1 招集 ③
領主の館を案内するフィンレーが最後にエンリェードを連れていったのは、ちょっとした図書館さながらの蔵書量を誇る立派な書斎だった。
部屋の四方の壁は暖炉を囲むようにして本棚で埋め尽くされており、そのすべてに本がぎっしりと詰まっている。窓の下に置かれた机の上にも本が積み上げられ、書物による支配が及んでいない場所といえば、床と天井を除けば暖炉の上くらいのものだ。
唯一壁が露出している暖炉の上部には一枚の絵が飾られていた。
「先ほど、あなたにお見せしたいと言っていたものはこれだ」
フィンレーは絵の前に立ち、エンリェードを振り返って言った。
「あなたのご両親だよ。素晴らしい出来だろう? この館には多くの絵が飾られているが、その中でも私はこの絵が一番好きなんだ」
「私の両親の絵が何故ここに?」
月夜の民特有の赤い目をわずかに見開き、エンリェードが尋ねる。
フィンレーはそれに「陛下があなたの父上の二度目の結婚祝いに贈ったそうだが、奥方が亡くなられてからは見るのがつらいからというので、こちらに移されたらしい」と答えた。
そして隣に立って絵を食い入るように見つめているエンリェードと、そこに描かれた二人の男女を交互に見やる。額縁の中で寄り添うように並ぶ黒髪の妖精族の男性と銀髪の妖精族の女性には、確かにエンリェードと面差しが似たところがあった。
エンリェードの母親も月夜の民の血を半分だけ引いた妖精族で、月夜の民特有の赤い瞳と血の気の欠けた肌の色をしている。男女共に中性的で華奢な体格の者が多い妖精族にはもともと外見上の性差が少なく、個性に欠ける端正な顔立ちをしていることもあって、絵の中の二人とエンリェードはなおさらよく似ているように思えた。
「……初めて母の顔を見ました」
独り言のようにぽつりとエンリェードが呟く。
それを聞いてフィンレーは一瞬意外そうな表情を浮かべ、それから得心したように「そうか」と言った。
「あなたの母上は、あなたの弟か妹となる赤ん坊と共に亡くなられて――そのころのあなたはまだ幼かったのだったな」
「私が妖精族ではなく流枝の民の血を引いていれば、顔くらいは覚えていたかもしれません」
「妖精族はすべての人種の中で、一番成長速度がゆっくりだと聞く。覚えていらっしゃらなくても無理はない」
フィンレーはそう言って、なぐさめるようにエンリェードの肩を軽く叩いた。
エンリェードは首を回らせ、若い流枝の民の騎士の顔を見返す。
「あなたは私の両親に会ったことが?」
「いや、絵で存じ上げているだけだよ。あなたのご両親がご存命だったころは、私は生まれてもいないのでね」
その返答にエンリェードは無言の視線だけを騎士に向けた。
フィンレーの目は澄んだ空のように青く、肌の色も血の気を帯びて生き生きとして見える。
病人のように血色を欠いた月夜の民の肌は日光に弱く、それゆえに夜に活動する者が多いことから月夜の民と呼ばれるが、フィンレーはその肌の色からしても、魔力の宿った赤い目をしていないことからしても、明らかに普通の人間――変異していない流枝の民に見えた。
「月夜の民でもない私が何故ここにいるのか、不思議にお思いだろう」
エンリェードの心の内を読み取ったかのようにフィンレーが尋ねる。
生きるために魔力を必要とする月夜の民は現在、魔力の結晶である魔石や、魔石を加工して生成される魔力薬といった魔力資源から主に生命力を得ており、血を介して他人から魔力を奪うということはほぼない。だが、それでもなお人間とは異質な存在として忌避されているのが現状だ。吸血鬼と呼ばれ、恐れられた時代から続く彼らに対する恐怖と偏見は根強く、人類ばかりかあらゆる生物の敵だとして嫌う者も未だ少なくない。
そんな中で、月夜の民に協力的な人間というのは非常にまれな存在であると言える。ましてやそんな普通の人間が月夜の民の王の近衛騎士を務めるなど、前代未聞だ。
エンリェードはフィンレーに一つうなずき、「変異種ではないただの人間が近衛騎士をしているという話は聞き知っていましたが、どういう経緯で月夜の民の側に?」と問い返した。
それに騎士は面白がるような笑みを浮かべてみせる。
「お聞きになりたい?」
「差し支えなければ」
ひかえめにエンリェードがそう応えると、フィンレーは「大した話ではないよ」と前置きしつつも、戸惑いのないなめらかな語調で話し始めた。