5 それぞれの役目 ②
広々とした食堂に、夜の静寂にも勝る重々しい沈黙が落ちる。
破りがたいその静けさを破ったのは、普段は寡黙なエンリェードのひやりとした声だった。
「イドラス卿が適任なのでは? 白狼公の名で武功をお聞きしていますが」
彼の言葉に皆の視線がイドラスへと集まる。
それを一身に受けたイドラスは小さく息をつき、「久しぶりに聞いた呼び名だな」と呟いて首を振ってみせた。
「私は陛下とは離れ、少数精鋭の別働隊を率いてずっと戦ってきた。陽動や急襲などが主な仕事で、私自身の戦い方もそれに適したものだ。本隊を率いるのには向いていない」
どこかかたくなな思いの感じられる硬い声音でイドラスは言う。
エンリェードはそれに無言のまま数度まばたきをしたあと、おもむろにフィンレーの方へと顔を向けた。
何かを問うように彼の目を見る。
するとフィンレーも首を左右に振り、皮肉っぽさの混じる口調で彼の言葉なき声に応えた。
「俺は確かに陛下のそばでずっと戦っていたが、月夜の民ではないただの人間の俺が指揮を執るのに不満な者はいるだろう。そこのヴァルツとかな」
そう言ってフィンレーは、今この場にいる月夜の民の中でサムの他にもう一人いる流枝の民の男を見やる。
褐色の肌を持つ目つきの鋭い小柄な青年は何も言わず、ただ尊大に鼻を鳴らしただけだった。
その様子を見て、キナヤトエルがいくらか同情的に呟く。
「流枝の民の変異者は特に、人間に迫害された経験のある人が多いから、気持ちもわからなくはないわ。フィンレーは仲間なんだから他の人間とは違うと思って欲しいところだけど、理屈ではどうにもならない感情というものはあるものね」
「これでもずいぶん和解した方なんだぜ。なあ?」
親しげな軽い語調で声をかけるフィンレーに、ヴァルツは腕を組んでそっぽを向いたまま何も応えなかった。
「まあ、彼があなたにあたりが強いのは、ユーニスがあなたに好意的だからでしょうけど。奥手なんだから」
「おい、適当なことを言うな」
キナヤトエルの冗談めかした言葉に、ヴァルツは不機嫌そうに返して彼女を睨む。
それにキナヤトエルは小さく肩をすくめ、「そうね。悪かったわ」と言った。
「でも奥手なのは本当よ。みんなね。妖精族は元々平和主義的な種族だし、流枝の民も陛下の言葉には忠実だけど、自分から兵を率いることはしたがらないか、我が強くて独走しがち。復讐に躍起になったり、周囲の状況に目を向けるのを怠ったりね。
そんなみんなを陛下が上手く手綱を握って統率していたの。その弊害かしらね、大きな兵や複数の部隊をまとめて指揮できる人がいないのよ」
そう言いながらキナヤトエルはダイニングテーブルの美しい天板の上に頬杖をつき、「陛下の代わりは誰にも務まらないわ」とこぼした。
ルクァイヤッドもそれに同意するように言葉を紡ぐ。
「みんな、彼についていけば世界が変わると思っていましたからね。かく言う私もその一人です。改めて彼の存在の大きさを感じますよ」
そうしてまたその場に沈黙の幕が下りた。
「レディ・ユーニスは強いが、イドラス卿同様、別働隊を率いて戦うことを好むし、結構無茶をするからな」
ぽつりと呟くようにフィンレーが言うと、ロスレンディルもためらいがちに言葉を発した。
「正確に戦況を読み、的確に指示を出せるのは、ここにいる中ではドクター・ルクァイヤッドだけでしょう」
それを受けて堅木の民の医師は申し訳なさそうに「しかし、私自身にはろくに戦う力はありませんよ」と応じる。
「私も陛下のそばにはいましたが、あくまで助言や提案をしていただけで、実際に兵を率いて最前線で戦っていたのは陛下ですから。私が同じことをしようとしても、皆の足を引っ張るのが落ちでしょう」
「ドクターに最前線まで行かれるのは困るわ。私は治癒術こそ使えるけれど、人間の身体構造もよく理解していて、外科手術までできるのはドクター・ルクァイヤッドだけだもの。治癒術での治療が難しい捕虜や人間の怪我を治すのは、私や他の治癒師には無理よ」
「要請に応じ、これから合流してくれるであろう者たちの中にも、正直、陛下に並ぶ統率力のある者はいないというのが現状だしな」
キナヤトエルに次いでフィンレーもそう呟き、苦々しげな表情を浮かべて頭を垂れる。見ると他の者も同じような面持ちで、途方に暮れた様子だった。
彼らは王を取り戻すと決め、戦う決断を下したが、唯一の王を失ったことで少なからず弱気になっている――そのことにエンリェードは気が付いた。
だがそれは、彼らが長年間近で王と共に戦ってきたからこそだ。
月夜の民の真の強さは人間離れした能力ではなく、王の指揮による団結力と忠誠心と言われるほど、彼らは統率のとれた動きで数の不利をものともしない戦いを続けてきた。その要を失ったのだから、彼らの動揺も無理はない。
少なくとも、同じ月夜の民でありながら、遠く離れた地で安穏と過ごしてきたエンリェードに彼らを責める資格はなかった。
しかし、それでも自分たちを否定する者たちにあらがうと決めた以上、やるべきことはやらなければならない。
「本当に人がいないと言うなら、私がやりましょう」
おもむろにエンリェードがそう口を切った。




