第66話 恋愛に興味はない
部長の言葉に思う所はあるが、まさか反論など出来るはずもない俺は黙る。
「そ、そうなんですか?」
そして、部長の言葉に驚いた中野が返事をすると、俺も部長から中野に視線を戻した。
「ですです。何か部活に入っていないと先生もうるさかったですしー、勉強の邪魔にならないからいいかなーと。そんな感じで入りましたからね。ですが、今は料理が楽しいので入って良かったと思っていますよ」
部長の言葉に、新見先輩と寺尾先輩が少し頬を緩めながら頷いた。
「中野君もきっと、料理が好きになりますよ。料理は面白いですからね。なにせ、料理は人類の進化を語る上で欠かせない大切なファクターの一つですから、頭が良いとされる人の多くは、人生の中で一度くらいは料理に興味をもつものです。それを継続するかどうかは別としてですけどね」
「な、なるほど」
おお、なんだろう? これは聞いた事のない話かも。
「うーん……うん、例えばそうですね。ハーバード大学生物人類学教授。国際霊長類学会名誉会長であり、米国芸術科学アカデミーや英国学士院フェローでもあるレナルド=ランガムの著書にも記されていますが、人類の進化は火と料理から始まったとされています」
いや、マジで知らない話だ。
海外の著書まで読んでるとか、引き出し多いな、この人。
「ランガムの著書を読むに、人類の進化、脳の発達は料理なくして有り得なかったとの事ですから、料理を軽視する事は、延いては人類の軽視に他ならないでしょう。そもそも、世間が言う天才や成功者が毎日必ずこなしているルーチン、生活習慣、そして欲求。当然ですが食事もその一つですからね」
食欲をルーチンと考えるのは面白いけど、人間誰しも睡眠と食事と排泄はするか。
「私達の身体は日々の食事、即ち料理が形作っているのですから、であれば、先生や卒業生が進路指導で度々口にしている強い脳とやらを作る為には、料理から意識していかなければお話にならない事は、考えるまでも無いでしょう?」
特に考えた事はなかったけど、言われてみればそうなのかもしれない。
「紫外線を浴びる事で皮膚にあるプロビタミンD3がプレビタミンD3に変化。不活性ビタミンD3が25-OH-D3へと。所謂ビタミンDが体内で生成される過程もそうですが、私達の体内では日々化学反応がおきていますよね」
いや、何言ってるのか全然わからないんですけど。
俺だけではなく、吉永や中野も二年の岩瀬先輩も里見先輩も。
と言うか三年もちょっとわからないって顔してる。姫野は言うまでもない。
「うーん……うん。アレですよー、チョコレート効果ぁ~とか。ポリフェノールぅ~とか。EPAやDHAを取ると頭がよくなるぅ~とか。それを聞いた時『なんで?』と思った事はありませんか? ちゃんと調べてみると面白いですよー」
俺達が全然わかっていない事に気が付いたのか、安藤部長は何となく知っている単語を出してくれた。
「正直に言えば、私も入学直後は料理にそこまでの興味はありませんでした。ですが、知れば知る程に料理は一つの科学であると気付かされて、今は面白いです。なにも、健康的な食事をしようと言う話ではなくてですね、自分たちが生きる為に普段何を口にしているのか、それを知る事は自分を知る事に繋がると言う話をしているのですよ。ですから、中野君も勉強の為と言うのであれば、料理もしっかりと勉強しましょうね」
「は、はい! 頑張ります!」
安藤部長の話を聞いた中野は元気よく頷くと、すぐ隣に座っている俺の方に振り返って“安藤部長凄いな!”と、興奮した様子で話し掛けて来た。
そんな中野から少し目を離して部長の方を見ると、バッチリ目が合ってしまった。
すると、ニコニコ笑っていた部長がパチンパチンとウィンクをしてきたわけだが……。
何でウィンクしてんだあの人。
と、一瞬部長がおかしくなったのかと思ったけど、すぐに理解。
先日、部長とリリンクでやり取りをしていた時の事。
『クラスメイトの中野翼って子が料理倶楽部入ってくれるみたいなんですけど』
メッセージを送るとすぐに、吉永もよく使っているデフォルメされた可愛らしいクマのスタンプが返って来た。
驚きながらパチパチと拍手するクマのスタンプを見ながら、メッセージの続きを送る。
『料理倶楽部に入れば頭良くなるかもしれない。みたいな感じで勧誘しちゃって、調理日以外で勉強する時は姫野さんだけじゃなくて中野も見て貰っていいですか?』
今度は寝転がったクマがサムズアップをして“まかせろ”と表示されているスタンプが送られて来た。
『ありがとうございます。此間聞かせてくれたみたいに、適当に料理と勉強の話でもしてくれれば中野も料理に興味持ってくれると思うんで、そっちもお願いします』
そして、最後は大きなクマと小さなクマが、ワイングラスを持って乾杯しているスタンプが送られて来た。
みたいなやり取りをした事があった事を思い出した。
あの時は本当に大丈夫かよと思ったけど、お願いした事をしっかり対応してくれたらしい。
今のウィンクは“これでいいのかな?”と言う意味のウィンクだったのだと思う。
なので、俺はコクコクと頷いて返事をしておいた。
変わった人だけど面倒見いいんだよな、安藤部長。
「はい。ではー、中野君の自己紹介も終わった所でー、チーズケーキ作りますよー」
「やったー! チーズケーキ大好き! 私達が一番美味しいチーズケーキを作ろう!」
「ふふふ、それはどうかな、姫野さん」
「どう言う事ですか、部長!」
自己紹介中に漂っていた少し真面目な空気は瞬時に霧散。
後は、一年グループ、二年グループ、そして三年グループに分かれて、調理実習台での作業が始まった。
相変わらず姫野は部長に突進して、部長は無限に話し掛けて来る姫野の相手をこなしながら、各グループを見つつ、三年と一緒にチーズケーキ制作をしている。
「こ、これでいい、のか?」
「待て待て待て、雰囲気で進めるな。レシピどうなってる。吉永吉永、ちょっとちょっと」
「あ、うん。えっとね、先に──」
中野が加わった事で吉永と二人で話す時間は少し減ってしまったけど、部活ってのはこう言うものだしな。
それに、帰り道では一緒だから、それだけでも十分に嬉しい。
「──なるほど。最終工程まできっちり決まっているから、そこから逆算していく感じか」
「え、いや、そんな難しい考え方しなくていいけど、今日は中野君初めての部活だから中心になってやってみよっか」
「い、いいのか」
「いいっていいって、3人4人で作るとなるとどうしてもやる事なくなっちゃうから。俺も吉永も……何故か二年のグループに混ざって調理してやがる姫野も、何回か料理してるしな」
俺達が一番美味しいチーズケーキ作るんじゃないのかよ。
なんで二年のグループで作業してるんだ、姫野は。
とは言え、これで丁度3人グループが3つ出来たので、この方がいいのかもしない。
「私と鹿島でフォローしていくから、とりあえずやっていこ」
「おう。そんなに難しそうでもないから、どんどんやっていこうぜ」
今まで小中であった家庭科の調理実習。
それ以外に料理をした事が無いと話していた中野に、あれこれと説明している真剣な表情を浮かべた吉永。
エプロンを付けている吉永は、やはり可愛い。
うちは私服登校が当たり前だから私服にエプロンだけど、家で料理をする時もこんな感じなのだろうか。
そんな事を考えながらエプロン姿の吉永を眺めていると、実習台の上に置いていたスマホに、リリンクへの新着メッセージが届いたと言う表示が映し出されたわけだが──。
『見惚れてたら駄目ですよー。集中集中ー』
差出人は安藤部長。
ご丁寧にも、俺が吉永を見ている所を隠し撮りした写真まで添付していた。
慌てた俺がキョロキョロと実習室を見渡すと、部長は既に写真を撮ったであろう場所にはおらず、三年グループの実習台に移動していた。
いつ撮ったんだよ、マジで。
……でも、写真はありがとうございます。
その後、お菓子作りの場合に一番時間が掛かる焼成時間に入ると、特にやる事が無いので雑談を交えながらのお勉強タイム。
姫野はいつも通り安藤部長に勉強を見て貰って、今日はそこに遠慮がちな中野も加わっての、三人でのお勉強。
二年や三年も焼成時間にボケーっとしているはずがないので、各々が黙々と勉強をする中。
俺と吉永はいつも通り二人で勉強を教え合う。
だけど、そうは言っても、焼き上がりが近付くにつれて良い匂いが充満する調理実習室で、勉強に集中するのは至難の業でもある。
だから、大体は雑談がメインになる焼成時間の勉強。
「ああー、良い匂いがしてきた」
「だね。作り方も覚えたし、次の土日にでも作ってみようかな」
「次の土日って、あれ? 勉強会は?」
「いや、だから、作ってみようかなって……。私が一人で作る事になるだろうから、自信あるとかじゃないけど、美味しく作れたら、食べる?」
「当たり前だろ。全部食うわ」
今の今まで何ともなかったと言うのに、吉永が突然そんな事を言うものだから。
嬉しさと恥ずかしさで顔が熱くなって来た俺は、慌てて視線を外してしまった。
「そ、そっか。でも、皆の分も残してあげないとダメだからね。ふふふ」
「お、おう。だな」
吉永め、こっちの気も知らずに余裕そうにしやがって……。
好きな子の手作り料理なんて、仮にそれが消し炭だとしても嬉しいに決まってんだろうが。
蒼斗と紅葉が、そんなやり取りをしている頃。
姫野と中野の勉強を見てあげていた安藤瑠香は、別の席で勉強をしている後輩二人が顔を赤くしながらもじもじしている様子を見て、いつも通りニコニコ微笑んでいた。
早く付き合っちゃえばいいのに、何やってるんだろうー。
二人とも勉強出来るみたいだけど、馬鹿なんだろうなー。
ニコニコしていたが、考えている事は割と辛辣だった。
うーん、だけど、後輩二人がどうなるのかは少しばかり気になるかなー?