1 招集 ②
「まさか黒狼公のご子息が来てくださるとは」
そう言って砦の門の前でエンリェードを歓迎したのは、比較的長身な彼よりも頭一つ分は背が高く、がっしりとした体格の、理知的な目をした男だった。巨人族と呼ばれることもある堅木の民の血を引く彼は、一見無骨にも思えるその風貌からは想像しがたい知性派の参謀であり、軍医としても知られている。月夜の民をまとめていた男がまだ王と呼ばれていなかったころからそばで支え、王不在の現在もその名代として指揮官を務めている忠臣だ。
「お会いできて光栄です、ドクター・ルクァイヤッド」
エンリェードがそう言って会釈すると、医師は小さな感嘆の声をあげた。
「黒狼公――父君によく似ていらっしゃる。彼のまとう空気はもう少し猛々しい感じではありましたが、一瞬、戦友が戻ったのかと思いましたよ」
「残念ながら、私は父ほど腕が立つわけではありません。この要請状にある通り、本来なら戦力となる兵も連れて参戦する盟約でしたが、その兵もなく、私一人が馳せ参じるのみとなってしまいました」
エンリェードは姉経由で届いた件の手紙を懐から取り出し、その宛名の文字に視線を落としながら申し訳なさそうに言う。
しかし、ルクァイヤッドはそれにゆっくりと首を振って応えた。
「父君が亡くなられたことは存じております。かつて黒狼公が他の諸侯と共に陛下と交わしたこの盟約――陛下の窮地の際にはその名の下にすべての兵を従えて参じ、命を賭して戦うというこの約束を、ついに果たしていただく時が来たと要請状を送らせはしましたが、正直なところ、おそらく参戦はされないだろうと諦めていたくらいなのです。ですから、ここにこうして来てくださったことがどれほど心強いか……黒狼公は確かに盟約を守られました」
大柄な医師は深い感謝の念を込めてそう言い、エンリェードを門の中へと招き入れる。
月夜の民が住む土地であるこの地の領主の館は高い石壁と頑丈な鉄門に守られ、まさに砦のような様相だ。裏手は海となっており、崖の上に築かれたこの館に攻め込むのは、翼を持たない人間には難しい。コウモリのような空を飛ぶ生き物に姿を変えたり、自分の背に魔力の翼を持つ月夜の民だからこそ住める場所と言えるだろう。
しかし、徐々に迫る夕暮れの赤に染まりゆく館はどこか物悲しく、がらんとした敷地内はうつろに見えた。前庭の一角には的がいくつか並ぶ弓の練習場があるが、そこも今は人影がなく、立てかけられた弓だけが寂しげにたたずんでいる。
ここの主である月夜の民の王は五年ほど前、ここを月夜の民の安息の地とするために人間の領主と契約を交わし、この地の平和と安全の代償として封印されて以降、帰還は叶っていない。
王はいずことも知れぬ場所に囚われ、しかし、件の領主は契約を無視してこの地への侵略――彼らは奪還だと主張しているが――を図り、兵を集めている。
それに対抗すべく、月夜の民の名代を務めるルクァイヤッドは、黒狼公をはじめとする各地の同胞たちに参戦の要請状を送ったのだった。
「これほど早く駆けつけてくださったことにも感謝します。何しろこちらは人手が不足しているもので、戦に備えて仕事が山積みなのです。せめて館の案内くらいはゆっくりとして差し上げたいのですが……」
「その役、私に譲ってはくれないか、ドクター・ルクァイヤッド」
突然、若い男の声が二人の会話に割って入った。
声のした方を振り向くと、腰に剣を佩いた流枝の民の青年が大股で彼らの方へとやってくるのが見える。その姿を認め、ルクァイヤッドは驚いた顔で青年に言った。
「フィンレー卿、その提案はもちろん歓迎ですが、今までどこにいらしたんですか? さっきあなたの妻を名乗る方がお見えで、探していらっしゃったようですが」
「防壁の上から見ていたんだ。勝手に結婚したつもりでいる、過去の女に捕まりたくなくてね。それより、黒狼公のご子息だって?」
「エンリェードです」
流れるように向けられた視線を真っ直ぐに受け止め、エンリェードが名乗ると、青年は人懐っこい笑みを浮かべてみせた。
「お会いできて光栄だ、エンリェード卿。あなたの父上である黒狼公は私の憧れでね。陛下から前任の黒狼公がいかに優れた戦士であったかを幾度となく聞いたが、私は何度彼の話を耳にしても飽きたことがなかったくらいだ」
「前任……ということは、あなたが……」
「あなたの父君が去られたあと、陛下の右腕として近衛騎士を務めているフィンレーだ。いや、正確には『務めていた』と過去形で言うべきか。主なき今となってはね」
そう言って若き騎士は冗談めかした大仰な身振りで肩をすくめてみせる。
そんな彼を穏やかに見下ろし、ルクァイヤッドは少し申し訳なさそうな語調で言った。
「フィンレー卿、それではすみませんが、お言葉に甘えてここはお任せします。エンリェード卿、のちほど他の者たちもご紹介しますので、今は館の中で旅の疲れを癒してください」
「ありがとう」
「では、失礼」
ルクァイヤッドは二人に会釈すると、忙しそうに早足でその場を去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、フィンレーが隣に立つエンリェードに「彼はまれに見る働き者だろう?」と声をかける。
「真面目で知られる堅木の民だから、というのもあるかもしれないが。稀少度で言えば、そもそも堅木の民は変異種である月夜の民の中では非常に珍しいしな。私はこれまで多くの月夜の民に会ったが、堅木の民の血を引く者は彼しか知らない。変異するのは大体、妖精族か流枝の民だ」
そこまで言うとフィンレーはエンリェードの方へ向き直り、先端が細く長い特徴的な彼の耳を見ながら、どこか懐かしいものでも見るような面持ちで言葉を続けた。
「あなたも妖精族系だな。父君と同じく、妖精族には珍しい黒髪、目元は……母上譲りでいらっしゃる」
「私の両親をご存知なのですか」
わずかに驚きの色を浮かべて尋ねるエンリェードにフィンレーはにこりと笑みを一つ浮かべると、「あなたにお見せしたいものがある」と言い、先に立って館の中へと入っていった。エンリェードも黙ってそれに従う。