3 手合わせ ⑤
大きな剣戟が一つ、闇と静寂に沈む前庭に響く。
「やられたかと思ったよ」
エンリェードの大鎌をかろうじて剣で受け止めたフィンレーが笑みを浮かべながらも、緊張した余裕のない面持ちで言う。
力は月夜の民であるエンリェードの方が強いが、体勢では上から抑え込む形のフィンレーの方が有利だ。
フィンレーは上から横へと大鎌を押し返そうとする。対するエンリェードは持っている武器を横に流されてしまうと、今の姿勢ではバランスを崩して倒れかねない。
それを避けるため、彼は身を引くように素早く後退し、大鎌を振り上げる。
しかし、その首元には冷ややかな月の光を反射するフィンレーの剣が突き付けられていた。
「……私の負けだ」
エンリェードがわずかに乱れた呼吸でそう呟くと、フィンレーは大きな息をついて剣を下ろした。その瞬間、周囲から拍手が響く。
「いい勝負だったが、惜しかったな」
剣を鞘に納めながらフィンレーが言い、エンリェードを見やる。
彼もフィンレーの方を見てうなずきかけたが、不意に何かに気付いたように目を見開き、空の一点を凝視した。それとほぼ同時に他の月夜の民たちのあいだからも「あれは……?」と声があがる。
「どうした?」
不思議そうに言って背後の上空を見上げるフィンレーにエンリェードは自分の鎌を無言でそっと預け、空を見上げたまま駆け出す。
「おい!」
訳がわからず叫ぶフィンレーの視界に、白い月の光が煌々と照らす夜空を不自然にふらふらと横切る小さな黒い影が映った。翼を持つその影がコウモリであるとわかった瞬間、それは急に高度を下げ、落下する。そして地面まであと数メートルというところで、黒いコウモリは人の姿に変わった。
その人影が地面に落ちる寸前、エンリェードが腕を伸ばす。どさりと鈍い音が響き、エンリェードの両腕に確かな重みがかかる。彼はそれを支えきれず膝をついたが、取り落とすことはしなかった。
「エンリェード!」
「エンリェード卿、今誰か……」
フィンレーと月夜の民たちが口々に何か言いながら駆け寄ってくる。
エンリェードはそんな彼らの方へ向かって、今までで一番大きく強い語調で「ドクターを!」と言った。
彼の腕の中には気を失った流枝の民が横たわっている。だが、コウモリに姿を変えていたことからして、月夜の民であるのは間違いない。その肩には矢で射抜かれたようなあとがあった。しかし、自己治癒力の高い月夜の民ならある程度ふさがっていてもおかしくないはずの傷は生々しく、皮膚には焼けたような形跡さえある。傷口の周りには、どす黒い液体がこびりついていた。
月夜の民の肌を焼くのは強い日光と、真銀や霊銀と呼ばれる魔力を帯びた銀だけだ。そういった銀製の矢を使うのは、反変異種派に他ならない。そして傷口についた黒い液体を使うのは――。
「見せてください」
エンリェードの周りに集まっていた月夜の民たちが道をあけ、ルクァイヤッドが駆け寄ってくる。
ひやりとした月明かりと誰かが魔術で作った明かり、その二つの光源で傷がよく見えるよう、エンリェードは腕の中の流枝の民の体を静かに動かしながら言った。
「気をつけて。傷口に黒い液体のあとが見えます」
それを聞いてルクァイヤッドがはっとしたような表情を浮かべる。
フィンレーが硬い表情で「ひどいのか?」と尋ねたが、ルクァイヤッドはそれには言葉を返さなかった。
代わりにエンリェードが呟くように言う。
「この黒い液体が死者の血なら、月夜の民には猛毒だ」
その言葉にフィンレーをはじめ、他の者も小さく息をのむ。彼らはその毒を使う者たちに心当たりがあった。反変異種派の中でもその毒を作れるのは、吸血鬼狩りと呼ばれる狩人たちだけ。彼らこそ、月夜の民の天敵だった。




