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第23話 優しい人には


 自宅のマンションに着いて、すれ違った他の部屋の住人に挨拶をしながらトボトボと階段を上る。


「たでぃーまー」


 帰宅と同時に、誰かが居るわけでもないので適当な帰宅の言葉を口にする。


 今日踏み出した偉大な一歩について考えていたせいで、うっかり通り過ぎそうになったリビングに置いてある父の写真にサムズアップ俺は、とりあえずシャワーを浴びる事にする。


 写真の中で笑っている父は、昨年──中学三年の四月末に病気でこの世を去った。


 俺も母も何年も前から覚悟していたとは言え、中々に混乱したものだ。


 身体中の水分が無くなるんじゃないかってくらい涙が出たし、直後は父の死を受け入れるのも難しかったと思う。


 その後も、少し冷静になったらこれからどうするか、と言う事でも頭を悩ませたりもした。


 先生やクラスメイトには滅茶苦茶気を遣われるし、しばらく家庭がゴタゴタしていたせいで部活に出られなかったし、俺が戻る前に夏の大会予選で負けてるし……。


 母はすぐに仕事に戻ったけど、明らかに空元気だし……。


 自分が何も出来ない子供だと言う、当たり前の事に気付かされたのが去年の春。


 不幸中の幸いと言えば、俺が小三の頃から父が病気で入院していた鹿島家は、元より母の稼ぎで回っていたので、経済面での心配が何も無いと言う点だろうか。


 差し当たってお金の心配をしなくても良いと言うのは、現代社会を生きる人間にとっては大切な心の防波堤だったと思える。


 父方のお祖父ちゃんお祖母ちゃんを始めとして、複数の親戚が様々な援助をしてくれているから、経済面での苦労が全くないのは本当にありがたいと思っている。


 だけど、それはそれとしても、父が亡くなった事で小学生の頃から続けていたサッカーは、中学の部活を引退したら辞めようと決めた。


 もともと、小三の終わり頃に父が身体を壊した時に『サッカーなんてしてる場合じゃ無くね?』とか思っていた俺に『活躍する姿を見たいから続けてくれ』と言われたから、仕方なく続けていただけでもあるからな。


 もちろん、病室にいる父に試合の映像を見せた時、へたれたダサい姿を見せるわけにもいかなかったから、常に全力でやっていたのも事実ではあるけど。


 そんな事もあって、俺にとってサッカーは父に言われて仕方なく惰性で続けているだけの、どうでもいいスポーツだと思っていた。


 だからだと思う。


 いざ辞めるとなった時、自分が思いの外にサッカーが好きだったと気付いてしまって、ちょっと驚いてしまったんだよな。


 サッカーが無くなったら自分が空っぽになってしまう事に気が付いてしまって、それでも、もうサッカーを続けたくない気持ちも強くて……。


 二つの感情がぐるぐると身体の中を巡っていたせいで、サッカーボールが手放せなくなってしまった。


 吉永に出会ったのは、そんな日。


 彼女の事を好きだと気付いたのがいつかと言われれば、それはもっと後の話だけど。


 それでも、気になり始めたのがいつかと言う話であれば、たぶんそれは、初めて会った時からだと思う。


 好きな人に告白をして、振られる。


 しかも、どうやら好きな人には想い人がいて、更にはそれが自分の友達。


 そんな状況で真っ先に友達の事を考えられる人なんて、どのくらいいるのだろうか。


 友達の為に辛い気持ちを押し殺して、好きな人に気を遣わせないようにと悲しい姿を見せないようにして。


 挙句、その後に出会った見知らぬ第三者の俺にまで、最終的には無理矢理に笑顔を浮かべて、迷惑を掛けてごめんなさいと謝ってきた。


 もう少し自分を大切にすればいいのにと、思った。


 泣きたい時には泣いてもいいし、辛い時には辛いと言ってもいい。


 彼女の周りの人達は、どうしてそんな当たり前の事を彼女に教えてあげなかったのだろうか。


 こんなに他人を気遣える人なのに、彼女にはこんな時に頼ろうと思える相手が一人も居ないのだろうかと思ったら、なんとも言えない気持ちになったものだ。


 俺の横で泣いていた時も、流す涙は全部自分自身に向けた物で、誰に文句を言うでもなくて。


 恨み言を言うでもなくて、ただ泣いて、ただ自分を責めていた。


 吉永紅葉はたぶん、優し過ぎるのだろう。


 優しい人には、出来れば泣いて欲しくない。


「──さてと」


 シャワーを浴びてさっぱりしたら、適当に髪を乾かして着替える。


 着替えている最中、勉強机の上に飾ってある『学業成就の御守』が視界に入ると自然と笑顔になるが、それはそれ、これはこれ。


「洗濯物ー、洗濯物―」


 着替え終えたらさっさと洗濯物を取り込む事にする。


 母の為にも自分に出来る事を出来るだけしたいと思うのは、当然の事だろう。


「うーむ」


 しかし、残念な事に俺にはまだ料理のスキルが無い。


 冷蔵庫にある材料を見ても、仕事から帰って来た母が一体何を作ろうとしているのか、出来上がるまでまるで分らない。


 仕事で疲れて帰って来ているはずなのに、早く帰れた日には律儀に晩御飯を手作りしてくれる事に大変感謝している、その気持ちに嘘はない。


 だけど、出来る事ならもう少し楽にして欲しいとも思っている。


 料理が趣味だから作りたいんだぜ! とか言っているけど、仕事終わりで疲れている時にまで作りたいと本当に思っているのかどうか。……正直、それはないだろう。


 そんなこんなで、中学の時は部活動のせいで帰宅する時間が遅かったから、料理なんてする暇もなかったけど、高校では頑張ってみようと決めた。


 それ故の料理倶楽部である。


 サッカー部に入らない理由も、料理倶楽部に入らない理由も、どっちも馬鹿正直に言えばちょっと気を遣われる事くらいは想像出来る。


 だから、学校では予め考えておいた理由を述べたに過ぎない。


「うん。全くわからん」


 冷蔵庫にある食材を見ても、今晩のメニューがまるで想像出来なかった俺は、溜息を吐いて扉を閉める。


「ま、勉強でもするかー」


 仕方がないので、中学の友達から送られてくるリリンクに時任な返信をしつつ、いつも通り黙々と勉強をする事にした。

出来るだけ、笑っていて欲しいと思う

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