3 手合わせ ②
「お察しの通り、私は先ほど商談の場でうかがった方針に何も異論はありません。今回の戦いにおける二つの目的、陛下の捜索および奪還と、月夜の民が生き残ること――どちらも決して容易くはないでしょうが、戦いに勝利することよりも価値があると個人的には思います。
その理由は、ドクター・ルクァイヤッドやイドラス卿が仰ったように、人間を倒して勝利を得ても共存の道へはつながらないと思われるからです。私も歴史をいくらか学びましたが、どこを見ても月夜の民と人間とのあいだに起きた戦いで両者の関係が改善した例はありません。月夜の民が勝利し、得た領地は、必ずあとから人間が取り戻そうとしています。
もっとも、眷族を領主に据えるようになってからは、人間が月夜の民から領地を取り戻すという名目で攻めてくることはなくなったようですが。よって、眷族を使った対策は正解であったと私は思います。それを除けば、人間が月夜の民の領地と一度でも認めたことがあるのはただ一つ、ここだけです」
そこまで言ってエンリェードが口をつぐむと、彼の向かい側に腰かけたイドラスがいつもの険しい面持ちで言葉をはさんだ。
「君が学んだというその歴史は、表には出ていないはずのものだ。少なくとも人間の歴史には」
その追及にエンリェードは黙ってうなずき返す。
イドラスは心の内を読もうとでもするかのように数秒のあいだ彼の顔をじっと見つめていたが、やがて静かに「君は記憶の図書館へ入ったのか」と尋ねた。だが、その口調は質問というより確認に近い。
エンリェードはもう一度小さくうなずいてみせると、「かつて、父の故郷の森で許可を得て入りました」と答えた。
「一族で月夜の民の血を引くのは私だけでしたから、父のことも月夜の民のことも、もっと知っておくべきだと思ったのです」
その返答だけでイドラスは納得したようだったが、フィンレーは口の中の肉を飲み込むと少し不満げに声をあげた。
「記憶の図書館というのは何だ? 妖精族同士で通じることのようだが、俺にもわかるように教えてくれ」
それを受けてエンリェードとイドラスが一瞬顔を見合わせる。それはどちらが説明をするかうかがうものだったが、すぐにイドラスがその役を買って出た。
「記憶の図書館は、妖精族が共有している記憶領域のようなものだ。妖精族の記憶は木の根に例えられることがあり、まさに個人の記憶や知識という根は妖精族という大きな木につながり、共有の知的財産として保存されている。
個人がそのすべての記憶や知識を引き継ぐのはあまりにも負荷が大きいため、記憶の図書館は普段封鎖されており、そこに入らない限り保管された記憶や知識に触れる機会は基本的にない。まれに記憶の図書館にある記憶や知識の一部を持って生まれる者もいるが、本当にまれな例だ」
「記憶の図書館にある記憶をすべて得ようとして、自我を失った人もいるわ。知識欲が旺盛なのは妖精族の長所であり、欠点の一つね。だから、そこに入るには許可が必要なのよ」
そう補足したのは、イドラスの隣の席でティーカップを傾けていた妖精族のキナヤトエルだった。彼女は長い白銀の髪を揺らし、どこか面白がるような仕種でエンリェードの方へと顔を向ける。
その横でイドラスもエンリェードの心の内を推し量るように見やり、冷静な語調で言った。
「記憶の図書館に入るためには、魔術的な儀式も必要とする。許可もそう易々と下りるものではないが――君には正当な理由があったようだな」
彼のその言葉からは、エンリェードが記憶の図書館の入室許可を得たなら、ある程度信頼の置ける人物だと判じたことがうかがえた。
もっとも、そうとわかったのは妖精族たちだけだったが。
「なるほど、それほど厳重な守りが施された書庫に残されている貴重な歴史を見ても、月夜の民と人間の関係は疑いようもない不仲というわけか」
妖精族たちの説明を受け、フィンレーが皮肉っぽく言う。
そんな彼に視線を向けたエンリェードは、生真面目な表情と語調で言葉を返した。
「だからこそ、私たちはこの戦いで生き延びる必要があると思う。種の存続のためでもあるが、確か変異種狩りの領主が治めるセント・クロスフィールドを含むあのあたりの教区は、最近司教が変わったはず。そしてその司教も今回の反変異種派に加わり、月夜の民の殲滅を支持している」
それを聞いて声をあげたのはルクァイヤッドだった。
「よくご存知ですね。仰る通りです。陛下が封印されてから五年近く経ち、反変異種派の人々が今になって動き出した理由の一つはそれだと私たちは考えています。多くの聖職者の方々にとって、私たちは実に体のいい悪役ですからね。新任の司教様の人気取りには悪者退治など最適でしょう」
「五年も空いたのは、吸血鬼狩りを探し出して味方につけるのに手間取っていた、というのもあるだろうがな。それも見つかったようだし、機は熟したということなんだろう。何せあの血の気の多い領主のことだ、本当なら陛下を封印したらすぐにでも攻めたかったはず。なのにこれだけ時間をかけたということは、総力戦のつもりだろう」
軽薄な口調で言ってフィンレーは肩をすくめ、サムが持ってきたワインに手を伸ばす。
それとは対照的に厳格な語調でイドラスが言った。
「だが、司教の介入で彼らの目標が明確に『月夜の民の殲滅』になった」
エンリェードはそれにうなずき、言葉を継ぐ。
「反変異種派を含むすべての人間にとって、月夜の民との戦いは本来利益のあるものではありません。せいぜい誰かがこの土地の権利を得るくらいのものでしょう。それでも彼らが戦いをしかけてくるのは、ひとえに月夜の民を『滅ぼすべき敵』だと考えているからです。
特に今回は教会の威信もかかっている。教会は月夜の民を悪魔や魔物と同類のものとみなし、存在を許していないため、月夜の民を一人残らず滅ぼすことだけが彼らにとって完全な勝利と言えるでしょう」
「つまり、俺たちがまんまと生き延びれば新任司教殿の株も下がるというわけだ。変異種狩りの領主に対する司教の信頼も落ちるだろうし、険悪な関係になってくれるかもしれない。
下手に俺たちが勝ったところで、これまで積極的に反変異種派の活動に参加してこなかった聖職者の連中を完全に敵に回すことになるだけだろうし、ならば試合に負けて勝負で勝ち逃げというのは悪くない。陛下が戻るなら、たとえここを失ったとしても俺たちはいくらでも立て直せるだろうしな」
ワイングラスをきれいに空け、不敵に笑って言うフィンレーに一同がうなずく。
そんな彼の隣で再びカップを手に取りお茶を飲み始めたエンリェードに、少なからず感心した様子で目を向けながらルクァイヤッドが言った。
「エンリェード卿、あなたのその知識も認識も正しいと私は思います」
「そうだろう?」
賛辞に近いルクァイヤッドの言葉に、エンリェード本人ではなく何故かフィンレーが得意そうな顔をする。
そればかりか、彼はその場にいる全員に聞こえる、はっきりとしたよく通る声でこう言った。
「彼に戦争の経験はないそうだが、戦術の基礎も理解しているようだし、ご覧の通り情報整理や状況判断の能力も高い。作戦会議にはエンリェード卿も加えることを俺は推すよ」
その言葉にルクァイヤッドは「もちろんです」と応じる。イドラスもそれに異論はないらしく、無言のままうなずいてみせた。




