再会
美津江の告白を聴き、享司は頭の中が真っ白になった。とりあえず、急いで引越しをして、美津江はもう二度と祐介には会わないと約束をした。
これで何もかも元通りになるだろうか。美津江は祐介から逃れられたことで安堵したが、享司はそうはいかなかった。
何もかもが嘘だったのか。自分の息子だと信じてきた正義が、もしかしたら他人の子どもで、しかも相手は最愛の妻を犯した男かもしれない。
調べたらどうだ。自分の息子かもしれないじゃないか。だが、もし、そうじゃなかったら。
享司はもし、正義が自分の息子ではないという結果が出てしまったら、今まで通り正義を愛せるか自信がなかった。
それからの享司は、酒におぼれ始めた。酔って帰る日が増えていき、美津江との関係も悪くなっていった。最初は酔いつぶれていただけの享司だったが、日を追うごとに美津江に対してのどうにもならない思いが言葉の暴力となって向けられるようになった。
「今まで隠していたのは、本当はそいつのほうが良かったからなんじゃないか?」
「違う!そんなこと絶対にない!」
「本当は今もこっそり会ってるんじゃないか?仕事はクビになるし、いいようにだませた俺のことバカにして笑ってるんだろ?」
こうなるともう手が付けられなかった。享司は次第に美津江に手を上げるようになった。美津江は嵐が通り過ぎるのをじっと待つしかなかった。あの幼い日のように。
その日も享司は仕事帰りにしこたまアルコールを飲み、正体を失うくらい酔っぱらっていた。ふと、路地裏に小さな小料理屋があるのが目に留まった。千鳥足で店の中に入ると、空いていたカウンター席に座ると、
「酒!」
と怒鳴った。
「ちょっと、あんた、飲みすぎだよ!うちはあんたみたいな酔っ払いに出す酒はないよ」
カウンターの中にいた女将が眉間にしわを寄せてたしなめる。 年のころは享司と同じくらいで、ちょっと気の強そうな、それでいて人懐っこそうな不思議な魅力のある顔立ちをしていた。
「俺は客だぞ!客に対してその態度は何だ!酒をよこせって言ってるんだ!」
享司は構わず大声で喚く。
「まったく。これだから年末は嫌なんだよ!」
女将は悪態をつきながらグラスを享司に差し出す。
「ほら、これでも飲んでちょっと落ち着きな」
差し出されたグラスを受け取ると、享司は一気に飲み干した。が、次の瞬間、鬼のような形相で喚き散らした。
「水じゃねえか!俺は酒をよこせって言ったんだよ!」
女将は意に介さず、グラスに水を入れると今度は享司の顔に思いきりかけた。
「ううっ!な、なにするんだ!」
「何があったか知らないけど、お酒は楽しく飲むもんだよ。今日はこの辺にして、家にお帰りよ」
女将は哀れなものを見るように享司を見た。
「畜生…どいつもこいつも俺をバカにしやがって…」
享司は泣きだした。迷子になった子供のようにすすり泣く姿を見て、女将は困ったようにため息をついた。
「家は遠いの?終電間に合うなら少し酔いを醒ましてから帰るといいわ」
そういうと、享司の前にタオルを差し出した。先ほどかけられた水と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、タオルを受け取ると、享司は顔を拭いた。その顔を見た女将が目を見張る。
「…あれ…もしかして、亮ちゃん?」
「え?」
「やっぱり、そうだ。ほら、あたし、香織。幼稚園から高校まで一緒だった」
享司は女将の顔をまじまじと見つめると、遠い記憶が戻ってきた。確かに、幼馴染の香織だった。明るくてクラスでも人気者の香織は、だれからも好かれる人気者だった。ちょっとおてんばだった香織に対して、幼いころの享司は人見知りが激しくおとなしい子供だったので、いじめっ子にちょっかいを出されては泣き、香織に助けられるという始末だった。そんなわけで、享司は近所に住む香織とはずっと仲良く遊んでいたが、きょうだいのように育ったせいか、お互い恋愛感情を持たずにいた。
「まさか、亮ちゃんにこんな形で再会するなんて」
女将―香織は笑いながら言った。享司の手からタオルを取ると、ゴシゴシと髪を拭いた。
「なんか、カッコ悪いとこ見られちゃったな…」
「ほんとだよ。みんなの王子様だった亮ちゃんがどうしちゃったのよ」
「王子様なんかじゃない。俺は…俺…」
享司は再びすすり泣きを始めた。
「やれやれ…相変わらず泣き虫なんだね。幼稚園の頃も、小学校の時もガキ大将にいじめられて泣いてたっけ」
香織がからかうように言うが、享司は泣き止まなかった。
「よかったら話してごらんよ。話すだけでもすっきりすることもあるじゃん」
店の看板の電気を消し、のれんをしまうと、香織はカウンターの中から享司をやさしく見つめて言った。
享司はすすり泣くのをやめると、ぽつりぽつりと今までのことや、今の気持ちを話し始めた。