第21話 もう少し頑張った後でも
安藤部長の説明を聞いた姫野が、青い瞳をいつも以上に輝かせながら全部やろうとするせいで、俺と吉永は調理に関係ない細々した作業と片付けに従事。
料理をしている様子を見ているだけになってしまった。
「なあ、吉永」
「んー?」
吉永が洗った物を受け取って、布巾で拭いたりゴミを捨てたりしていた俺はまず、とりあえず言うべき事を口にする。
「なんか、その、ごめんな」
「え、うん? なにが?」
服部にとりあえず謝っとけと言われたので、とりあえず謝っておく事にした。
「朝ちょっと怒ってたっぽかったから、またなんかやっちゃったかなって」
「朝? あ。ああ、まあ……。別にあれは、何て言うか──」
「なんて言うか?」
「いや、だから、鹿島が近藤達と話してて、なんか、別に、何でもないんだけど。もういいって言うか、別に怒ってないって言うか」
「それなら、まあ、いいんだけど。ただ、前も言ったけどなんかあったら普通に言ってくれた方が、こっちとしてはありがたいっす」
「ご、ごめん。いや、でも、ホントに何でも無くて。鹿島が悪いとかじゃなくて──あ、それよりさ? 朝、私に何か言おうとしてなかった?」
「朝?」
なんだっけ?
「何か言おうとしてたでしょ。後で大丈夫とか、なんとか……」
「あー、はいはいはい。あれならもういいよ」
「よくないでしょ。怒ったりなんてしてないから、何かあるなら言ってよ」
姫野に捕まってしまった安藤部長がニコニコ笑顔で受け答えてしている傍らで、片付けをする振りをしながら俺と吉永はヒソヒソと会話を継続。
ハンドミキサーやら洗い物の水音もあるので、そんなに声のボリュームを落す必要もないのだが、周りに聞かれない程度の小さめの声で、少し距離を詰めて。
「だから、あれは……。今日、料理倶楽部の部活体験行くから、もし部活決まってないなら吉永も見学に来ないかと思って。だから、もういいんだって」
変に勘違いされて避けられたりすると嫌だったから、吉永だけを誘ったんじゃないんだよ! と言うアピールとして、青島と服部にも声を掛けて、来れるなら来てよーみたいなお誘いをしようとしただけの話。
我ながら、逃げ道を用意している所が最高にダサい。
吉永の事を好きになる前だったら、このくらい簡単に誘えたと思うんだけど。
今となっては何をやるのもちょっと怖くて、ちょっと臆病になった自分が居る。
迂闊な事をやって吉永に嫌われるのが怖くて、昔の自分のように上手く動けなくなってしまったように思う。
「あ、そうなんだ。そっか。なんだ。……言ってくれたら、全然、付き合ったのに」
「うっす」
もちろん、吉永は良い子だから、誘われればそのくらい付き合ってくれる事はわかっている。
わかってはいるんだけど、それが難しいわけでして……。
「それだけ?」
「ん? それだけって?」
「いや、だから……。次は、一緒に来なくていいの?」
嫌われるのは怖いし、三好の事を考えると普通に凹む。
今はまだ部活体験に行く誘い一つスムーズに出来ない。
だけど、それでも、軽く首を傾げてこちらを見ている吉永と目が合ったら、難しい事は全部、頭から飛んでいった。
「──じゃあ、吉永がまだ部活決まってないなら、次も料理倶楽部こないか?」
そうだよな。
折角、好きな人と同じ学校に通えて同じクラスになれたんだから、折角、すぐ近くに好きな人がいるんだから。
吉永の事を諦めるのは、もうすこし頑張ってからでも、いいんじゃないかな。
もう少しだけ。頑張ってみた後でも。
「オッケ」
ガチャガチャと鳴る調理器具と、バシャバシャと跳ねる水の音の中で、吉永の小さな声だけは、はっきりと聞こえた。
◇
姫野から延々と話し掛けられていた藤部長は終始ニコニコと笑っていて、パウンドケーキをオーブンで焼いている間も、俺達三人に向けてニコニコ笑顔のままで料理倶楽部についての話をしてくれた。
「良い匂い! 安藤部長は天才だ! 凄いよ紅葉! 鹿島君!」
「これで天才なら世の中の調理師はみんな神様ですねー」
そして、焼き上がったパウンドケーキの出来上がりに感動した姫野に手を握られながら、ブンブンと振り回されている時も淡々としていた。
高校三年生って凄いんだな。
「それでですねー。まあ、顧問の先生が時々見てくれるくらいで、料理のコンクールや大会に参加したりする部ではないから、目に見える実績をアピールする事は出来ないのですよ。ですので、部費も多くはありません。それどころか、部員も少ないからどんどん減っているのが現状ですね」
ずっとニコニコだった安藤部長は、そう言うとちょっとだけ寂しそうな顔になってしまった。
「ですが、料理は大切です。生きている限り食事は必要になるわけですからね。将来一人暮らしをした時に、毎日同じ物ばかり食べるようになったら早死にしちゃいますよね。家族が出来た時も、毎日同じ物ばかり作っていては飽きられてしまいますよね?」
「はい! でも、パウンドケーキなら毎日食べれる気がしてきました!」
良い感じの話が台無しだよ、姫野。
「うーん、うん。毎日食べるのは止めた方がいいけど、どうしても食べたいなら色んなお店で売ってるから、買ってみるのもいいんじゃないかなー?」
「うーん……やっぱり、そこまでは食べたくないかもです」
「うんうん。世の中には美味しい物が沢山あって、今日作ったパウンドケーキもそうだけど、そう言う食べ物を一つでも多く作れるようになって、自分の為だったり、家族の為だったり、後は好きな人の為だったり。いつかそう言う人達に、自分の作った料理を食べさせてあげられるようになれれば良いなと。料理倶楽部はそんな感じの部活ですねー」
「料理、家庭科でしかやった事ないけど、私にも出来ますか?」
「出来るも何も、姫野さんは今日一緒にパウンドケーキ作ったじゃないですか。料理はレシピ通りに作れば絶対に失敗はしないように出来ているので、答えの書いてあるテストをただ解いていくようなものですよ」
「それなら簡単ですね!」
「ふふ、簡単かどうかはやってみてから自分で判断してみましょうね」
……これは、あれだな。少し意地の悪い話だな。
確かに、料理はレシピ通りに作れば失敗する事はないのだろう。
だけど、レシピ通りに完成したからと言って、それが自分の想像していた通りの味に出来るかどうか、美味しいかどうかは別の話。
答えの書いてあるテスト解くってのが、そもそも意地悪だと思う。
『答えが書いてあるテスト』を『解く』って、答えが書いてあるのに一体そのテストの何を解くのやら。
答えだけではない何かを見つけなければならないとなると、料理は難問なんて次元じゃない。
要するに、料理は失敗しないけど簡単ではない、って事が言いたいんだろうけど。
面白い言い回しをする人かも、安藤部長。
「──と、それから、今日は姫野さんが一人で頑張っていましたが、吉永さんと鹿島君も。また来てくれるなら、次は一緒に料理をしましょねー」
「あ、はい!」
「頑張ります!」
サボってたの普通にバレてたのか。
でも、今日に関しては流石にやる事が無さ過ぎだと思います、安藤部長……。
部長にチクりと釘を刺された俺と吉永は慌てて返事をした後、お互いにチラリと見あって、ちょっと笑ってしまった。
いいかな。吉永の事を諦めるのは