第1話 告白現場と泣いている女子
友達が居ないわけではないが、極端に多いわけでもない。
勉強は出来ないわけではないけど、なんでも出来る天才ではない。
身嗜みには気を遣っているけど、メディアを飾るイケメンには敵わない。
運動はまあ、それとなく出来る方かもしれないので、ちょっとだけ自信がある。
要するに普通の人間。
それが俺、鹿島蒼斗の自分自身に対する評価。
そんな普通の人間である俺が中学一年から所属していたサッカー部は、普通の成績を残して、そして中学三年の七月下旬の今日。
「今までお世話になりました!!」
「「「「あっした!!!」」」」
一学期の終業式のこの日、三年生である俺は高校受験の為に普通に引退した。
サッカーは好きか嫌いかで言えば、たぶん好きな方だと思う。
だけど、じゃあプロになりたいのか? と言われればそこまでの熱意はない。
そんなサッカー部を引退すれば、いよいよもって高校受験に本腰が入る。
今まで苦楽を共にした仲間とちょっとだけ騒いで、これから部活を引っ張っていく事になる後輩達を揶揄って、それでおしまい。
中学の部活を引退するタイミングでサッカーそのものを辞める事にしたから、これで本当におしまい。
夏の太陽がじりじりと焦がすグラウンドでボールを蹴る事も、耳が千切れそうな程に寒い冬のコートで走る事も、もう二度とないのだろう。
そこに未練はなくて、むしろ清々している。
だから、部活を引退したこの日、俺は驚いていた。
思いの外、自分がサッカーを好きだった事実に気が付いてしまったから。
しんどいし、痛いし、休みの日も練習だし、そのせいでちっとも遊べないし。
思い返しても良い事なんて全然見つからないと言うのに。
だと言うのに、引退して初めて、自分がそれなりにサッカーの事を好きだった事が分かってしまったから、驚いていた。
もう二度と、サッカーなんてやらないと決めていたのに。
そんな訳で、部活を引退した直後、思いの外自分が悲しんでいる事に気付いてしまった俺は、少し落ち込んでしまった。
だから、せめて今日一日くらいはサッカーの思い出に浸っていようと決意。
運動部の練習が終わるのを待って、日が傾き始めて人気のなくなったグラウンドを歩いていた俺は、サッカー部の部室がある部活棟へと足を延ばしていた。
『大変だったけど、それなりに楽しかった』と。
その一言を言う為に、昼の間に一個パクっておいたサッカーボールを蹴りながら、人の居ないはずの部室に向かったわけだが──。
そんな柄にもない青春ごっこをしていたせいだと思う。
部室の中で誰かが愛の告白をしている現場に遭遇してしまったのは、そんな時だ。
「小学生の時からずっと、悠馬の事が好きだった」
ゆうま?
悠馬って言えば、三好悠馬の事、かな?
三好悠馬の事なら同じ三年で、同じサッカー部なのでもちろん知っている。
一度も同じクラスになった事がなかったからあまり遊んだ事はなかったけど、それでも何度か一緒に出掛けたりもしたので、胸を張って友達だと言えるくらいには仲が良い。
そうじゃなくても、三年間同じ部活に所属していたんだから、仲良くなるものだ。
それが、俺の知っている三好悠馬。
だけど、果たしてその悠馬の事だろうか?
「ありがとう。部活引退するまで待っててくれて」
おお、この声はやっぱり三好か。
それにしてもマジか。相手はわからないけど、マジか。
まあまあまあまあ、三好はイケメンだしな。
性格も良いし何回か女子に告白された事があるってのも聞いた事あるけど、まさか部室の中でまで告白される程の男だったとは……。
部室めっちゃ臭いのに、やるな三好。
流石は三好悠馬だ、とか。
三好もありがとうと言っていたから、どうやら見知らぬ女子の告白は成功するのだろう、とか。
三好が真剣に頑張っていた部活を引退するまで待つなんて、健気な良い子じゃないか、とか。
そんな事を考えながら部室の外で聞き耳を立てていた俺は、しかし、次の言葉を聞いて凍り付いてしまう。
「だけど、ごめん。……他に、好きな人が居るんだ」
最初に”ありがとう”って言ったのはなんだったんだよ。
「そ、っかぁ……。あー、あ、もし、良かったら。……悠馬の好きな人の名前、聞いてもいい?」
「──冬華だ」
「あ、やっぱり! だ、だよね。私の勘ばっちり当たってたかも」
「紅葉、俺は──」
「ごめん! ……ご、ごめんだけど、私が悠馬に告白したって事、冬にだけは絶対に言わないでね。そんな事したら、あの子、絶対に悩むから」
「そんな事! 別に、紅葉に言われなくても、誰も言いふらしたりなんてしないって」
「うんうん、わかってるわかってる。わかってるんだけど、もし知られちゃったら、冬、きっと、私に遠慮して悠馬の事断ったりするかもから。だから、ごめんだけど」
「なんで、紅葉が謝るんだよ」
「じゃあ、もう謝らないから。だから──」
中が見えないから詳細はわからない。
だけど、扉越しに聞こえてくる女子の元気な声は……。
絞り出すようなその声は、ずっと震えていた。
そこまで聞いておいて今更だけど、これ以上盗み聞きするのはまずい。
そう思った俺は、部室の入り口から離れた場所に移動すると、サッカーボールを抱えながら近くの壁にもたれ掛かって、ボンヤリと空を眺めて時間を潰す事に。
感情が高ぶって涙を流すくらいに誰かを好きになる。
俺にはまだそう言う経験がない。
だから、誰かわからない女子の事は素直に凄いと思う。
誰かを好きになって、真剣に好きになって、精一杯の想いを伝える。
それだけでも十分に凄いと言うのに、更には告白した相手に他に好きな人が居ると言われたら今度はその人の心配までするとか、ヤバすぎるだろう。
人間が出来過ぎてないか。
同年代だと言うのにその辺の経験が全くない俺にとって、部室の中で行われている三好と女子のやり取りは未知の世界の出来事で、大人の階段を上っている二人の事は純粋に尊敬出来る。
だから、そのうち部室から出て来るはずの二人に見つからない様に、と。
離れた場所でサッカーボールを抱えながらしゃがみこんでいた俺は、どんどん暗くなっていく空を眺めて、黙って待つ事にした。
そうして、しばらく何も考えずにボーっと空を眺めていると、ドアを開け閉めする音が聞こえてきた。
話し合いが終わったのであれば良かったと思う。
結果は、まあ何と言うか……女子にとっては悲しい事になってしまったかもしれない。
だけど、ちょっとだけとは言え、三好とのやり取りを聞いた感じだと良い人そうな感じがしたので、そのうち三好よりも良い人に出会えるだろう。
そんな事を考えながら、ドアを開け閉めする音が聞こえてから十分前後待機。
三好達が出て来てすぐに動けば鉢合わせになる可能性もあったから、二人が完全に何処かに行くのを待ってから動こうと配慮しての事。
それもこれも、全ては昼の間にパクったサッカーボールを部室に返却する為である。
今日中に返却しておかなければ、明日部活に来た時にボールが一個足りない事がバレて顧問に怒られるからな──俺ではなく、後輩が。
それはいくらなんでも可哀相すぎるので、何とかして今日中に返却しておかなければならない。
と言う事で、部室の明かりが消えている事をきっちりと確認してから、部室の鍵を開け──ようと思ったんだけど、部室の扉は施錠されておらず。
三好のバカめ、あいつはちょっと抜けてる所あんだよな。
なんて事を考えながら扉を開けたわけだけど──。
「……悠馬? 何で、戻って来たのよ、馬鹿ぁ」
──そこには、暗くなった部室の中でボロボロと涙を溢して泣いている女の子が、両手で涙を拭っている姿があった。……なんでだ。
そもそも部室の鍵は俺が持ってるから、最初からおかしいと思ってたんだよ。
三好の奴、部室棟の鍵が全部一緒だからって適当な鍵持って来やがったな。
「いや、悠馬ではないけど」
「え? だっ、誰! ちょ、やだ! ちょっと見ないで!」
「見ない見ない。見ないし何も聞かないから、サッカーボールだけ返却していい?」
「サッカー、ボール?」
「そんな不思議そうに聞かれても。ここはサッカー部の部室で、俺はサッカー部員、そんでこれがサッカーボールな」
そう言って、目を合わせようとしてくれない女子の横をそそくさと通り過ぎた俺は、無事にサッカーボールを返却する事に成功。
俺としても泣いている女子に目を合わせられても困るので、そっぽ向いてくれる方がありがたい。
「……それじゃあ、まあ、なんだろう。部室の鍵閉めないとダメなんだけど。どうする? その、まあ、もうちょっと居るなら鍵渡しとこうか」
我ながら何を言っているんだと、思わなくも無い。
だけど、初恋すらまだの俺に、告白に失敗して泣いている女子になんて声を掛ければいいのかなんて、そんな事がわかるはずもないので許して欲しい。
「そこ、置いといて。鍵。私が返しとくから」
「うっす。わかった」
女子としては平静を装って喋っているつもりなのかもしれないけど、その声が涙で濡れて震えているのがまるわかりで、それがあんまりにも痛々しくて……。
目を合わせようとしないのも、泣いている姿を見られたくないからだと言う事くらい、俺にだってわかる。
まあ『だから何なんだよ』と言う話ではある。
スマホで検索して今の状況に即した正解が見つかるならいい、調べてみようとも思う。
でも、こんな状況に正解なんてあるはずがない。
調べたって誰に聞いたって、この状況の最適解がわかるわけがない。
ましてや、こんなに……。ボロボロと涙を溢す程に誰かを好きになった経験のない俺に、彼女に掛けるべき言葉が見つかるはずがない。
そう思って、部室に鍵を置いた俺は静かに泣いている女子を一人残して、扉を閉めたのだが──。
「──……まあ。それは、違うよな」
溜息を一つ。すぐに踵を返した俺は、もう一度扉を開けて中に入り込んだ。
「な、なに? 鍵なら、私が返しとく、から」
「駄目だ。部室の鍵は俺が返す。それに、泣いてる奴を一人でこんな場所に置いておくのも駄目だ」
「私の事なら。別にいいから。大丈夫だから」
「いいや駄目だ。百歩譲って君を一人で放置するのは良くても、部室の鍵を部員以外の人間が返しに来たところを万が一にも顧問に知られたら、絶対に怒られる、俺が。だから、少なくとも鍵だけは俺が返すし今すぐ閉める。だから今すぐ部室から出て行って欲しい」
「な、なにそれ! 信じらんない!」
泣いている子を前に余りにもデリカシーと思いやりに欠けた言葉に、目を赤くした女子は思わず立ち上がってしまう。
「信じられなくてもいいし、部室を出たら俺の事なんて気にしなくてもいいけど。……だけど、まあ、なんて言うか、せめてこんな場所からは出よう。その方がいい」
「は?」
「何処かで一人になれる場所なら他にもあるだろ。一緒に探しても良いから。でも、とりあえず、こんな場所で泣くのはもう止めとこう」
そう言って、女子の手首を掴んだ俺は彼女を部室から引っ張り出す事にした。
いつまでも居座られても困ると言うのも、もちろん本音。
だけどそれと以上に、この子にこんな所で泣いていて欲しくないと思ったのも本音だ。
「泣くなとは言わないけど、君が泣く場所は多分ここじゃないと思うから。場所は変えた方が良い」
「なん……。なにを……。何も……、知らない、癖に」
手首を掴まれたまま部室から引っ張り出された女子はずっと下を向いていて、肩を震わせている。
なんて声を掛ければいいのか、全然わからない。
マジで何も思い浮かばない。
でも、とりあえず言わなきゃいけない事があるんだよな……。
「──その……。えーっと、まあ、悪い。告白してる所、聞いてたんだ。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、そこは本当にたまたまだったんだけど。……悪い」
「さいてい。さいってー……。ホント、さいてー」
「ごめん。絶対、誰にも言ったりしないから」
「さいてーだよ、ほんとに。さいてい……だよ。本当に、さいてい、だよ」
「ごめん」
どうやら、残念な事に俺の言葉選びは最悪だったようで、泣いていた女子は更に大きな声を出して泣き始めてしまった。
「──悠馬ぁ……。私を、一人にしないでよぉ」
三好悠馬の名前を口にした彼女はしばらくの間ずっと、俺の側で泣いていた。
これが俺と彼女の出会だった。
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