第120話 新部長と新副部長
岩瀬部長の時よりも少し控えめな拍手が止むと、必然的に里見先輩の挨拶が始まる。
「まず始めに、これまで調理実施日以外の活動に参加してこなかった事を謝罪します」
「いえいえ。いいんですよ。里見君には里見君のやるべき事がありますからね」
深々と頭を下げる里見副部長に、安藤先輩が困り笑顔を浮かべながら声を掛けた。
「はい。有り難うごさまいす、部長」
「元部長ですよー、ふふふ」
「……はい、安藤先輩。それで、副部長の就任挨拶として適切かどうかはわからないのですが、自分が料理倶楽部の活動を休んでまで何をしていたのかを話させて欲しいです。問題ないでしょうか」
ぐるりと調理実習室を見渡した里見先輩にその場の全員が頷いてみせたけど、何をしていたかも何もないのでは? あれ……? 勉強してたんじゃない……の?
そんな疑問はすぐに氷解した。
「安藤先輩に料理倶楽部に勧誘されて、当時の三年の方々と幾度か話しを交えた事で料理に対する興味が湧いたので、昨年三年が引退してからのこの一年は自分なりに動き、自分なりに料理倶楽部の為になる何かを探していました」
「え、そうだったんですか?」
「僕らに相談してくれて良かったのに」
「うんうん、てっきり勉強してるのかと思ってたよ」
三年の反応もわからなくはない。
だが、前回にしても今回にしても、姫野を交えて話しをしながら料理をしている里見先輩の手際の良さを見れば、きっちりと料理に向き合っている事はわかっていた。だから料理が嫌いって事はないと思ってたけど、なにやってたんだろう。
「相談をするにしても、まずは実践してからだと考えていたものでして。そこは申し訳ありません」
軽く頭を下げた里見先輩が再び眼鏡をクイっと持ち上げて、話しを続ける。
「僕は昨年三年の先輩が部を引退してからこの一年を使い、先日7月4日に全国高等学校家庭科食物調理技術検定の4級の二次試験を受けて来ました」
全国高等学校家庭科……家庭科……なんだって?
「里見先輩! それはなんですか!」
と、俺の頭の中に浮かんだ疑問を当たり前のように述べたのは、安藤先輩の近くで元気よく挙手した姫野だ。
「ちょっとした料理の検定ですよ。昨年先輩が言っていましたからね、何か目に見える実績でもあればと。もちろん受験に役立つ事はないかもしれませんが、高校調理検定は60年の歴史がある試験です。何もしないよりは良いかもしれないと思いまして、まずは僕が受けてみました」
淡々と話す里見先輩が発言を終えて一呼吸をつくと、俺や吉永や中野、三年の先輩方や岩瀬新部長は鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔で互いに見合った。
「……まあ、そうですね。勝手な行動を取った事は謝罪しますが、全員で取り組むとなれば部活動の内容が制限されるかと思いまして。まずは僕が実践して、それからノウハウを共有しようかと──」
俺達の反応に焦ったのか、やましい事の言い訳でもするようにそれまで淡々としていた里見先輩が少し早口になったが、そうではない。皆ただ驚いているだけだと思う。
「あー、えっと、里見先輩、質問いいですか?」
「あ、ああ、構わないよ。どうぞ。えー……鹿島君であってるよな?」
「あはい、鹿島です!」
先輩方も先生もその他の部員も、延々と言い訳でもするように話している里見先輩にふんふんと頷いて黙って聞いているけど、そろそろ止めてあげないと可哀想だろう。と言う事で、誰も止めそうにないので俺が止めて差し上げる事にした。
「その、全国高等学校家庭科……えーと──」
「全国高等学校家庭科食物調理技術検定だが、シンプルに高校調理検定と呼ばれたりもしているらしいよ」
「あ、はい、ありがとうございます! その高校調理検定なんですけど、たとえば俺が受けたいと言えば受けられるものなんですか?」
「受けられるかどうかと言う話なら、可能であると答えさせて貰おうか」
今まで碌に話した事もないし話し方もちょっと独特。そんな里見先輩だけど、この人の中身が俺達と同じくただ料理倶楽部が好きなだけの高校生とわかれば何も怖くはない。
てか、ずっと一人で黙々と頑張っていたのか。普通に格好良いな。
「もちろん、何も知らない今受けても合格しないのはわかってるんで、そこは大丈夫です! 試験対策をすれば、俺みたいな全然料理を知らない人間でも受かる可能性のある検定なのかなと」
「当然だ。……まあ、鹿島君は知らないだろうが、僕も元々は料理に興味が無い人間だっただ」
「そうだったんですか?」
「はい! 私は知っ──ん!」
「どうかしたか、姫野君?」
「いえいえー、何でもないですよー。さあさあ、里見君と鹿島君はそのまま話を続けて下さいねー」
里見先輩の事情であれば、安藤先輩が大体話してくれたので把握している。
だけど、本人の居ない所であれやこれやと自分の話をされていると知れば、たとえそれが悪口や陰口の類じゃなかったとしても里見先輩も良い気はしないだろう。
そんな事を考えるよりも前に条件反射で口を開いたのであろう姫野ではあったが、隣に座っている安藤先輩に抱き寄せられるようにして封殺された。
「わかりました。僕は元々料理に興味が無い人間だったわけだが、この一年間僕なりに真剣に向き合った結果よくわかったよ。料理も勉強も……そうだな、他にはスポーツもそうだが、やってみなければわからない事は多々ある。そして、どんな事も真剣に取り組めばそれは必ず血肉となり成長へと繋がる」
「……なるほど、わかる気がします」
「この話がわかるなら問題ない。受かるか受からないかは鹿島君の努力次第だが、そこは安心してくれ。4級までの勉強であれば僕が教えられる事もある。もし高校調理検定を受けてみたいと言うのであれば僕を頼ってくれればいい」
「あ、ありがとうございます! その時は是非頼らせて貰います!」
「礼には及ばないよ。高校調理検定に関しては料理倶楽部が今後活動するにあたって、実績の一つにでもならないかと僕が個人で動いただけだからね。料理を作るのは勿論の事だが、必要最低限度の食物知識と調理技術を学べる部活ともなれば、興味を持つ生徒が現れるかもしれないと思いまして」
どうしよう。里見先輩とまともに会話をするのは初めてで、少し話しただけではあるけど、俺はこの先輩好きかも。
こんな感じの人だったのか、マジで全然知らなかった。
再び左手の中指で眼鏡を軽く持ち上げた里見先輩は相変わらずの天然パーマだけど、いつもより三割増しで格好良く見える。
何となくちょっと変わってる気がするけど、里見先輩も普通に良い人そう。あんまり話した事ないからわかんないけど、たぶん。




