4 死に至るもの ②
針を動かす手元に視線を戻し、「それで」と、別のことを口にする。
「話というのは?」
単刀直入に切り出された疑問にフィンレーは「そうだった」という表情を浮かべ、手際よく生地を縫い合わせていくエンリェードの様子を見ながら言った。
「君が魔術師なら、何故さっきの戦いでもっと魔術を使わなかったんだ? ずっと上空から攻撃魔法を撃っていれば、俺に勝つ道筋はなかったのに」
その問いにエンリェードは顔をあげることもなく、淡々と応じる。
「確かに私は魔術師の端くれではあるが、魔導術が得意なわけじゃない。つまり、遠隔で魔力を飛ばしたり操ったりするのは不得手だ」
「ふむ。なら君の得意な魔術は何だ? 治癒術か?」
いくらか身を乗り出し、興味深そうにフィンレーは尋ねる。
対するエンリェードは先ほどから変わらぬ平板な口調でその問いに答えた。
「治癒術も君のさっきの怪我のような軽いものなら治せるが、深い傷となると応急処置程度のことしかできない。召喚術は多少使えるが、これも一流と呼ぶには程遠いだろう。唯一、私の専門と呼べるものがあるなら屍術だけだ」
「屍術? 死人使いの禁術じゃないか」
驚いた様子でフィンレーは声をあげるが、エンリェードは意にも介さず、針に視線と神経を傾けたまま言った。
「宗教的に異端や禁術と言われることはあるが、屍学自体は魔法学的にきちんと認められている分野だ」
「でも、確か屍学では死者の蘇生術を研究しているんだろう? 死者の蘇生は禁忌のはずだぞ」
フィンレーの指摘にエンリェードはようやく顔を上げ、真意を問うような彼の青い瞳を見やる。
針を持った手を止めて、エンリェードは穏やかに言葉を返した。
「死者の蘇生がこの世界で禁忌なのはその通り。だが、屍学は生きている限り決して究められない学問だと言われているから、生者が屍学を研究する分には問題ないとされている」
「俺にもわかるように教えてくれ」
謎かけでもされた気になり、ため息まじりの困惑顔でフィンレーが言う。
エンリェードはそれにうなずくように再び視線を下に落とすと、針仕事を再開しながらよどみなく答えた。
「屍学は死について研究する魔法学だ。その最終目標は死者の蘇生とされているが、蘇生術には魂の感知と死の体験が必須だということがほぼ判明している。目には見えない魂を知覚し、死のことを知った者だけが肉体から離れた魂を導き、元に戻すことができる、というものだ。
だが、『死』というものは実際に死なない限り、決して体験することはできない。よって、生きている限り蘇生術は決して完成しない。だから研究しても問題ない、という話になる。
過去に死霊となった魔術師が蘇生術を完成させ、他者に使用した例はあるが、死は生きている者に言葉で教えられるものではないから、生者には結局、再現することなどできはしないんだ」
エンリェードの説明を聞いて数秒の間をおいてから、フィンレーが戸惑いがちにさらに問いを重ねた。
「何となく言っていることはわかったが……それなら、決して完成しない学問を何故学ぼうと思ったんだ?」
その問いにもエンリェードはためらいなく答えた。
「この世界が時間に支配され、変わり続ける限り、そもそも学問に終わりというものはない。確かに屍学の最終目標は蘇生術の完成だが、それだけが屍学のすべてではないし、たとえすべてを知ったつもりになっても、何かを知れば知らない何かが現れ、知りたい別の疑問がわいてくる。
そうして永遠に深めていくものが学問であり、最後に求めるものは永久にわからないのだとしても、そのあいだにいくつもある真実を知る価値はある、と考えるのが学者だ」
「つまり、屍学者である君も死や蘇生に至るまでのいろんなことを知りたいと」
エンリェードはそれに何も応えず、小さく肩をすくめてみせただけだった。
人間はとかく死を敬遠しがちだ。哲学者や宗教家、あるいは病気が重篤の者でもなければ、日常で死を意識する者は少ないだろう。十代のうちから戦場に出て戦ってきた騎士であるフィンレーでさえ、王の献身によって手に入れたこの五年の平和のあいだに死のことを忘れかけていた。
ましてや妖精族は、もっとも死から遠い種族と言えるほど長命だ。縁がないからこそ興味をそそられるのかもしれないが、専門と呼べるほど学ぶとなると相当のことに思える。
「何故そんなものを知りたがる?」
普段の軽い口調とは違う、どこか慎重な声音と面持ちで尋ねるフィンレーに、エンリェードもいつもの淡白さとは少し異なる曖昧な返答を口にした。
「わからない。生まれつきこうなんだ。花に惹かれる人がいるように、私は死に惹かれる」
「だから屍学を学んだのか?」
フィンレーの言葉にエンリェードはうなずく。
それをぼんやりと見ながら、彼は死にたいのだろうか、とフィンレーは思った。妖精族にしろ月夜の民にしろ、人間のフィンレーよりも死に縁遠いのは確かだ。だから勝つ見込みの薄いこの戦場に死を求めて来たのだろうか、と考える。




