかー、まあ、だよな? 少なくとも仲悪いって事ないもんな、俺と吉永──」
自分に言い聞かせるように口から次々に飛び出して来る言葉は中々止まらなくて、とりあえず熱を帯びた顔を洗いに洗面台に向かう。
吉永と会う直前まで落ち込んでいた気持ちも、彼女の言葉一つで晴れていくのがわかってしまって、それと同時にようやく理解もした。
どうやら俺はもうとっくの昔に、吉永の事を諦めたくないと思う所までのめり込んでしまっていたのだと。吉永の取る言動一つ一つが今の俺を動かしている。それが今日、ようやくわかってしまった。
そうして、蒼斗が洗面台でバシャバシャと熱くなった顔を洗っていた頃、雨が上がった道を傘をさして早足で自宅に戻る紅葉もまた、その顔を綺麗な紅葉色に染めていた。
簡単に諦められるようなものじゃなくなっていたんだ