第56話 じゃあそれでいい
クラスの人と話してもつまらないと言われるだけだった。
かけっこをしても一番遅くて、やっぱりつまらないと言われるだけだった。
勉強だけだった。僕にはそれしかなかった。
これだけが僕に許された唯一の武器だったから、皆が遊んでいる時間も勉強だけは頑張った。
でも、わかっていた。見えていた。
勉強を頑張ってクラスで一番になって、学年で一番良い成績を取っても、皆が僕を見ていない事には気が付いていた。
クラスメイトはいつもチャラチャラしていて、誰が好きとか、誰が嫌いとか下らない話で盛り上がっていて、勉強は全然出来ない癖に体育とか運動の時だけ張り切る。
体育祭や文化祭の時だけやる気を出して、我が物顔で仕切る馬鹿みたいな奴ばかり。
なのに、勉強も碌に出来ない馬鹿な奴の周りは人が居て、先生に言われた通りに勉強を頑張っている僕は誰も見向きもしない。
もちろん、同級生だけでは無くて先生もそうだ。
馬鹿な生徒の相手ばかりして、ベラベラと話して、真面目に勉強を頑張っている生徒の事なんて見向きもしない。
馬鹿な生徒が集まる学校には馬鹿な教師しかない。
だから、東京でもトップレベルの偏差値を誇る深山高校に進学を決めた。
もっと上を狙いたかったけど僕の力では少し足りなくて、無理をして一番難しい高校を狙うよりもその1個下か2個下でトップの成績を走ればいい。
そう思って決めた深山高校だった、はずなのに──。
『紅葉クラス2位だ凄いねー! いえーい!』
『ありがと。冬はもっと頑張りなさい。私が勉強見てたのに、何でそんな順位なのよ……』
『田邊さんすげー! 学年2位だってさ! 流石クラス委員長だな!』
『鹿島君クラス3位で学年15位なんだってさ』
『凄いよねー、いつも余裕ありそうって言うか、やっぱ頭良いんだ』
──中間テストの結果発表の日、僕は先生から渡された細長い紙をくしゃくしゃに握りつぶした。
田邊はわかる。あいつはいつも席に座って勉強をしていた。
僕と同じで勉強を頑張っている側の人間だ。
だけど、いつも僕の席の近くで姫野と騒いでいる吉永と、いつ見てもクラスの男子と喋って馬鹿みたいに笑っている鹿島が2位と3位なんて、そんなのはおかしい。
他の奴にしたってそうだ。僕が一番頑張っていたに決まっているのに。
世の中は不公平だ。
顔も良くて頭も良くて、しかも東京に住んでるくらいだからきっと家も金持ちで、その上、友達も多い。
僕には勉強しかないのに、勉強しかないとわかっていたから、頑張っていたのに。
結局、世の中はいつだってチャラチャラした奴らが全部持って行く。
何の努力もしてないようにな奴らが、才能とか家の力とかで全部さらって行く。
『球技大会の練習一緒にしないかなと思って』
『また今度一緒にやろう!』
『ごめんごめん、また──』
話しかけてくるなよ。
そうやって話しかけて来る度に、優しく声を掛けられる度に。
男子から話しかけられていて、女子から褒められていて、いつも楽しそうにしているお前みたいな奴を見る度に──自分がお前より下だって事を嫌でも理解させられる。
小さな頃から溜まっていた鬱憤。
小中学校で感じていた苛立ち。
勉強しかなかった自分よりずっと勉強が出来る奴がいる悔しさ。
鹿島が話しかけて来る度に、自分が惨めに感じた。
色々とわけがわからなくなった、だけど──。
『じゃあそれでいいじゃん。勉強の話でもしようぜ』
勉強の話なら、出来る。
『俺なんて此間、料理倶楽部で学年順位の話をしたら部長に全然まだまだ駄目って言われたからな。マジで厳しいわ、あの人』
勉強の話なら、わかる。
『料理をする事は勉強に似ていて、下処理は基礎工程、段取りは思考力、調理は解答力を磨けて、出来上がった料理を食べる事でその全てを取り込む事が出来るんだとさ』
そうか、そうだよな。こいつも……鹿島も、勉強してるんだよな。
『少なくとも俺は……勉強頑張ったのに思ったより成績が伸びなくて悔しいって中野の気持ちは、わかるよ。』
この学校の人達は、ちゃんと、勉強の話が出来る人達なのか。
中学までと、違う人達なんだな。
勉強の話をしていた筈なのに、気が付けば鹿島とは色々な話をしていた。
自分でも不思議なくらいに、色んな話をしたように思う。
「俺ブラック飲まないし母さんもコーヒーより紅茶派だから、要らないなら中野がお世話になってるって言う親戚の人に渡したら?」
「わかった、そうするよ」
「じゃあお互い帰って勉強するかー。休み時間とか放課後に球技大会の練習ばっかしてるから、気合入れないとなんだよな。てか、深山の連中ってイベント事のモチベ高すぎだよな」
「それは鹿島もそうだろ。僕には理解出来ないね」
「へいへい。でも、目の前にある事に真剣になるのは結構楽しいんだよな、ははは」
「……そう言う、もんなのか」
「そう言うもんなんだよ。そんじゃ明日学校で。またな、中野」
「ああ、わかった。……今日は悪かった、鹿島」
「ういういー、俺も悪かったよ。じゃあな」
勝手にチャラチャラした奴だと思っていた。
だけど、話してみたら全然そんな事はなかった。
中学の時のような、勉強を頑張っている事を馬鹿にしてくるような連中とは違った。
全然、違った。
手を振りながら去っていく鹿島の背中をぼんやりと見送った後、缶コーヒーを開けてみた。
「……う。マズい」
当たり前だけどブラックコーヒーは苦くて、僕には合わなかった。
そいつは、そう言ったから