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2 取引 ②

「お待たせして申し訳ありません、ルース様」


 応接室の扉を開けたルクァイヤッドの声に緊張した面持ちで顔を上げたのは、まだ十代とおぼしき流枝の民の少年だった。


 彼が商談を持ちかけてきた商人ということだが、その若さにエンリェードは驚きの表情を浮かべる。彼自身も妖精族や月夜の民の中では若輩(じゃくはい)の部類だが、それでも年齢だけで言えば八十歳ほどで、人間なら二十代のはじめの方だ。ここでは最年少のフィンレーも二十を少し越えたくらいであるため、ルース少年は小柄(こがら)なこともあってこの場ではいっそう幼く見えた。


 エンリェードが他の者たちと共に応接室に(そな)え付けられた椅子(いす)の一つに腰を下ろし、ふと顔を上げると、その少年と目が合う。


 彼はエンリェードの顔を食い入るように見つめていたが、視線が交わると(あわ)てて目をそらした。


 それから全員が席に着くのを待ち、ルースは芝居がかった咳払(せきばら)いを一つして自信ありげに口を切る。


「ドクター・ルクァイヤッド、あなたの言った通り三ヶ月分。百人の月夜の民が必要とする魔力薬と魔石を提供するめどが立った。一度には用意できないが、安全な道と足さえあれば継続的に供給できるはずだ」


 その言葉にエンリェード以外の月夜の民たちの口から驚愕(きょうがく)の声があがる。


「それだけあれば充分戦えるわ。そのあいだに陛下を探し出して解放することも可能かもしれない」


 喜色(きしょく)に満ちた声音でユーニスが言う。


 イドラスもうなずきながら「少なくとも、長期戦は可能になるな」と冷静に(つぶや)いた。


「それに対する見返りとしてあなたが望むものは?」


 ルクァイヤッドの静かな問いにルースはきっぱりと答える。


「前に言った通り、月夜の民たちとの優先的な魔力資源の取引だ。魔力薬や魔石を(あつか)う商人はたくさんいるが、戦に勝った(あかつき)には私から優先的に買って欲しい」


「我々にとって、願ってもないお話です」


「では……!」


 ぱっと明るい表情を浮かべ、ルースが身を乗り出す。


 しかしそれにルクァイヤッドは、「いえ、少しお待ちください」と静かに言って手を上げ、慎重(しんちょう)な口調と面持ちで言葉を続けた。


「具体的な取引の話をする前に、いくつかお話ししておかなければならないことがあります。当事者でないとわかりづらいところもありますので、順番に整理してお伝えしましょう」


 ルクァイヤッドはそう言うと、持ってきた紙の一枚をテーブルの上に広げてみせた。そこには几帳面(きちょうめん)な共通語の文字で種族名や個人の名前などが記されており、同じグループとおぼしきものは(わく)で囲われている。


 エンリェードにはそれが勢力図のように見えた。


 そこに書かれたグループの一つを指差し、ルクァイヤッドが話し始める。


「まず私たち月夜の民ですが、ここに書いてある通り、変異種、吸血鬼、不死者といったいろんな呼ばれ方をされています。しかし、呼び名による違いは特にありません。よって、私たちがこのいずれかの名前を出した時は、月夜の民のことを指していると思ってください。


そして現在、我々月夜の民を敵視しているのが、この反変異種派と呼ばれている人たちです」


 そう言ってルクァイヤッドは月夜の民と向かい合うように書かれているグループを指で示してみせる。


「反変異種派自体は何百年も前からいますが、現在の中心的な人物は変異種狩りのあだ名で知られる、セント・クロスフィールドの領主です。彼の目的はただ一つ、月夜の民を一人残らずこの世から消し去ること。


私たちはそれにあらがい、何度も彼と戦ってきました。そしてその泥沼(どろぬま)のような戦いをついに(おさ)めようと、我々月夜の民を束ねる王と変異種狩りの領主のあいだで契約が結ばれたのが約五年前です。


その内容は、今まさにあなたがいらっしゃるこの土地を月夜の民の領地として認め、干渉(かんしょう)せず、お互い戦わないことでした。その代償(だいしょう)は私たちの王の封印です。これで私たちは王を失ったものの、一応の自由を手に入れられるはずでした。


しかし、その契約が人々の記憶からいささか薄れ始めた今、(くだん)の領主は隠す様子もなく戦いのための兵を集めています」


 ルクァイヤッドはそこで一度言葉を切ると、応接室のテーブルの(すみ)に置かれていたチェス(ばん)に手を()ばし、その上に乗っている白い(こま)のうち兵士の形をしたポーンをいくつか手に取る。そして彼はそれらを勢力図に記されている変異種狩りの領主の陣営上に並べ、さらに話を続けた。


「契約のあとも変異種狩りの領主には不穏(ふおん)な動きがありましたし、契約ははじめから月夜の民の王を封印するための口実(こうじつ)に過ぎなかったのでしょう。彼が契約を反故(ほご)にするのは時間の問題だろうと言われています。


本来はそんなことをすれば各方面から非難(ひなん)がくるものですが、彼は月夜の民を滅ぼすことは人類のための正義だと主張し、絶対的な敵と交わした契約など守る必要がないと考えているようです。そして残念ながら、その主張は人間たちのあいだである程度まかり通っていると言えるでしょう。


しかし、だからといってこちらから契約を破って攻撃するわけにはいきません。戦わないのが契約ですし、私たちがそれを破ったら一斉(いっせい)に非難を()びるのは目に見えていますからね」


 ルクァイヤッドはそう言って大きな肩をすくめてみせる。


 それから彼は黒い駒を一つ取り、それを勢力図の月夜の民陣営の上に置きながら、「とはいえ」と言葉を続けた。


「おそらく戦いを()けられない以上、こちらも兵を集め、戦いの準備をするべきでしょう。そのため、一軍を支えるだけの我々の命の源である魔力資源が必要であり、それを提供してくださるというルース様のお話は、我々にとって願ってもないことなのです」


 その言葉にルースは真剣な面持ちでうなずく。


 ルクァイヤッドもそれにうなずき返し、「ここまでが今に(いた)経緯(けいい)のようなものです」と言った。

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