第62話 ブラックのコーヒーはまだ飲めない
「……もし、俺が料理倶楽部に、入部したいと言ったら。やっぱり、変、だろうか?」
「おお!」
「い、いや……! 悪いと思っているけど、料理に興味があるわけじゃ、ないんだ。……ただ、何か。何か、勉強以外の何かを、高校生活で身に着けたいって。そう、思って。それに、勉強が上達するかもしれないなら、その……。結局。勉強の事ばかりで、悪い」
膝の上に置いた手をきつく握りしめた中野が、地面を見つめながら振り絞るように言葉を吐き出しているのが分かる。
きっと中野は本当に真面目な奴なんだろう。
俺が何となく誘った言葉を真剣に考えてたんだろうな。
「……いいんだろうか。こんな動機で入部して」
「全然いいんじゃないの?」
「いいのか?」
「え? いいよいいよ。言ってなかったけど、二年の先輩に里見先輩って人がいるんだけど、その人は勉強したい時は部活サボって勉強してるしな」
「え、そんなのありなのか?」
「あー、んー……。いや、他の部活じゃ無しだろうけど、料理倶楽部はその辺かなり緩いのかも。あ、でも調理する時は里見先輩って人も必ず顔を出してて、真面目に料理作ってるよ。手際もめっちゃ良いから、流石先輩って感じ」
「な、なるほど」
俺の言葉を自分なりに受け止めたのであろう中野が、うんうんと頷きながら顎に手を当てている。
色々と考えている中野には悪いが、入部させてしまえばこちらのものだ。
この調子であと1人確保して、来年新入部員を確保する為に走り回る最悪の展開を回避したい。
もっとも、来年新入部員がいなければ再来年駆けまわる事になるから、どちらにせよ新入部員は必須だけど……。
ただし、訂正する所は訂正しておかないとな。
「それとさ、一個訂正するなら、俺は中野が思ってるような良い奴でも何でもないよ」
「そんな事は……無いと思うけど。今だって、僕の話に付き合ってくれているじゃないか」
「それに関しては、中野と仲良くしたいって言うか、折角一年と二年クラスが固定だからクラスメイトとは出来るだけ仲良くなりたいってのもある。それに、中野を料理倶楽部に誘ったのだって、少ない料理倶楽部の部員数を少しでも確保したいって打算もある。中野が言っているような良い奴ってのとは、ちょっと違うんじゃないか?」
「なるほど。……それでも、だとしても、そう思ってそれを実行出来ている時点で、鹿島はやっぱ、凄い奴だよ」
「え? そ、そうか?」
「ああ」
そんなに持ち上げられると普通に照れるんだけど?
俺が女子なら口説かれていると勘違いしてしまう所だろう。
でもまあ、俺が高校で頑張っている一番の理由を聞いたら、きっと中野も呆れるだろうな。
「……うーん。でも、まあ、そうだな。中野はこう言うのベラベラ話さなさそうだから少し言うとさ」
「な、なんだ?」
「中学までの俺は、今みたいにクラスメイト全員と仲良くなりたいとかってのは無かったんだよ」
「そうなのか? てっきり、中学でもこんな感じなのかと思ってた」
「ないない。仲の良い連中と適当に話して、後は部活と勉強を全力で頑張るだけ。クラスメイト全員と仲良くしたいなんて事は無かったし、話が合わないだろうなって思ってた奴とは最初から大して絡みもしなかったよ」
「意外だな。僕は、何て言うか、鹿島は何て言うか、女子で言う姫野みたいな、そんな感じだから」
「そうなれればいいとは思ってる。皆と仲良くなって、皆の仲を繋げるような、そう言う奴になれればいいとは思ってる。でも、そう思ったのは高校に入ってからの話だ」
「……理由って、聞いていいのか?」
そう言うと、それまで地面を見ていた中野が、遠慮がちに俺の方を見た。
「皆を引き付けられるような、そう言う人気者になれば、少しは俺の事を見てくれるんじゃないかなって……。そう言う俺の姿を、見て欲しい人が居るからだよ」
吉永に振り向いてもらう為に、吉永の目に少しでも映れるように。
要は、好きな女子にモテたいと言う理由で頑張っているだけに過ぎない。
俺は中野が想像しているような、そんな高尚な人間ではない。
「そう、なのか」
「……な? しょーもない理由だろ」
自分勝手な理由で中野を料理倶楽部に誘った卑怯者で、好きな人に少しでも認めて貰いたくて必死に動き回っているだけの、ただの臆病者でしかない。
「相手は、その、何となくわかるからいいけど。なんて言うか、僕はそう言う経験に疎いからわからないんだけど、上手くは行きそう、なのか?」
え、マジか。俺が吉永好きなのって、もしかしてバレバレなのか?
かなり失礼だけど、恋愛経験が俺と同じくらいに乏しそうな中野にまでバレているとなると、吉永にもバレていそうなんだけど──。
あー……。まあ、吉永は俺が誰を好きとかあんま興味ないか。
仮にバレていたとしても『だから何?』って感じだろうな。
「それが残念ながら勝算はまだゼロだなー、これが。他に好きな人がいるから仕方ないんだけど、俺なんてもう全然、視界にも入ってないんだよなー、これが。ははは!」
「……わ、悪かった」
「なんで中野が謝ってんだよ」
「いや、その、鹿島も苦労してるんだな、と思って」
「だとしても中野が謝る必要はないってか。この話は康太あ──青島と服部にしかしてないから、秘密厳守で頼むぞ!」
「わかった! 墓場まで持っていく!」
「墓場って、それ俺が結ばれない前提の話じゃね?」
「いやっ! ちが! そう言う意味ではなくてだな──」
「わかってるって」
それからしばらく、教室に戻るのも忘れた俺と中野は、二人でゲラゲラと笑いながらどうでも良い話をする事に。
やっぱり思った通り、中野とも仲良くなれる気がしたんだよな。
どう考えても良い奴だもん。
「──っしゃ、そろそろ教室戻るかー」
長々と話したと言っても、数分程度。
「あっと、その前に僕も自分の分のジュースだけ買うから、少しだけ待って欲しい」
「ういーっす」
そう言って、自動販売機の前に立った中野が購入したのは、いつぞやの公園で俺が奢ってやったジュース。
「いや、ジュースって……。ブラックの缶コーヒーはジュースになるのか? と言うか、飲めないんじゃなかったっけ?」
「うん、飲めないよ」
「はあ?」
「──でも、頑張っていこうと思うから。今はまだ飲めないけど、これで、いいんだよ」
「そうか? 中野がいいならいいけど。ま、教室にまだ2Lペット山ほどあったから、ちょっとぬるいので良いならあれでもいいしな」
球技大会が終わった日。料理倶楽部に新しい部員が増えた。
これから長い付き合いになるであろう、同じクラス、同じ部活に所属する同じクラスの男子。
飲めないと言い張るブラックの缶コーヒーを手に持ったそいつは、心なしか少し嬉しそうに俺の横を歩いていた。
だけど、それでもいいのかなって思うようになったよ、鹿島。