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第63話 それは不思議な感覚で


 蒼斗と中野がトイレに立ったその後、何となくトイレに向かった女子が一人。


 蒼斗達を追い駆けようとしたわけでもなく、本当に偶然、お手洗いに向かっただけの女子が一人、トイレから出て教室に帰ろうとしていた。


「──だよなー、これが。ははは!」


 けれど、そのまま教室に戻ろうかと考えた女子の耳に、風に乗って聞こえて来た楽しそうな蒼斗の笑い声が届いた。


 すると、楽しげな笑い声に誘われるように、声のする方向へとふらりふらりと歩き出した。


 ベンチに腰掛ける蒼斗と中野。


 缶ジュースやペットボトルジュースを持ったまま座る二人の背中を見つけた女子は、声を掛けようかとも思ったが、今回はぐっと我慢して、とりあえず様子見。


 二人がなにやら話をしている様子に気付いた女子は、壁に隠れるようにして会話を盗み聞きする事にした。


「多分さ、中野が今色々と苦しんだり考えたりしてるんだろうなってのは、わかるよ」


「まあ、それはそうだな」


「だよな。でもそれは俺に分からない中野だけの苦しみだろうから。そこに関しては、何も言うつもりもないし助けるつもりもない」


「……案外、薄情な奴だな」


「まあまあまあ、そう言うなって。何かを苦しいと思ったり悩んだりするのは、中野が一歩成長しようとしている証拠だろ?」


「成長?」


「そうそう。苦しみも葛藤も辛さも、そんなもん無いなら無い方がずっといいんだろうけど。でも、そう言うのは、大人になる為の成長痛みたいなものだって言うだろ」


「成長痛か。そうなのかもな」


「そう、成長痛。俺らみたいにまだ15,6年しか生きてない子供でも色々あるんだから、これから何十年と生きて行けば、もっと辛い事なんて山ほどぶち当たると思うんだよな」


「まあ、それはそうだろうな」


「辛い事や苦しい事からは逃げても良いって言う人もいるし、俺も逃げるべき時は逃げなきゃいけないと思うよ。でもさ、そう言うのから全部逃げて生きていく事が出来るとは思えないんだよ。……と言うか、そんなの普通に考えて無理に決まってるだろ?」


「だろうね。逃げるのも限界はあるだろうし、逃げた先に新しい苦しみとかあれば意味ないからな」


「そう言う懸念も勿論ある」


 各教室から聞こえてくる生徒の声とは違う、人気のない自動販売機近くの静かな会話。


 集中しないと聞き取れないような静かな会話に耳をそばだてる女子は、集中して話を聞くが、特に興味があるわけでも無い様子。


「だからさ、どうせ逃げても無駄なんだったら、なんとか立ち向かえる苦しみとか辛さにはしっかりと向き合った方が良いだろ」


「うん。それは、何となく、わかるかも」


「多分、そう言うのを一個ずつ乗り越えていくのが大人になるって事で。だから、中野が今色々考えてる事も全部、逃げるよりも乗り越えちゃった方が良いと思う。何かに悩んで苦しんで、葛藤して、って。そう言うのは全部、心の成長から生まれる痛みだから、逃げるのはいいけど否定しちゃ駄目だと思うよ。──って事で、中野は今絶賛成長中って所じゃないか? ははは」


 途中から盗み聞きを開始した女子には、二人が何の話をしているのかはわからない。


 だけど、何となく聞き入っていた。


「……鹿島って、なんか、考え方独特だよな」


「独特? そうか?」


「なんか、余裕あるって言うか。達観してるって言うか」


「ん-ー、どうだろうな。あー、でも、前にもちょっと話した気もするんだけど、うちは父が何年か闘病生活してて、それで去年亡くなったんだけどさ」


「……そ、そうなのか」


「いやいや! そんな暗い話ってわけじゃなくてな? それでまあ、父さんのお見舞いに行く度にどんどん弱っていってるのがわかるんだけど、本人はぜんっぜん弱音も吐かずにさ。必死になって一日でも長く生きてやろう! みたいな感じでさ。頑張ってる姿を見てたわけよ」


「うん」


「一応聞くけど、中野ってそう言う人を見て格好悪いとか無様とか思っちゃうタイプ?」


「なっ!? なわけないだろ! 僕の事そんな風に見てたのか?」


「お、っとと、悪い悪い! 一応確認と言うか、ちょっと聞いただけで悪気はないから、許してくれ! いや、そうじゃなくてだな──」


 中野に怒られて焦った様子の蒼斗を見た女子が、少しだけクスリと笑う。


「まあまあまあ……。大体の人はそうだと信じたいんだけど、それでも頑張ってる人を見た時に、その人がどう感じるかってのもやっぱり人それぞれだろうしさ。……で、中には居ると思うんだよ。頑張ってる人間が格好悪いとか、一生懸命になっている奴を見てダサイ、みたいな事を考える奴がさ」


「そう、だろうな。いっぱい……居たと思う」


「な、いたよな。でも、俺の場合は頑張ってた父さんを近くで見てきたから、頑張る事の大切さはわかるから、一所懸命に頑張ってる人を見てダサいとか思うような事はなくて。……てか、自分より苦しんでる人が弱音一つ吐かずに頑張ってたのに、自分が頑張れないのはやべぇだろって思って、それで勉強とかサッカーとか頑張った感じだ」


「うん」


「だからまあ、なんだ。……中野が中学の時に周りに居た連中が、どんな奴らなのかは知らないけどさ。少なくとも俺は、何かを頑張ってる奴を馬鹿にするような事は絶対にないから。それは康太も服部も同じで。それに、一組の皆だって、深山に入れるくらいに勉強を頑張ってた連中だから、きっと中野が勉強を頑張ってる事を馬鹿にするような奴はいないと思うよ」


「……うん。今は、何となくわかるよ。皆、良い人だと思う」


「うん。ってわけだから、ちょっと色々あったかもだけど気にせずいこうぜ。な!」


 蒼斗と中野の会話を盗み聞きしている女子は、僅かに視線を下に落とす。


 いつも教室で楽しそうに笑っている彼にも色々あったのだな、と。


 そんな事を考えながら、壁にもたれるようにして盗み聞きしていた女子は、少しだけ視線を下げていた。


「で、でも、僕は色々と失敗もしてしまったから、まずは挽回をしないといけなくて」


「うん? ああ、あれか! 俺に向かってチャラチャラしてるとか言ってた!」


「そっ、それは! いや、言ったのは確かだが、そんな事は全然思ってないと言うか!」


「あはは! そんなもん言われた俺が気にしてないんだから、もうノーカンだって。それにさ、中野はあれを失敗だとか間違いだとか気にしてるんだろうけど、別にいいだろそれで」


「それ?」


「そうそう、失敗なんて誰だってするし何だったらテストで百点取れない時点で、俺を含めた殆どの人類が失敗しまくりの失敗人間みたいなもんだろ」


「それは……まあ、そう、なのかもしれないけど。テストとはまた別の話じゃないか?」


「一緒一緒。失敗したら間違いを理解して次に間違えないようにするだけでいいんだって」


「まあ、確かに」


「あー、なんだっけか。失敗しないものが居るとすればそれは神様か、もしくは何もやろうとしない人間だ、みたいな言葉あるじゃん?」


「ああ、なんだったか。セオドア・ルーズベルトの言葉だったか? いや、違ったかもしれない」


「マジか、誰が言ったのかなんて全然記憶になかったのに、中野お前すげえな」


「いや、もしかしたら違う人の言葉だったかもしれない。間違っていたら悪い」


「よし、確認するか」


「あ、ああ」


 勉強の出来る人間、とりわけIQの高い者の多くは何事にも好奇心旺盛である。


 その為、気になった事を気になったままに放置するのが嫌いだったりする。


 と言う事で、蒼斗と中野の会話を聞いた女子も、ポケットからスマホを取り出してポチポチと確認をしていた。


「うーわ、すご。マジでセオドア・ルーズベルトの言葉だ。何でこんなの覚えてるんだよ」


「いや、何でと言われても、勉強した時に覚えたんだと思う」


「俺も台詞自体は覚えてたのに誰が言ったのかは全然記憶になかった。うわ、中野に負けたわ。この辺の知識の甘さが俺の弱い所なのかもしれん」


「別にこんなの覚えていたからってテストに何の関係もないだろ」


「いやいやいや、こういう細かな教養の差が頭の良さに繋がるんじゃないか?」


「じゃあやっぱり僕の方が鹿島より賢いのかもな」


「それはねえよ! 俺の方が上だっての」


 少しふざけながら話す二人の会話を聞いて、壁際の女子も口角を上げる。


「でもまあ、なんだろうな? 努力は人を裏切らない、なんて適当な事を言うつもりはないけどさ。だからって何もしないのは違うよな」


「そうだな。才能とか色々あるのかもだけど、それと何もしないのは違うもんな」


「なんだよー、中野もわかってんじゃーん」


「な、何がだ?」


「だからさ、何かを失敗するってのは、何かしようとした人間にしか出来ない事だろ」


「まあ、そうだな。当たり前の話ではあるが」


「当たり前かもしれないけど、結構大事な話って言うか。だから、まあ、何が言いたいかって言うと……。俺は何もしないで誰かを笑う人間よりも、何かをしようとして失敗する人間の方にこそ好感を持てるって事が言いたいわけよ」


「うん」


「それも一所懸命頑張った上での失敗なら応援し甲斐もあるし、一緒に頑張ろうって思う」


「そうだな、僕もそう思う」


「だからまあ、どうせつるむなら、何もしないで人の努力を笑うような奴より。何かを頑張って……頑張って頑張って、それでも空回って失敗してしまうような、不器用な奴の方がずっと良いよ。中野が頑張ってるのはわかるから、ちょっと失敗したくらいの事で折れんなよ」


「……ああ、そうだな。わかった」


 蒼斗と中野の会話を盗み聞きしていた女子は、そこまで聞くと二人に気付かれる前にその場を後にした。


「……うん、うん」


 そうして、ボソリと呟いて、うんうんと小さく頷きながら教室へと戻った女子は、逃げるように廊下を歩いて教室へ戻った。


「──ただいまー! 紅葉―!」


「おかえり、遅かったね、冬」


「トイレいっぱい頑張ったからね!」


「姫ちゃんやめてよねー、あはは!」


 適当な事を言ってはぐらかす姫野冬華は楽しそうに笑うと、少し後から教室に入って来た中野翼と、一緒に教室に入って来た両手でジュースを抱える鹿島蒼斗をチラリと見る。


「どうしたのー、姫ちゃん? ぼーっとして」


「あ、え、なにが?」


「今日一日はしゃぎ過ぎて疲れちゃったんでしょー、冬」


「そうかもしれない!」


 そして、不思議な感覚に首を傾げながら、いつも通りに楽しそうな笑顔を浮かべた。

心臓が一度大きく脈打つような、そんな感じがした

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