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2 取引 ④

 しかし、それをかき消すようなはっきりとした声で、彼と同じ色の瞳をした流枝の民の青年――フィンレーが「だから俺たちは負けられないんだ」と言う。


「これは月夜の民がこれからも人間と同じ世界で共に生きていけるかどうか、その運命がかかった戦いだからだ。俺はあなたと同じただの人間だが、育ててもらった恩がある。両親はあっさり俺を捨てたのに、月夜の民は俺を迎え入れてくれた。


そんな月夜の民と共存することは可能だと俺は信じている。だから月夜の民が滅ぶ必要はないし、ここにいるみんなを死なせるつもりもない。――だが、相手を倒すだけでは本当の自由も得られない。それも事実だ」


 それにイドラスも厳しい面持(おもも)ちで続けた。


「勝ち目の薄い、そして勝ったところで大して意味のない、種族の命運をかけた戦争……それが今私たちの眼前に迫っているものだ」


 感情の欠けた冷静な言葉がルースの意識に突き刺さる。


「私たちの状況をご理解いただけましたか?」


 痛みを(やわ)らげるかのような穏やかな口調でルクァイヤッドがそう尋ねたが、ルースは両者のあいだに横たわるテーブルの上に視線を落とし、不機嫌(ふきげん)そうに、あるいは不服(ふふく)そうに応じた。


「何となく、(おっしゃ)っていることの概要(がいよう)は理解したが……それなら、私があなた方と取引をしても得をするとは思えない。勝つ見込みも、そのつもりもないなら、自由を得た月夜の民と優先的な取引をするという約束など意味がないだろう」


 その言葉にルクァイヤッドは微笑み、意外にも明るい声音で首を振って(こた)えた。


「いいえ、このような無駄な長話をお聞かせするためだけにあなたをお引き()めしているわけではありませんよ。私たちは確かに劣勢(れっせい)の状態で、しかも運良く相手を負かしたところで、その勝利には大した価値がありません。


ですが、先ほど申し上げた通り、戦いを長引かせることができれば、どこかに封じられている我らが王を取り戻す機会が作れます。戦いが長引けば相手の資金や戦力も減り、次の戦の準備にかかる時間を(かせ)げるでしょう。


今回は特に、変異種狩りの領主を筆頭(ひっとう)に、反変異種派の者たちが手を組んでいます。彼らを一気に消耗(しょうもう)させられれば、しばらく反変異種派の活動は静かなものになるでしょう。


そして万が一王を取り戻せたなら、陛下はあなたと正式に商取引を結ぶはずです。彼も月夜の民のために安定した魔力資源の供給をしてくれる商人を探していましたから」


「もし陛下が戻られなかった場合は、私たちはしばらく人の目に触れないよう隠れるつもりだ」


 再びイドラスが補足するように言葉を()す。

 それにうなずきながらルクァイヤッドは話を続けた。


「そうなると現在自分の領地を持っている月夜の民の中には、領地を手放した方が都合(つごう)がいい者もいるのです。そういった土地をあなたにお(ゆず)りしましょう。陛下が戻られない時、あなたの(おっしゃ)る商取引の確約は難しくなりますが、我々には不要となる領地があなたの協力に見合う対価になるかと思います」


「それはつまり……」


 驚きの表情を浮かべながら呟くルースに、ルクァイヤッドはにこりと人の()さそうな笑みを向ける。


「ええ、王の奪還、あるいは主なき敗北――どちらの結末を迎えたとしても、あなたには利があると思います。ですから、私たちと共にこの戦いを最後まで戦い抜いて欲しいのです」


 そう言ってルクァイヤッドは、持参した残りの書類をルースに差し出した。


「以前陛下が作られた魔力資源の取引に関する見積書と、現状わかっているだけのあなたにお譲りできる土地に関する情報をまとめたものです。後者(こうしゃ)はそこに書かれている以上に増える可能性があることをお伝えしておきます」


「それらの領地はすべて、百年以上に渡る過去の戦いで得たものだ。領主が戦死し、主のいなくなった土地を陛下の裁量(さいりょう)で我々に与えられた形だが、表向きは血の契約をした眷族(けんぞく)たちが領主を(つと)めている」


 領地の書類の方を指差しながらイドラスが言い、それに続いてユーニスが言葉を()いだ。


「血の契約というのは、月夜の民が普通の人間を自分の眷族にするために行う魔術的な儀式のようなものよ。血の契約を結び月夜の民の眷族となった人間は、自分を眷族にした月夜の民と主従関係になり、月夜の民に等しい身体能力や再生能力を得る。年を取らなくなり、食事も必要なくなって魔力だけで生きていけるけど、主である月夜の民が死んだら自分も死ぬ――運命共同体ね」


 そういった眷族を普通の人間のように見せかけ、治める者がいなくなった土地を管理する仮の領主として()えているのだとイドラスは説明した。それは月夜の民が人間の領地を侵略(しんりゃく)しているかのように思わせないための措置(そち)だ。


 そのために領主やその土地に関する歴史についても、適当に改竄(かいざん)をしたり昔話を作り上げることでごまかしているとイドラスは言う。月夜の民が関わる土地だと知られないためには、そうするしかなかったのだと。


 月夜の民が持つ赤い瞳には他者の意識をある程度(ていど)操作する力があるため、それを駆使(くし)し、年月をかけ、世代を(へだ)てて引き継がれる人々の記憶と記録を書き()えることで、領地に月夜の民の関与(かんよ)があると(さと)られないようにしてきたのだ。


 彼らがその力を好んで使うことはほとんどなく、この場にいる月夜の民が人間に対して使用したのはその件のみだった。


「このあたりの多少の不正は大目に見てください。私たちは人間の土地を侵略するつもりはありませんし、お互い平和に暮らそうと思うと、そういう小細工も必要なのです」


 少しばつの悪そうな表情を浮かべて弁明するルクァイヤッドに対し、ユーニスは「お互いにとってその方がいいんだから、気にする必要なんてないわよ」と強気に言う。


 フィンレーも彼女に同意するように首肯(しゅこう)し、「(よう)するにだ」と口を切った。


「そこに書かれている土地はどれも人間の領主が(おさ)めていると思われている何の変哲(へんてつ)もない場所で、土地の売買によっていつの間にか領主が変わっていても誰も気にしないということさ。今の時代、落ちぶれた貴族が金だけは持っている成り上がりの商人に土地を売るなんてのも、よくある話だしな」


 それを聞いて自分のことを言われたと思ったのか、ルースはいくらかむっとした様子で言葉を返した。


「人間の領主が治めているということになっているなら、わざわざ手放す必要はないんじゃないか? 裏で手綱(たづな)を取り続ければいい」


 それはフィンレーに向けられたものだったが、答えを返したのはイドラスだった。


 余計な揶揄(やゆ)など許さぬ生真面目(きまじめ)な表情と厳格(げんかく)口調(くちょう)で、淡々(たんたん)と言葉を(つむ)ぐ。


「王が戻られない場合、我々は人間の歴史から完全に姿を消すくらいのつもりで身を隠す予定でいる。領地で何か問題が起きた時などに、その処理にわずらわされたくないのだ。元々、我々の土地ではないしな」


「私たち月夜の民の土地だったのは、陛下が手に入れてくださったここだけよ」


 口をはさんだユーニスの言葉に一同がうなずく。

 そんな月夜の民たちを眼前にしながら、ルースは彼らが恐ろしいほど謙虚(けんきょ)で無欲であることに驚愕(きょうがく)していた。

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