第72話 それはあまりにも突然すぎて
吉永邸に足を運んで圧倒的な敗北感を味わって、自分の恋の無謀さを知った翌日。
「じゃあまた学校でな、蒼斗」
「とりあえず今日は休んで、少しでも気持ちを切り替えてくれ」
勉強会を仮病で休む事にした。
俺が鋼のメンタルの持ち主であれば余裕だったのかもしれないが、俺のメンタルは木製なので壊れやすいし燃えやすい。
とてもじゃないが吉永邸に再訪出来るメンタルではない。
今日吉永の家に行って、この夏休み行くらしい三好家との旅行計画の話を聞かされた日には、最悪の場合は泣いてしまう可能性もある。
と言う事で、大人しく家で勉強をする事にした。
吉永本人の口から三好の話が出るのも中々に堪える。
それは確かだけど、家族の口から当たり前のように飛び出して来る三好やら悠馬やらの単語の方が、吉永家と三好家の関係の深さを思い知らされる分ダメージがえぐい、と言う事にも気が付いた。
吉永家の皆が三好の味方で、俺は認識すらされていない部外者と言う現状を理解すると、否が応でも現実が見えてくるわけで……。
こんな事なら吉永の家なんて行かなければ良かった。
「大丈夫ー? 何か食べたい物あればお昼に作るよ?」
「うーん、プリンとかヨーグルトとかー」
「作るより買って来た方が早いか」
「雨降ってるしそこまではいいって」
「母さんが食べたいから買いにいくだけだから」
「ういー」
青島と服部が8時過ぎに家を発つと、残されたのは俺と母の二人だけ。
何か作ろうか? と言われて、愚かにもプリンとヨーグルトを所望した俺の為に買い物に行った母を見送った後。
リビングに飾ってある父の写真を見て溜息を吐いた俺は、しばらくの間ボケーっとテレビを眺めていた。
「はぁ……」
もちろん、適当に眺めているテレビの内容が頭に入ってくるばすもなく。
頭の中には吉永の事ばかりが浮かんでは消えていた。
まさか、恋愛がこんなにも大変な代物だったとは。
中学の頃に何度か恋愛相談された事はあったから、なんとなく知っている気になっていた。
だけど今、『難しく考えてないで、とりあえず告白すればいいのに』とか思っていた、過去の自分の浅はかさを猛省している。
それが簡単に出来るなら、誰も恋愛で苦労しないんだわ。
恋愛の当事者になって初めて理解したが、事はそんなに単純な話ではない。
割とポジティブな人間であると自負している俺ですら、頻繁にネガティブな思考に誘導されると言うか、なんと言うか。
吉永の一挙一動が、こちらのメンタルに影響を及ぼしている感じがする。
相手の言動次第で嬉しい気持ちにも楽しい気持ちにもなるけど、やはり言動次第で不安にもなると言うか、なんと言うか。
「はぁぁ……」
カッコイイ男になるのは一筋縄ではないのだろう。
そもそも、女子から告白された事もない奴が、いきなり吉永みたいな高嶺の花を好きになるのがどうかしていたのかもしれない。
なんかもっと、こう、地味な感じの──。
「やめやめやめ!」
姿勢を正した俺は、パンと音がなるくらい思い切り頬を叩くと、下らない思考を頭から追い出した。
まずは誰でもいいから付き合うとか、適当な女子と付き合うとか。
発想がクズ過ぎる上に相手にも失礼過ぎる。
何を考えてんだ俺は、メンタルやられ過ぎだろ。
「はぁ……」
世の中にいるであろう恋する同世代は、どんな感じなんだろうか。
もしかすると俺が女々しすぎるだけなのかもしれない。
青島にでも聞いてみるか。
「あー、トイレー、あー」
どれくらいテレビを眺めていたのかわからないし、どのくらいウダウダと下らない事を考えていたのかわからない。
それでも、喉は乾くし腹は減る。
トイレに行きたくなるのが人間なのだろう。
と言うか、プリンとヨーグルト買って来るのちょっと遅くないだろうか。
事故に遭ったりしてなければいいけど、大丈夫かな。
などと考えながらトイレを済まして、洗面台で手を洗いついでに顔を洗った所で丁度、玄関の開く音がした。
「おかえりー」
洗面所を出ればすぐに玄関なので、顔を拭きながら洗面所を出た俺は、靴を履き替えているであろう母から荷物を受け取ってリビングへ運ぼう。……そう思っていたんだけど。
「ただいまー、お友達来てたから上がって貰ったよー」
と言う、母の声が聞こえて来るのと、俺が洗面所を出たのは殆ど同時。
だから、完全に油断していた俺は、そんなに広くはない玄関に立っている人と目が合った瞬間に、あらゆる思考が吹き飛んでしまった。
「お、お邪魔しますぅ」
「え? は? えっと、あー……い、いらっしゃい」
よくわからないけど、吉永が居たのでとりあえず挨拶をした。
頭の中にあった悩み事は全て消し飛んだ