3 手合わせ ①
流枝の民の商人ルースと月夜の民たちはルクァイヤッドを中心に取引の内容をまとめ、正式に契約を結ぶと、これからの基本的な行動予定を立ててその日の商談を無事に終えた。
食堂に戻ってきたルクァイヤッドたちからの報告を聞き、話し合いがうまくいったことを他の月夜の民たちが喜んだのは言うまでもない。
だが、実際に商談の場にいた者の内の一人であるユーニスは、腑に落ちないといった様子で首をかしげながら食堂の椅子に腰かけて言った。
「それにしても彼は何を考えているのかしら。戦場についていきたいだなんて。腕が立つようにも見えなかったけど」
「まあ、いいじゃないか。戦場と言っても、本陣に来るだけで最前線に立つわけじゃない。安全なところで高みの見物でもしていてもらえばいいさ」
軽い口調でそう応じたのはフィンレーだ。彼はエンリェードを促し、食堂にしつらえられた優美なダイニングテーブルの一席に着く。
それを横目に見ながらイドラスは釘を刺すように呟いた。
「本陣が魔術による攻撃を受けたら、そんな悠長なことは言っていられないと思うがな」
「その対策を考えるのも私たちの仕事ですから、作戦会議をしなければいけませんね。でもその前に、エンリェード卿に他の人たちを紹介しましょう」
ルクァイヤッドが穏やかにそう割って入ると、今日ここへやってきたばかりのエンリェードに向けて、月夜の民の仲間たちを順に一人ずつ紹介をしていく。
それが終わると、彼らは夕食を摂りながらエンリェードも交えて今後のことを話し合うこととなった。
とはいえ月夜の民に必要なのは魔力のみなので、食事をする必要があるのは流枝の民のフィンレーだけだ。そういった生活様式の違いも、普通の人間と月夜の民が共存しづらい要因の一つであると言える。
だが、彼らはフィンレーの食事に合わせて魔力薬を調合した酒や紅茶を共に楽しむことを好んだ。
「さあ、今日は仕入れたばかりの鹿肉ですよ、フィンレー卿! そしてみなさんのお茶は、キナヤトエル様直伝のオールド・ブラッドベリーティーです!」
そう言いながら料理とティーポットを両手に持って意気揚々と食堂に入ってきたのは、小柄で恰幅のいい流枝の民の若者だった。もっとも、彼の瞳の色も鮮血の赤をたたえており、月夜の民の一人であることが見て取れる。
「ああ、サム、ありがとう。エンリェード、さっき紹介の場にいなかった彼が、俺の専属料理長とでも言うべきサム君だ。いつも俺の食事と、みんなのお茶を用意してくれる。魔力資源の在庫管理も担っているし、俺たちにはなくてはならない存在だ」
「これはどうも。エンリェード卿は黒狼公のご子息とうかがったので、お父様がお好きだったというお茶を用意しましたよ。お好みが同じなら、きっとお口に合うはずです。さあ、どうぞ!」
サムは元気にそう言うとティーポットからお茶を注ぎ、温かな湯気の立ち昇るカップを半ば強引にエンリェードに手渡した。
「ありがとう」
サムの勢いにやや気圧されながら、エンリェードはそれを受け取って口をつける。
魔力薬と食品との調合は非常に難しいと言われているが、それは魔力薬特有の苦味もほとんどなく、むしろオールド・ブラッドベリーの華やかな香りと酸味に溶け込んで絶妙なスパイスに仕上がっていた。
「こんなにおいしいお茶は初めてです」
驚きながらエンリェードが呟くように言うと、サムはすっかり満足した様子で何度もうなずく。
「サム、私にもちょうだい。今夜は遠出する予定だから、補給しておかなきゃ」
「もちろんです! さあどうぞ、レディ・ユーニス。みなさんもぜひ」
サムは大きな声で言って、一同にお茶を振る舞い始める。
それを愉快そうに眺めながら一人食事を始めたフィンレーは、やがておもむろに隣のエンリェードの方へ顔を向け、「それで」と口を切った。
「俺の記憶が正しければ、あの商人殿との話し合いのあいだ、君は一言も口を利かなかったように思うが、君の意見も聞かせてもらえるか?」
その言葉に他の月夜の民たちも一斉にエンリェードの方へと視線を向ける。
「私も同じ気持ちです。何も仰らなかったということは、基本的には我々の方針に賛同してくださっているものととらせていただいていますが、個人的なご意見やお考えはぜひ一度お聞きしておきたいです」
ルクァイヤッドの言葉にイドラスも黙然とうなずく。
そんな彼らの視線を受け、エンリェードはカップをテーブルの上にそっと置くと、窓の外に広がる夜のように静かな声音で言葉を紡いだ。