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「お前の血をくれないか」


 普段の軽い口調とはどこか違う、花蜜酒でわずかにできた心のすきまに染み入るような静かな声で騎士が言った。

 エンリェードは顔を上げ、隣に立つ友人へと目を向ける。その言葉を発したのが本当に彼であるかを確かめるように。


 この陣営でただ一人の『人間の騎士』は穏やかな微笑を浮かべ、しかし真剣な眼差しでエンリェードを見ていた。かつては吸血鬼とも呼ばれ、今もなお人間とは異質な存在として恐れられる『月夜の民』である彼を。


「流枝の民である君がなぜ私の血を欲しがる?」


 いつもの感情の読めない淡々とした口調で尋ねるエンリェードに、騎士もいつも通りの軽薄さを取り戻した声音で「さあ」と返して肩をすくめてみせる。


「餞別のようなものが欲しいと思っただけさ。お前とこうして顔を合わせるのも、おそらく今日が最後だろうから」


 そう言って流枝の民――いわゆる普通の人間である騎士は自分の手の中にある酒杯に視線を落とし、わずかに残るその酒がまるで自分たちに残された時間であるかのように、そしてそれを惜しむように、小さく一口飲んだ。


 かすかに感じられる花の香りと、品のいいほのかな甘さがのどの奥へと滑り落ちていく。その軽やかな感覚は、ともすると戦場にいることを忘れさせてしまうほどの心地良さだ。あるいはそれこそ、彼がここでエンリェードや仲間たちと過ごした時間そのものであるかもしれない。軽々しく飲み干してしまうには惜しい、彼の人生における美酒のような日々だ。


 この夜が永遠に続けばいいと願っても、時間は無情に過ぎていく。杯に映り込む虚像の月さえ現実の束縛からは逃れられず、杯の外へゆっくりと去っていく足を止めることはない。

 すべてが川のごとく流れゆく中で姿を変えず立ち止まっていられるのは、妖精族と呼ばれる者たちのような長寿種と、そもそも物理的な体を持たない魔物や悪魔と呼ばれる存在、そして魔力的な突然変異によって肉体の死という概念を超えた月夜の民だけだ。


 その一人である友の方へちらと騎士が視線を向けると、エンリェードはかすかに柳眉をひそめ、彼のことを見ている。そして呟くように「悪趣味だ」と言った。

 しかし、騎士はにやりと笑って「昔の話とはいえ、血液から魔力を得るために人間を襲っていたような種族に言われたくないね」と返す。


「それに、じゃあかわりにその神秘的で美しい黒髪を一房くれと言っても、どうせ承知してはくれないだろう?」


 騎士のそんな問いに何も答えず、エンリェードはただ不承のため息をこぼしただけだった。


 それでも、最終的には騎士が友の血を分け与えられたのは、エンリェードが彼の功績に敬意を表したからだろう。それは友情の証ではなかったかもしれないが、彼らの関係にとっては意味のあるものであり、少なくとも騎士にとってはこの戦争で得た数少ない価値あるもののうちの一つだった。

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