2 取引 ⑤
度重なる戦で何度も勝利を収め、得た土地の歴史を裏で操ることまでしながら、彼らはあくまで人間との共存を望み、支配することは考えていない。そういった傾向は、世界の監視者とも呼ばれ中立的な立場をとることの多い妖精族が月夜の民の過半数を占めるためだとも言われるが、これほどまでかとルースは感嘆した。
全人類を敵に回すようなやり方は、圧倒的な数の差で不利な彼らには難しいことであるのは確かだが、月夜の民が本気で人間を滅ぼし世界の覇権を握ることを狙えば、もっといくらでもやりようがあり、それはある程度実現可能なことのように思える。
それにも関わらず月夜の民が未だに迫害される側で居続けるのは、彼らが人間との共存の姿勢を崩そうとしないからだ。月夜の民を束ねる王と呼ばれる男も、種族をまとめ上げながらも目指したのは人間や世界の支配ではなく、共存だと言われている。
その一貫した姿勢を人間たちが評価しないのは何故なのか、差別が続くのは何故なのかがルースには理解できなかった。眼前の彼らに恐怖を覚えないと言えば嘘になるが、平和的な商取引も隣人関係もそこまで難しいことではないようにルースには思えるのだ。そして実際にこうして彼らと対話しているからこそ、その思いはルースの中で強くなった。
だが、それと同時に彼は気付く。人間が月夜の民を恐れるのは、結局のところ、彼らのことをろくに知らないからなのだと。彼らが吸血鬼と呼ばれていた時代の恐怖と、少数でありながら人間離れした力で人との戦いに勝ってきたことが彼らを人類の敵だとする意識を強くし、忌避させたのだ。
それを考えると、今回の戦いで彼らが一般的な戦争の勝利を目指していないことも理解できる話であるように思えた。
「さて、私たちからお話しすべきことはこれですべてです」
そんなルクァイヤッドの穏やかな声にルースは我に返る。
彼は慌てて大柄な堅木の民の医者にうなずいてみせた。
それににこりと笑みを返し、ルクァイヤッドは「ここで話をまとめておきましょう」と言って指を二本立て、再び話を始める。
「私たちの戦いの目的は二つ。一つは戦いに乗じて、どこかに封印されている王を奪還すること。これは相手の変異種狩りの領主が王との契約を破り、戦をしかけてきた時点で契約は無効となるという判断によるもので、戦いをしかけてくるなら、こちらも王を奪われたままにしておく必要はない、という理論です。まだ宣戦布告はされていませんが、戦いになるのはおそらく避けられないでしょう」
そう言うとルクァイヤッドは、立てていた二本の指のうちの一本を折ってさらに言葉を続けた。
「もう一つの目的は、とにかく月夜の民が滅びないことです。我々にも生きる権利はありますからね。そして、その二つの目的を叶えるために私たちが採る戦いの方針は、可能な限り戦いを長引かせて王を取り戻す時間を稼ぎ、敵を消耗させること。
そのために必要な魔力資源や資金を提供してくださるルース様には、決して危険が及ばないよう細心の注意を払いつつ、随時報告を送らせていただくつもりです。
ルース様への見返りは、王が戻られた場合はルース様の望まれる優先的な商取引の確約。王が戻られず、我々がこの世界の歴史の表舞台から姿を消すということになった場合は、これまで月夜の民が人間からお預かりしていた土地をお譲りします。その二つに関する参考資料が、今ご覧になっている書類となります」
立てたままの指でルースの持つ紙束を指し示し、ルクァイヤッドは「以上が私から申し上げるべきことですが、何かご質問はありますか? 他の人も、何かルース様にお伝えしておきたいことは?」と言って一同を見回すように首を回した。
その言葉に声を発する者はない。
ルースが様子をうかがうようにエンリェードの方を見たが、彼も口を閉ざしたまま何も言うことはなかった。
それにルースは小さく息をつく。
それから改めて手の中にある書類に視線を落とし、しばらくその内容を確認していた彼は、やがて緊張した面持ちで顔を上げて言った。
「対価はこれで構わない」
「それは何よりです。では、これで取引をしていただけるということでよろしいでしょうか?」
「ああ。だが、私から一つ条件がある」
そのルースの言葉を聞いて、月夜の民たちは一様に不思議そうな表情を浮かべて彼を見やる。
「何でしょうか?」
穏やかに尋ねるルクァイヤッドにルースはすぐには答えず、再びちらとエンリェードの方へ視線を向けた。そして意を決したように告げる。
「私も戦場に同行させて欲しい」