第55話 全然目が合わなかったけど
中野を料理倶楽部に誘った理由はいくつかある。
「は? 何で僕が……」
「まあまあ、そう頭ごなしに否定するなって。さっきも言ったけど、料理倶楽部の活動は週一だからあってないようなものと言うか、勉強の邪魔になるような事はまずないと思う。実際、俺も吉永も料理倶楽部に入ってるけどテスト結果に問題はなかったしな」
「まあ……それは、確かに」
姫野は知らないけど。
「で、これもさっき言ったんだけど、料理ってのは、勉強に通じる部分がある。料理をする事はきっと中野の役に立つ。それにほら、進路指導の時に先生とか卒業生が言ってただろ? 確か──」
話した内容は嘘だけど、息抜きになるのは本当だ。
そもそも、学校の教師陣が、それも進学校にいるような指導員が、どうして勉強時間を削るような部活動を推奨して来るのか。
その全ての理由を知っているわけではないが、それでも先日一年生向けに体育館で行われた進路指導の時、先生や先輩がしていた話には頷ける部分があったように思う。
部活に限定した話ではなないが、何かに真剣に打ち込んだ経験がある人は強い。
何かの分野で一流まで上り詰めた人であれば、他の分野でもすぐに頭角を現すように、真剣に打ち込んだ経験がある人は頭が良いんじゃなくて、頭が強い。
高校三年間をずっと丸一日机に向かって勉強だけをして来た人の“脳”よりも、身体を動かして勉強以外の事で頭を活用して、色々な角度から様々な経験と知識をインプットした人の方が、高校三年の受験生になった時に“強い脳”を持っている事が多いらしい。
勉強は大事だが、勉強以外に打ち込める何かを見つけろ。
部活動に入ったからには勉強と同じか、それ以上に熱中しろ。
身体の全てを使って大学受験に挑む強い脳を育てろ。
先生と卒業した先輩が話していた内容を纏めるとこんな感じだったけど、この話は何となく理解出来た。
中学でも部活を真面目にやっていた奴の中に、中三で部活動を引退した後に急激に成績を伸ばした者がチラホラ居た事を知っているからな。
身近なケースだと吉永もその一人だと思う。
一学期終了時点では、間違いなく俺の方が勉強出来ていたはずなんだけど、二学期三学期と進むにつれて勉強に対する集中力や理解力の違いがはっきりと出て来た。
吹奏楽部で部長をしていたとの話なので、その時の熱意と集中力がそのまま勉強に向かったのだろう。
「──みたいな、勉強以外の何か別の刺激があった方が、脳が活性化するとか、そんな話」
「……まあ、言ってましたね」
「出来るなら運動部に入って身体を動かすのが一番なんだろうけど、運動はガチでやるとなるとそれだけでかなり疲れるからなぁ。中学まで運動部やってなかった人が、高校でいきなり全力でやるのは流石にハードルが高い」
そうなると、本当に勉強どころではなくなってしまうので、それならいっそのこと部活に入らない方がいいだろう。
「俺も吉永も、多分だけど安藤部長って言って東大目指してる先輩も、週一の料理倶楽部に真剣に取り組んでるから良いリフレッシュになってるんだと思うよ。勉強の邪魔にもなんないし、結構いいよ、マジで」
これは割と本気で言っている。
尤も、俺の場合、料理倶楽部は吉永と確実に話せる時間だから、そこがかなり大きい。
次の料理倶楽部の活動日までまた一週間頑張ろう、って気持ちになれるのは、吉永のお陰かもしれない。
「もちろん無理に入れとか言うつもりはないから、決めるのは中野なんだけど。最後に一個言えるのは、今料理倶楽部に入れば安藤部長と接点が持てるってとこ」
「接点?」
「そうそう。ちょっと掴み所がない人ではあるんだけど、基本こっちが聞いた事はわかりやすく話してくれるし。まあ……何と言うか、最近色々あって料理倶楽部は今、部員全員で勉強を頑張ろうって話になっててさ。料理しない日は料理の話をした後に、残った時間で皆勉強するんだけど、安藤部長とか三年の先輩が勉強みてくれるんだよ」
尤も、安藤部長は姫野に付きっ切りだけど。
「部活以外でもリリンクで質問したら普通に返事してくれるしな。ちょい変わった雰囲気の人だけど、今なら深山高校で一番頭が良いそんな安藤部長と接点が出来るチャンスってわけ。部員数も八人しかいないから、全然うるさくないのも良い」
何やら行き詰まっている様子の中野に、肩の力を抜いて欲しいって気持ち。
それが大体20%くらい。
それから、来年新入部員が入って来なかった時の事を考えて、今の内から部員の確保をしておきたいと言う気持ち。
それが大体80%くらい。
姫野は入部希望者が居なければ一年生に頭下げて回るつもりのようだが、俺はそんな恥ずかしい事は出来そうにないので、今の内に出来る事があるなら動いておきたい。
そう思っての俺の提案は、どうせすぐに突っぱねられるだろうと思ったのだが、意外にも返事は曖昧な感じに。
「……まあ、考えとく」
「おう。無理には誘わないから、頭の隅に適当に仕舞っててくれればいいって」
「わかった」
「……でもさ、中野が勉強頑張りたいって気持ちも、賢くなりたいって気持ちも。多分、クラスの連中はみんなわかるから。チャラチャラして見えるかもしれないけど、皆中野と同じように少しでも良い大学に行けるように勉強頑張ろうって思って、深山入ったと思うよ」
「……ああ」
「他の連中はどうか知らないけど、少なくとも俺は……勉強頑張ったのに思ったより成績が伸びなくて悔しいって中野の気持ちは、わかるよ。中学の最初の頃が毎回そんな感じだったしな、ははは」
相変わらず、俺が渡した缶コーヒーを両手で持ったまま、地面を見つめる中野。
「その……。悪かったよ。……鹿島が、皆が勉強してるのは……わかってる、つもりだ」
地面を見つめて全然目を合わせてはくれないけど、漸く会話が出来たように思う。
「ったり前だろー。俺けっこーー勉強やってるからな?」
「いいや、それは僕の方がしていると思う」
「まだそんな事言うのかよ。てか、コーヒー飲んでいいんだぞ?」
「鹿島も言ってたじゃないか、ブラックコーヒーは美味しくないって」
「言ったけど、奢りなんだから感謝して飲んでくれてもいいんじゃない?」
「だったら返すから鹿島が飲んだらいいんじゃないか」
「いやそんなの要らないって、俺ブラック飲まないし。美味しくないだろ」
「……子供舌なんだな」
「それは中野もだろうが。なんで俺だけ子供舌なんだよ」
その後もしばらく会話が続いた。
中野と仲良くなれるかどうか、結局それはわからないけど、それでも初めて会話が出来たような気がする。
しばらくの間、どうでも良い会話はした俺達は、どちらからともなく帰宅の話を切り出すと、お互い帰路に就いた。
結局、どちらも飲めないブラックの缶コーヒーは、中野に引き取って貰う事となった。
俺と中野はようやく会話が出来た気がする